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栃木、茨城等、北関東の大名について調べています。

そのなかで、発祥に”武蔵七党丹党の出”という記述が出てきます。

この”武蔵七党丹党”についての解説をお願いします。

また、桓武平氏大掾流についても教えていただければ、幸いです。

 

A 回答 (2件)

武蔵七党についてはとりあえず


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5% …
桓武平氏大掾流は
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01113. …
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歴史の先生ではないので、雑誌などで仕入れた雑学知識からですが…



「武蔵七党」とは、武蔵の国の土着豪族たちによって組織されていた七つの同族集団のことです。
丹党のほかに猪俣党・西党・村山党・私市党・児玉党・横山党があります。
(野与党、綴党、私市党が含められる場合もあります。)

「丹党」は、宣化天皇の末裔であり、多治比(丹比・丹治)氏の流れを汲む言われています。
多治比一族は「多治比文子」がかの有名な「菅原道真」の乳母をしていたりして
ちょくちょく歴史に顔をのぞかせている、奈良時代以前から続く名家です。

竹取物語で「仏の御石の鉢」を持ってくるようをかぐや姫に言われた「石作りの皇子」も、
火明命を祖とする多治比王の子の「多治比真人嶋」がモデルであると言われています。

時はかわって708年、武蔵国で自然銅が見つかったことから日本最古の貨幣である和同開珎鋳造が始まります。
この責任者に命じられたのが、先ほどの「多治比真人嶋」の兄弟にあたる「多治比真人三宅麻呂」です。
平安時代以降、彼らはこの武蔵国に渡り、国司として勢力を築いてゆきます。

貴族の時代から武士の時代に移ると、多治比一族は完全に武蔵野国に土着し、「丹党首」と名乗り、
嫡流を中村氏として、安保氏、薄氏、白鳥氏、勅使河原氏などに分かれて北関東で勢力を強めます。
これが後に「丹党」と呼ばれることになります。
なお、最終的には鎌倉時代に合戦などで活躍し、本領とは別に播磨国の守護職を戴くなど功績をあげた
安保氏の勢力が最も強かったようです。

この安保氏ですが、戦国時代には北条家(鎌倉幕府とは異なる、北条早雲に端を発する後北条です)に仕えていたようです。
しかし、後北条の滅亡とともに安保氏の名は途絶え、丹党の名も歴史上から消えることとなります。

さすがに全部ここに書き切れないので、このへんで失礼します。
よろしければご参考になさってください。
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