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日本はキリスト教の布教を禁止したために、西洋国の中で布教活動よりも貿易を優先したオランダとのみ貿易してましたよね、長崎出島で。
オランダ人長崎出島商館長であるカピタンなどは、数年に一度は江戸の将軍に謁見しに向かっていたそうです。

でも思ったんですが、鎖国中の日蘭貿易およそ200年余りの間に、日本からの使者がオランダ本国の総督や国王へ、謁見に行った例は一度でもあったんでしょうか? 逆に。
それともやはり、鎖国中だったのでそんな例は皆無だったんですかね?

日蘭貿易に興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

A 回答 (2件)

カソリックのバテレン(宣教師)が平戸と長崎で日本人を奴隷として


売買してました、それを豊臣秀吉に密告したのが、プロテスタント教徒
です、結果、カソリックの宣教師は追放になり、日本との交易は、
プロテスタントのオランダが独占する事になりました。
チクリの国に使者を送りますか?
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この回答へのお礼

Thank you

やはり日蘭貿易中にオランダ本国へ、日本が使者を直接送ったことは内容ですね。 回答ありがとです。

お礼日時:2025/03/09 08:48

幕府は寛永12年(1635)日本人の海外渡航、帰国を禁じています。


ですので禁令を破ってまでオランダに渡った人はいないでしょう。

オランダとしても密出国の手助けをすれば貿易利権を手放してしまいますのでそのようなことはしなかったでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとう

オランダも密入国の手助けをして、貿易利権を手放すことはしたくなかったでしょうね。
やはりいなかったようです、回答ありがとです。

お礼日時:2025/03/08 18:29

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