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先に、
 <補助形容詞>「ない」という誤りについて
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13498073.html

で質問しましたが不十分点もあり主旨が伝わっていない面も見られ再度質問させていただきます。

是非、皆様の忌憚のない語彙ご意見を伺えれば幸いです。

日本語文法論、学校文法では<補助形容詞>「ない」という品詞が区分され、次のような説明がなされています。


(2) 形容詞(補助形容詞)

形容詞の「ない」は、自立語であって、単独で文節をつくります。➡単語の分類(1)自立語と付属語

形容詞の「ない」には、ふつうの形容詞と補助形容詞とがあります。➡補助動詞・補助形容詞

欠点が ない 何も ない……形容詞の「ない(無い)」

よく(形容詞)ない  静かで(形容動詞)ない  多くは ない……補助形容詞の「ない」

ふつうの形容詞の「ない(無い)」は、存在しないという意味を表します。「ある(有る)」の反対語です。

形容詞・形容動詞の連用形に続く「ない」は、補助形容詞です。

動詞の未然形に付く助動詞の「ない」とは、意味は打ち消し(否定)で同じですが、品詞が違うことに注意しましょう。//
https://www.kokugobunpou.com/%E8%AA%9E%E3%81%AE% …


ここでは、【動詞の未然形に付く助動詞の「ない」とは、意味は打ち消し(否定)で同じですが、品詞が違う】と矛盾したことが述べられています。この問題は学生諸君にも多数の疑問、混乱を引き起こし、この判定に対する疑問が噴出しています。既に時枝誠記がその誤りを指摘をしているにも拘らず、教師、学会が理解できずに放置しているものです。
 
その根底には自立語/付属語などという機能主義/形式主義的な区分しかできない誤った言語観の問題がありますが、先ずは< 補助形容詞>「ない」という本質的な誤りを提起しておきます。

動詞「ある」に対する、非存在を表わす「ない」は<形容詞>で「お金がない」「本がない。」などと表現します。

これに対し、「花が咲かない。」「これは本ではない。」「この絵は美しくない。」「この山は高くない。」などの「ない」は「花が咲か」「これは本では」「この絵は美しく」「この山は高く」という想定を話者が否定する否定の<助動詞>です。
 
しかし上引の通り、形容詞に続く否定の<助動詞>や判断辞の後に続く否定の<助動詞>は、もともとの<形容詞>としての意味がうすれ,他の語について補助的に用いられるものとして<補助(形式)形容詞>と呼んでいます。「意味がうすれ」などというのは日本語としても稚拙な表現という他ありません。では、<動詞>に続く場合は補助はしていないのか?ということになります。

語の分類は語の意義に基づくもので、その規範で定められた意義の相違により我々は語を使い分けています。「美しくない」の「ない」は「もともとの<形容詞>としての意味がうすれ」たのでも何でもなく、否定の意義に転成した<助動詞>であり、話者が「美しく」という想定が現実と異なるために「ない」と否定しているに過ぎません。実際、上記の説明もそれを認めながら「ない」という形式に引きずられ「もともとの<形容詞>としての意味がうすれ,他の語について補助的に用いられるもの」と機能主義的な本質的に誤った説明をしています。

この誤りを正当化するために次のような判別法がもっともらしく提起されています。


■ 「ない」の見分け方

方法1:「ぬ」に言いかえてみる

……言いかえることができるときは助動詞、できないときは形容詞。

(例) 痛まない→痛まぬ(〇)……助動詞

(例) 痛くない→痛くぬ(✕)……形容詞

方法2:直前に助詞(「は・も」)が入るかどうかを試す
 
……助詞があるか、または、入れることができるときは、形容詞。

(例) 正しくない→正しくはない(〇)……形容詞

(例) 読まない→読まはない(✕)……助動詞
https://www.kokugobunpou.com/%E8%AA%9E%E3%81%AE% …

しかし、この誤りについては時枝誠記が次のように指摘しています。

それは、この「ない」を形容詞であるとする理由にはならない。意味は動詞に附く時と同様に、打消しであることに変りはない。動詞に付く場合には、「は」「も」等の助詞を次のようにして用いる。

流れはしない。 流れもしない。

即ち、動詞の場合には、「しない」が打消し助動詞と同じ資格になるのである。この場合のサ変の「し」は、形式動詞の項に述べたように、殆ど陳述性のみの表現に転成していると見ることが出来る。このような表現方は、文語の形容詞の否定表現にも現われるのであって、たとえば

悪くはあらず。 悪くもあらず。

に於いて、「あら」は、詞としての動詞から陳述の表現である辞に転成したもので、「あらず」が全体で否定の辞としての役目をしている。口語形容詞につく「ない」は、この「あらず」の置換へられたものであるから、当然助動詞と考えられなければならない。
(『日本文法 口語篇』 岩波全書114 164p )


当然ながら、時枝は否定の助動詞「ない」は動詞、形容詞の未然形に続くとしています。
この活用の問題は、「カリ活用」という活用ではない音の熟合を活用とした誤りにより混乱を招いています。

語の意義ではなく補助などという機能は語の品詞区分の論拠にはなりません。<補助用言>などという品詞区分自体が誤りですが、「ない」の場合にはそれが顕著で学習者の無意識、直感、言語事実に反するため大きな困惑、混乱を齎しているのが現状です。■

質問者からの補足コメント

A 回答 (15件中11~15件)

>誤りと云うことは理解いただけましたでしょうか?


ハマグリ火が通り過ぎてるんですわ、相変わらずですね
本音は、「お願いうちの土俵に上がって頂戴」が見え見えなんです。
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この回答へのお礼

>>本音は、

何を薮睨みされているのでしょうか???

問題提起が理解できずにピント外れな御託を並べられているだけですが!!!

問題提起にきちんと向き合うこと自体が出来ていないという他ありません。

提起に沿った論理的なコメントを是非期待致しております。■

お礼日時:2023/09/16 12:28

>本質的な誤りについて


これ自体、質問ではありませんね。
まともに回答した挙句、自身の理解能力皆無を棚に上げて、根拠不明の貶め合戦になるのが落ちなんです。
非常に具体的な個別の事例を挙げて、説明求めてみれば・・・・。
言い換えれば。質問者の特異な自前の土俵から引き下ろせば・・・・・。
逃げる一方です。
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この回答へのお礼

で、誤りと云うことは理解いただけましたでしょうか?

前提の土俵の誤りも?

自然言語処理研究者の指摘、成果は理解できましたか?

お礼日時:2023/09/15 22:22

>この立体的な存在のある側面において行い、語の分類もそれぞれの側面での分類が相互に結びつき、平面的ではなく立体的な分類になります。


ということは、例えば最低でも縦横にそれぞれ基準のある2次元のマトリックス表の中に単語を置きならべることによって品詞の分類ができるということになり、唯一の基準ではないことになりますね。
唯一でなくとも先に挙げた3つの基準ではない、他の基準があればそれでも構いませんので挙げてください。
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この回答へのお礼

>>先に挙げた3つの基準ではない

1自立語か付属語か、2動作か状態か、3活用の有無
ではないということでしょうか。


先に、
1.客体的表現     2.主体的表現 (内容による区分)

  実体/属性     話者の主観的な感情・要求・意志・判断などを直接        
 (体言/用言)    的に表現

主観的な感情・意志などで
あっても,それが話者の対象
として捉えられたものあれば
概念化し,客体的表現

  動詞 静詞      助動詞(動辞)  助動詞(助辞)

  活用の有無 

を示しましたが。■

お礼日時:2023/09/15 15:20

>補助、形式などという機能、形式による区分を品詞区分に持ち込むこと自体が誤りであるということです。


しかし、そもそも品詞を分類する際には、以下の基準を用いたはずです。
1自立語か付属語か、2動作か状態か、3活用の有無

品詞区分を唯一つの基準で成し遂げることができるものでしょうか。あればお示しください。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

事物の科学的な分類は対象の本質を捉え、それに基づかねばなりません。
機能や形式では科学的、合理的な分類はできません。

語の分類は言語と呼ばれる表現の本質は何かという問題とも直接結びついており、現在の言語学ではこれを正しく捉えていないため分類に失敗しています。

「1自立語か付属語か」は機能と形式によるもので、言語表現の本質に基づくものでないことに現在の品詞区分の本質的な誤りがあります。

言語は表現としての過程的な構造を持っています。現象的な音声や文字の在り方だけが言語の構造ではなく、その背後には表現主体の認識が、ひいては対象の構造が隠れているので、立体的な存在です。語を分類するときにも、この立体的な存在のある側面において行い、語の分類もそれぞれの側面での分類が相互に結びつき、平面的ではなく立体的な分類になります。

現在の言語学、日本語学の語の分類はある品詞は意味の側面で、ある品詞は機能の側面で、ある品詞は構造の側面でというように、さまざまな側面で捉えたものを並べているだけで、基本的な側面でこれとこれが区別されるのだという扱いがなされていません。

事物を内容と形式との統一において取り上げる場合、先ず内容についての大きな分類が基本となり、それを形式についての分類で補うべきだということになります。

「1自立語か付属語か」というのは最初に内容ではなく形式に基づく分類を取上げており基本的に誤っています。

最も基本的な語の分類は言語の表現過程の相違に基づく、話者にとっての客体の表現である客体的表現の語である「詞」と客体に対する話者の主観を直接に表す主体的表現の語である「辞」に区分されなければなりません。現在の詞/辞の区分はこうした本質的な区分に基づくものではありません。

先ず客体的表現の語については、「実体(体言)か属性(用言)か」、次に「動的な属性(動詞)か、静的な属性(静詞)」、更に活用を持たない<静詞>(所謂<形容動詞>の語幹など)と活用を持つ<形容詞>という立体的な区分になります。

主体的表現の語である辞については、話者の主観である肯定/否定判断、意志、推量などを表す<助動詞>(この分類からすれば<動辞>)、客体観の関係認識の表現である<助詞>(<助辞>)といった立体的な分類になります。

<形容動詞>という誤りもここから明らかになります。■

お礼日時:2023/09/15 12:33

<補助用言>という用語を廃止して<転生用言(転生形容詞)>とせよ、というご提案でしょうか。

それでも良いと思いますが、問題の本質は変わらないのではないでしょうか。

#問題の本質は変わらない<助動詞>のではない<転生形容詞>でしょうか。
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この回答へのお礼

>><補助用言>という用語を廃止して<転生用言(転生形容詞)>とせよ、

説明が不十分で申し訳ありません。

上記の通り、<補助形容詞>「ない」は<形容詞>ではなく<助動詞>に転成しているので、<助動詞>「ない」そのものでしかなく、区分すること自体が誤りということです。

「ある」も、

 本がある。

の「ある」は<動詞>ですが、

 本である。

のあるは<助動詞>で、これを<補助(形式)用言>とするのは誤りということです。しかし、

 花が咲いている。

の「いる」は、あくまで「動詞」であり品詞として転成はしておりません。これを<補助(形式)動詞>と呼ぶのは誤りということです。

用言というのも、広く助動詞を含めるのは適切でなく、あくまで自立語の範囲内で使用すべきものと考えています。

補助、形式などという機能、形式による区分を品詞区分に持ち込むこと自体が誤りであるということです。

お礼日時:2023/09/15 09:57

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