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過去の質問で、どうしてもBAを選べなかった質問の再質問その3です。

私が発見した人生の法則は以下のとおりです。

人生の第一法則
・人は生きるために生きている。

人生の第二法則
・理性は心に操られ、心は本能や幼少期に叩き込まれた倫理観などに縛られている。

人生の第三法則
・人は他人の経験から学べない。

人生の第四法則
・種の保存則は第一法則を破壊する力がある。(表現は練り練り中)

人生の法則が以上で終わりなのか、第五法則があるのかわかりません。
第五法則はあるのでしょうか?

なにがなんでもBA選ぶつもりなので、おBakana Answerを選ぶかもかもしれないですが、悪気はないので、悪しからず。

質問者からの補足コメント

  • 独自のお考えの披露や、批判的な回答が非常に面白かったのですが、
    質問にストレートに回答するなら、そんなものはない、又は、第五法則の披露ということになると思いますので、その中からBAを選びました。

    皆様、真摯に回答していただき、ありがとうございました。

      補足日時:2025/05/31 17:19

A 回答 (5件)

精神を安定させることが得意な人は


人生を長くし
精神を安定させることが不得意な人は
人生を短くする
とか

食欲が無くなれば、人生も無くなる。
とか

人は矛盾を感じ、死に抗いながら生きている。
とか

人は他の動植物と違い、理性と教養を用いて
倫理と文化を築く
とか
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人生の法則とか、そういう発想は好きではないけど、もし挙げるなら


・人は未来を見通せない状態で決断する
をあげるかな?

で、アシモフのロボット工学3原則のように、優先順位最高が第一法則になるように並べると

第一法則
・人類という種を保存する。
第二法則
・人は生きるために生きている。
 (人は、自己の利益を最大化するよう行動する。)
第三法則
・人は未来を見通せない状態で各種の決断をする。
第四法則
・理性は心に操られ、心は本能や幼少期に叩き込まれた倫理観などに縛られている。
 (人の価値観は各人で異なる。)
第五法則
・人は他人の経験から学べない。
 (人は、自分に不利な事実を無視する。)

というように、順繰りに順位変えるし、文章も変更する。
 ()の文章で、当初と同義と思う。

人生の法則のような発想が好きではない理由は
・種の保存則は第一法則を破壊する力がある。
という部分にあって、
これ、論理的には
・集団の利益は個人の利益に優先する
と同義。
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■ 「人生の法則」への論理的批判



□ 人生の第一法則: 人は生きるために生きている。

論理的批判: これはトートロジー(同語反復)であり、経験的な内容を含んでいません。「AはAである」と言うのと同じで、それ自体は真実ですが、人生の複雑な側面を説明する法則としては機能しません。なぜ生きるのか、どのように生きるのか、生きることにどのような意味を見出すのか、といった問いには答えていません。観察から導かれる「法則」というよりは、前提条件の言い換えに近いです。

□ 人生の第二法則: 理性は心に操られ、心は本能や幼少期に叩き込まれた倫理観などに縛られている。

論理的批判:

曖昧な定義: 「心」という言葉の定義が曖昧です。感情、無意識、価値観など、何を指すかによって解釈が大きく変わります。

単純化のしすぎ: 理性と心(感情や本能)の関係を一方的な支配関係として描いていますが、実際には相互に影響し合う複雑なものです。理性が感情をコントロールすることも、感情が理性的判断を促すこともあります。例えば、認知行動療法は理性を活用して感情や行動パターンを変えるアプローチです。

決定論的すぎる: 「縛られている」という表現は、人間の自由意志や成長・変化の可能性を過小評価している可能性があります。人は過去の経験や本能に影響を受けますが、それを自覚し、意識的に乗り越えようとすることも可能です。

□ 人生の第三法則: 人は他人の経験から学べない。

論理的批判: これは経験的事実に反します。私たちは歴史、教育、他者の助言、物語、科学的研究などを通じて、他人の経験から多くを学びます。もしこの法則が真実なら、文明の発展や知識の継承は不可能でしょう。「直接的な体験ほどには学べない」あるいは「感情的な理解は伴いにくい」というニュアンスであれば議論の余地がありますが、「学べない」と断言するのは誤りです。多くの人は、他人の失敗談を聞いて同じ轍を踏まないように注意したり、成功談からヒントを得たりします。

□ 人生の第四法則: 種の保存則は第一法則を破壊する力がある。(表現は練り練り中)

論理的批判:

概念の不明瞭さ: 「種の保存則」が具体的に何を指すのか、また「第一法則を破壊する」とはどのような状態を指すのかが不明瞭です。第一法則自体がトートロジーであるため、それを「破壊する」という概念もまた曖昧になります。

解釈の余地: もし第一法則が「個体の生存」を指し、種の保存則が「子孫を残すために自己を犠牲にすること」を含むなら、確かに両者は対立し得ます(例:親が子を守って死ぬ)。しかし、第一法則が単に「生きるという現象そのもの」を指すのであれば、種の保存もまた「生きる」という大きな枠組みの一部(遺伝子レベルでの生存戦略)と解釈することも可能です。

法則間の関係性として、「破壊する」というよりは「優先される場合がある」や「葛藤を生む」といった表現の方が適切かもしれません。

□ □ 皮肉を込めた人生の第五法則の提案□ □

人生の第五法則: 人はこのような「人生の法則」を考え出すことで、複雑で不可解な人生を理解した気になりたがる生き物である。そして、その法則が不完全であればあるほど、悦に入りながら新たな法則の探求という名の迷走を続ける。

解説 (皮肉のポイント):

提示された法則が持つ、ある種の断定的な響きや、人生を単純化しようとする試みそのものを皮肉っています。

「法則を発見した」という自己満足感や、その探求行為自体に意味を見出してしまう人間の性を揶揄しています。

「不完全であればあるほど…探求し続ける」という部分は、法則の不備がさらなる法則探求の(しばしば不毛な)ループを生むことを示唆し、ご自身の「第五法則はあるのでしょうか?」という問いかけにも、ある意味で答える形になっています。
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>第五法則はあるのでしょうか?


死ぬために人は生きている。
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参考:【十界】



◆生命状態を十種の境涯に立て分けたものを言います。※⇒法華経
これをベースに、天台大師(智顗:中国)は『一念三千法門』を説いたのです。


・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。
⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。
⇒以上、四悪趣
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。
⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁覚界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。
⇒声聞、縁覚二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

お礼日時:2025/05/30 04:43

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