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古代ギリシアのポリスのスパルタは、アレクサンドロスの支配、アンティゴノス朝の支配、そしてローマの支配のなかで、どのようになっていったか、疑問です。そこらへんを教えてください。

A 回答 (2件)

連投申し訳ありません。

一点だけ修正させていただきます。アギス4世のところで前2世紀後半と書いてしまいましたが、前3世紀の誤りですね。すみませんでした。
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マケドニア王フィリッポス2世の指導下に前338年コリント同盟を成立させたギリシア世界ですが、スパルタはこの同盟に参加せず独立を保っていました。

前331年、スパルタはアギス3世(在位338-330)のもとマケドニア支配に反旗を翻し、アレクサンドロスの部下アンティパトロスによりメガロポリスで撃破されます(アギス戦争)。
以後、諸ポリスと同様マケドニアの支配をうけましたが、その後の後継者戦争でアンティゴノス朝の一部となります(とは言ってもペロポネソス半島は常に後継者同士の領有紛争の焦点となっていて、国際関係上は常に不安定な状態に置かれていましたが)。自身もアンティゴノス朝下でアテナイと同盟しての反マケドニア戦争(クレモニデス戦争/前267-261)を起こし、敗戦の末再び支配下に置かれています。
この時代、スパルタでは富の偏在が目立つようになっており、前2世紀後半、アギス4世(在位前244-241)とクレオメネス3世(在位前235-222)によってリュクルゴス体制の復活と債務帳消し、土地の再分配が断行されました。またペリオイコイや外国人に市民権も付与され、再び経済力と軍事力を増したスパルタは国際舞台の場へ復活していきます。
前222年、スパルタは同じく半島内に台頭し始めていたアカイア連邦とクレオメネス戦争を展開、アカイア連邦がマケドニアの支援を受けたことで壊滅し、その後もマケドニアによる支配を受けながらも叛乱を繰り返します(同盟市戦争/前218)。前217年ナウパクトスの講和によって外交的な自立性を回復、続く第1次マケドニア戦争でローマに加担しマケドニア・アカイア連邦軍と戦いますが敗退しました(マンティネイアの戦い/前207)。
度重なる敗戦の後、スパルタはナビス王(在位前207-192)によって再度の社会改革を断行、ヘイロータイを解放して市民団を再建するなど軍事力の回復に努めます。しかし前195年の対ローマ(ナビス戦争)、前192年の対アカイア戦争で連敗したことで国政は完全に崩壊し、以後アカイアに併合され連邦下の一都市に過ぎなくなってしまいました。
マケドニアおよびギリシアの地は前146年にローマの属州と化しますが、この頃にはもう政治経済力はまったく喪失してしまっており、以後スパルタが歴史の表舞台に現れることはなくなってしまいました。

と、駆け足でマケドニア以降のスパルタを概観してみましたが、こんな感じでよろしかったでしょうか。
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