プロが教えるわが家の防犯対策術!

自分が信仰する宗教の寺を建てる為に屋敷や土地を提供する武士や貴族のことを何と言いますか
また、武士が自分だけでなく自分の家族、又は家臣の息子に出家するように強要するのは何故でしょう?

質問者からの補足コメント

  • 松戸市にある日蓮宗本土寺は、源氏の名門平賀忠晴の屋敷跡に建てられたと言われてます。
    本土寺を建てた日朗(にちろう)は、忠晴の兄の子で、母が日朗の伯父である忠晴と再婚して生まれた2人の弟も日蓮の弟2人も出家してます。本来なら平賀氏を継ぐのは日朗か、異母弟の2人のどちらかなのに、3人共に出家してしまい、平賀氏は忠晴で途絶えてしまってます。
    平賀三兄弟のように跡継ぎ候補が次々と出家しまい、家が途絶えてしまうことは武士や貴族ではあったのですか。

      補足日時:2023/11/30 23:50

A 回答 (5件)

> 補足に書きましたが「千葉のあじさい寺」と知られる「本土寺」は「平賀忠晴の屋敷跡」に、日蓮の信者で、日蓮の支援者だった曽谷教信が法華堂を建て、忠晴の兄の子である日蓮の弟子・日朗(にちろう)が開山となり、教信の娘が寺を整備して「本土寺」となったようです。


普通は平賀忠晴の跡を継ぐのは日朗か、日朗の母が忠晴と再婚して生まれた異母弟の2人なのに、3人とも日蓮の弟子になり出家してしまい、跡を継がなかったことが気になり、
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
事情は分かりました。
千葉のあじさい寺・本土寺のwebには、そのようなことが書かれています。
ただし、この伝承がねつ造をベースにしている可能性もあります。
この下の立正大学学術機関リポジトリ、朗師伝における二、三の問題 小高清さんは、18世紀後半に玉沢妙法華寺33世境持院日通という学識のとてもある方がねつ造した物語に過ぎず、事実に基づくものではないと断じています。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc= …
たぶん、平賀という集落名のようなのはあったのですが、一族の名は印東か千田です。千田忠晴に3人の子がいたのが事実だとして、、、、
多くの人が、出家したのは、
http://chibasi.net/souryo3.htm
鎌倉時代に 武士団の興亡がすごくて、千葉の地域の一族の大半が滅亡していったことに関係していると思われます。
画像が小さくて見えないでしょうが、『朗師伝における二、三の問題』のPDFを参照してください。
「自分が信仰する宗教の寺を建てる為に屋敷や」の回答画像5
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解決しました

貴重な資料を表示していただきありがとうございます。
日像、日輪の父で、日朗にとっては伯父である平賀忠晴は、大河ドラマ「鎌倉殿」で、北条時政の娘婿で、時政と牧の方に「将軍」に担ぎ上げられそうになり義時に殺された平賀朝雅の一族かなと思ってました。
忠晴の兄有国の妻は、有国の死後に有国の弟忠晴の妻になってますが、現代では「亡くなった兄弟の妻になる」というのは聞いたことないですが「古代~江戸時代までは当たり前だった」ということに驚いてます。
私は歴史が好きで千葉県在住ということで、千葉氏の歴史に興味があります。
実は松戸市に住んでいるので、本土寺には何回も参拝してます。本土寺開山の日朗や異母弟の日像、日輪だけでなく、千葉一族に日蓮の信者が多いのは、日蓮が安房小湊出身ということで、布教の始まりは「地元の安房、上総、下総(千葉)から広げていた影響もあった」かもしれません。

お礼日時:2023/12/02 18:39

「自分が信仰する宗教の寺を建てる為に屋敷や土地を提供する武士や貴族のことを何と言いますか」


それを意味する用語はありません。
布施を意味する檀那という言葉はありますが、屋敷や土地の提供に限定される者ではありません。

「武士が自分だけでなく自分の家族、又は家臣の息子に出家するように強要するのは何故でしょう?」
なぜ、強要したと決めつけるのですか?
3兄弟はいずれも聖人となりました。日蓮宗の教えに深く帰依したため、自主的に出家したとみるのが自然と思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

申し訳ありません。
つい、現代の感覚で書いてしまいました。鎌倉時代の人と現代では宗教に対する考えが違うかもしれません。日蓮の信者である曽谷教信の嫡男も出家してます
し、娘も寺を整備しているので、日朗の父、異母弟の日像、日輪の父、平賀忠晴も日蓮の信者だった可能性がありますね。日蓮の最後の弟子になった日像は神童と云われ、日蓮は大変可愛がり、亡くなる前に「京都で布教活動して信者を増やし寺を建立しなさい」と日像に遺言を残したようです。

お礼日時:2023/12/01 18:00

旦那です。


寺院の建立や経営を経済的に支えてくれる人を旦那と言います。江戸時代になって寺請制度になると、その寺の旦那になった家を檀家と言いました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「千葉のあじさい寺」で知られている本土寺は鎌倉時代に建てられたのですが「平賀忠晴屋敷跡に建てられた」とホームページにあったので「屋敷や土地を提供する武士や貴族」をなんというのか知りたいと思って質問しました。
ただ、平賀忠晴の兄の子で日蓮の弟子・日朗が開山で、日蓮の信者で旦那の曽谷教信(きょうしん)が「平賀忠晴の屋敷跡」に法華堂を建て、教信の娘がを整備したようです。
忠晴の兄の妻、日朗の母と忠晴が結婚して生まれたのが異母弟の日像(にちぞう)、日輪(にちりん)で、日蓮の弟子になり出家してます。

お礼日時:2023/12/01 12:02

> 自分が信仰する宗教の寺を建てる為に屋敷や土地を提供する武士や貴族のことを何と言いますか



《檀那・檀越》⇒ 氏寺
https://adeac.jp/otawara-city/text-list/d100070/ …
例 https://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/dentou …

> 武士が自分だけでなく自分の家族、又は家臣の息子に出家するように強要するのは何故でしょう?

鎌倉時代の頃から、武士の領地拡張が難しくなって、家系の維持するために長子相続が主流になりました。 次子以降の男子は、家人の一人のようになってしまう可能性が高いのです。 その男子が頭が良い・利発・知的なことが好きという場合、仏門に10歳前後で入れて、鍛えれば、名を上げ、大きな寺のトップになれる可能性があったのです。また、寺は戦時には砦のような役目をすることもあって、武士にはとても都合の良いものです。
https://tesshow.jp/saitama/koshigaya/temple_kosh …
家臣(郎党)のような場合、子だくさんだと、家計が苦しくなるので、人減らしも兼ねて、仏門に児を入れることもありました。 児が、寺で修行すると知識も高くなるので、あとあと有利になることも多いのです。(大学進学みたいなものです)
https://www.touken-world.jp/tips/96774/
例えば毛利元就の重臣である玉木吉保(たまきよしやす)は、「身自鏡」(みのかがみ)という自伝のなかで、13歳から3年間を寺院で過ごしたことを書き記しています。その間に仮名と漢字の読み書きや仏典の「般若心経」(はんにゃしんぎょう)、鎌倉幕府の法令である「御成敗式目」(ごせいばいしきもく)の他、中国の様々な古典や日本の和歌集などを学んだと記しており、非常にハードな勉強をこなしていたことが分かります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

補足に書きましたが「千葉のあじさい寺」と知られる「本土寺」は「平賀忠晴の屋敷跡」に、日蓮の信者で、日蓮の支援者だった曽谷教信が法華堂を建て、忠晴の兄の子である日蓮の弟子・日朗(にちろう)が開山となり、教信の娘が寺を整備して「本土寺」となったようです。
普通は平賀忠晴の跡を継ぐのは日朗か、日朗の母が忠晴と再婚して生まれた異母弟の2人なのに、3人とも日蓮の弟子になり出家してしまい、跡を継がなかったことが気になり、補足に追加質問しました。分かりにくくて申し訳ありません。

お礼日時:2023/12/01 12:09

どっかの大学入試みたいな問題だね。

あるいは比較的に学歴が低めの私大のレポート課題なのか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大学入試とは関係ないです。補足に書きましたが、日蓮宗本土寺という鎌倉時代の寺が建てられた云われで、「平賀忠晴の屋敷跡」と書いてあったので、忠晴が屋敷を提供したのかと思い、スマホ検索しようとしたけど「僧侶が寺を建てる時に、土地を提供した武士や貴族」を何と言うか分からないから質問しただけです。

お礼日時:2023/12/01 00:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A