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ここで多いのかはわかりませんが、とにかくよく「人の考え方はそれぞれ自由」という個人主義的な主張をよく見ます。もちろん思想統制はろくなことにならないのは歴史が証明していますが、いたずらにだから「個人の自由を最大限尊重する」と言いつつ実際には「足の引っ張り合い」という現実になっているような状況はまた無様なものではないでしょうか?
つまり、こういう「人の考えは人の数だけある」という自由奔放を言う人というのは、「好きにやらせろ!指図するな!」と駄々っ子のように騒いでいるだけなのではないか?という印象を受けますがどうなのでしょうか?
問題は、民主主義などは建前だけで実際は機能していないということです。

A 回答 (5件)

話がそれるけど、戦前の日本人の基本的な考え方の基本になっていた十二の徳目


https://www.countand1.com/2017/02/imperial-rescr …
 社会の中にはいろいろな人たちがいるけれど、互いに信頼し合い助け合って生きようねと言うことですね。
 まず日本という国があって、そこで生きている人々の行動の指針が決まっていたんですね。

 でも、終戦を機に、
 主権在民とか、人権がぁぁぁといわれて、国民一人一人を基準に戦後の民主主義が組み立てられていく中で、失わなくても良かったはずの戦前の考え方が否定されて、「お互いに支え合おうねという、まずは自分が誰かを支えたり協調する」世の中から、「周囲の人たちに対して、自分の権利を認めなさい」と求める社会になっていったような気がします。
 こうやって、人権を大切にと言えば聞こえは良いけど、一人一人がバラバラになって自己主張する社会になっていますね。
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この回答へのお礼

はい。教育勅語は超時代的なものであり、GHQによって消されてはならないものでした。日本弱体化政策の一環です。
なので、やたらと幻想の自由を本気でまくしたてる人が増えました。

お礼日時:2024/10/23 22:54

#2です。

お礼ありがとうございます。

>ところが混乱まで行かないのですよ。日本人はパワーが足りないから革命衝動が起こったりしない。なので、
>多数決で方向性を決めるのです。
という思考停止状態の何ら進歩発展のないところに行きつきます。

と書いておられますが、最近はそうでもないかな・・
と思います。

それは「社会秩序を根本から壊すような破壊的行為を行わずに、人々に自分(達)の意見を伝える手段ができたから」です。ようするにyoutubeなどのSNSです。

(以下は個人的なイデオロギー抜きで記載します)
たとえばN国党なんてある意味無茶苦茶なことをしています。
そしてそれに対して「自分達はこう考え、こういう目的のためにこういう手段を使った」とyoutubeなどを使って表明しています。

これに対して「選挙制度を壊す行為だ」とか「社会秩序が乱れる」という人たちもいますが、でも「合法」なんですよ。

れいわ新撰組も参政党もネットをうまく利用して主張を広げています。山本太郎氏なんて、街頭演説というか街頭対談で主張しまくりですよね。

石丸氏は、市議会と対決するためにyoutubeで議会の議事進行が拡散していることに目を付けて、わざわざ「寝るな」「恥を知れ、恥を!」と言い放っています。
本人が「狙って、きわどいキーワードを使った」と言っていますので確信犯ですし、その結果多くの人が石丸氏を認識するようになり、同時に議会と市長が完全に対立して議会運営が事実上止まりました。

この安芸高田市の事例なんかはまさに「個人の自由意見の対立」なわけですが、その結果膠着状態になるわけです。これを民主主義の機能不全といえばその通りでしょう。

でも、逆にいえばこのような個人的な意見を今までは政党の論理で押しつぶしてきたわけで、それに反発して「個人的にはこっちの方が絶対良いからその主張で行きます」という人たちが増えている、ともいえます。

特にこの10年ぐらいそういう「政治家じゃない人たちの政治参入」が激しくなっています。その発端はたぶん橋下氏などが作った「大阪維新の会」だと思いますが、その後山本太郎氏とか立花隆氏とか石丸伸二氏のような、既存の政党とは全く関係ない人たちが政治の世界に入って、急速に勢力を拡大する、という現象がおきるようになっています。

これが議会制民主主義の「多数決の原理」に進歩発展を影響しているのは明らかだと思いますよ。
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この回答へのお礼

そうですか。今ネットは新たな武器になってきていますか。

お礼日時:2024/10/24 21:35

欧米の個人主義を、無批判的に


導入したからです。

欧米の個人主義てのは、神との約束
さえ守っていれば自由だ
という個人主義です。

そこには、神との約束、という
自由でない領域があります。

しかし、日本には、そんな神様は
いません。

だから、日本における個人主義は
たんなる自己中、ワガママになりがちに
なるのです。

その元凶は憲法にあります。

欧米の個人主義を導入してしまった
結果です。
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この回答へのお礼

なるほど!欧米では自ずと神との約束があるからおのずと自由にもブレーキがかかりますね。そこが日本の無秩序無節操とは違う。
日本国憲法ってそんなにモラル的に問題ですか?たしかに「野放し自由」の原型にはなっていますが社会の枠というものはがっちり規定してますね。

お礼日時:2024/10/24 08:30

もう少し大きな枠組みを考えるべきだと思います。



個人主義が存在できるのは「個人の自由な意見を述べることができる社会を維持する努力があるから」です。
 日本人の大部分がこの大前提を忘れていて、だから「平和ボケ」と言われるのです。

逆に考えてみましょう。「思想統制はなぜ行われるのか?」です。
専制君主の場合は「俺の決めたことに逆らうやつがいると困るから」ですが、何が困るか?といえば「俺が社会の秩序を決めているのに、それに従わないと社会が混乱する」からです。
 その「秩序」が多数の人々を幸せにしているかどうかは別ですが、確かに反抗的な人が増えれば、社会は混乱します。

これは北朝鮮で「金正恩は独裁なので独裁から引きずりおろせ」と民衆蜂起したら、その後が民主的な社会になるとしても「今の社会的秩序は壊れる」というようなことを考えれば分かると思います。

ということで、質問者様が提示する「個人の自由を最大限尊重する」というのは実際には《社会秩序が壊れない範囲》という限界があり、具体的には法令で枠が決まっているわけです。

その枠内の中で「自由に意見する」ことは認められています。それが「混乱を引き起こす」ことは間違いないですが、この混乱は社会にとって必要なものでもあります。

なぜ「必要」と言えるかと言うと《今後の社会の発展のため、人々の幸福度の増進のために「何をすべきなのかは誰も分からない」から》です。

独裁政治や専制政治は「指導者がそれを分かっている」か「指導者が考える社会発展や人々の幸福の有り方」という判断基準ですが、金正恩は「金一族がこの国を支配していることが人民が幸せである最も重要な要素」だと考えているのでしょう。(残念なことに、この考え方は間違えとは言えないです。もちろん民主的ではないですが・・)

民主主義の国では「みんなで社会や国の方向性を考える」わけで、でも誰も正解を知らないので、多数決で方向性を決めるのです。
 
 これを「機能していない」と評価するなら、多数決の原則自体が成り立たなくなります。

 民主主義は「個人の意見を総合して、もっとも意見が多い方向に国を動かし、上手く行っても失敗してもみんなで責任を分かち合う」ものです。
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この回答へのお礼

> 日本人の大部分がこの大前提を忘れていて、だから「平和ボケ」と言われる

そうですね。権利の主張が当たり前だという勘違いがあります。

>「個人の自由を最大限尊重する」というのは実際には《社会秩序が壊れない範囲》という限界があり、具体的には法令で枠が決まっているわけです。

はい。ですから所詮限定的なものなのです。それを忘れている人が多い。

>この混乱は社会にとって必要なものでもあります。

ところが混乱まで行かないのですよ。日本人はパワーが足りないから革命衝動が起こったりしない。なので、

>多数決で方向性を決めるのです。

という思考停止状態の何ら進歩発展のないところに行きつきます。

お礼日時:2024/10/23 22:53

そう言う事の決着は、多数決でしょうね。

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この回答へのお礼

多数決こそ衆愚政治の骨頂です。

お礼日時:2024/10/23 07:40

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