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There is no man living who isn't capable of doing more than he thinks he can do.
誰でも自分ができると思っている以上のことができるんだ。

上記は、ヘンリー・フォードの名言です。
この名言では、no man living who...livingが単独で後置修飾となっており、no liiving man who...となっていません。
who以降の関係代名詞節内の影響下にlivingがある訳ではなく、それぞれ独立してmanを修飾していることから、私には、livingも後置修飾する必要性は感じません。
一つ考えられるとすれば、There is no manとして人間は誰もいないと言い切ったほうが聞き手に与える印象を強くしようとしているのかもしれないということです。

つきましては、次の点ご教示願います。

There is no living man who isn't capable of doing more than he thinks he can do.
の表現は可能なのか。
・可能な場合:原文とのニュアンスや意味の違いとヘンリー・フォードの考えられる意図
・不可能な場合:不可能な理由

A 回答 (2件)

There is no living man だと


今生きている人でそんな人はいない
って意味にならないかね. つまり死んでしまった人 (やこれから生まれる人) は適用外である, と.
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

原文もご回答の意味だと思うのですが、如何でしょうか?

お礼日時:2024/05/06 14:10

[There is no living man who] から始まると、「これは生きていない人(物故者)の話なのですが、~~~」という印象があります。


[There is no man living ] だと、「生きている人でこういう人はいないですが、~~~」という印象。
参照の「名言」は二重否定でわかりにくい悪文です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

申し訳ありませんが、再度確認させてください。
ネイティブは、There is no...で、まず、存在するかしないか、即ち「生きている人でこういう人はいないですが、~~~」を連想しそうですが、There is no "living man" who...「これは生きていない人(物故者)の話なのですが、~~~」の意味で受け取られる可能性が高いのでしょうか?

お礼日時:2024/05/06 14:20

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