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三国志ではたくさんの武将や軍師などが活躍していると思います。
私は主人公でもある劉備に目をつけて考えているのですが…。
劉備の魅力はたくさんあると思うのですが、皆さんなんだと思いますか?
いろんな方の意見を聞かせてくださると嬉しいです!!

A 回答 (13件中1~10件)

劉備が主人公ということは「三国志演義」の話でしょうか??


何度も戦争に負けて、落ちぶれても民衆や優秀な部下たちに支持されて這い上がっていく。こんな愛されたキャラクターがいいですね。ノー天気な感じだけど、義理は通すし。

でも、私は「王道」の劉備より「覇道」の曹操派です。あの天才肌がたまらない。
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三国志ですか。

より原本に近いものだと、自分の妻を料理して飢えた劉備に食べさせる話が出てきたりするので、結構グロいです。
劉備の思想自体、「正当な血筋=正当な王」で、正当性にこだわり過ぎたため、周りの人間に無用な迷惑をかけたと思っています。
もっと割り切って行動していればと歯がゆい思いをしました。
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こんにちは。


私は劉備にはあまり魅力を感じませんが、はっきり言えるのは、張飛や関羽、孔明、叙庶、鳳雛(名前は忘れました。(爆))といった、多くの面々が心酔し、心から信頼するだけの器量を持った人物であった事。

往々にして、有能な人材は主が無能だと大変なストレスを感じ、暴走してしまいがちです。
それをさせなかった劉備はやはり相当な人だったのだと思います。
一人の人が心酔してるならともかく、多くの名将と言える家臣からそこまで信頼を勝ち取れる人は多くはないでしょう。

自分の息子が無能なら孔明に国を譲るとまで言ったという、義に対する強い信念の持ち主だという部分はすごいと思います。
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2さんの言うとおり劉備自体はそんなに立派な人物じゃない気がします。

しかし、関羽、張飛や、法統、孔明など優れた臣下を持っていることが魅力的ですね。それに義理堅いところも好き。
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私は吉川英治「三国志」しか知りませんが、その限りの感想では、私も劉備は戦国時代を生き抜く為にはあまりにも無能であったと思います(特に決断力と戦略、戦術面)。


奇跡的に補佐するブレーンに恵まれていたのです。
ただ勿論人間をひきつける魅力、それとて大変な才能だとは思います。
孔明もあきれるほど「仁者」を貫いた生き方はあまりにも儒教色が強すぎるとは思いますが、庶民には無理なく受け入れられていったのでしょう。
「仁」や「徳」といった概念が失われつつある現代日本に於いて劉備の人気が高いのは、ないものねだりや憧れに近いものかもしれませんね。
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正直言って本当に魅力的だったのか、というのはよくわかりません。

少なくとも有能ではなかったと思います。ま、あれだけの部下を引き連れているのですから、魅力的ではあったんでしょうね。
でもそれ以上に、時勢というものだったとも思います。
後漢朝が崩壊するに至る経過の中で、いわゆる清流と濁流の闘争は有名ですね。曹操は祖父のことから、この濁流出身で、それをあえて「清流/濁流」でものを考えるのではなく、それを止揚して有能さで人材を考える、という路線を敷いたわけです。孫一族は曖昧ですが、少なくとも南方の利害を代表していたわけで、むしろ地方政権的でした。
これに対し、清流の受け皿となったのが劉備一党ではなかったかと思います。曹操は濁流出身、孫氏は大義がない、となると、劉氏一族であり、また形式的には劉表などの流れを引き継ぐ立場であったなど、本人の意識はともかく清流の流れに位置づけやすい立場だったと思います。そのことが最大の魅力だったのではないでしょうか。
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よく言われるように義理堅い、義侠心といったところが魅力でしょうか。


桃園の誓いの場面や、義弟達の弔い合戦ではありましたが、戦術的には到底無理があった北伐等、「桃園」は創作のようのですが、そのような逸話が創られるほど義に対して厚い人だったのでしょう。
また、皇帝の末裔(本当かどうかは怪しいのですが)とはいえ、貧しい暮らしから義憤して兵を起こしていき、のしあがっていくところなど、経済的な後ろ盾があった曹操よりも魅力的に感じるところがあり、義の人の元に任侠心に溢れた強者達が集うところなどは水滸伝の宋江や林沖などと並んで日本人には親しみやすいと思います。

ただ、最近は漫画「蒼天航路」やその他の著作により曹操に魅力を感じる人も増えていると思います。
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こんにちわ。



劉備の魅力って何でしょうかねぇ。。。
「三国志好き」を自称している私ですが、改めて考えてみました。

「当時、劉備の下に優秀な人材が集まった」って言うのは、曹操の下にも孫呉の下にも優秀な人材はたくさん集まっていますので、「劉備だけの魅力」にしては弱い感じがします。

序盤、あれだけ負けまくったのに最後には皇帝を称するに至った人生そのものが、現代に生きる我々にとっても魅力的な点じゃありませんか?
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三国志演義やそれを翻案した吉川英治の三国志では、劉備玄徳はとてつもないお人よし、まるで牧師のような人に描かれています。



ですが、正史の三国志での劉備は、そういう感じではありません。逃げ足が速く、平気で人を見捨てる権謀術数に長けた人物です。だからこそ、卑賤の身分から蜀の君主にまで出世できたわけですが。劉備は一般庶民の生まれで、今で言うチンピラのような立場から出発した人です。皇帝の一族ゆかりの人だなんてのは建前で、劉備本人も信じていなかったでしょう。

劉備の悪党ぶりは、劉璋が支配する益州に入り、劉璋を倒して益州の主になる段階で遺憾なく発揮されています。乱世だからそれで全くかまわないと思いますけど、吉川英治の描く人物像とはかけ離れています。

三国志のほかの登場人物を考えれば、袁紹、袁術、諸葛亮、周瑜、張昭あたりは「名門」(官吏になって出世できる家柄)の出身、曹操は高名な宦官の孫、孫権は豪族出身、劉表や劉璋は皇帝の一族です。単なる武将ではなく一つの勢力をなした人で、何の背景もなくのし上った人は劉備ぐらいです。異民族出身と言われる董卓や呂布も自分の力だけでのし上ったと言えるでしょうが、すぐに没落して後世の評判は最悪です。劉備とはかなり差があります。

劉備の実像は、煮ても焼いても食えない、劇画「蒼天航路」で描写されているような人だったと思われます。とはいえ、私を含めてこの質問に回答している誰よりも凄みのある人物であったのは間違いないでしょう。(笑)
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「家出君主」。


そして三国志一の逃げ上手。
「裏切る」のではなく「逃げる」。
そこが悪印象が無いんでしょう。
・・不良君主ですね。
陶ケン、劉表にたかって城を貰ってます。
この二人は董卓からうまいこと印璽を貰って勝手に国を治めた不良なので気に入られたのでしょう。
家柄のある袁紹、曹操の下では長く居られなかったのもうなずけます。

そして部下も不良か家出どら息子ばかりです。
法正、魏延は悪ガキ不良。
張松、鳳統、除庶はチンピラというかヤンキー。
伊籍、馬良、馬ショク、馬超、馬岱は家出息子。
ギャラリーは孟達(笑)
特攻隊長:もちろん張飛&関羽。
周倉に廖化は山賊出身だったな・・・

・・・ロクな人間がいない・・・。
不良たちの盟主?ハグレ者にとっては憧れの星だったんでしょうね。

そんな蕩児たちのお父さんに指名したのが孔明だったんでしょう。
「血統の君主」ではなく、「みんなのパパ」でないと蜀は統治できないと劉備は分かってたんでしょう。
でも孔明に匹敵するほどのお父さんはいなかった。

おかげで劉禅は暗君暴君にならず「普通」に暮らせましたとさ。
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