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ミロのビーナスやギリシャの彫刻には色が付いていたと聞いたことがあります。
また、日本の古寺などで、朱が古びた状態をあまり更新していないように思います。
基本的にはその時代人の美意識は馬鹿にすべきものであり、共感するには当たらないというのが、現代人の判断なのでしょうか。
京都中が、奈良中が鮮やかな朱色に塗り込められた状態を見てみたいと思っています。(京都中が平安神宮のようになっていた時代があった訳でしょう)
勿論、全盛期の経済状態でしか、そうでは無かったでしょうが。
ミロのビーナスも、目の玉の入ったピンクの布を纏った彫刻を好んだギリシャの美意識を共感したいなと考えているのですが、考古学者や美術館の人たちは、そうは思わないのでしょうか。経費の関係ですか??

A 回答 (5件)

他の方も回答されていますが、決して「にはその時代人の美意識は馬鹿にすべきものであり、共感するには当たらない」などいう理由で色彩を復原していない訳ではありません。


これらものを大事に保管・保存しているのですからこのような考えがあるわけがありません。
まずミロのビーナスについては「発見当初の状態」を保存しているものと考えられます。また、一部に彩色が残っていたとしてもすべてが残っている訳ではないでしょう。
また、下手に彩色を復原してしまうとオリジナルが失われてしまう可能性もあります。
寺院については朱塗りの経費がかかることもあって廃れてしまったことや「わび・さび」の美意識が後に確立したことから行われてなくなっていったのではないかと思います。
また朱塗りされていたのは寺院や役所、内裏などで一般の住宅はそのようなことにはなっていないと考えられていますから「京都中、奈良中が平安神宮のようだった」というのはちょっとオーバーです。
後世に補修・改修されたものについてはオリジナルに戻すということは美術作品ではしばしば行われています。
また奈良の薬師寺のように古代建築で再建や遺跡での復原建物については当時の彩色で復原されていますよ。

この回答への補足

恐竜の皮膚の色さえも類推できるようですので、蓋然性の高いところで、彼らがどのように鑑賞していたか見たいものですね。
芥川でしたか、現代人が扇面の緑を激賞したが、それが緑青だったなんて箴言がありましたが、白のビーナスを素敵だと言っている高校生がいるので緑をほめた人に見えて気の毒になりました。

補足日時:2005/11/07 22:18
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 今回、ご質問により、大理石像にもともと着色してあった可能性を初めて知り、驚きました。

色をつけるという共通点しかないのですが、記憶に残った実例をお伝えします。質問の趣旨に反していたら申し訳ないです。
 まず、発掘された美術品に関わるケースではないことをお断りしておきます。
 1980年代にアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス市の高級住宅街で、屋外に置かれた古代の彫刻のレプリカに色をつけた「事件」がありました。
 大きな敷地を取り巻く高い塀の上に、白亜の彫刻が何体も配してある地所があったのです。1体ずつは、2mほどの間隔ですえてありました。像はギリシャ・ローマ時代の作品のレプリカで時代はまちまち、はじめてみた時は、確か、すべて真っ白でした。
 ところがあるとき、白い彫像の頭髪は黒、また裸体を隠すためか胴と手足に着衣らしき色が塗られたといいます。近所からの苦情が市庁に寄せられ、地方紙で読んだ私もわざわざ見に行った口です。個人の趣味の問題として扱われたようで、その後、どうなったかはわかりません。
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白のビーナスを美しいと思うことは恥ずべきことでもありません。


ギリシャの白い彫像を美しいと感じ、ルネッサンスではミケランジェロは美しい彫像を遺しました。確かに彼は誤解をしていたかもしれませんがその誤解が新たな美を生み出したのであればそれはそれで意義深いことではないでしょうか。
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>その時代人の美意識は馬鹿にすべきものであり、共感するには当たらないというのが、現代人の判断なのでしょうか


そうではなくて、文化遺産や古美術品というのは、現代人が手を加えた時点で、「古」美術品・オリジナルとは別物になる、ということじゃないでしょうか。現代でもモノによっては「使用・未使用」で価値が違ってきますが、作品自体のあるがままを尊重するか、当時の姿・感性を重視するかで意見は分かれると思います。

>経費の関係ですか??
確かに、仮に手を加えることになったとしても、経費の問題はあると思います。素材選びもありますし、現代の塗料でやるわけにはいきませんからね、時間もかかると思います。(システィーナ礼拝堂の「天地創造」「最後の審判」修復は13年かかっています。またこの時は、「着衣を取り払って」、よりミケランジェロの初めの作品=オリジナルに近づけているようです)

この回答への補足

作った人が見たら、泣いて悲しむかもしれませんでしょうが、それはどうでもいいことなんでしょうね。

補足日時:2005/11/07 22:16
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美術品を修復する場合二つの考え方があります。

一つにはその作品が作られた当初の状態に復原してしまうこと。もうひとつは現状がこれ以上悪くならないように処置することです。現代では、その美術品が歩んできた歴史を尊重する風潮が主流ですので後者の方法をとります。
 従って、その美術品のオリジナルの状態を知りたければ、新たに復原作品を1体製作しなければならず、膨大な経費と手間がかかるので、祖の様な試みは行なわれているものの、僅かな作品に留まります。
 決して当時の人たちの美意識を軽んじているのではないと思います。

この回答への補足

作者や、寺院を作らせた施主の気持ちになったら、何か放置されているようで、気の毒だなと思ったものですから。
考えてみれば、彼らは死んでしまっているのだから、彼らの気持ちを慮る必要も無いわけですね>

補足日時:2005/11/07 22:13
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