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大学時代に教授が
「セックスしている時は快楽を感じているはずなのに
 なぜ苦痛の表情になるのか」
ということを話していました。
答えは言ってくれなかったので
この答えをご存知の方、いらっしゃいましたら
ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

全くの推測ですが、快感をより強烈なものにする為に「快感が小出しされないように必死でこらえようとする気持ちが表情を引き絞るから」ではないでしょうか。



川の水をちょろちょろ流すよりも一旦ダムで堰き止めておいて一気に放出すると、とてつもないエネルギーが発生しますが、堰き止めている間のダムの苦痛?は相当なものでしょう。

エネルギーを増大させ最高の状態で快感を得ることができるようにするための、無意識の知恵とでも言えるのかもしれません。
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この回答へのお礼

みなさん色々なご意見ありがとうございます。
個人的に一番しっくりきたのはhakobuluさんのご意見でした。
「苦痛」というより「こらえ」という表情が
一番合っているかもしれませんね。
教授のその話をした時の前後の文脈が思い出せないのですが
口ぶりからするとどこかから引用してきたような感じでした。
だからどこかでこの内容のことが発表されているかもしれません。

ほんとの答えは・・・あるんでしょうか?

ともあれ、皆様ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/30 01:10

答えは簡単です。

本当は痛いのです。
女性の方とか良く痛いから嫌とか言う方いるでしょ?
痛いんですよ。痛いですよあれ。【笑】
こほん…まァとにかく。
本当は痛いのです。だから苦痛の表情になるのです。
ではなぜ快楽を感じるのか、が問題になってきます。
こっちのほうがむしろ不思議でしょ?こすってるだけで快楽になるんですから。むしろこっちを疑問に思わないとおかしいんですよ。
色々要因は考えられると思いますが、一つは「達成感への意志」です。
セックスには終わりがあります。その終わりを見ることでわれわれは行為を(また始める人もいるにはいるんでしょうが)止めます。それは達成したからです。
人間は達成に向かって一度自分の中に苦痛を受け入れます。その苦痛の蓄積と開放と言うプロセスを経て快楽を得るわけです。我慢して勉強した後のビールは格別でしょう?サウナに入って我慢した後のビールは格別でしょう?深夜だと言うのに無理して遠出してうまいビールを…
もとい。物事を達成しようと言う意志がそこには存在していると言うことです。
もう一つは「行動の習慣化」です。
人間は同じ行為を続けているとほかの事が見えなくなる傾向にあります。セックスにおける肉体的行動は非常に単調で簡単なもので、しかも簡単に快楽を得られるものですから、その行為に没頭しやすいのです。
快楽を得ていると感じるのはそのようにして自分から進んで行なっている行為なんだから好きでやってるんだなと頭が勝手に認識するからです。
私は主要因として以上二つの物をあげます。
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くしゃみと同じという説を聞いたことがあります。

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それは、人間の心が弁証法的存在だからです。



どいうことかというと、最高の快楽は、相反するものの闘争の果てに開かれる新しい境地(エクスタシー)だからです。セックスに限らず、高校野球の勝利の瞬間、○○賞を受賞したときの受賞者、受験生の合格、いづれも、「勝つ/負ける」、「成功する/失敗する」などの相対立する闘争の果てに到達した境地では、人は、ゲラゲラ笑わず、泣きます。相矛盾する気持ちが最高潮に達した瞬間だからです。

セックスの場合は、もう一段、複雑です。肉体的快楽と社会的快楽の二重構造になっているからです。

肉体的快楽では、セックスの最中に、「満足/不満足」と葛藤があります。「それなりに満足だという気持ち」と「いや、もっともっと快楽があるはずだ」の間の闘争があります。また、「相手と一体になった」と「いや、まだ、完全には一体になっていない」の間の闘争があります。その闘争の行き着く先がエクスタシーですから、当然、快楽と苦痛の矛盾する心が起こるわけです。だから、セックスが完全に終わった後、すなわち、エクスタシーの後の表情は穏やかになると思います。

社会的快楽というのは、「自分が人から認められているという自覚」です。セックスができるということは、「相手の自分に対する最高の承認です」。一方、人間関係は男女関係だけではありません。当然、社会や組織の中での自分の位置というものがあります。社会的な動物である人間にとって、男女間より、組織の中での自分の位置、承認は重要な心理的圧力を持ちます。そのため、組織の中での自分の立場が十分評価されていと感じているときは、十分に評価されていると感じているときよりも、セックスは燃えます。何故なら、「セックスにおける相手からの高い評価による満足感」と「組織における評価の低さからくる不満足感」が闘争するからです。

ということで、セックスの場合は、肉体的快楽と社会的快楽の二重の矛盾による闘争の結果生み出されるエクスタシーであるため、そのときの表情は矛盾に満ちたものになるわけです。
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どういう話の流れで教授は、そう仰ったんでしょうね!?


純真無垢な(違う?!)学生相手に、よくもそんな…あ、貴方の恩師を批判しに来たのではありません、私も残念ながら正解は知りませんが連想したのは
悲し過ぎて笑う
怖過ぎて笑う或いは固まる
恥ずかしさのあまり舌を出す或いは怒る
等です。
だいたい或る現象に対して本来とるべき動作から逸脱している場合には当人の心理的キャパシティを超えていると解釈したらいいのではないでしょうか。狂人は、これの典型でしょう。
ですから快楽を味わっているはずなのに苦痛の表情…というのは当人には度し難いほどの快楽、なわけです。
あくまで「もっと感じさせんかい足らんわオリャへたくそ!!」と怒っているのでなければ、ですがね。それと男性が快楽を与えていると信じていても相手は本当に痛くて苦痛ということも往々にしてあります。

いやホント、教授のお話の前後の文脈を思い起こされましたら、そこに答えはあるだろうと思います。
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