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私は学生時代イジメをうけたり、他人から馬鹿にされ続けたり、自分にだけキツイ態度を取られたり、そんな経験を重ねた結果、他人に対する「負けたくない」という気持ちが強くなり、他人を見下したり、
馬鹿にしたりするようになりました。

いじめを継続的に受けたり、馬鹿にされ続けたりされた人が他人に対して攻撃的な性格に変わるのはおかしなことではないですか?
人間心理的にはあり得ることですか?

A 回答 (3件)

私の経験(過去に苛めにあった事がある)からですが、有りえると思います。

ただし性格(変えられないもの)ではなくトラウマの様なものであり、乗り越える事で成長する(他の人が出来ない事が出来る様になる)物だと思います。

以下は長いので興味があればお読みください。

「他人に負けないだけで良いのか?
 他人を見下すのは良いとしてもだから何をするのか?」

この二つについて答えを出していない分けですし、その答えが間違っていればせっかくの経験(他の人は嫌がって「同じ経験=苛められる」を選べないという意味では自分だけの特別講義)を活かせていません。

せっかくですから苛めについて少し詳しく説明します。

私は幼稚園から始まって学生時代に6回ほど経験をしています。最後の方は慣れてしまい上手に対応していたと思います。幼稚園の時は(私の方がとうとう切れてしまい)「反撃」をしました。すると苛めた子供が泣きだしました。これには私もショックを受けました。あんなに怖かった子が泣きだすとは思わなかったからです。

では6回の中で一番対応が下手だったのはどれか? それは初回の幼稚園の時の対応です。一騎打ちに持ち込んで他の子どもが見ている前で泣かしたわけです。物語であれば「勝利」として尊ぶでしょう。しかしこれは経験者からすると下の下です。想像でしか知らない作家が描く無責任な結末です。

それは何故か?

「次の苛めに対して通用するとは限らない」

からです。

初回で逃げ出した人は憧れるでしょう。しかしその方法で乗り越えたとしても次も同じやり方で勝てるとは限らないんです。本当にそれを経験した人は逆に怖いと感じて「他の方法は無いか?」と必死に探すんですよ。このあたりを分かって居ない人が多いと思います。

最初の方は「苛められないために」自分を磨くという方向で頑張るはずです。この時には「大人や先生が望む事」を探し「勉強を頑張る」「品行方正に振舞う」など「良い子」の模倣し「良い子力」において負けない様にするでしょう。しかしこれも「苛めのターゲット」に成り易く結局は苛めが始まってしまいます。

「良い子であっても苛めは始まるし、始まった後に大人が
 助けてくれることはない。また自分から大人に告白する
 ことは他の子ども社会での裏切りに相当するために簡単
 には出来ない」

子供であっても苛めを乗り切った後に「異質」と見られてはやっていけません。子供同士のルールの中で解決できずに大人を介入させた後は困るわけです。本当に望んでいるのは仲間として対等に接してもらう事だからです。なので暴力や(強い人の力を借りての)制裁は解決に成らないんです。

しかし「一騎打ちによる反撃」「良い子力の強化」「体制からの支持」の三つは大事なカードですが「勝った後に不幸になってしまう」というのが問題であるという事です。

問題の原因は「苛めにあう自分」ではなく「苛めを始める勢力」について研究が足りないという事です。この勢力の性質を理解するからこそ対抗が出来るのです。この勢力は「綺麗ごとを言う大人」を最も見下しており、この人達を騙して(自分の恐怖の対象である)「自分を排除しようとする大人」と同士討ちさせる事こそが望んでいます。

恐らく、

「社会は怖い。しかし社会の奴らは簡単に俺に騙される。
 俺は人を操れるのだから強い。だから俺は大丈夫だ。俺
 の方がその辺の大人より上なのだ。しかし俺はこの力を
 磨かないといけないんだ。社会が怖い。いずれ俺の異質
 な部分がバレてやられるかもしれない。俺は頭がお花畑
 で綺麗ごとを言う大人達を騙し、大人達が嫌う悪事をな
 し、完全犯罪を成し遂げられるように自分を成長させる
 のだ。それを俺の仲間たちにアピールして俺が指導者に
 なるのだ」

こんな感じでしょう。

そして常に自分の力を磨いているのです。

「何を磨くって? 俺の人付き合いの良さだよ。要は人気
 者に成る事。そのための努力は惜しんじゃ駄目なんだ。
 何かスキルがある人とか権力がある仲間を集めるんだ。
 そうすると『そういう使える人』が俺の周りにどんどん
 集まって来る。俺は『誰を仲間はずれにすべきか?』だ
 けを決める。そのポジションを維持するんだ。難しいよ?
 何せ何にもない所から力を得るわけだから。だから努力
 も必要だし、手抜きは行けない。細心の注意を払って制
 御していく。俺がここまで繊細な操作をしているなんて
 誰も気づかないだろう。気づかないからこそ能力が足り
 ないんだよ。そういう奴は雑魚だ」

ネットで扇動を始めるような人も同じでしょう。その人が元苛められっ子であっても「やってる事が苛めっ子と同じ」ならばだめですよね。過去の苦しみは現在の罪を見越しての正当なものであり、罰の前借りであると成ります。救われません。

また苛めを始める勢力であっても「自分を支える信念」があるという事にも気づいて下さい。自分に信念があるから自分は善良だと思う人は注意しましょう。悪人の論旨かも知れませんよ。

「発想を変えるべき。嫌な奴と言う憎しみを捨てて侮れな
 いと奴として受けとめるべき。その上でその方法が間違
 っていると教えて絶望させるべきなんだ」

相手が磨いてきた実力に何の意味もないと教える。対抗策があり通用しないのだと教えると苛めっこのアイデンティティが崩れてしまい絶望するわけです。またこれを目撃した人(この場合は子供達)が衝撃を受けて目が覚めます。そうなったとき(子供ながらに)「恥ずかしい。許して欲しい。ああなりたくない」と言い出します。このストーリーしか大団円はないのです。

苛めっ子を分析すると「自分の異常性について自覚があり社会に対して恐怖を抱いている」となります。苛めっ子が苛めを始めるのは「練習」でしかなく(まっとうな)他の人にとっては意味が分かりません。なので対策が立てられないのです。苛めにあった子供が繰り返し苛めにあうのは「モルモット」として適しているからです。苛めっ子は「安全に練習をする」環境を求めており(臆病なので)慎重に相手を選んでいます。

「苛めの対象」に対して誰が「対象の味方となるのか?」よく観察しており「味方が少ない」「味方の精神力が弱い」と思うと「味方になりそうな子」から懐柔し(仲間にする)徐々に孤立させていきます。このあたりが悪魔的なくらい合理的なんです。しかし誰も『そんな意味のない事にそこまで努力をする』と思いもしません。ここに苛めっ子は自信を持ってしまうんです。

ですので、この自信を崩すことこそが最も大事です。苛めっ子が最も恐れるのは「自分が異常である」とバレることです。生き残るために他人を操るという方向に希望を見出し「ここさえ頑張れば生きていける」としたわけです。

「苛めっ子は自分が集めた人達が去って行くことを最も
 恐れる」

なのでここを突いていくことが対抗策となります。

「こっそりと陰から攻撃する方法ばかり考えている人間は
 自分の上位者が自分を狙ってくるという事態を想定して
 いないのだ」

上手に対応するというのは、同じように魅力を使って「苛めを始める勢力」を削いでいく事です。

ではどうやって相手の勢力を削っていくのか?

殆どの人は争いや競争に向いて居ません。ストレスを憎んでおり平穏に暮らしたいのです。そういう性質を利用しようとする人たちもいます。しかしそれは上手くいきません(綺麗ごとプロパガンダは効果が無い)。その方々は大勢が決したとき意見を言うはずです。

なので序盤は耐久するしかありません。

では何を勝利の要因とするのか?

「相手勢力が制裁を始めることに賭ける」

となります。モラルを持たない人が無理に人を集めると必ず制裁をし始めます。どうしてもそう成ってしまうんですよ。この誘惑には勝てないのです。逆に制裁を始めない勢力は「悪ではない」のでどっかで仲良くするべきなんです。本当のモラルを持たない勢力は「味方が離れる恐怖」に耐えられず「恐怖」や「強制」を使って統制しようとします。「自分に魅力が無いからだ」と落ち込む人こそが善人なんです。そして制裁が始まりますと「自分一人でもやっていけるような強い人」から先に逃げ出します。こうなると勢いが止まりません。

ここで「日和見をしていた人達が恐怖を覚えて批判をし出す」流れに成ります。これを見越して「制裁を受けた人の逃げ先」を作るんです。このやり方が苛めっ子にとってはとても痛いんですよ。

私がこの方法で対抗したのは小学校5年生のときでした。

結果として「優しい人」を中心としたモラル集団に力が集まります。この勢力が「一定の力」を持てば自然に「苛めを始める勢力」は弱っていく事に成るんです。これをもって正義が力であると言われています。勿論、「苛め被害者」が率先して対抗勢力を作らないと「この様な望ましい状況」には成らないのです。

「他の人をお気楽であると見下しても良い。そうであって
 も他人が経験した事の無い経験をした自分にはそれを活
 かす使命があると考えなければ行けない」

他人に負けたくないと思って自分を磨くのは良い事です。しかし「苛めを始める勢力」にだけは(特に)負けてはいけません。また他人を見下しても良いですが「自分が優しいか?」は気を付けましょう。優しく出来なくても「礼の心」を失っていなければ「他の人にとっては」良い人でしかありませんからね。自分を見捨てずにリハビリを始めましょう。

この先は「苛め被害者として語れる」エアプじゃない稀有な人だと自信を持ちましょう。

以上、ご参考になれば。
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ありえますが、それで同情もされることもなければ、正当化されることもないし、許されるわけでもない。



DVを受けた人は高確率でDVを子どもにするデータもあるからね。それと同じでしょう。

1つ言えるのは、貴方みたいな人は存在するだけ迷惑なので、居なくなってほしいということくらいかな。
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この回答へのお礼

DVの例にあるように、他人から酷いことされた人は他人に対する憎悪が募り、他人を愛せなくなると思います。だから同じことを他人にもするのでしょう

お礼日時:2023/12/10 10:46

普通は、自分が受けた嫌なことを他人にはしないと思う人が多いでしょうが、あなたのような人も中にはいるでしょうね。


でも他人を見下すだけの力をつけたのなら、ある意味成長かも?
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