
「楽しくなければ勉強じゃない」、「勉強は楽しくあるべき」などの考え方が現在の主流のようですが、それは本当なのでしょうか。
かなりの長文です。最後まで読まれて全ての内容を把握された上でのご意見をお願いします。
価値観や主観は多様ですから、勉強が苦手で勉強が楽しくないと感じている子ども、苦手な科目や不得意な単元は楽しくないと感じている子ども、なども多いと思います。そんな子どもたちは、楽しくないから勉強しなくても良い、のでしょうか。その様な子どもたちには、勉強させるべきではないのでしょうか。教育者や保護者は、そんな子どもたちにも楽しく感じられる様に配慮・対処しなければならないのでしょうか。その様な配慮・対処ができそうにない場合、高い金額を払って外注しなければならないのでしょうか。
私は、そうではない、と考えています。
本来、「勉強」とは「勉(つと)めて強(し)いる」の意味ですから、「(何かの目標や目的のために)例え嫌なことやつらいことでも我慢して最後までやり遂げること」であったはずです。『勉強』と『学習』は全く別物だったはずです。知識や技術の習得が目的ではありません。「勉強」は手段であって目的ではないのです。嫌なことや辛いことでも最後までやり遂げることによって、人間は成長します。「勉強」は人間の心を鍛え成長させるもの、だと考えます。「受験『勉強』」、「資格取得のための『勉強』」とは言いますが、「受験『学習』」、「資格取得のための『学習』」などと言わないのはそのためでしょう。
ちなみに「学習」とは「(自分の興味や関心に従って)何らかの知識や技術などを習得すること」であって、あくまでも自発的な行為であるはずです。「勉強」は人間の頭を鍛え成長させるもの、と言えるのではないでしょうか。
ところが、昨今、「勉強」と「学習」が混同されるようになってきました。そのせいで多くの弊害が起きているように感じます。
「勉強」は嫌でも辛くてもやらなければならないものです。嫌でもつらくても我慢してしばらく続けていくうちに「勉強」も習慣化されていきます。習慣化されると心理的負担が減り、「勉強」の継続が容易になります。「勉強」を継続するうちに、精神的負担が減り、代わりに精神的な余裕が生まれてきます。そこまで来て始めて「勉強」している内容に興味や関心を持てるようになります。「勉強」が習慣化することで「学習」に成り代わる瞬間です。私は、幼いうちに子どもたちにこんな体験を積ませてやることが「『勉強』する(させる)意味」だと考えています。またそうすることで、いわゆる「ヤル気」が生まれてくるのではないでしょうか。「たのしく『勉強』する」ためにも、「『勉強』に『ヤル気』を出させる」ためにも、辛くてイヤな『勉強』を乗り越えることが必要なのです。「楽しくなければ勉強じゃない」、「勉強は楽しくあるべき」などの考え方は、子どもたちからその様な体験のきっかけを奪ってしまっているのではないでしょうか。
また、「楽しくなければ勉強じゃない」、「勉強は楽しくあるべき」などの考え方は多くの保護者を追い詰める「呪い」の言葉であるとも考えています。
1970年後半に中京地域の家庭教材販売会社がTVCMの中で、「楽しくなければ勉強じゃない」と言うキャッチフレーズを使いました。それまでは、「勉強」は辛くて当たり前、との考えが主流でしたから、この逆説的なフレーズは世間の耳目を集めました。ちょうどこの頃、日本の出生率が2.0を割り込み、少子化問題が取りざたされ始めた時期でした。少子化に敏感に反応したのが、民間の教育産業でした。先細りする顧客少しでも多く集めるために、他の業者との差別化を図らなければならない時期でした。そんな時に先ほどのフレーズは保護者たちに「うちのサービスを利用すれば、子どもたちにラクに楽しく勉強させることができますよ」と言うメッセージを強く打ち出すことができたのです。「楽しくなければ勉強じゃない」と言う風潮は民間の教育産業が積極的に広めたものなのです。
ご存知のように、元々は教員の労働時間を短縮するために始まったゆとり教育もまた、このフレーズを大義名分の様に積極的に利用しました。お題目だけしかなく具体的な方法論や方針がなかったゆとり教育にとっても「勉強は楽しくあるべき」のスローガンは、大変魅力的だったのでしょう。
それからおよそ半世紀が過ぎた現在、ほとんどの保護者は、家庭で「勉強」させることを諦めてしまいました。多額の費用を払って、塾や習い事に子どもたちを預けることが当たり前になってしまいました。「楽しくなれば勉強じゃない」と言うキャッチフレーズに囚われてしまったからでしょう。家庭で学校の宿題をさせるだけでも虐待のように感じてしまう保護者すら少なからず存在します。
保護者は口先では「勉強は楽しい」、「学校は楽しい」などと言いながら、自らの手で子どもたちに「勉強」させることは減ってしまいました。その言葉を信じて育った子どもたちの中にも、勉強は嫌だ、学校は楽しくない、と感じる子どもたちも出てきます。親たちの言葉と自分の気持ちとの矛盾に苛まれ、自己否定してしまう子どもたちも出てくるでしょう。これが、登校渋りや登校拒否の原因の1つにもなっているのではないでしょうか。
長らく読んで頂いて有り難うございます。ここからが本題です。
「勉強」と「学習」を明確に区別するべきではないでしょうか。
それが、現状の子育てや教育の問題の解決の糸口にはならないでしょうか。

- 画像を添付する (ファイルサイズ:10MB以内、ファイル形式:JPG/GIF/PNG)
- 今の自分の気分スタンプを選ぼう!
A 回答 (12件中1~10件)
- 最新から表示
- 回答順に表示
No.12
- 回答日時:
なるほどー。
確かに「勉強」と「学習」は本来別な意味かもしれませんね、小さい頃から、同じ意味として言われてきたため、その区別をしたことありませんでした。あらためまして、世間一般でそんなに「楽しくなければ勉強じゃない」と言われてること自体あまり認識なかったんですが、少し意味は違うかもしれませんがその対象となる「学問」自体は、小林秀雄さんが「元々酒女などあらゆる遊ぶに飽きた大店の若旦那衆が娯楽として始めたのが始まり」と書いてられた通り、学問とは所詮娯楽の一種なのです。ところが明治維新以来西欧諸国に追いつき追い越せとばかり、元々人口が少ないという意識も手伝って一定レベル以上の教育を国民に課してきた、あなたの言う「勉強」が一般化したのでしょうね。元々それ以前でもむるいの知識欲を持つ我が民族は独自に「算術」に興じるなど基礎体力が培われていたためその成果は瞬く間に全国に行き渡り、後になって数週間の研修で戦車の操縦(通常数ヶ月の単位が必要)などができるようになる潜在力ご西欧各国を畏怖させることになります。が、これは別の話。こんな実績が、「学習」=「勉強」という混同を助長してきたのかもしらませんね。
わたしの感覚でいえば、高校までのいっぼかに与えられるだけの環境が「勉強」で、自ら学びたいもの。求めて学ぶ大学以降が「学習」になるのかな?と感じました。
とは言え、本来「学問というのは楽しいものだ、遊びの一緒だということを忘れてほしくない、呼び方はどうあれ学問とかかわることをやめてほしくないなあ、と思ってます。子供の頃なんか「空はなぜ青い」とか「水は透明なのに集まるとなぜ青く見えるの」とか毎日不思議だらけなんだから、その喜びをれてほしくないな、と思ってます。私は子供の頃そんなふうに世界が輝いて見えて質問ばかりする子供だったそうです。振り返ってみても楽しかったです。その喜びはいつの時代も続いてほしいとねなってる一人です。今定年退職して遊んでる身ですが少年時代に戻って図書館通いをしながら学問で遊んでますので皆さんにもこの喜びを味わってもらいたいなぁと思ってる一人としての感想です。
答えになってないですね、ごめんなさい。
No.11
- 回答日時:
楽しい勉強こそ本当に実になる勉強だろうが、それがぜんぶではないだろ。
これは音楽の話だが、『王様のレストラン』の中で三谷幸喜氏が登場人物にこう言わせている。
------
歌はテクニックじゃない、心だ
しかし心を表現するにはテクニックが要る
------
心を表現する「楽しさ」を満喫したければ、そのためのテクニックを磨くという「苦しみ」を経なければならない。
最初から楽しいものなど、まやかし以外は存在しない。
ご意見ありがとうございます。
私の質問文をご覧いただけましたでしょうか。私は「楽しい勉強」などあり得ない、と言う立場です。
「楽しい勉強こそ本当に実になる勉強」ではなく、「勉強」は辛く嫌なことであるからこそ「勉強」なのであり、意味があるのではないでしょうか。楽しくなったなら、それは「勉強」ではなくすでに「学習」だと思います。
「勉強」と「学習」の違いや境界をはっきりさせないために様々な弊害や矛盾が起きている、と考えています。
No.10
- 回答日時:
>私が伺いたい実効性とは〜
私の例の先生のような教え方を便宜上「いい教え方」と定義しますが、定量的な実効性に関しては、いい教え方とそれ以外の教え方での生徒の成績がどう変わるのかの統計がないので分かりません。
そして、質問者様のご指摘には一つ論理的な誤謬があります。
もし仮に、いい教え方がとてつもなく効果的で勉強を大好きにさせるような教え方であったとしても、それは勉強嫌いな人が増えているという事実と矛盾しません。
なぜかというと、いい教え方が効果があるとしても、それを実行する親や先生は多分少ないからです。
学校の先生、特に中高の先生は、ほとんどの先生がつまらない授業をすると思います。具体的な統計はありませんが、質問者様も共感いただけると思います。
ですので、いい教え方をする先生や親が少ないのならば、勉強が嫌いになる人が増えるのも無矛盾かと。
ご意見有り難うございます。
「もし仮に、いい教え方がとてつもなく効果的で勉強を大好きにさせるような教え方であったとしても、それは勉強嫌いな人が増えているという事実と矛盾しません。」
とは結局、その「いい教え方」を以てしても、「勉強嫌いな人が増えている」と言うことになりませんか。言い換えれば、その「いい教え方」だけでは、「勉強嫌いな人が増えている」、その原因には影響し得てない、「勉強嫌い」な人たちを解消する根本的な解決にはなり得ていない、と言うことになりませんか。
「学校の先生、特に中高の先生は、ほとんどの先生がつまらない授業をする」
その原因の多くが、小学校の授業のあり方や、知育や詰め込みに偏った「学習」指導(「勉強」指導の欠落?)なのではないでしょうか。多くの子どもたちは、「楽しい勉強」を通して表面的な理解だけで、わかったつもりだけでほとんど身につけずに小学校を通り過ぎてしまいます。「中高の先生は、ほとんどの先生がつまらない授業をする」のではなく、小学校での「楽しいだけの中身のない授業」に慣らされてしまった子どもたちが、ついて行けていないだけではありませんか。
例え、どんなに「いい教え方」があったとしても、「楽しい勉強」などという幻想に振り回されてしまい、毎日のように量産される「勉強嫌い」な子どもたちに追いついていない、と言うことではありませんか。
No.9
- 回答日時:
もちろん、「楽しくなければ勉強じゃない」、「勉強は楽しくあるべき」です。
当然のことです。 ただし、その意味は、
「あなたにとって楽しい勉強であるべき」ではなくて、
「勉強が楽しいようなあなたであるべき」だと言うことです。
そこをはき違えると、昨今の学校教育のような状況にしかなりません。
ご意見を有り難うございます。
「勉強が楽しいようなあなたであるべき」とはどういう意味でしょうか。
また、既に勉強嫌いになってしまった子どもを、どの様に「勉強が楽しいようなあなた」に変えてやれるでしょうか。
さらに、「昨今の学校教育のような状況」tおはどの状況のことで、回答者様はそれをどの様に受け止めていらっしゃるのでしょうか。
No.8
- 回答日時:
最初から最後まで楽しい教育はありませんね。
楽しいってのは、教える内容に関係なく楽しいのはただの遊びですし、教えること主体なら、楽しさは、わからない→理解、難しくてできない→理解してスラスラできるようになるってところが楽しさになります。今の指導要領は、教えることを止めています。個性を大事にして、したいことから見つけさせる。だから、進まないこは進まないままで、理解格差が生じる。両親揃って楽しい家庭は、親が社会見学的なことを休日にしたりして、発見を多く体験させます。しかし、これだけ離婚が増えて、仕事に忙しい親元だと、子どもは一人でスマホを触るだけ。
コミュ障だと学習能力は低いです。学ぶって、いろいろなひとから教えてもらわなくてはいけませんから。
ご意見有り難うございます。
「最初から最後まで楽しい教育はありませんね。」
仰る通りだと思います。ところが、「楽しく勉強するべきだ」との考え方は、ほんの少しの辛さすら否定してしまいがちです。そのせいで、子どもに「勉強」させることができない教員や保護者を生みだしてしまっている様に感じています。
「個性を大事に」し過ぎて「今の指導要領は、教えることを止めています。」
には、少々、違和感を感じます。今の指導方針は、教育先進国のスウェーデンなどを参考に主体的な学びを取り入れようとしたものだと理解しています。この方針自体はよいのですが、現場や教師たちがそれについて行けていないのではないでしょうか。技術的にも実力的にも意識的にも大きな変革が必要だと考えます。理解較差が広がっているのは、これまでの矛盾の蓄積と、現場の混乱(自主学習ノートを取り入れれば主体的な学びをさせることができるなどの誤解)のせいだと考えます。
「両親揃って楽しい家庭は、親が社会見学的なことを休日にしたりして、発見を多く体験させます。しかし、これだけ離婚が増えて、仕事に忙しい親元だと、子どもは一人でスマホを触るだけ。」
仰る通り、家庭教育や家庭環境は重要だと思います。
ただ、昨今、取りざたされることが多い「体験較差」と言う考え方に、私は反対です。「体験較差」で問題にされるのは、金を払って塾や習い事教室などでさせる非日常体験が主だと思いますが、私は、家庭の中で親子が共通で積み上げる日常体験こそ重要だと考えています。たとえば、スマホのゲームであっても親子で感想を話し合ったり、他のゲームと比較してみたりすることで、子どもたちの様々な能力や資質が育ちます(けしてスマホのゲームを勧めているわけではありません)。学力はそれらの資質や能力の上に成り立っていると考えます。塾や習い事教室などに金を払ってさせる非日常的な体験は、それらの日常的な親子の共通体験の時間を奪ってしまうので、むしろ逆効果であると考えます。小学校で習う科目や単元のほとんどは日常生活で身につけるべき、身につけることができる、ことばかりです。一つ一つの日常の生活体験を大切にしていけば、充分な学力をつけることもできるはずなのです。
No.7
- 回答日時:
ツッコむようですけど、AIには学習させるが正解だと思います。
犬にも学習させるが正解です。ここに自発性はないです。
成功すれば犬は学習した、になるわけです。
ちなみに勉強は『無理してでも努力する』とか『意欲をだして取り組む』という意味に近く、自発性主体です。
師匠、勉強させてもらいます!ですね。
学習させてもらうは不適当です。
ムリをして努力するためには、一定の楽しさや興味、報酬などがなければ駄目だよねっていうのが、『楽しくなければ勉強じゃない』の意味です。
つまり強制を強いられて、努力をするより、自発性に従って無理してでも学習に取り組む努力をしてしまうようにしますよってことです。
ご意見有り難うございます。
お言葉を返すようですが、、、
AIは自ら学習することができます。と言うより、自ら学習するからこそAIの存在価値があるのです。学習させられただけでは、これまでの大規模データベースと基本的に変わりません。また、イヌなどの動物であっても、自ら学習し、単純ではあるものの学習に基づいて論理的思考を行うことが知られるようになってきています。
「師匠、勉強させてもらいます!」の意味は、「辛いことがあっても途中で投げ出したりせずに学ばせてもらいます。修行させてください。」などの意味ではないでしょうか。また、その様に師匠に頼み込むのは、何も目的もなく自分の興味を関心を見たすためだけでしょうか。ほとんどの場合、師匠に習ったことをもとに自立する、などの目的があるのではないでしょうか。師匠について勉強することはそのための手段なのではありませんか。
「ムリをして努力するためには、一定の楽しさや興味、報酬などがなければ駄目だよねっていうのが、『楽しくなければ勉強じゃない』の意味です。」
これもまた少し無理がありませんか。一定の楽しさや興味、報酬は、「勉強」自体がそうである必要ではなく、「勉強」したことによって得られる目標や目的があれば良いのではありませんか。また、「勉強」自体に楽しさや興味があるのなら、それは「勉強」ではなく、むしろ「学習」と呼ぶべきだと考えます。
質問文をよく読んで頂きましたでしょうか。
「つまり強制を強いられて、努力をするより、自発性に従って無理してでも学習に取り組む努力をしてしまうようにしますよ」
私は「勉強」を習慣化によって「学習」に変えていく体験を子どもたちにさせるべきだと考えています。そんな体験のうち、最初のいくつかは、ある程度の強制力も必要だと考えています。
「勉強」や「学習」の定期や意義も重要ですが、「勉強」は心を鍛えるもの、「学習」は頭を鍛えるもの、と区別して子どもたちに教えたり、指導した方がメリットが大きいとは思われませんか。
No.6
- 回答日時:
>補足をご覧ください。
確かに。私が見てなかったね。
>「勉強は楽しくあるべき」と言う〜その実効性はいかほどでしょうか。
私の親や高校の先生がそうでした。効果があった例として挙げます。
分からないところを聞くと、めちゃめちゃ筋道立てて分かりやすく説明してくれて、さらにその知識がどう社会で生かされているのかなども教えてくれて、自然とその分野に興味を持てるように教えてくれました。
ご意見有り難うございます。
私は伺いたい実効性とは、その方がどれくらいの割合で効果があるか、その割合のことです。これが5割を遙かに超えるようであれば、勉強嫌いの子どもたちはどんどん減少することになりますが、現実はそうではありません。むしろ、学年が上がるごとに増えてきている、またさいきんになってさらに増えているとのレポートもあるようです。
No.5
- 回答日時:
>辞書などで言葉を調べるときは〜
もちろんですよ。
ただ、「例え嫌であったり辛くとも行うこと」を趣旨するような説明がある辞書は1つも見当たりません。
>勉強嫌いの子どもたちに、どのように勉強の楽しさを教ればよい?
端的な言えば2つです。
・教える側(親や先生)が、勉強している姿を見せること。
・教える際に、楽しそうに、かつ褒めながら教えること。
この2つです。
ご意見有り難うございます。
「『例え嫌であったり辛くとも行うこと』を趣旨するような説明がある辞書は1つも見当たりません。」
補足をご覧ください。
「強いる」、「無理にでも」の意味についてはお解りですよね。
「端的な言えば2つです。
・教える側(親や先生)が、勉強している姿を見せること。
・教える際に、楽しそうに、かつ褒めながら教えること。」
「勉強は楽しくあるべき」と言う「勘違い」をされている方々が一般に行われる方法ですね。その実効性はいかほどでしょうか。
「理想」と「現実」、乖離していませんか。
No.4
- 回答日時:
勉強、とくにテストが、面白くて大好きでした。
今でも、チャンスがあれば勉強しています。楽しいです。知らなかった事を知る事が出来た事が無性に嬉しいです。
知らない事には、何で?何で??という思いが止みません。
嫌いな人は何で嫌いなんでしょう????
学校の先生は、勉強が楽しく思えるような授業をするべきです。子供が成績が悪くて塾に行ったら、先生の負けです。
受験の塾は別です。
ご意見有り難うございます。
「勉強、とくにテストが、面白くて大好きでした。知らなかった事を知る事が出来た事が無性に嬉しいです。」
これも「学習」だと思います。
「勉強が楽しく思えるような授業をするべきです。」
「勉強が楽しく思えるような授業をする『方が良い』」という意味であれば賛成です。しかし、「勉強が楽しく思えるような授業を『しなければならない』」であれば賛成しかねます。私がそう考える理由は、質問文を再度、ご覧ください。
「子供が成績が悪くて塾に行ったら、先生の負けです。」
現状はほとんどがその様な状態です。
これはあなたの「理想」と、「現実」が乖離しているからではありませんか。
No.3
- 回答日時:
> 本来、「勉強」とは「勉(つと)めて強(し)いる」の意味ですから〜
べん‐きょう〔‐キヤウ〕【勉強】
[名](スル)
1 学問や技芸などを学ぶこと。
2 物事に精を出すこと。努力すること。
3 経験を積むこと。
4 商人が商品を値引きして安く売ること。
がく‐しゅう〔‐シフ〕【学習】
1 学問・技術などをまなびならうこと。
2 学校で系統的・計画的にまなぶこと。
3 人間も含めて動物が、生後に経験を通じて知識や環境に適応する態度・行動などを身につけていくこと。不安や嫌悪など好ましくないものの体得も含まれる。
4 人工知能(AI)がデータを読み込み、基準や規則性などを見つけ出すこと。→機械学習
weblio辞典より。
そういった意味はないようですよ。
勉強は嫌でもやるものとか、学習は自発的とか、それらは国語的にはそういった定義はありません。
個人的な意見を述べると、勉強は楽しくあるべきですよ。
勉強することの楽しさを知らなければ勉強したいとは思いませんし、すなわち親や先生は勉強の楽しさを教えるべきです。
ご意見有り難うございます。
本文中で「勉強」の字義について説明しています。
また、辞書などで言葉を調べる際には、いくつかの辞書に目を通されることをお勧め致します。「勉強」の意味をただ単純に「学問や技芸などを学ぶこと。」ではなく、「学ぶことに励むこと」などの意味の説明がなされている辞書もあるはずです。
「勉強することの楽しさ」はまだ理解できます。ただ、「勉強は楽しくあるべき」と言い切ってしまうと、他の意味まで生まれませんか。「勉強嫌い」の子どもたちに、どの様に「勉強の楽しさ」を教えてやれば良いでしょうか。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 仕事術・業務効率化 効率的な勉強方法(分野問わず)を教えてください 1 2023/08/16 01:33
- 高校 成績低下の原因と対処法 6 2023/09/16 19:10
- 児童福祉施設 大学生になっても中学生の多いところに… 5 2025/03/15 08:09
- 運転免許・教習所 車(AT)の学科本免試験を控えているのですがいまいち勉強の仕方がわかりません。 周りは効果測定や仮免 2 2024/03/02 22:02
- 転職 私は現在25歳で男性です。 英語、登録販売者(ドラッグストア勤務)に興味があります。 下記2つが夢で 2 2025/04/10 13:23
- 中学校 中2女子です。私は最近医者を目指したいと考えているのですが、目指す上でいくつか知りたいことがあります 10 2023/05/09 03:43
- 大学受験 至急 親は受験の大切さを分かっていません。 自分は家庭学習が全く集中できずできません。 その為塾に行 8 2024/05/29 22:10
- 高校受験 受験勉強について 5 2024/01/08 15:56
- 中学校受験 中3、勉強について。 4 2024/08/04 15:59
- その他(悩み相談・人生相談) 教えて!goo 6 2024/12/17 07:01
関連するカテゴリからQ&Aを探す
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
「楽しくなければ勉強じゃない...
-
幼稚園で2回トラブル、小学校に...
-
小学校の警備員は用務員ですか...
-
家庭訪問や個別懇談について 小...
-
保護者から手紙を返されました
-
小3の子どもの個人懇談に行って...
-
ランドセルは要らないと思いま...
-
外から流入する匂いについて 窓...
-
かけ算の順番などの不毛な議論
-
小学校教員の不足は、2035年頃...
-
太りったこ用の小学制半ズボン...
-
ごんぎつねで指導したいこと。
-
今の女子小学生や中学生は結構...
-
双子のきょうだいの場合、学校...
-
子供のイベントがある日が幼稚...
-
なぜ小中学生の女の子ってキラ...
-
不登校小5息子のいる母です。半...
-
街を歩いていて
-
小学生の算数の問題です。 図の...
-
かわいい 子供時代 小学生時代
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
保護者から手紙を返されました
-
新学期クラス替えひとりぼっち...
-
双子のきょうだいの場合、学校...
-
小学生の算数の問題です。 図の...
-
算数 のみ別教室でと伝えられた
-
小学4年生 娘 片付けをしない
-
小学校の教育実習について 来年...
-
子供の宿題について 4月から小2...
-
【小学校】小学生の入学式の日...
-
制服のある公立小学校ってどの...
-
今の女子小学生や中学生は結構...
-
小学四年生の算数
-
街を歩いていて
-
ごんぎつねで指導したいこと。
-
かけ算の順番などの不毛な議論
-
1+1+1+1+1+1=田
-
子供の登校班について 子供会な...
-
円周率
-
教師が、教育委員会に訴えられ...
-
4月から小学1年生と6年生になる...
おすすめ情報
すみません。間違っていました。
×「勉強」は人間の頭を鍛え成長させるもの、と言えるのではないでしょうか。
↓
○「学習」は人間の頭を鍛え成長させるもの、と言えるのではないでしょうか。
ご意見有り難うございます。
「勉強、学問が娯楽という人もいます。知る、考えることが大好き。」それこそ自発的な「学習」ではありませんか。「勉強」嫌いの子どもたちにその様な逸話を伝えたら、「ヤル気」を出してくれるでしょうか。幼い頃から「勉強」は嫌でもしなくてはいけない、と教えておいた方が「(イヤイヤでも)ヤル気」を出してくれるのではないでしょうか。
モーツァルトは家にピアノがなくてもピアノの天才になれたでしょうか。モーツァルトの才能も、生まれつきばかりではないと考えます。子どもたちの才能には環境の関わりは無視できません。幼い頃から「『勉強』は我慢すべきもの」の様に育てられたら、「精神崩壊」や「甘やかしすぎて勉強不足鍛錬不足で社会不適応引きこもり」になることも少ないのではないでしょうか。
「勉強」は辛くても我慢するもの、と教えることと、「勉強」を押しつけることとは違うと思います。
「勉強」の意味について
Oxford Languagesの定義 · 詳細によれば、、、
べんきょう
【勉強】
1.
《名・ス他自》
無理にでも(=強)努力して励むこと。
2.
仕事に精を出すこと。
「やあ、相変わらず―しているね」
学業・技能などを身につけようと努力すること。
「数学を―する」
今後、事を処するのに役立つ、身にしみる経験。
「今度の失敗は(いい)―になった」
3.
商人が品物の値段を安くして売ること。
「せいぜい御―いたします」
と言うことだそうです。