dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

何故、源頼朝はお詫びの手紙まで書いた源義経を東北まで追い詰め殺害したのですか?何故そこまで追い詰めたのですか?嫉妬ですか?業が深いのですか?母に源義経が愛されてたからですか?

  • 画像を添付する (ファイルサイズ:10MB以内、ファイル形式:JPG/GIF/PNG)
  • 今の自分の気分スタンプを選ぼう!
あと4000文字

A 回答 (8件)

自分の権力の座を安泰させるために、邪魔な存在だったから。


人望もあるし、連戦連勝の実績は脅威です。
当時の奥州藤原氏も、脅威。このさい、二つまとめて潰してしまおうと。
    • good
    • 1

権力闘争でしょう。



義経人気が大きくなり、
脅威にまでなったので
滅ぼしたのです。

昔は、兄弟は勿論、親子でも
権力闘争で、殺し合いを
していましたから。

そもそもですが、ああいう人達の
肉親てのは、庶民とは違います。

子育ては乳母がやります。
実母がやると、優しい男に育って
しまうからです。

それでは生き残れません。
    • good
    • 1

最終的には、奥州藤原氏を成敗し、東北を支配下に置くためですよね。


それまでの問題としては、義経が鎌倉に服するのではなく京(朝廷・後白河院)に操られており、幕府による全国支配の確立を乱す恐れがあったため、頼朝としては弟であっても敵と見なさざるを得なかったのでしょう。
嫉妬とか業とか愛とかは関係ありません。
    • good
    • 1

義経が空気を読まず頼朝の意思を理解できなかったから。


頼朝は、自分と子供以外の武士は平等な立場の「御家人」という横並びにしようとしていたが、義経は弟という立場に固執し、何度も頼朝から注意されている。
それまで、武士は朝廷から官職を得ていたが、頼朝は御家人の官職叙任について、自身の推薦が無いとできないとしたのに、義経はそれを無視した。
後白河の手玉に取られて、頼朝討伐の院宣を受け取ったので逆に討伐対象になったのです。
ちなみに、頼朝の生母と義経の生母は身分差がありすぎてお話になりません。
    • good
    • 2

「兄弟」というのは非常に扱いが難しい存在で, 下手に生かしておくとあとでさらに大きな問題になることがある. それくらいなら殺してしまった方があとくされはなくなる.



室町幕府はある意味で「兄弟の扱いがうまくいかなかった」ともいわれるし.
    • good
    • 1

きっと、本当の兄弟ではなかったのですよw


弟を名乗る”誰か”が力を貸してくれるっていうので味方にしたら、大活躍で人気をかっさらっていったので、こりゃマズいと思って殺したのですw
    • good
    • 1

朝廷から官位を勝手に貰ってはいけないという命令に背いたことが原因と言われている。



背景としては、源頼朝には子飼いの直臣が一人もいないという基盤の弱さを、頼朝自身が一番骨身に染みて知っていたことが挙げられる。

命令に従わない弟の勝手な行動を許しては、他の有力御家人はどう思うか。下手をすれば、御家人たちが自分を見切って義経に付くかもしれない。
頼朝と義経が連合しても、義経だって直臣は奥州から連れてきた数人しかいないのでは、武力で御家人たちを従わせるのは不可能だ。

結局のところ、頼朝には、清和天皇を祖とする源氏の嫡流であるという権威しかないのだ。それなのに命令違反者である義経を処罰できないのでは権威もくそもあったものではない。

義経は詫び状を書いたとはいえ、官位は貰ったままだった。しかも、官位を貰ったのは家の名誉、頼朝の名誉でもあるとまで詫び状の中で言い放っている。義経は、頼朝の立場を全く理解していなかったことになり、詫び状は頼朝の怒りの炎に油を注ぐものでしかなかった。

結局、最終的には、義経は兄に反旗を翻したわけだから、頼朝としては武将として超優秀な義経の首を取るまで戦い抜くしか手はないことになる。
    • good
    • 1

邪魔な田舎ザルだからです

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A