初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

自分自身習慣があって、なぜこういう習慣から抜けられないのだろう?というような状態の時に、ああこういう気持ちからこの習慣の動機が始まっているのね(゜-゜)ということをわかることは大事でしょうか?それは自身を客観視できているということになり、自身のコントロールや理解につながりより何らかのメリットにつながりますか?

A 回答 (3件)

自分自身習慣があって、なぜこういう


習慣から抜けられないのだろう?
 ↑
プロスペクト理論ですか。
人間の行動の80%は、無意識に
行われており、
それは文化や習慣に基づく。



というような状態の時に、ああこういう気持ちからこの習慣の動機が始まっているのね(゜-゜)
  ↑
そういう意識面ではなく、無意識面に
よって支配されているそうです。



ということをわかることは大事でしょうか?
 ↑
そういう分析は大事だと思います。
そういうところから構造主義が産まれました。




それは自身を客観視できているということになり、
  ↑
心理学において客観化てのがありますが、
これは
俺は今こういう気持ちを持っているな
ということを指します。



自身のコントロールや理解につながり
より何らかのメリットにつながりますか?
 ↑
客観化すると、感情の起伏を小さく
出来ます。

悲しい出来事が発生したとき、
俺は今、悲しんでいる、という客観化は
哀しみを癒やしてくれます。
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この回答へのお礼

感情をその上から俯瞰する。感情というものを理性で分析する。その科学的精神こそ人生を向上させる条件です。

お礼日時:2024/05/17 08:44

>「ああこういう気持ちからこの習慣の動機が始まっているのね」



それは比較的単純な自己分析であって、客観視とは違うと思いますが、自分を理解する手法のひとつとして非常に有用であると思います。

客観視とは、自分自身の視点や価値観から離れて、他者視点・他者価値観で自己や物事を見つめ直すという業です。
そのためには、何かで対立した問題が発生した際に、自分の立場だけではなく、相手の立場に立って物事を考える視点が必要になります。
つまり、自分の価値観だけではなく、相手の価値観を理解して共有するなど、複数の価値観で相手との対立点を見つめたり、自分の行動が正しかったかを他者の価値観で見つめ直す。そういう技を客観視と申します。

客観視はなかなか難しい業であると思います。私自身も理想はそうありたいと思っても簡単な話ではないと思いますし、日常的にそれが上手く出来る人は滅多にいないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

人の立場になる。でもそれは耐え難く屈辱的でもある場合困りますね。

お礼日時:2024/05/16 16:06

メリットもあれば、デメリットもあります。



最近の若い人、20代30代くらいですかね。。。。
あまりにも客観視し過ぎて、無気力な人が
多いです。
特にここに質問してくる人とか。。。

社会常識を認識していて客観視するのは大事ですが
人生こんなもんとか、こう言う人生になる的な分かったような気でいる客観視で、無気力になる人がいます。
なんとなく周りの人や大人、メディアとか見てて
こんなもん、このくらいにしかならない的な分かった気でいる実際は、行動をし続けたり、学べどうにかなるようなことも、客観視によって無気力、やらない人もいます。

> 周りの人や大人、メディアとか見てて
>客観視してこれが全てと勘違いしている人
になると無気力な人間になります。

そんなもんは、本来は、他人ごととして学んだり教訓にするだけのことなのに、こんなもんだと人生終わりと勘違いした人になり、客観視し過ぎて無気力、思考停止になるのは良くないです。

そう言う人に限って親とか周りの人の責任にしがちです。
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この回答へのお礼

質問を読んでください。

お礼日時:2024/05/16 16:07

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