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男子大学院1年生。工学系。

二重否定の文章はあまりよくない、と言われました。
数学的には集合で、補集合の補集合が自分自身、という事だと思います。
「したくないわけではない」と書くと、「したい」と言う意味ですが、積極的に「したい」という意味は含まれないような気がします。

これは、論理と言うよりも言語の表現の問題なのでしょうか?

A 回答 (10件)

形式論理的には二重否定は肯定に転化します。



しかし言語表現は話者の認識の表現なので、その過程的な構造の相違が問題になります。

「したくないわけではない」は「したくないわけで」と、「したくないわけ」という想像を「で」と肯定判断したあとに、助詞「は」でそれを特殊性として捉え直し、さらに全体を「ない」と否定しています。結果としては「したい」かもしれないという可能性があるだけで、積極的に「したい」という意味は含まれていません。

形式論理的に「したい」か「したくない」の二者択一ではなく、現実にはどちらとも言えない気分、情態があり、そのニュアンスを表すために「したくないわけ」という想像の世界を設定するという認識上の屈折が、ストレートな「したい」「したくない」という単純な希望、否定ではない気持ちが、表現の相違となっています。

従って、二重否定は形式論理的な展開の文脈に現実の複雑、立体的なあり方の認識を持ち込み混乱を招くことになります。

このように、現実の抽象による形式論理の世界と具体的な現実的のレベルを区別して展開、表現する必要があります。

単なる修辞の問題ではなく表現の対象世界の相違に対応した表現の相違ということです。■
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理由の一つに数学と日本語の違いがあると思います。



「xは5より大きい」 は数学では「x>5」です。

「x>5」の否定は「x≦5」で日本語にすれば「xは5より小さい、または5である」です。
ですが日本語で「xは5より大きくない」と言われたときに数学と同じく「xは5より小さい、または5である」と解釈できますが、「xは5より小さい」とも捉えがちです。

二重否定の「xは5より大きくないわけではない」でも同様の「x=5が含まれるかどうか」の点で数学の二重否定とは違う結果になりえます。

なにかをしたい、と思う気持は「したい」「したくない」の他に「どちらとも思わない」があると思います。
そうすると
「したい」の数学的な否定は「したくない」ではなく「したくない、またはどちらとも思わない」です。
「したくない」の数学的な否定は「したい」ではなく「したい、またはどちらとも思わない」です。


加えて、聞いた人は、何故「したい」と言わずに「したくないわけではない」と表現にしたのか、を考えると思います。
数学的には「『したくないではない』=『したい、またはどちらとも思わない』」だけしか述べられていませんが、
表現から「『したい』と言っていない、つまり『したい』ではない」という条件を受けとって、「どちらとも思わない」が答えではないか、と予想してしまいます。
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白黒スキャナーでは正しい結果は反映されませんと言っているだけなんです。


沖縄だったかな、何かで、賛成・反対の二者選択で県民投票を実施しようとしたが反対が多すぎて実施できなかったですね。
賛成・反対・どちらでもない、の3択にして投票実施が実現しました。
結果は歴史の証明を待つ必要がありますが、多くの場合、正解だったといわれる結果は、「どちらでもない」に該当する場合が多いのです。
白黒スキャナーでは水墨画をスキャンしても、まともな結果は得られません、灰色(濃淡による差は無数?)わ完治しないことには。
相手に都合がよい質問形態では、まともな回答はできませんと言っているだけです。
質問者の質問の仕方に問題があります。
テレビのドラマで、旅館の女将を論理一辺倒の女性従業員が、女将を責め立て、曰く「私間違ったことしていません」。
「していないこと」、を言われても、何の意味もありませんね。
何をしているのか、「していること」を言ってもらわないことには。
傍目では、女将を窮地に追い込むこと、をしていました。
主人公の女性が、まったく異なる観点から、女将を窮地から救い、問題も解決しました。
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二重否定の文章はあまりよくない、と言われました。


 ↑
自然科学ではそうでしょうね。
白黒はっきりしろよ。
しかし、最高裁判例などでは、度々使われ
ます。



数学的には集合で、補集合の補集合が自分自身、という事だと思います。
「したくないわけではない」と書くと、「したい」と言う意味ですが、積極的に「したい」という意味は含まれないような気がします。
 ↑
~したい、と ~したくない
の間に位置する
表現でしょう。

プラスでもないし、マイナスでも
ない。

いわば、ゼロ。




これは、論理と言うよりも言語の表現の
問題なのでしょうか?
 ↑
論理に基づく表現の問題だと
思います。
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文章読本の類いには「二重否定は避けなさい」と書いてあります。


 一理あるのですが、相当言葉足らずだと思います。
「二重否定」には2種類あると思います。
【二重否定の話 辞書 Wikipedia 教えて!goo〈1〉〈2〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12356818555.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
===========引用開始
 二重否定の働きには「強い肯定」と「婉曲」があるようだ。

●「強い肯定」を表わす二重否定
『大辞泉』の例文がヒドい。
「辞退したいわけではない」って二重否定なんだろうか。単に「辞退したくない」ってことでは。
 明確な否定ではなくても、否定的な言葉を否定することで、二重否定っぽくなることはある。
「彼女を嫌う人はいない」(=みんな彼女が好きだ)
 でもこれを二重否定と主張する勇気はない(泣)。
『大辞林』の例文でいうなら、「かくせざる者は無し」だろう。
「こうしない者はいない」〈=みんなこうする(に決まっている)〉
 これが世間で評判の悪い二重否定。こんな言い方はやめたほうがいい。個人的にはよほどのことがないと使わない。
「 A でないのではない」〈=A だ(A に決まっている)〉
 こうなると単バカ。もっとまともな例文にしてほしい。

●「婉曲」を表わす二重否定
『大辞泉』の例文は「行かないわけではない」。これはアリだろう。
 個人的にはけっこう使う。「こういう言い方ができないわけではない」「こういう言い方もできなくはない」……etc. 。
 当方は、「可能性は否定しない」のような意味で使うことが多い気がする。「できなくはないけど、やめておこうね」ってこと。これをわかりにくいと言われると困る。

 作文の一般論で言うと、二重否定は嫌われている。なんだかもって回った言い回しで、わかりにくいうえに、ヘタに使うと、何が言いたいかわからなくなる。
 ではなんで二重否定なんて妙な表現があるかと言うと、修辞法の一種なんだろう。修辞法というのは……などと書いていると話が進まない。
 うんと乱暴に書くと、修辞法はカッコつけ。ハッタリ。(←オイ!)
 で、二重否定というのは、ちょっとカッコつけた「強い肯定表現」だと思っていた。実際には、自分では「婉曲」をよく使っていたorz。  
===========引用終了

〈●「強い肯定」を表わす二重否定〉 はやめたほうがよいでしょう。
 でも〈●「婉曲」を表わす二重否定 〉はケースバイケースだと思わなくはありません。
 これは
〈●「婉曲」を表わす二重否定 〉はケースバイケースだと思う、と同じだと思いますか?
 あえていうなら、消極的ではあるけど「思う」……ぐらいですかね。

>「したくないわけではない」と書くと、「したい」と言う意味ですが、積極的に「したい」という意味は含まれないような気がします。

 はそのとおりだと思います。二重否定を避けるなら〈消極的にはあるが「したい」〉ですかね。これも相当まどろっこしい(泣)。
 論理的には
「したくないわけではない」=「したい」
 かもしれませんが、「したい」にもいろいろな段階があります。
 そのあたりを表現するのが〈●「婉曲」を表わす二重否定 〉なのでは。
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敵の敵は味方とは限らない。

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他の回答者の方と結論は同じですが、経験を踏まえて回答します。



当方、法学部卒ですが、大学の理工系で仕事をしていました。
研究者ではありませんので、主にプレゼン資料作成や壇上での台本作成、プロジェクトの報告書の作成を担当していました。

私はそれまで法律系の仕事をしていて、論文でも何でも客観的になるようにと「多い」のことを「少なくはない」と書いたり、「〜と思う」を「〜と思われる」と書いており、文系では普通でした。
しかし医学、理学、工学部の教授からは、書き直すようたびたび言われました。ストレートに書けと。

さらには、メールの文面についても、文面の前後にまどろっこしい挨拶はいらない、端的にして、ともよく言われましたね。謙譲語や尊敬語も最低限。「〜させていただきます」ではなく「〜いたします」にする、などです。

二重否定や受動態の書き方をやめろということですね。

ロジックが一番の世界だと思うので、誤魔化しのないすっきりした文体で、英語でも書きやすい、理解されやすい書き方が好まれるのだと解釈し、慣れました。

参考になればと思います。頑張ってください。
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二重否定と単なる肯定と比べれば後者の方がシンプルじゃん


シンプルイズベストですよ
余計な情報は要らない「工学系」なら尚更でしょ
一体何用の文章だかわからないけど
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論文などでは嫌われる表現です。


日本語でなら通じても、英語に訳すと酷い目に遭います。
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> 二重否定の文章はあまりよくない、と言われました。



読み手に「この筆者はこの事に関して否定的な気持ちもあるのだな」という印象を与えるからです。
理工系の文章としては文学的要素というか、書き手の心情みたいな部分は排除した明確な文章とすることが求められます。

参考まで。
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