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以前「犬にかまれる」の「に」の用法を教えてくださいという質問をしたところ、

「に」は収束、という感覚を持っている。
動作の対象(足)を空間的に位置付けている。

というご回答を頂き、また別の質問を見ていたところ、上記に付け加えて

格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けのに認識を表し、静的な対象認識、移行の結果としての位置付けの認識を表します。

という説明を見つけました。
これらの3点

収束という感覚を持つ。
時間、空間的な位置づけの認識を表す。
静的な対象認識、移行の結果としての位置付けの認識を表す。

によって、下記のすべての項目の説明がつくのでしょうか。(こちらも回答の中からコピーさせていただきましたが、GOO辞書にあるものと同じです。)

「に」[格助]名詞、名詞に準じる語、動詞の連用形・連体形などに付く。
1 動作・作用の行われる時・場所を表す。   「三時—間に合わせる」
2 人・事物の存在や出現する場所を表す。   「庭—池がある」
3 動作・作用の帰着点・方向を表す。  「家—着く」
4 動作・作用・変化の結果を表す。 「危篤—陥る」
5 動作・作用の目的を表す。  「見舞い—行く」
6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。  「友人—伝える」
7 動作・作用の原因・理由・きっかけとなるものを示す。 「あまりのうれしさ—泣き出す」
8 動作・作用の行われ方、その状態のあり方を表す。  「直角―交わる」
9 資格を表す。…として。  「委員—君を推す」
10 受け身・使役の相手・対象を表す。 「犬—かまれた」
11 比較・割合の基準や、比較の対象を表す。 「君—似ている」
12 (場所を示す用法から転じて、多く「には」の形で)敬意の対象を表す。 「先生—はいかがお過ごしですか」
13 (動詞・形容詞を重ねて)強意を表す。「騒ぎ―騒ぐ」 「騒ぎ—騒ぐ」
14 「思う」「聞く」「見る」「知る」などの動詞に付いて状態・内容を表す。 「その記憶に思いを馳せる」
15  比喩(ひゆ)の意を表す。

よろしくお願いします。

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A 回答 (10件)

認識づけ、→色づけ、の「づけ」と同じ意味と考えると・・・・・。


真っ赤な、車を描きした。
「色付けしなさい」と言われました、自分が得買いたので赤。と判断できますね。
他人が描いたものだと、色は不明です、輪郭だけでは。
赤い、車に「色付け」・・・・・
認識付け→色付け、では何の意味もありません、どういう風に?=赤色に。
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> 「犬にかまれる」の「に」の用法を教えて



このURLのPDFのP16/23の説明も参考になると思います。
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221 …
"ニ格"は〈動作に力点が置かれる受動文〉において〈直接的な関与者〉と特徴づけられる.
信長に滅ぼされる、オレオレ電話に騙される、雷に打たれる、猫に引っかかれる、中田に笑われる、彼女に泣かれる
雷の場合には〈動作〉と表現するのは不適切な気もしますが、風に吹かれる、波にもまれるも、擬似的には動作のようにも思えます。
確かに、この種の〈△△に○○〉の用法の場合には、△△(動作主体)と○○(動作受身的述部)では、受身述部の○○が強く意識されているように思われます。 「泣かれる」は受身なのか、ちょっと疑問ですが、
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自分なりにも一応納得とくできました。


空間の位置の認識、「に」がなくても認識可能、とい言ったところ慌てて「認識づけです」と訂正。
「認識づけ」、づけ?、される、ということになります、確かに間違いではないかも、論理としては?。
でも、本当に必要なのは、「どのように・・・、づけられるのか、これが本題になるんです。
「〇〇に・・」→「に」がなくても〇〇の認識は可能、認識付け・特に「づけ」られなくても・・・、そこに存在することは認識可能。
で、どの様に?、となれば・・・?どうでしょう?。
〇〇で・・・、〇〇へ・・・、〇〇と・・・・、〇〇を・・・、その他。
他の助詞の場合との相違を先に知る必要があります。
「に」の場合は、〇〇の持つ固有の特性に着目すべし、という示唆(認識付け)なんです。
そのうえで内容が理解できた結果から「・・を表す」といえる・・・が1から15の名用になります。
個人的にこれをどう表現するか?で使用したのが「収束」というだけです。質問者にとってより理解しやすいい言葉があれば、「収束」にとらわれる必要はありません。
※〇〇で・・・、〇〇へ・・・、〇〇と・・・・、〇〇を・・・、その他。
他の助詞の場合との相違
特に、「勉強する」と構えることなく、日常会話その他で蒸し器のうちに学習します、それゆえ明確な記憶としては残っていません。
それをどこまで自己文政できるか、その能力が必要になります。
アリストテレス曰く「数学に王道なし」
王様といえども日常生活その他(遊びに例える)で学習して得られる知識を他人からその場で簡単に教えてもらって取得できる方法(王道)はありません。
遊学という言葉があります、オックスフォードに遊ぶ→オックスフォードに留学、の意味でもあります。
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話変わるが生物学


分類額、と博物額があるそうです
分類学は、商物。動物、さらに分類して昆虫、爬虫類・・哺乳類
初期の段階では前人が分類した内容を知識として机に向かって詰め込むだけでも勉強可能。
博物学は、現物を見て分類上のこれにあたると見分けることが可能。
同じ分類でも環境その他の影響で外形が若干異なっても、可能なんです。勉強は机に向かって・・だけではだめですね、芸系が環境等で若干異なるもの二いつ出会えるかわかりません、常に対応可能な状態を保つ必要があります。
これも勉強の一環なんです。
ああ多がやっている1から15の事例は分類額と同じ。
実際に重要なのは日々毎日の生活の中で街頭する事例を日本語の感性として取り入れる、そうです毎日が勉強(学習といいます)。この姿勢が欠けているようです。
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空間的な位置の認識


これだけでは、位置情報といわれる座標なし、ですね。
「〇に・・・・」〇がその時占有している空間?とりあえず「此処」または「そこ」とすれば。それを認識する必要がありそう。
でも通常の人は、〇さえ認識できれば=〇がその時占有している空間も認識しているんです。
っして重要なのは。「此処」という空間の位置なんかより、〇、」経験で得た知識で。それが
どんなものか、どんな性質を持っているのか・・等を」思い出し、イメージできることのほうがはるかに重要なんです。空間の位置の認識、なんかどうでもよいのです。
とりあえず意識をその〇に集中する、他のことにとらわれる必要がない、それが収束、それを、示唆。暗示?」するのがあ「に」の役割・昨日なんです。
収束・拡散という感覚・・について、車のドライバーの目線。
アイカメラというどこを見ているか視野の中に表示できるカメラの映像を見れば。
初心者の目線は常にあちらこちら見つめる形で視線を動かしています。
最も解像度が滝黄斑で見ています。
収受儒者の場合、視線は遠くを見つめているかのように、中心付近で」動きません。でも神経は視野全体絵の異変が把握でいる状態にしています。
異変があれば即気づき、解像度f滝黄斑で見つめます。
この視野全体に意識を播張り巡らす=拡散
常に黄斑に焦点を結び、そこに意識を集中=収束
収束は応用して理解しやすいいです、どの位置にあっても〇という一点に収束していこう葉動きません。
拡散は、起点は天セスが。すでにそこから出て拡散(動き続けています)
無限という空間はなければいずれ停止もあり得ます。どういう結果になるかは「〇を・・・・」のみでは判断できません。
続く言葉で順次絞り込んでゆく必要があります、それを示唆・暗示?するのが「を」
汽笛一声新橋を早わが汽車ははなれたり・・・・
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>時間、空間的な位置づけの認識を表す。


これは説明者が論理にかなっていると思い込んでいるだけ
位置(づけ)の認識なんて無用、そもそも「位置づけ」とは具体的に何をするの?、空間といっても仮想空間も含むんです。
例 駅には時刻表が・・・・
  位置も位置づけも不要「駅」その位置(此処)にあるもの、それがわかれば位置なんかどうでもよいんです、本当に具体的な位置必要な場合は相手が具体名を示します、
「駅」
に意識を集中すれば・・・どうしますします、一般的な駅の様子・状況をイメージしますね、それで十分なんです、位置も、位置付けも不要なんです。同じ空間を、同じ時刻に、別のものが存在することはあり得ない。
したがって、そこに存在する駅を認識できれば、位置・位置付けの認識なんて不要、相当強度の発達障害の人の場合はどうかは知りませんが
「に」はなくてもイメージは可能なんです。
でも「に」があれば。それをすることで位置ではなく駅の存在を認識しろ、と受け取ります。
あとは、その状態のままで続く言葉を待て、多くのイメージのどの部分に・・、または何かの変化が・・・。
意識を集中してイメージを膨らませて待て、という暗示?示唆が「に」が持つ役割、働き・機能なんです。
続く言葉を待った結果理解できる内容が1から15までの。・・・を表す、という表現になります。
「に」単独ではなにを表すこともありません、しょせん「助詞」、単独では具体的な意味を持ちません。
「に」の感覚が収束、とすればその逆が「を」なんです。
「に」は収束とすれば収束の結果は一点になります、その後は動くことありません、したがってそれに意識を集中し続けるべし、のサイン?。
「を」は拡散。どこか一転から出て四方八方に拡散し続けます、収束のように停止することはありません、もちろん、範囲等の限定があれば、そこで停止しますが。
「拡散」が示す示唆は起点、動き続ける、ただし範囲限定、動きの方向を限定すればそこで停止はあり得る
>静的な対象認識、移行の結果としての位置付けの認識を表
まったく意味不明す。
静的な対象?、動かないものですね、そのものの一般名がわかれば「に」がなくても認識可能なんですね、「認識付け」に変更する必要があるのな?
移行の結果?、何をどんな内容の?、結果が示されれば「に」なんかなくても位置付けなんてどうでもよいのでは、十分認識可能では?
冬の京都に行く→場所を表す、と言うkとになるのかな、冬に限定した上で目的地(京都)を表す、ともいえるのかな?、現在地は京都以外で具体的な場所は不明、いずれであっても京都に収束。
冬の京都をイメージして待つだけ、他に意識を移す必要なし。
冬の京都を行く→拡散?、起点?ありません、動き続ける、京都は動きません、そうか、冬の京都(風情)があちこちに拡散した結果(拡散し続けているのかも)があちこちに散在している、その中を行く。
こんな理解の仕方もあるんです。
論理まがいのガチガチで読むより、自分で想像しながら読むほうがはるかに楽しんです。
ガチガチの文法まがいに縛られては理解できて、当たり前?楽しみも喜びもやりがいもありません。
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No.1の補足をさせていただきます。



辞書では、

1 動作・作用の行われる時・場所を表す。   「三時—間に合わせる」
2 人・事物の存在や出現する場所を表す。   「庭—池がある」

などと説明されていますが、

>>「三時—間に合わせる」

の場合、「時・場所を表す」のは「三時」であり、格助詞「に」ではありません。

>>「庭—池がある」

の場合、「場所を表す」のは「庭」であるのは云うも愚かです、つまり、辞書の説明は単なる、結果、現象の言い替えにしかなっておらず、格助詞「に」の意義とは何かが全く理解できていないレベルでしかないということです。詳しくは、下記を参照下さい。

格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …

格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷 Ⅱ
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9663 …

<助詞の話──場所を示す「に」と「で」>という誤り
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=1001 …
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助詞に何らかの意味を求めるのがそもそも間違いなんです(個人的な感覚ですが)


したがって個人的には、「・・・・を表す」この説明は不適当。
もちろん例に取り上げた文章に限定すれば、そう言えるだけなんです。
助詞は受け取るもの②何かの暗示、示唆ウィする働き(機能があるだけ)
受け取るほうが祖俺にどう反応するかで異なります。
収束はその人の感覚を前にある言葉で表現される対象に神経?を集める。そうしていれば続く言葉による変化がそこに現れます、ということなんです。
文法さえ理解していれば文章がすべて理解できる、と思うこと自体が間違い。
幼児なんか、文法の「ぶ」も知らないままで言葉をしゃべりはk-締ね
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>10 受け身・使役の相手・対象を表す。

 「犬—かまれた」
噛んだのは犬で、噛まれたのは私、という関係を思考空間上に位置付けていると考えてみてはどうでしょうか。
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>>収束という感覚を持つ。



というのは、時空に位置付けるということを感覚的、現象的に表現したものに過ぎません。格助詞「に」自体の意義は、

時間、空間的な位置づけの認識を表す。
静的な対象認識、移行の結果としての位置付けの認識を表す。

ということで、これがそれぞれの文、文脈の中でGOO辞書にあるような機能を果たし、文での意味になっているということです。

語の意義は規範で定められたもので、その意義に基づき、話者が個別の認識を文、文章として表すために助詞を選択し、個別の話者の認識に対応した意味を表すということです。

言語は対象→認識→表現という過程的な構造を持った、概念による規範を媒介とした表現なので、その過程的な構造を正しく捉えることが重要です。■
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