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むかし哲学カテで大いに神学を語っていたあるおじさんがこんなテーマを持ち出しました。

「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」
人間の心は非思考の庭と思考の緑野の2層構造で出来ていると。

そこで、そのおじさんが語っていた「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」を人の道ふうに焼き直してみた。

「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理ー人の道版」
ほんらい神は願いとしての神と真理としての神の2層構造で出来ているが、その中間に神は存在しない。

願いとしての神
  救いを求めるための神
  願うための神
  願いをかなえてくれると信じるための神
  救世主としての神
  イエスキリスト、アラーの神、エホバの神、仏様、・・・などなど。
  
真理としての神
  世界の真実としての神
  世界の全てを知る全智全能なる神
  万物の根源、宇宙の法則としての永遠不変なる神
  アルケー

結局この2つの神を橋渡しするような神は存在しないので、人間の心はこの二つの神の間で常に揺れ動き、はたまたこの2つの神の間で永遠の闘争を繰り返しているのではありませんか?

A 回答 (9件)

こんばんは



 ゆきやまさんの文章を久しぶりに見ましたが、きちっと文章になっていて、小生といたしましても、うれしいです。
 以前は、適当にタイピングし、そのタイピングされた文章から、いろんな空想(被害妄想に近い?)を立てて、彷徨っておられましたが、そのようなこともなく、立派な文章かと思います。
 ただ、FBは”FB+ログインできない”等で検索するか、別アカで再登録すればいいと思いますよ。



 話を元に戻します。
 以下、人生の落伍者たる、ひどっちの独り言でございます。

 今回の紛争は、確かに、背景には宗教も絡んではいるかもしれませんが、

1 ハマスがパレスチナ人での支持を伸ばス目的で、イスラエルとのプロパガンダ戦に挑んだ。
2 イスラエルの刑務所に収容されているパレスチナ人一部解放を求めるべく、イスラエルに圧力をかけた。

 等、一部の勢力による勝手な思惑によるものと考えられます。実際、ガザの地域でもこの侵攻・攻撃には賛否が別れているようですから。
 ただ、まともに戦えば、どう転んでもイスラエルの方が格段に上のため(しかも、アメリカも裏でイスラエルを支持していますし)、ハマスにとってどれだけの戦果があげられるかは全くの未知数であります。このため、イスラエルからある程度の報復を受けても致し方ないでしょう。ただ、国際世論は反イスラエルのため、長期に渡るイスラエルによる反撃はないと考えてもいいかとも考えています。

 とはいえ、ある程度の解決策も考えておくのが人間の知恵というものといえるでしょう。
 そこで、まずは、ガザ地域の生活環境は劣悪を極めるものですから、日本からも、応援物資等を配布し、ある程度の豊かさをガザ地域にもたらし、パレスチナ人での支持の方向を別の方向に差し向ける必要があろうかと思われます。また、アメリカと協力し、紛争回避をはかるべく、ガザ地域を監視するかわりに、捕虜の一部開放をイスラエルに要求してもいいかもしれません。
 ですが、日本が単独でできることは限られるため、米国と歩調をあわせ、時には裏取引をもしながら、交渉に挑むべきかと考えます。

 以上、失礼しました。
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こんばんは



> なぜ私は今ここでこのような質問をしているのでしょうか?
> それはこの世界が信仰を利用して戦っているからです。
> それは一見するとユダヤの神とイスラムの神が戦っているように見えます。
> しかし真実はユダヤの神とイスラムの神が戦っているのではございません。
> 真実は人の心の2層構造の戦い、非思考の庭と思考の緑野の間で戦っているのです。

 承知致しました。

 確かに、一見するとユダヤの神とイスラムの神が戦っているように見えます。ですが、歴史上の宗教戦争、例えば、ユグノー戦争でしたら、実質上は”カトリックのスペイン王フェリペ2世とプロテスタントのイングランド女王エリザベス1世との代理戦争”でしたし、また、三十年戦争でしたら、”オーストリア,スペインのハプスブルク家とフランスのブルボン家との代理戦争”でした。いわゆる利権を有した覇権争いだったわけですから。。。

> 人の道ふうに言えば、「願いとしての神」と「真理としての神」の間の果てしなき永遠の戦いなのです。
> 別の表現をすれば、聖書やコーランといった「マニュアル」と「人間精神」との果てしなき戦いなのです。

 以前、ぶらじゅろんぬ様から、もう10年以上前のことだったかと記憶しておりますが、「あなたの[ひどっちの]思想を追求していくのは、それ相応の覚悟が入りますよ」との忠告を頂戴致しました。残念ながら、この言葉を、ひとのみち様にも申さねばならないかもしれません。

 日本人には、”絶対”の概念なるものは存在しません。新年にお参りする神社の神々も、しょせんはお友達の延長上のものにすぎないのです。では、科学知識・リテラシーですが、

・科学の基礎知識を問う10問の正答率を欧米諸国と比べたら、日本は14カ国中12位。
・今回の調査で「新しい科学的発見」に対する日本の関心の度合いは、14カ国の中で 最低。「新しい技術や発明の利用」への関心も低い方から2番目だった。

という有様です。

ソース:科学基礎知識 日本人は先進国中12位 大学生は?
http://tsuyu.la.coocan.jp/column/scikiso1.html

 
 また、当然のようにスマホやPCをいじってはいますが、それらの発明・開発に至った経緯や、その発案者に対する尊敬の念等も皆無です。全くもって”忘恩の駄々っ子”以外何者でもありません。

 従いまして、このような状況下で、ひとのみち様の主張を通すことは、”それ相応の覚悟が入”かと容易に推察されます。因みに、小生ことひどっちは断念しました。つまり、諦めてしまった訳です。小生の気力と知力のみではどうしようもなかった、からでございます(それにしても、このコロナの慌てぶり1つとってしても、こんなに日本人がバカだったのかとは思ってもみませんでした)。

 今後も、陰ながら応援させていただきます。そして、時折哲学カテにて意見させてもらうかもしれませんが、そのときはよろしくお願いいたします。

 それでは、今後のひとのみち様のご活躍をお祈りしながら・・・
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この回答へのお礼

> 従いまして、このような状況下で、ひとのみち様の主張を通すことは、”それ相応の覚悟が入”かと容易に推察されます。


その覚悟というものはどのような状況下であっても、どのような世界においても必要なものではないでしょうか。
覚悟もなくイージーな世界に漬かっていると結局は泥沼にはまるのではないでしょうか。
今現実に起こっているユダヤとイスラムの戦争はその泥沼にはまった状態なのではないでしょうか。

お礼日時:2023/10/30 20:53

実力の、正しい真相真理以外は、


かつての歴史でも、そのほとんどが、
「ちゃらん ぽらん」だったと、
そんな風な言葉を、
表現したかったのではありませんでしょうか。
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こんばんは、



 No.5の音色様のご見解が、ぶらじゅろんぬ様の思想をほぼ言い得ております(心=神とは少し誇張かもしれませんが・・・)。

 それから、ひとのみち様、何なりと仰ってください・・・ね


 音色様へ、

 小生ことnyan-nyan-wan(ひどっち)の本回答(No.6)をご覧になっておられるのでしたら、ぶらじゅろんぬ様(友達でもおられる本名日〇〇様)のFBサイトをご覧くださいませ。少しばかり、詳細を載せてございます。
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この回答へのお礼

なぜ私は今ここでこのような質問をしているのでしょうか?
それはこの世界が信仰を利用して戦っているからです。
それは一見するとユダヤの神とイスラムの神が戦っているように見えます。
しかし真実はユダヤの神とイスラムの神が戦っているのではございません。
真実は人の心の2層構造の戦い、非思考の庭と思考の緑野の間で戦っているのです。
まさしく「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」から生み出される結末なのです。
人の道ふうに言えば、「願いとしての神」と「真理としての神」の間の果てしなき永遠の戦いなのです。
別の表現をすれば、聖書やコーランといった「マニュアル」と「人間精神」との果てしなき戦いなのです。
人の道の教えは単純です。
「Be a human」、「汝、人間であれ」
なのです。

お礼日時:2023/10/30 09:42

ブラジュロンヌ氏が今年の7月に逝去されたとの事、ご冥福を祈ります。



氏は、神と人との関係を二重構造と見てましたが、完全に分離しているとは考えていなかったようで、重ね合わせという表現を使う事でそれと知らせようとしています。

ただ、繋がってはいても人間の側から神の世界に入ることはできず、ひらめきと云う形で神の方から接触すると云う一方通行での繋がりであると云い、それゆえに、その事を“非思考の庭”と表現したのです。

ただ見落とされがちですが、氏はそうした神を人間は認識できないが、心には“宿っている”と見ているのです。

信じようが信じまいが、意識に上らなくても、心そのままが神なのだとさえ云っているようでもあります。

人間はあるがままでいいのだと。
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この回答へのお礼

なぜ私は今ここでこのような質問をしているのでしょうか?
それはこの世界が信仰を利用して戦っているからです。
それは一見するとユダヤの神とイスラムの神が戦っているように見えます。
しかし真実はユダヤの神とイスラムの神が戦っているのではございません。
真実は人の心の2層構造の戦い、非思考の庭と思考の緑野の間で戦っているのです。
まさしく「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」から生み出される結末なのです。
人の道ふうに言えば、「願いとしての神」と「真理としての神」の間の果てしなき永遠の戦いなのです。
別の表現をすれば、聖書やコーランといった「マニュアル」と「人間精神」との果てしなき戦いなのです。
人の道の教えは単純です。
「Be a human」、「汝、人間であれ」
なのです。

お礼日時:2023/10/30 09:44

満三郎さん酷っさんおはようございます。


 人間の心がその2つの神の間で永遠の闘争を繰り返しているのであるのかではないのか分かりませんでした。
 もう戻ってこないと聞いて私はこの静かさがもう脅かされないことを実感できてきて気分が良いです。『神をめぐる《非思考の庭》というべき信仰は すべて梵我一如の類型である』のNo.5さんhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/9048266.html?order= …が良かったです。Logos が言葉です。 酷っさんがNo.3で「a god」と言っていて他にも色々神がいそうで面白かったです。自然数全体の数の集まりよりも大きくてなおかつ実数全体の数の集まりよりも小さい集まりはないという主張があります。神が2個あるという主張と神は1個だという主張で対立しています。神が1個あると言う主張と神は0個あるという主張での対立もあります。1個ずれているところが若干違います。だいたい同じで上下浮沈し続けます。2個でも1個でも0個でも同じ物差しの上にどのように乗せるのか読み取れないところが面白いです。質問本文から庭の語感より緑野語感の方が広い場所に感じられます。加算無限に囚われて無理数を認められない気持ちだけ虚数を信じる Pythagoras 派です。400年頃に Hypatia さんが大変でした。『なぜ神はイエスをこの世に送ったのか』のNo.25さんhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/3093850.html?order= …が「
1)神がイスラエル人に対して『律法(掟、十戒など)を守れば救われる。守らない場合滅ぶ』と契約を結んだ。
2)しかし、その契約は人間側が履行しなかった。(=このままでは人は滅んでしまう)
3)でも、神は人間を救いたいと思った。
4)しかし、1)の契約が履行されないまま契約を廃棄する(無かった事にする)事は秩序を無にする行為である。
5)そこで全人類の身代わりとして神の子であるキリストが十字架で刑死を遂げ、1)の契約を全うした。
6)全うされた1)の契約の替わりに、「5)の内容を信じる者は救われる」という新しい契約が結ばれた。
1)が古い契約(=旧約)、6)が新しい契約(=新約)です。6)の契約に従おうとする者がキリスト教徒です。
」と言っていました。『アレクサンドリア図書館の破壊と終焉』https://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/90ac8174ffd5bac …さんがあります。Israel の西に『Bibliotheca Alexandria』https://www.bibalex.org/en/news/indexさんがあります。満三郎さんの死者をなんとなく崇める人の醸す善を成しているぞ感が強く匂い鼻につきます。0と1と2の3つ組でぐるぐる廻って butter になって4まいです。『Splatoon 3 (Chaos Carnival) -Salmon Run Ost』
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こんばんは、考えてみたのですが、ぶらじゅろんぬ様の意見に批判・批評しましても、もはや抗弁する術がないこと、また、ぶらじゅろんぬ様の思想に率直に触れてみてただきたいとの趣旨から、以下に、愚生による本定理の説明を試みました。


 よろしければ、一読いただければ、幸いです。


 まず最初に、ひらめき(インスピレーション)の語源を探ってみますと、以下のサイトから、
https://www.etymonline.com/jp/word/inspiration 

 大意として、"immediate influence of God or a god,(神の直接の影響もしくは、神)" のことであり、[人の心の]中に(in)、[神が]息を吹き込むこと(spirare)、となることがわかります。

 これを踏まえてなのですが、以下は、ぶらじゅろんぬ様の図式に、ひどっちが少し加筆・修正を加えたものです。

------------------------------------------------------------------

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 
 [非思考の庭]
  スピリトゥス(非経験なる非思考の庭):絶対、万能、真理の神の世界・領域
                   ↓
  ----【天使:神からの御使い?】--------------
                   ↓ 
                   ↓ 以下は、人の現実世界・領域
                    ↓
 [思考の緑野]            
  インスピレーション1(異言)
       :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):漠然としたイメージ
                   ↓
  インスピレーション2(預言)
       :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間による言葉化
                   ↓
  思考の緑野
       :経験合理性にもとづこうとする論理

------------------------------------------------------------------


 例えば、アインシュタインの有名な言葉に、”理詰めで物事を考えることによって、新しい発見をしたことは、私には一度もない”とありますが、この”理詰め”とは、”経験合理性にもとづこうとする論理”のみの領域内にあります。

 つまり、”[真の]新しい発見”とは、さらに上位の世界からもたらされること[中に息を吹きかけられること]が必要になる、という一種の原理のことを示したのが、”ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理”となります。

 また何かございましたら、補足を要求してくださませ。


 それでは。。。
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お礼どうもありがとうございました。



 自宅にて、心筋梗塞が原因で永眠されたそうです。最期はとても穏やかなご様子だったと伺っております。

 確かに、本哲学カテでは抜きんでていた方だったかと思います。
 ひとのみち様とは若干異なる方向性を持っておられましたが、このように、ひとのみち様からもご尊敬いただいていたことを知れば、ぶらじゅろんぬ様もさぞかしお喜びになられたことかと存じます。


> それでこの質問に出てくる「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」も、何故か私の記憶に残っていたのです。

 この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。


 ひとのみち様におかれましても、本哲学カテでのご活躍をお祈り申し上げます。ただ、お体の方は無理をせず、くれぐれもご自愛くださいくださいませ。

 それでは、どうもありがとうございました。


ひどっち拝
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こんばんは、小生にとりましては、久しぶりの哲学カテです。




> 人間の心は非思考の庭と思考の緑野の2層構造で出来ていると。

 少し、異なります。”非思考の庭”は、神、つまり、非経験世界である神の領域のことです。
 一方、”人間の心”は、経験世界でのことですので、”非思考の庭”≠”人間の心”となります。

> そこで、そのおじさんが語っていた「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」を人の道ふうに焼き直してみた。
「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理ー人の道版」
ほんらい神は願いとしての神と真理としての神の2層構造で出来ているが、その中間に神は存在しない。

 ”真理・全知全能としての神”が、絶対的存在として、まずあります(非経験領域の場でです)。その結果、もしくは、それ故に、~を願いたい、あるいは、救済されたいという”想い”が生じてきます。ですので、ぶらじゅろんぬ様は、厳密に分離できるとは考えておられなかったかと思っているのですが・・・
 つまり、神の2層構造、という考えはなかったと思います。もちろん、”その中間に神は存在し”ません。

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 話が変わりますが、ぶらじゅろんぬ様は、今年の7月に逝去されました(ご親族様からの便りで、小生が伺い知りました)。


by OKWAVEの旧ハンドルネーム”ひどっち”
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうだったのですね。
ぶらじゅろんぬ様は、今年の7月にお亡くなりになったのですね。
残念です。
寂しい限りです。
ぶらじゅろんぬ様は、この哲学カテでは圧倒的に抜きんでた人でした。
ぶらじゅろんぬ様の考え方は私の考え方とは言わば対局の位置にあるものでしたが、それでも彼の信仰と神学に対する奥深さには常に圧倒されていました。
それでこの質問に出てくる「ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理」も、何故か私の記憶に残っていたのです。

お礼日時:2023/10/27 22:41

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