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甲府勤番は山流しと言うそうで、典型的な左遷地で問題児や不祥事を起こした旗本が配置されていたそうですが、無役小普請の旗本は甲府勤番でもお役に就ければ本望というか、なりたいと思っていたのでしょうか?

逆に、甲府勤番がそんなに辛い任地なら、病気療養を理由にお役御免を申し出て、小普請入りして江戸に戻るといった事は出来なかったのでしょうか?

二、三千石を越える様な、通常五番方へ入らない大身旗本の左遷ポストというにもあったのでしょうか?

A 回答 (1件)

甲府勤番は、甲府城守備のために派遣されたもので旗本も御家人もいました。

山に囲まれた土地の勤務で、それでなくても旗本、御家人は江戸を離れることを嫌いましたから、江戸での勤務成績のよくないものや素行の悪いもの、小普請組でもてあまし気味の者が命じられました。
小普請組から甲府勤番を命ぜられると小普請金は免除されましたが持高勤めで待遇はよくありませんが、部屋住みなら200俵が支給されました。
いちどもてあまし者などが甲府勤番になると、病気などと称して江戸に戻るのは無理でした。
寄合クラスの左遷ポストは特にありませんが、前職によっては左遷というような役(責任と権限のない)にまわされる例はありました。
また中川御番や駿府加番は左遷ポストというわけではないのですが、無役の寄合旗本に課せられるノルマでした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
病気が理由でも江戸に帰して貰えなかったのですね。

お礼日時:2005/11/03 21:58

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