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私は、一つのことに興味がいくとそのことしか考えられなくなる傾向にあります。
興味・関心の幅が小さいし、視野が狭いです。

今まで、この性格で損したことが多すぎです。
例えば、車に興味がいくと、・・・経済的に損します。
あきたときの虚しさとお金の損。。。

また、学問に対する興味・・・専門バカになって他のことが何もできません。

今は時計に執着してしまっています。欲しい時計は数十万円もします。
冷静に考えると時を知れば良いだけの時計に大金を払うのはバカらしいのに。。。。
これは病気かな?治療として「購入」という方法をとるしかないのかな?

こんなふうに同じことの繰り返しではなんの成長もないですよね。

ずばり、こだわりから解放する方法を教えてください。

A 回答 (4件)

>>こだわりから解放する方法



これは、ずばり「仏教」の核心に触れるような話ですね。。。。
「仏教」も「こだわり(執着)」を超えてしまいましょう。というものです。


仏教ではあらゆることを自然の法則『ダンマ』で説明しているんですが、この世の全ては常に移ろっている(『諸行無常』)だから、移ろうものに追いすがってはいけない、執着してはいけないんだと教えるんです。



次に、我々の心のメカニズムは「xxに縁って起こる」『縁起説』で出来ているんです。

たとえば「専門書」を読むことに縁って、専門バカになります。
お腹が減ることに縁って、ご飯を食べます。
酸素があることに縁って、生物がいます。
水があることに縁って、水中の生物もいます。

・・・と、この宇宙全体も「縁起」で出来ているんです。
そして、これは私たちの心の領域をも占めている法則なんです。真理です。

「xxに縁って起こる」ということは、早い話が「自分が自分で無い」ということなんです。
xxの奴隷状態なんです。

たとえば、恋人を想っているときは、「妄想の奴隷」状態なんです。
専門書を読みふけっているときは、「専門書の奴隷」なんです。

つまり、<< 自分が自分のモノで無い状態 >>なんです。

逆に< 自分が自分のモノで在る状態 >とは、自律的に想いをコントロールできている状態です。
自らの心を、自らが支配している支配者の状態です。
自律した心の状態です。

こういう状態になると、怒りや、悲しみ、喜び・・・といった『感情『煩悩』』から解放されるんです。

もちろん、怒り、喜び・・・等の感情は無くなりません。
無くなるのではなく、それらの感情に振り回されるだけの奴隷状態から、感情を適時適切に操れるようになる自律的な支配者になるという意味です。自分を自分のモノにするという意味です。セルフコントロールです。


今、世の中を見渡すと、携帯電話の奴隷、テレビの奴隷、怒りの奴隷、快感の奴隷、タバコの奴隷、仕事の奴隷、自動車の奴隷、商品の奴隷、金の奴隷、アルコールの奴隷、ギャンブルの奴隷、不安の奴隷、・・・・と、世間は奴隷だらけなんです。

み~んな「自分」というものが、xxに縁って起こっていることに気がついていないんです。
自律的に発想し、自律的に行動していると錯覚しているんです。
これを『無明』といいます。

もちろん中には自律的に、セルフコントロールできている人もいると想います。
そういう人は、「足るを知る『小欲足知』」心で居られる人です。
自分が自分の支配者であれば、欲張ったり、暴走することも無いので、安定した小欲足知の心でいられるんです。


で、ずばり、こういう心を育てるためのメソッドが「坐禅」または「ヴィパッサナー瞑想」という修行法なんです。私のお勧めは後者です。

これらはちゃんと体系化されています。
坐禅の本では井上希道さんの本がお勧めです。


「何かを想っているとき」というのは、必ず、心の中で”縁起”が働いているハズです。
必ず、過去の体験とか、見たもの、聞いたもの、触れたもの、感情に「縁って」、想いが生まれていると想います。
でも、それは「自分が自分のモノでない状態」「奴隷状態」を意味しているんです。
自律的に想っていないんです。

こういう心の働きを、自己観察していくのが「ヴィパッサナー瞑想」です。
別名を「気づきの瞑想法」といいます。
お釈迦さまが悟りを開いたときにやっていた瞑想法だといわれています。

気づくということは「気を確かに持つ」ということです。
気持ちをしっかり保つということです。
つまり平常心を養う瞑想でもあるんです。

図書館で勉強して実践してみてください。
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この回答へのお礼

丁寧な解説ありがとうございます。わかりやすかったです。 おっしゃるとおり私はいつも何かの奴隷でした。
支配された状態にありました。セルフコントロールできるようになりたいです。仏教や宗教に関しては無知ですが、納得できる内容ですので、勉強して実践してみます。

お礼日時:2005/11/09 00:16

私も以前は凝り性でしたのでよく分かります。



一つのことを深く掘り下げることは、飽きっぽくて何をやっても続かないよりはずっとましです。けれども、そのことを苦にしているのであれば、それには問題があります。

ひとつアドバイスさせていただくと、これまでの興味・関心によって培った知識や経験を、自分以外の人のために役立ててください。それまでこだわっていたもので人の役に立てたとき、それを苦にすることはなくなっていると思います。
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いや- 凝り性ですね 私も同様です。


「それってホントに必要?」って思って
何回も売り場に足はこんで 「やっぱいらね」って
なります。
「お金は大事だよ」って保険屋のCmですが?
ほんとだよ-。
物が無いことは豊かです。

「あれば便利」は「無くても良い」です
アメリカのテレビショッピング 好きです
あほくさい なんじゃこりゃ いらね-
の3拍子そろってます。見るのはただ。
あれは ギャグです ちなみに ジャパネットの
高田社長 鼻つまんで 忘年会のまね芸で職場
に受けてます、
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専門家ではありませんので病気とか治療とか分かりませんが感じたことを、、、


私からすればこだわりがあるなんてうらやましい限りです。
私が一番お金がかかっていることといえば旅行くらいで洋服も車も時計もそれほど興味がありません。
それほどこだわりをもてないのです。
だからこだわりを持つのはとてもいいことだと思いますよ。
ただ問題なのはこだわりをもつことではなく、飽きっぽいという性格なのではないでしょうか?
手入れをした車でも高級な腕時計でもこだわりをもって大切にするならぜんぜん問題ではないと思います。
学問に関しても専門ばかになったっていいじゃないですか。学者とかってある意味専門ばかですよね。
いろんなことを知るのはいいことだと思います。
ただお金に関しては自分で処理のできる範囲にしておかないととんでもない目にあうと思いますのでそれだけ気をつけてください。
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この回答へのお礼

こだわりをもたないでいられる人がうらやましいです。
そんな人もいるのだなあと知ることができました。
どうも

お礼日時:2005/11/13 00:29

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