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(1)織田信長が天守閣好きだったのは「朝日信仰」をしていたから…は正しいですか?

(2)信長の影響で安土桃山以降、天守閣が多く造られたとのことですが、日本全国で天守閣がある(あった)とされる城の数は幾つくらいなのでしょうか?

(3)天守閣のそもそもの意味は「遠くを見る」展望のためですか?

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A 回答 (3件)

(1)安土城の天守については、松永久秀の天主、1728年の信長による加納城の天主を参考にすれば、成立の意味が分かりやすいと思います。


一般的な権力の象徴としての中央や遠望用の物見やぐらと言う性格より、
宗教的なモニュメントとしての色彩や、吹き抜けの能舞台のような演芸空間などという側面は、
信長の内因的なパフォーマンス的な側面が強く。
「朝日信仰」と言う一般的な意味合いは弱いように思われます。
安土山は琵琶湖を西に眺望はそちらに向かって開けており、東には鈴鹿山脈が広がっています。
むしろ夕日の城です

(2)現存は岡城三階櫓等を合わせると33程度ですが、戦国期以降に破棄された名護や城等や、
地震等で移築された伏見城(結果的に二つ存在した)、天主の無かった丹波篠山城等、
時代を特定されれば解答できますが、破棄や消失・再建築放棄・移築等もあり
正確な解答は難しい部類の質問かと思います。
例えば、大阪城は御存じの通り豊臣時代のものと徳川時代のものでは全く異なります。
また、3層以上の櫓を天守と定義するかと言う問題も生じます。

(3)平城になってから国持大名により多く築城されていることからも
支配的な権力を象徴するランドマークとしての意味合いが濃厚です。
本来なら会津若松城の例を挙げる間でもなく大砲の標的になるため実戦向けではありませんし、
ヨーロッパ式の砲撃戦には天守は邪魔です。
他には御指摘のような遠望用の為や式典等の為、大名のクラス分けの一つの目安等と言う
意味があります。
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この回答へのお礼

kumagorou様
「夕日の城」…ですかぁ。
以前何かで聞いた「信長は早朝;目覚めると直ぐ、遠く四方が見渡せる天主閣に昇り、朝日を拝み云々」という話から、てっきり東西南北が見渡せるものと信じておりました。
朝日信仰は毛利元就こそ有名ですが、信長は確か、気に入った伴天連からゼウスやアポロの話を聞き、太陽神などに傾向していた…という逸話が正しいと思いたいのですが。
2について今暫く質問を公開していようかと思っていますのでポイント発行;しばしお待ち下さいませ。

お礼日時:2005/05/21 04:48

信長の安土城ですが「天守閣」ではなく「天主閣」と書きます。


信長と言う人物は時代の改革者とでもいうのか、既存の秩序を破壊して、新しい価値観を作ろうとした人物です。
既存の秩序とは、仏教界であったり室町幕府であったり、ひょっとしたら天皇制であったのかも知れません。
そういう意味で「天主」の字を充てたことから、彼を教祖とする新興宗教の拠点、いわば教会のようなものという考えもあります。
同じような思想で作られたのが、足利義満の金閣寺で、ここは1階が寝殿造り、2階が武家造り、3階が禅宗仏殿造りで、屋根に鳳凰が乗っています。
これは貴族社会、武士社会、宗教界を鳳凰(義満)が支配すると言う思想ではないかと言われています。
同様に安土城も

http://www.town.azuchi.shiga.jp/tourist/shiro_01 …

こういった華麗な造りであり、信長が天下を支配すると言う宣言ではないかと思います。

嘗ての城は軍事拠点で、攻めにくく見晴らしのよい山の上に築かれました。
しかしながら平和な時代になると、政庁の役割になり、大名の権威を象徴するために天守が造られます。
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この回答へのお礼

98KIN様
添付のURLに飛ばせて頂きました。
中で「天道思想」についても触れられており、Q1に関して知りたかった事柄の何点かが記されておりました。有難う存じます。
また、信長の天主閣への想いも氷解しました。
ただQ2について、まだ不明でございますので、今日のところは急ぎ御礼を申し上げるに留めさせて頂きます。

お礼日時:2005/05/21 04:33

(3)だけですが…。



天主・天守はそれを見る人を意識して作られたのではないかと思います。

見た人は、「何て大きな建物だろう…」と思ったことでしょう。未だかつて見たことのない様な高層建築物は、人を威圧し、また凄さ、すばらしさを感じさせます。

今はどうなのかよくわかりませんが、一昔前は田舎から出てきた人が高層ビルを見て、いたく驚いたものです。私も田舎から出てきたら、ついつい高層ビルに見とれていました。都会人からは田舎者と思われていましたが…。

ということで、その高層建築物(天守)を見た人は、そこに住んでいる、所有している人を崇拝し、尊敬する…。これをよく理解した人が撫民政策上、天守を建てたのではないのでしょうか。

天守が一般的ではない時代は、お城は山にありました。山の上に天守が無くとも下の方(的がやってくる方向)はよく見渡せたものと思われます。

天守は平和な時代に大量に作られました。争いが無くなったとき、その界隈にいる人たちに領主に対して争うことを起こさせない…という意味合いがあったと思います。
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この回答へのお礼

rozd様 
早速のご回答有難う存じました。
情報もお考えも大変参考になりました。
ただ、どうしても3つの点から背景を知りたく存じますので、今しばらく〆切を延ばさせて頂こうかと思っております。
また、宜しくお願い致します。とりあえず御礼まで申し上げます。

お礼日時:2005/05/21 04:21

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