先日テレビで昔の武士の格好をした人が、頭に金属製のバンダナのような輪っかをつけていました。このわっかの名称は何というのでしょうか? また、いつ頃の時代の防具なのでしょうか。ご存知の方ぜひ教えてください。

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A 回答 (3件)

こんにちは obelixさん



ご質問の防具は、下のお二人の回答どおり、鉢金が正解だと思います。ですから、ここでは補足的なことを記入させていただきます。

鉢金は額当(ひたいあて)、額金夷(ひたいかね)←すみません、漢字で2文字です。金偏に夷で かね と呼んでください。 の別称で、額のカーブに沿うように薄い板状の鉄板を曲げたものを鉢巻に縫い付けたものや鉄板の左右端に穴をあけ紐をつけて頭の後ろで結ぶようにしたものは、室町時代頃からすでにあります。これは最も簡単で、安価な頭を守ることの出来る防具の一種なので、集団戦などで下級の兵に主より貸し与えられる御貸具足にも使用されていたようです。
又、江戸時代の後期には、発展型として、折畳式のものなどが流行し、折畳部分を上に伸ばすと鉢兜になるものなど工夫を凝らしたものが作られています。少し説明しづらいのですが、折畳式とは、半球形のボールを左右の一点を軸にして数枚に切断し、断片を少しずつ大きさを変えると左右の点を中心にして小さく重ねられますよね?。左右の点の部分を現代で言うところのビスとナットのようなもので可動出来るように固定したものです。お分かり頂ければよいのですが。因みに、4分の1球型であれば、後頭部を守るため、鎖で編んだ網状のものを付けることもあります。
ただmartinbuhoも指摘していらっしゃいますが、実戦では弓、槍が中心ですので、実際にはあまり役に立たない防具だと私も考えます。

実際は忍者だけが使用していたのではないのですが、下の方の回答の中に出てきましたので、少々付け加えておきますと、鎖で出来た帽子状の頭巾は、鎖製の着込(鎖カタビラと呼びます)とともに使用することが多いです。形状はただ単に帽子状の布の表面にに鎖網を縫い付けただけのものも多いですが、帽子状の鎖網の両面を綿で包み、それを芯にして頭巾を作り、外見からは鎖網が分からなくしたものもあります。胴体のほうは半そでシャツを鎖網で覆ったような形をしています。大きさは身体にぴったりとした大きさに作り、着物の下に着込んで使用しました。

少し余計なことまで書いてしまいました。武器、武具が好きなもので……。
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鉢がねは薄い鉄板で出来た帯を頭部に巻き刀傷を防ぐものです。

一般にはちまきに
縫い付けて使用したようです。江戸時代の忍者は頭巾の下に鉢がねを被っていたといわれるので帯状ではなく帽子状(小さな兜?)のものもあったようです。

何時頃から使用されたか分かりませんが、時代劇映画で装飾品的な派手な鉢がねが
使われるようになって一般に知られるようになったのでしょう。時代劇は作り物の戦い方が多く、戦場でも個人でも刀と刀の戦いは非常に少なかったといわれます。
実戦は弓と槍の戦いが中心(後に鉄砲が加わる)で刀は戦いには向かない武具だったようです。
従って鉢がねも特殊な場合(忍者や決闘)に使用されたものと思います。

参考URL:http://www.tamahito.com/ishida21.htm
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 「鉢金」(はちがね)のことでしょうか。


 戦国時代のころよりあったとおもいますが。
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Q頭にイボがあるんですが、 病院で取るとなると、どの科が良いと思いますか? 地元にある病院でもイボ取れ

頭にイボがあるんですが、 病院で取るとなると、どの科が良いと思いますか?
地元にある病院でもイボ取れますかね?
麻酔は、ちょっと頭だと嫌なんですが(*T^T)
首のイボは手術して取りました。
地元の皮膚科でもイボ簡単に取れますか❓
若いうちに、取った方がいいかな

Aベストアンサー

>どちらだと1日で行けば終わりますか?(^_^;
どちらも2回だと思います。2回目は経過を見るだけです。

Q武士の「正式名称」って何でしょう?

例えば「織田信長」の正式名称は「平」、「伊達政宗」は「藤原正宗(ふじわらのまさむね)」。想像すると 自分の遠い祖先は、源、平、藤原氏のどれかであるということを表していて、朝廷に名乗りを上げるとき、この名をつかうのかしら?「源」「平」「藤原」が正式名称なのなら、「織田」や「伊達」の方は何なんでしょう?
誰か混乱している私に教えてください。

Aベストアンサー

何度か同じ質問が、周期的にでているのですが・・・

平、源、藤原、橘、菅原、豊臣といったものは「姓」です。
姓とは天皇から賜るものです。
対して、織田、羽柴、伊達、浅井、朝倉といったものは、「苗字」です。こちらは自分で勝手に名乗るもの。

公文書や書状、また名乗りなどは姓を使います。これは当時の慣例ですね。あくまで自分の血統を示すものです。
徳川ならば、源の後裔としていたので、姓は源となります。
ただし、実際につながっているかはわかりません(徳川の場合は99%捏造)。

戦国期には多くの家系が姓をもっているのですが、この理由は、改竄があるからです。
1つ目は後裔を名乗っている家の独自改竄。
当時家系図といっても、あちこちに散逸している一族の家系図をすべてまとめてはいません。そういうわけで「自分たちのさかのぼれる先祖を、ここにくっつけてしまおう」というのが横行しました。
なお、架空の人物が家系図に入っているわけではないため、どこがどう改竄されたのかがわからないのです(そもそも改竄した家、つまり勝手に名乗っている家は、それより前の記録がない)。
2つ目は、実際にその姓をもつ家が売り渡したもの。当時は平安期の貴族は多くが没落して零細となっており、戸籍を売ってお金にしていた家もあったようです。もちろんこっちもどういう具合に改竄されたのかはわかりません。

姓と苗字の使い分けは、外着と普段着とでも考えていただけるとわかりやすいとは思います・・・
名乗りや書状、公文書では姓を使います(いわゆる他家とか、そういった、外に対するものですね。もしくは公のもの)。逆に普段は苗字を使うほうが一般であったと考えられます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/本姓

何度か同じ質問が、周期的にでているのですが・・・

平、源、藤原、橘、菅原、豊臣といったものは「姓」です。
姓とは天皇から賜るものです。
対して、織田、羽柴、伊達、浅井、朝倉といったものは、「苗字」です。こちらは自分で勝手に名乗るもの。

公文書や書状、また名乗りなどは姓を使います。これは当時の慣例ですね。あくまで自分の血統を示すものです。
徳川ならば、源の後裔としていたので、姓は源となります。
ただし、実際につながっているかはわかりません(徳川の場合は99%捏造)。

戦...続きを読む

Q頭にあるほくろ(イボ)の除去手術について

以前から気になっている、ほくろとイボを取ろうと思っています。
ほくろの大きさは10mm×10mmで後頭部の少し下(首と頭のつけね)辺りに
イボは5mm×5mmで左耳の上の辺りにあります。

私のような場合、除去手術をする時
髪の毛を剃らないといけないと思うのですが
どのぐらい剃るのが一般的なのでしょうか?(^^;

場所的にその部分だけを剃るとかなり不自然ですので
頭を丸めることになるのかなぁと・・
学生の頃なら問題ないのですが、
一応社会人ですのでちょっと心配です(^^;

数年前に一度皮膚科で診てもらい、悪性ではないとのことでしたので
除去しなくても良いのですが、イボはまだ大きくなる可能性がありそうですし
ほくろはかなり大きいので、できれば取ってしまいたいと思っています。

アドバイスよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

長辺1cmは無かったと思いますが結構でかいです。
大枚1枚でおつりがくるくらいだったと思いますが。
消毒、糸抜で2~3日通う必要があります。
ガーゼも血が止まれば、取ってもいいと思います。
(テープが頭にくっつかないので。でも自己責任でお願いします。
 病院にいけなければ家族にエタノール塗ってもらいましょう
 今が汗もでなくてちょうどいい季節じゃないですか)

ちなみに口の中に出来たできものは、切除しても化膿はしなかったです。
あたりまえか?

Q江戸時代の武士は定員があったんでしょうか?

こんにちは
江戸時代の武士についてですが、
完全な世襲だったんでしょうか?だとすると、
1)戦もない時代、どのように数が増えないように、したんでしょうか?
2)武家の男子に生まれても、武士にならない人もいたんでしょうか?
そういう人は何になったんでしょうか?
また、いくら世襲といっても、体力など、
3)健常者でも適正検査はなかったんでしょうか?
あったとすると、落ちた人は、どうやって暮らしたんでしょうか?

Aベストアンサー

>江戸時代の武士は定員があったんでしょうか?
 そのようなものはありました。大名や旗本には「軍役の義務」というものがあり、何石につき何人の兵員を保有しなければならないという、幕府からのお達しがありました。
 まあ定員というより最低要員です。大名や旗本はこの規定を下回ることは、原則的にできませんでした。
 それじゃあ、アッパーリミットはあったのかというと、なかったみたいですね。家来を多く持つと経営が苦しくなるばかりです。無闇にふやせません。ですから、大名は最低要員を満たすため、殿様から扶持を貰わないでも自活できる「郷士」を活用して人数合わせのやりくりをしていました。
http://www.0105.jp/~mizuki/gunekikitei.html
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m198.html

1)戦もない時代、どのように数が増えないように、したんでしょうか?
 質問者さんの仰せの通り、ほぼ完全な世襲です。大名は家来の侍に子供が何人いようと、そんなことは知ったことではありません。500石取りの家来に男の子供が二人いたとしても、長男に500石を継がせ、二男に新たに300石をやって分家させるなどという甘いことをしていたら、その大名家は破産します。
 もし二男が非常に優秀であった場合は、分家を認める場合がありますが、その場合は本家の禄高を原則的に減らすということになります。そうすると本家の禄高が減り「家の格」が下がることになりますので、侍は余程のことがない限り分家はしません。
 ですから男の子が沢山生まれた侍の家は、次男以下の始末に苦慮したわけです。その方法として(1)男子のいない侍の家への養子、(2)郷士への養子、(3)荒地に入植させ郷士にする、(4)その他、などが上げられます。
 それでも残った場合は、部屋住みで「厄介叔父」ということになります。跡取りの長男の叔父ですから、こういう格好の悪い立場になります。

2)武家の男子に生まれても、武士にならない人もいたんでしょうか?
 前項の(4)その他ですが、僧侶になる例が結構多かったようです。あとは神主さんへの養子もあれば医師になった例もあります。
 武芸が不得意で学問好きの場合は僧侶が適職でしょうな。

3)健常者でも適正検査はなかったんでしょうか?
 適性検査はありません。質問者さんご心配のように、武士は本来軍人なんですね。たとえば重度の身体障害があった場合は、武士は無理ですので部屋住みとならざるを得ません。
 このような場合を除いては長男は大概家を継げたようです。

 大名家も旗本家も収入は何石と決まっていますので、家来を無闇に増やすわけにはいきません。内実は殿様も家来も、やりくりに苦労していたようです。

>江戸時代の武士は定員があったんでしょうか?
 そのようなものはありました。大名や旗本には「軍役の義務」というものがあり、何石につき何人の兵員を保有しなければならないという、幕府からのお達しがありました。
 まあ定員というより最低要員です。大名や旗本はこの規定を下回ることは、原則的にできませんでした。
 それじゃあ、アッパーリミットはあったのかというと、なかったみたいですね。家来を多く持つと経営が苦しくなるばかりです。無闇にふやせません。ですから、大名は最低要員を満たすた...続きを読む

Q頭のイボは何科に行けばよいでしょうか?

後頭部の内部にイボができて押すと少しいたいのですが、診察してもらうのは何科に行けばよいでしょうか。脳神経外科でよいのでしょうか

Aベストアンサー

私だったら、まず皮膚科に行きます。
イボの状態を診てもらって、場合によっては皮膚科で処置できるかもしれないし、処置ができる施設のある病院の「形成外科」宛に紹介状が出るかもしれません。

Q武士の出てる落語は、江戸時代に演じられいたのでしょ

落語に武士が出場する演目があります。
井戸の茶碗のように、武士を好意的に描き、武士の心意気を賛美している(演出方法により、これとは異なるのもありますが)演目もあります。
しかし、落語という笑いを求める・与える演芸の性格のため、人間の愚かさを描くことが多いです。そのため、武士の愚かさを描いたり、愚弄しているものもあります。例えば、たがや・巌流島・三軒長屋・棒鱈などが、これに該当します。

武士の出てる落語は、江戸時代に演じられていたのでしょうか? 町内内にあるこじんまりとした寄席のなかで、町人同志が、武士に隠れて彼らの愚かな行いを楽しむことがあったのでしょうか?
あるいは、明治時代になり、武士が消滅して初めて、遠慮することなく大ぴらに、武士の出てる落語を演じることができる、ようになってきたのでしょうか?

Aベストアンサー

小生、落語大好き男です。
ひとことで言えば演じられていました。とは言っても演目は選ばれたでしょうし演出も現在とは違っていたとは思います。
寄席では、例えば目の悪い人が来ると盲人を扱った噺はしないといった配慮をしますから武士が来るとその類の噺はしないということもあったかもしれません。
netを捜してみたところ演じられていたことがほぼ確実なものがいくつかありました。
「将棋の殿様」は初代可楽が将軍家斉の前で演じたことがあるんだそうです。「たがや」は首が飛ぶのがたがやの方だったそうですが江戸時代から高座にかけられていました。「火焔太鼓」や「宿屋の仇討ち」も江戸時代から。
三遊亭円朝は多くの怪談噺を作っていますが「真景累ヶ淵」は安政6年の作。「牡丹灯籠」は文久頃にはほぼ完成していたといいます。前者は旗本が医者を殺したことが噺の発端だし、後者は旗本飯島平左衛門(幽霊になって出て来るお露さんの父)にまつわる敵討ちの噺です。
他にも「首提灯」「粗忽の使者」「やかんなめ」などはいつから演じられていたか不明ですが、原話が古い笑話本にあるとのことなので古くから演じられていたと思われます。

「首提灯」の侍はとことん我慢しますね。しかしこと主君に及ぶと激怒してチャリーン。思うに自藩に無関係の侍なら笑いの対象にしていたのではないでしょうか。「当家にあんなバカはいない」とね。
バカな侍といっても少々個性が強すぎるだけで聴衆を不快にさせるようなのは出てきません。その間抜けぶりにも親しみが持てるしカワイイ。たぶん武士が聞いても腹を立てることはなかったでしょうが「井戸の茶碗」や「柳田格之進」に登場する高潔な武士には耳が痛かったかもしれません。

小生、落語大好き男です。
ひとことで言えば演じられていました。とは言っても演目は選ばれたでしょうし演出も現在とは違っていたとは思います。
寄席では、例えば目の悪い人が来ると盲人を扱った噺はしないといった配慮をしますから武士が来るとその類の噺はしないということもあったかもしれません。
netを捜してみたところ演じられていたことがほぼ確実なものがいくつかありました。
「将棋の殿様」は初代可楽が将軍家斉の前で演じたことがあるんだそうです。「たがや」は首が飛ぶのがたがやの方だったそう...続きを読む

Q仔犬の頭にイボ?ができました。

初めまして。
生後2ヶ月2週間の、スムースチワワ(オス)と
暮らし始めて、今日で11日です。
昨晩、頭頂部に、直径2mm程のいぼの様な物を
見つけました。
前日にはありませんでした。

触っても痛がらず、色もついていません。
そして今日の昼間見たら、その部分の毛が抜けていました。
今は一日中一緒にいるので、頭をぶつけたりは
してないと思います。
でも、もしかしたら給水器にでも
ぶつけたのかもしれません。
怪我はないので、
何かの病気でしょうか。
場所が大泉門の真横なのも気になります。
来週、病院に行く予定なんですが、
救急に行った方がよいでしょうか。
今はとても元気で遊んでて、食欲も便も
変化はないです。
よろけたり等もないです。

長くなりましたが、どなたか
ご意見頂けるとありがたいです。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

「大泉門不全」と言う言葉をキーワードに検索をして見て下さい。チラッとしてみましたが、可也ヒットした感じです。獣医師サイトを中心に見られている事をお勧めしますが、予定を早めて明日にでも行かれた方が良いかもですよ。真横と言う事なので、簡単にしてみましたが。チワワは、結構そちら関係が多いみたいですね。早ければ早い方が良い、と言う感じは、するけども、場合によっては設備整った大学病院か、個人病院を紹介される可能性もあるかも。さ、どうぞ。

Q江戸時代、武士の次男三男の暮らしぶり(無役の閑人?)

岡本綺堂の「半七捕物帖」で、
「旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などというものは概して無役の閑人であった。彼らの多くは兄の屋敷に厄介になって、大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれていた」
とあります。

いまのニートそっくりですが、彼らは、
1.就職できなかったのですか?
2.バイトはどうでしょうか?
3.結婚したら兄の屋敷を出て行かなければなりませんか?
4.結婚したら生活費はどうなりますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

武家というのは、家の論理で動きますから、家という概念で考えないと誤解します。

1.就職できなかったのですか?
役というのは、代々、家に付くものですから家の当主でなければ、役に就くことはできません。分家というのは、新しく一家を立てて、その家の当主となることです。分家を立てれば(別の家ですから)役に就くことはあります。そうでない限り、家としての役に就くことはできません。もちろん、まれに次男が別に召し出されることはありましたが、その場合は将来、一家を立てることが前提です。

2.バイトはどうでしょうか?
バイトはできたようです。具体的には、大名火消しのガエン、歌舞伎・能の囃子方などは旗本・御家人の次男坊、三男坊のアルバイト先だったようです。小説などにある、町人やヤクザの用心棒はあり得ません。ただし、剣術道場の師範などはあったようです。

3.結婚したら兄の屋敷を出て行かなければなりませんか?
一家を立てなければ結婚はできません。従って、結婚するから家を出るのは、養子縁組、婿入りだけです。まず家を立てる(分家)のが先、結婚は家を立てたからできるのです。

4.結婚したら生活費はどうなりますか?
従って、この質問自体が成り立ちません。一家を立てるということは、収入があるということです。

補足をすると、二男・三男は養子、婿入りなどをして、一家の当主とならない限り、生涯独身です。その場合、当主から小遣いをもらい、女中をあてがわれ、身の回りの世話と性処理はその女中の仕事になります。当主(長男)が死亡すると、当主の息子(甥)が跡を継ぎ、いわゆる「厄介叔父」という立場になります。

大名家や大身の旗本で次男などに、分知をして(例えば前田家)一家を立てさせることはありました。この時は、分知ですから当然収入があるわけです。

武家というのは、家の論理で動きますから、家という概念で考えないと誤解します。

1.就職できなかったのですか?
役というのは、代々、家に付くものですから家の当主でなければ、役に就くことはできません。分家というのは、新しく一家を立てて、その家の当主となることです。分家を立てれば(別の家ですから)役に就くことはあります。そうでない限り、家としての役に就くことはできません。もちろん、まれに次男が別に召し出されることはありましたが、その場合は将来、一家を立てることが前提です。

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Qイボの悩み(助けてください!)

私は患って7年ほどのウィルス性イボがひざ裏、左手甲と顎を中心にあります。イボの直径はほとんど1ミリ程度で放っておいても1年で1ミリ程度しか大きくなりません。ただ、小さなものがかなり増えてきます。大きさは前述のとおり、1ミリ程度かそれ以下のものがほとんどですが数が多いです。そのため、かかりつけの病院にいって診察してもらっても、医者も半笑いのあきれ顔でイボが小さいから様子を見るか、焼いてもらっても医者が目で確認できるほどのものしか液体窒素で治療してもらえません。他の病院を受診しても、「これは小さすぎるから放っておきましょう」とか、「イボってのはもっと大きくなるからこれはイボじゃないんじゃない」と言われ、自分の中で納得するものが得られません。漢方薬(ヨクイニン)も飲んでいますがあまり効果がなく、医者には体質だからしょうがないと言われます。
最近は顎にできたイボ(ほとんど1ミリ以下で外見ではほとんどわかりませんが数は多いです)が気になり、自分が心配性な性格もありますが「もしこのまま増えていったらどうしよう」「もう治らないんだろうか」と考え込んでしまい、ヒゲを剃ることも気になってできず、精神的に本当につらいです。二年ほど前は鏡を見て新しいイボを見つけるたびに全身から血の気が引いていき、頭が真っ白になり、その日は何もやる気が起きなくなり、それ以来、鏡はあまり見なくなりました。
最近は、「なぜ自分だけこんな目に遭うんだ」と考えたり、このようなネガティブな考えをする自分自身を責めたりする日々が続き、自分は本当に弱い人間だということを痛感します。医者の言うように「小さいから放っておけ」と考えればいいんですが、やはり自分の精神状態がその考えに追いついていきません。
こんな弱い私ですが、少しでもアドバイス頂ければ幸いです。

私は患って7年ほどのウィルス性イボがひざ裏、左手甲と顎を中心にあります。イボの直径はほとんど1ミリ程度で放っておいても1年で1ミリ程度しか大きくなりません。ただ、小さなものがかなり増えてきます。大きさは前述のとおり、1ミリ程度かそれ以下のものがほとんどですが数が多いです。そのため、かかりつけの病院にいって診察してもらっても、医者も半笑いのあきれ顔でイボが小さいから様子を見るか、焼いてもらっても医者が目で確認できるほどのものしか液体窒素で治療してもらえません。他の病院を受診し...続きを読む

Aベストアンサー

皮膚科で自費で一つ5000円とかでイボをとってくれますよね。

自費扱いなら、お金目当ての病院で
無理やり何とか取ってくれるかもしれません。

無数にあるのでいくらかかるかわかりませんけどね。

それより一年で1mmしか大きくならないのであれば、
大きくなった物だけでもとってもらうとか・・・

私もイボで皮膚科にかかってましたが、
自分でも気にしなかった小さな物も(ほとんど見えない、
もちろん1mm以下です)
「これもイボだね」って液体窒素で焼いてくれましたよ。

ですから、見た目もイボではないと思います。

ウイルス性のイボは、傷があればうつりますので
乾燥やキズに注意すれば広がらないと思います。

ネガティブな人をポジティブに変えることは
難しいので、とことんやってもらっても良いかもしれませんね。

お大事にして下さい。

Q江戸時代に武士が名前『実名(諱)』に通字を使っていたようですが、本家(

江戸時代に武士が名前『実名(諱)』に通字を使っていたようですが、本家(長男)以外次男以降の者も通字を使ったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>本家(長男)以外次男以降の者も通字を使ったのでしょうか?

回答から先に述べますと、
「次男」までが一般的でした。

長男は、世継ぎですので、当然、大事にされ「諱」がありました。
次男は、長男に「もしも」のことがあれば・・・と、こちらも「まあまあ」大事に育てられましたので、「諱」を与えられました。
三男以降は、他家に養子にいく位しか生き残れる道はありませんでしたので、
はっきり言ってしまえば、「どうでもよい」存在でした。


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