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学校卒業して教科書等を見直して勉強しなおす人を
見聞きしたことがありません。自分もそうだし。
これは学校の勉強が役に立たない証じゃないかと思うんですがどうなんでしょ?
役に立たないうえに面白くない。学校の先生が説明することを前提に作られている感じ。

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A 回答 (25件中1~10件)

でも、大学の教科書は結構見返したりするでしょ?



結局、ある程度専門的に勉強したことしか社会で使わないのだと思う。

理系の勉強をした人は高校数学くらいは頭に入っているから、
高校の教科書なんか見直したりはしないけど、大学で勉強した数学とかは
結構勉強不足だったりして見直したりする。
でも、別に「高校数学が必要ない」というわけはない。
そんな感じじゃない?
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NO23追記


慣れた人の場合は「初心に、戻れ」ではないが。見直す人も。見直す必要も感じるかもしれません、最初に習った内容を別の観点から見直ば・・・?、
まったく新しい発想も・・・・?
馴れて、体が覚えてしまった(条件反射)人はそんな必要を感じません。
これが
>これは学校の勉強が役に立たない証じゃないかと思う
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車の運転でも


最初はエンジンの始動の仕方、走って、曲がって、止まるまですべて教わります、習います。
ペーパードライバーの場合はどうか知りませんが。
常に車使用している人、改めてそれを習うことはしませんね。
十分に馴れています、特に何を考えるまでもなく、一種の条件反射で体が動きます。
現役時代の新人研修
講師曰く、「そろそろマージャンにも【なれ】、仕事にも【なれ】たところでは・・・」実はこれ、大いに皮肉なんです。
最初の【なれ】は慣れ、あとの【なれ】は馴れ、なんでした。
もちろん理想としては逆ですね、仕事に慣れ、麻雀には馴れで十分。
質問者の場合【慣れた】がないから、こんな質問が可能に・・?。
馴れて、条件反射のように可能になれば、今更初歩の初歩を見直す必要はありませんね。
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教科書を見返す人も居ます。


教科書を見返さなくても、新しい物を買い直す人も居ます。
あなたの周りに居ないだけです。
役に立つ事もあります。
面白いかは先生次第ですね。
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>学校卒業して教科書等を見直して勉強しなおす人


>学校の勉強が役に立たない証
違いますよ。
社会に出て働いたら、その必要を感じないからですよ。
>役に立たないうえに面白くない
それは自分の成長ができていないか、実感するほど学習していないから・・・
現に君は、お礼も出来ないでしょ?
それは成長していない証です。
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必要であるが、十分ではないという事です。



「それだけでは役に立たない」

と言う表現が正しく、無くしてしまうと、脳に障害もってしまいますよ。必要十分条件と言う概念があります。最低限の必要条件しか満たしておらず、人々が幸福になるには十分ではないのです。

以下は長いので、興味があればお読みください。

●科学的な進歩における乖離

自分たちが習った勉強内容は、すべて過去の人間が考案したものです。例えば、三次方程式の解の公式についてネットで調べてください。その式の複雑さと、時代を確認すると良いでしょう。

1,545年と言う年が出てくるはずです。

●人々の生活レベルと知的レベルを一緒にしない事

この頃に(こんな)難しい考案がされていたという事です。という事は今流行りの「異世界に転生して中世文化の中で、一般現代人の知識で無双する件」が荒唐無稽(異世界の現地人の方が、自分の限界より高度な数学を解いている可能性が高い)であると分かるはずです。つまりそんな小説を書いてしまえるだけで、勉強が苦手な人だと露呈する訳です。

学校教育の中で教えている内容は、16世紀以前の内容が殆どであり、良くて20世紀初頭です。

●実践応用と言う観点での乖離

道具として使うための実践教育が十分では無いでしょう。知識は16世紀であっても、日常で使える物は使うべきでしょう。しかし、クイズに答える様な話ばかりになり、役に立ったという快感を育てていません。。おそらく、実験主体にカリキュラムを組んでしまうと、時間が足りないからですね。

つまり「実験主体の教育に転換する大学院」まで行かないと、本当の教育を受けていないという事になります。

●育成という観点での乖離

育成の本質は「脳の成長に合わせて感覚を芽生えさせる」「面白いと感じさせて自発的に取り組ませる」の二つの目的があります。未成年には前者の比重が高いです。特に幼少期は色んな脳内感覚が作られる時期なので、体感で感じられる遊びをしませんと、脳が未分化のままとなり、障害を残します。

●脳の成長時期は決まっているので、うっかりすると?

これは科学的に明らかなので、親御さんの指導によっては、脳内に欠陥を持つ子供も出来ます。「脳にとって必要な遊び」と言うのがあるので、ご両親は気をつけましょう。平衡感覚を育てることが出来ず、朝礼で真っすぐ立っていられない子供が増えているそうです。これは障害の一つでしょう。

●人格の成長と言う観点での乖離

脳の遺伝的、医学的な欠陥で生じる障害を「発達障害」と言います。一方で教育上でのミスで生じる障害を「人格障害」と言います。両者ともに「家族の正しい育成」によって発症を抑えられる(場合もある)そうです。つまり、皆さんが学校生活や家族との関係において、自由選択をし過ぎると、障害を受けるという事です。

「人格障害は成人してから発症する物が多い」

●暴動が起きそうなので内緒にしていること

「6歳くらいまでの親の接し方で子供の人生は詰んでしまう」

親御さんにとっても忙しいし、負担が大きい時期ですが、生物の脳を扱っているわけですから、そういった事情を考慮してくれません。「親御さんが楽になった頃に手遅れになっている」物です。焦って塾に通わせるご両親も多いでしょう。しかし、その時期は遅いのです。

●育成の順番で要点を抑える

余計な部分で手をかければ親がつぶれます。なので、大筋で「これで大丈夫」という要点を抑えるのが大事です。この要点とは「この時期はこれをさせる」と言う物です。

●3歳までの重要な課題

母親のスキンシップと無常の愛。理屈なく可愛がることが大事だそうです。なので、3歳に達する前は「大人の理屈で叱らない」「父親を遠ざける」のがポイントだそうです。特に、いないいないバー。子供を振り回してあげる(体の揺らぎを楽しむ)等は、「目に見えなくなっても存在している」「平衡感覚」等、大事な脳機能の成長に役立ちます。

●3歳頃の重要な課題

自然に触れあって、自然と遊ばせる。ここでは両親が交代で監視し、危険から守ります。男親が活躍する時期です。木々や虫と遊ぶ、工作等を一緒にする等を行います。女性によっては苦手なので、男親が担う場合が多いでしょう。自然と自分。自然物から工作が出来ると示す。やり方としては、両親の手伝いをさせるという教え方がとても重要です。

●4歳から6歳において大事な事

親以外の年上の子供と遊ぶようにします。ここでは同じ年頃の子供だけでは駄目です。必ず、少し年上の子供、少し年下の子供を一緒にして、年上の子供が親の代わりに面倒を見るという「エコシステム」を作ります。また、構成メンバは「3歳までに同じ教育をされている(つまり前述の話を実践されている子供)子供たちを選ぶ」のが重要です。自分と同じ指導を受けていて、更に上級者の子供(先輩)が他にいると知るのが大事です。

●物心がつく6歳頃の大事な事

ここでは同等の相手(友達)を作り、年上が介入しない空間を作ります。教育指導の差により、力の違いを知ります。この中での葛藤は自己解決が望ましく、親は自分を抑えないと行けません。同期に教えてもらうという自然なコミュニケーションが生まれます。これにより解決できることが増えると、子供は親を頼らなくなり、自立していきます。子供の喧嘩は(危険な場合だけ両者を叱り)親が口出しをしては行けないのです。兄弟げんかであっても、そういう時期になります。

●子供の喧嘩はとても大事な学びである

子供は、喧嘩の後も付き合いが続くという事を知り、悩むでしょう。そして、仲直りが生じます。その中では(勝った子供から)「種明かし」「ノウハウの開示」が起きます。戦って負けても、仲直りすると、自分が強くなるという「ご褒美感覚」を子供は知るのです。これを体験していない子供は「負けること」を病的に怖がるようになります。

●特技を二分してしまう教育

情操教育と言う物があります。その中で音楽は体力面で強い子供を作り、絵画は知性面で強い子供を作ります。前者は体内の活動(リズミカル)を教えるわけです。後者は「詳細な観察と再現」を教えることになります。どちらも大事です。頭の良い子供は絵画を習った経験があります。ここは必ず覚えておくべきです。

●戦術や戦略を教える

小学校の高学年くらいに成ったら、将棋や囲碁を教えます。これは「同等の条件であっても、勝敗が変わる事」を学ばせます。状況を把握して、選択をしていく。それにより展開が変わっていく流れを教えるのです。この指導をやっていない子供は「初期条件が強い方が強い」と感じてしまい、やる前から負けると感じたり、やる前に勝てると侮ります。その状態で正しい教育を受けた子供と争えば、想定していない負けを経験し、理由が分からないという状態になります。これがトラウマになり、人生が暗くなる人が多いんです。幸福に結びつく物なので必ずやらせましょう。

●将棋や囲碁、チェスの重要性

経営者や政治家などで成功した大人は必ず(日本では)将棋や囲碁を学んでいます。また、海外の先進国でも必ず、それに相当する遊戯があります(チェスなどもそう)。

●教育の本質

結局は、年齢に合わせて、遊びの環境(危険ではない場所。構成メンバの確保)を整え、遊びを教えるだけです。最初は大人が付き合い、後は子供たちを見ているだけです。ここで重要なのは成長年齢に合わせた、遊びの順番を間違えないこと。どこかにぬけが生じないlこと。子供の喧嘩に介入しないことです。

●現代の育成が大変な理由でもある

少子化が進み、やり直しが効かない現代では「子育てが負担」であり、「面白くなくなるの」は当たり前です。とはいえ昔に戻るのはナンセンスですから、一回の成功率をあげるべきです。そのため「良家の子女」だけが受けていた教育ノウハウを、情報共有で皆が実践するべきです。

「親は無くても子は育つの本質は、人間と言う生物には、
 脳が成長する行為が決まっており、これをよく知って
 いる人が保護者でいれば、何と出でもなるという意」

●毒親の存在

子供から見て異常を感じる親は、何らかの人格障害です。この罪は祖父や祖母にあります。親が適切に子供を育てていれば、その子供が親になった時も、同じことを繰り返すはずです。そういう連鎖により、私達の現代社会は持続していたのです。しかし、ここでミッシングリンク(手を抜いた親がいた)が生じ、そのミスが世代を超えて拡散することがあります。

「子育てに関してだけは自己流は危険。また、忙しい状態
 は将来に禍根を残す」

正しい知識、余力のある環境、これらの準備が必要です。

●育児休暇は親の知識まで補填しない

これまで述べた通り、親の指導には繊細で決定的な順番が存在します。この知識がない親が、どんなに育成時間を確保しても、子供は障害を受けてしまうのです。

●まとめ

殆どの人の記憶は、物心がついた6歳以降です。ですので、それ以前の決定的な瞬間で、どれだけ親が手を抜いたのか記憶にないんです。大人が間違えるのは「友達が登場する6歳以降」に問題があるのではと思い込むことです。実はこの時期は手遅れであり、その前がカギです。現代では、パニックを起こした大人たちが「友達」や「平等」、「平和」を求めます。こういう衝動が強い人は、親が必ず手を抜いています。その欲求は正しい子育てをされた人には生じません。つまり障害の一つなのです。自分の能力や性格的欠点を感じている人は、「これやってないぞ?」をチェックしてください。

以上、ご参考になれば。
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それはあなたの環境が貧しいから。

数学や歴史、物理などは私の周りには結構教科書を読み直している人はいますよ。「学び直し」は楽しいだすよ。意味を知らず学ばさせられるのと、その意味を知って学ぶのは全然楽しさが違いますからね。
 人間一生勉強ですよ、まあ学問なんか所詮娯楽の一種ですけどね。
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>教科書等を見直して勉強しなおす人


雅に言われたことしかしない、できない非tpがやるだけのことなんです。
70歳過ぎの高齢者、「勉強の仕方が間違ていることに気づくのが襲すぎた」、気づいたのは70歳過ぎてから。
曰く、習った内容を他人に説明しようとすれば。習った内容の中に自分なりの「なぜ?」を見つけ、自分でそれを突き止める必要がある。
そうすればコピペ丸投げの知識ではなく。自分自身の知識としていくらでも応用して外部に発信できる。質問されても。自分で応用して考える子tができるので十分回答も可能になる。
多分、質問者はそれができていないだけでしょう。
習った内容を元に自分のためにかゆ用、応用して、自分の知識にすることができていないだけ?。
レゴブロック、幼児の遊具
多くのパーツを自分の発想で組み立て、何種類もの形が作れます。
学校で習うのは、そのパーツの形と、数種類の完成形だけなんです。
それだけ記憶して、作れるのはそれだけ!ではちっとも
面白く遊べる遊具ではありませんね。
それとほとんど変わっらないことをやっているだけなんですわ。
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>学校卒業して教科書等を見直して勉強しなおす人を見聞きしたことがありません。


世の中には「大人のための教科書」とした書籍が多数刊行されています。
このように学校教育の教科書を見直したいという需要はそこそこ大きなものであると推察されます。なかには学校教育のための教科書をほぼそのまま(価格は改定して)販売しているものもあります。

>これは学校の勉強が役に立たない証じゃないかと思うんですがどうなんでしょ?
>役に立たないうえに面白くない。

私は断言します。「学校の勉強が役に立たない」と言う主張は、学校の勉強を役に立たせる能力が無いからそう主張するのだと。
そして、学校の勉強は"常に"役に立っている必要は無いのです。むしろ、そうであることのほうが多いでしょう。でも、あるとき、ある瞬間にひょこっとその役立たせられる機会が訪れる。

>学校の先生が説明することを前提に作られている感じ。
これは実は正しい。
日本の教科書はそれ一つで完結するように作られていません。
なぜなら「学校で使用されることが前提」だからです。
それをもとに網羅的だが必要最小限で、重要項目に焦点を当てたものになっています。それはときにそっけない印象を与えるでしょう。
これをアメリカの教科書のように全てを盛り込み、それだけで生徒が学習を進めたり批判的な見方をしたりできるような教科書にすると、あの厚さ、あのねだんでは納まらないことになってしまいます。
日本の高校の理科の教科書は高いものでも1500円ほどですが、アメリカのものだと20000円前後します(だから購入ではなく貸与になることが多い)。

最後に
>本当の世界の広さは誰にも判らないほど広いのだ。それを人間は……魂ある存在は、己の常識や、知識に当てはめて知ったつもりになる
>それらの闇を払うには、教育が必要だ。しかも、教育がより重要である理由は“教育が重要であるという事実”も教育がないと理解されないという点にある
橙乃ままれ『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』より
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学校の勉強は役立つこともあるし、教科書を読み返すこともありました。


他の学年の教科書(数年前のとか)自分のと比べたりしていました。取り上げられている内容や見方が違っていたりして面白かったですね。
また、家庭教師的なことを一時やったときに、どういう内容だったか見直したことがあります。
自分にとって教科書も家電の説明書も覚える物でなく、参考書や辞書みたいな物で、一旦目を通したらインデックスを付け、必要なときに見返す物でした。
実社会においても、必要に応じて検索する・近道を考える・時間の短縮を考える・損得を考え比較し選択する基本になっていると思います。教科書なしでは壁にぶつかる頻度が高かったのかもと感じていますが、もっと役に立つ教科書があったらとも思うこともあります。覚えられる才能があったら見返すことなかったかもです。
今からでも、見直す機会あったら、当時気づくことの出来なかった何かを感じるかもですね。
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