タイムマシーンがあったら、過去と未来どちらに行く?

公害問題が1番騒がれたのって60〜70年代ぐらいでしょうか?
でも日本は明治時代から工業化してたはずなのに、明治〜大正の大々的な公害問題ってあまり聞かないですよね?田中正造の足尾銅山ぐらいでしょうか。

明治〜大正〜昭和初期ですか、その辺の時代はなんで、60〜70年代ほどの公害問題が起こらなかったんでしょうか?

A 回答 (5件)

1962(昭和37年)ばい煙規正法が制定(日本で最初の大気汚染対策の法律)


1967(昭和42年)公害対策基本法が制定
第二次世界大戦後の工業復興が加速し公害問題が多数起こりました。
1891(明治24年)足尾銅山鉱毒問題の国会提起
1903(明治36年)浅野セメント粉じん被害(東京・深川)
1911(明治44年)日立鉱山亜硫酸ガス被害
1955(昭和30年)イタイイタイ病(富山県)が社会問題化
1956(昭和31年)水俣病の発生を公式に発表
明治、から公害問題は起こっていましたが戦後、工場の規模や数の違い、また薬剤などの使用量も桁違いに増えたことで高度経済成長期に問題が大きくなります。
60年~70年代の異常な状況は、経済成長を優先させて公害を黙認してきたことも否定できません。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2024/10/03 06:12

それ以前から公害は発生していたのでしょうけど、学生運動、市民運動などが盛り上がった時期でもあったので、それらの活動家や組織が、あちこちで活動し、その流れで公害問題も取り上げていたって感じかもしれませんね。



あの頃、宇井純さんの「公害原論」という書籍がよく売れていたと思います。
私が、なにかの公害問題で活動していた時、詳細は忘れましたが、宴会の席で、宇井さんと一緒だったような記憶があったりします。
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鎖国の江戸時代から、明治への変化で産業面で西洋に追いつけ。

で、多少のデメリットには目をつぶってた。田中正造の足尾銅山っぽい話は昔からあって、もののけ姫でも触れてたような。。
大正から昭和初期、軍隊が強い時代でしたから、国の事業に文句言う奴は非国民。で逮捕されたりして。
公害より、一般市民の人権を守るルール創りが優先されないといけない時代でした。

海岸沿いに工業地帯を造り、工業排水は、そのまま海に流せばなんとかなる。という感覚の時代でした。太平洋沿いはともかく、瀬戸内海でもそうでした。
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工場廃液などの「原因」と、健康被害・環境変化などの「結果」の因果関係を明確に関連付けることが、その頃になってようやく可能になったということなのでしょうね。



それまでは「風土病」とか「遺伝」とか「何かのたたり(先祖、キツネなど)」とされて放置・隠匿・無視されていたのだと思います。

水俣病も、最初の症状報道から推定原因が判明するまで 5~10 年、厚生省が認定するまでに15年かかりました。
御用学者の「異説、珍説」も含め、様々な妨害・いやがらせが真相究明を長引かせるのです。
いまだに「地球温暖化」を否定する学者や組織が存在するのと同じです(その資金が石油業界から出ていたことも明らかになっている)。
同様な「不都合な真実」を否定・隠ぺいする活動は、今日でも様々行われています。
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恐らく物凄い数の公害


あったでしょう
当時の庶民には何も出来ません
国家権力軍の力
不可能です
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