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ディベートにて、とあるテーマ(例えば「原発再稼働に賛成か反対か?」)について賛成側と反対側のどちら側になっても上手く論破して勝つような人はいますが、それだとただ単にその人の弁論術や戦法が巧かっただけだとも取れますが、
ディベートをすることによって、そのテーマの本質的な解決策は見えてくるものだと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 例えば明らかな正解が存在するような議題で「正解がある」、「正解がない」に分かれてディベートを行い、どちら側になっても勝つような人がいた場合、このディベートには何か意味があったと言えるのでしょうか?

      補足日時:2023/09/11 19:09
  • 例えば「1か、2か?」という全く内容のないテーマで1と2に分かれてディベートを行う場合にも、何らかの弁論術やディベートのトレーニングにはなるのでしょうか?

      補足日時:2023/09/11 19:25

A 回答 (5件)

発言内容が、どこまで広く深いかによるでしょうね。



発言の裏付けがキチンとしていて、そういうレベルでのディベートなら、本質的な部分は見えてくると思います。

明らかな正解があって、どちらの側でも勝つようなら、相手側がお粗末なだけでしょう。

お粗末さが明らかになったことが、そのディベートの意味です。
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この回答へのお礼

確かに話す内容によって変わってきますね。

お礼日時:2023/09/11 20:02

ルールのあるボクシングや空手をするより、ルールのない


ケンカをする方がケンカに強くなれます
同じように、無意味なディベートの方が練習になるんです
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すべてのディベートは解決策をみつけるものではなく、


相手を言い負かす力をつける練習です
それがやる意味です
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素人の直感で回答しますが、



「本質的な解決策」(あるいは「正解」)があるものはディベートのテーマにならないと思います。
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戦争で勝った国が正義となって、負けた方を裁く


というのと同じですね
最初から正解なんてない問題について討論してるだけです
ディベートで解決策を見出そうというのは、間違いです
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