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・好きな色は無色です
・好きな音は無音です
・好きな臭いは無臭です

これらの表現の仕方は特に問題はないでしょうか。

A 回答 (9件)

1、「何色が好きですか?」と聞かれた場合、通常は「(好きな色は)緑色です。

」というような言い方になると思いますが、これは正確に言えば、
「緑という言葉で定義付けられている色です。」ということになるように思います。

2、「どんな音が好きですか?」と問われた場合を考えてみます。
通常は、「鐘の音」とか「バイオリンを弾く音」といったような答えが返ってくるでしょう。

1の場合は「何」、2の場合は「どんな」だけを言葉にしても答えになります。
すなわち「緑」「バイオリン」でも通じます。
それは質問しているのが、1は「色について」、2は「音について」であることが自明だからでしょう。
質問者は「緑【という】色」「バイオリン【の】音」という判断を自然に行ないます。

これが「無」であると、「無という色」あるいは「無の音」が定義付けられている必要があります。
しかし、この定義付けはされていませんから、「ニュアンス」としては理解できても不自然に感じるのでしょう。
「無色」という色は無いし、「無音」という音も無いということですから、素直に「好きな色は【ありません】」(または、「色は無い方が好きです。」)、「好きな音は【ありません】」(または、「何の音も無いのが好きです。」)と言えばいいわけです。

尤も、【ひねった答え方】としてあえてこのような表現をする人も多いでしょうから、「ひねっている事」を自分が認識さえしていれば、特に問題にする必要もないように思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これらをあまり問題視せず、素直に受け入れようと思います。
丁寧に説明していただき大変参考になりました。

お礼日時:2005/12/18 00:25

 「無色(or無音or無臭)が私の好みです云々」等の表現では質問者さんは抵抗を感じられるのでしょうか?



 又(NO5さんが指摘されていますが)色なら、"無色&透明"そして、臭いの場合は(味とも関連付けて)"無味無臭"が一般的という気がします。

 しかし、(論理的整合性と言う点からは)「メルマガを購読された方々、先着100名に記念品を差し上げます。尚、購読は無料です云々」・・に比べれば私個人としては許容されるべき!、と解しますが、如何でしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「無色(or無音or無臭)が私の好みです云々」等の表現では質問者さんは抵抗を感じられるのでしょうか?

これでしたら全く抵抗はありませんが、「好きな色は無色です」だと、意味は同じなのに何かが違うような気がします。

お礼日時:2005/12/17 23:59

こんにちは。


表現…感覚的なものであれば問題ないと思います。
色の無い、透明で何にも染められないものが好きだ。
何の音もしない、静寂・沈黙が好きだ。
澄んだ空気・機械的な無機質な空気が好きだ。
ありえますよ。
ただ、好きなものが無いという意味でしたら違うと思います。その前後が分からないのでなんとも言い難いというのが正直なところです。
内容によってはまったく問題ないと私は思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに感覚的なものであれば違和感はありませんが、どうも私は理屈っぽいようです。

お礼日時:2005/12/17 23:41

 色に関していうならアリでしょう。

「白、黒、灰」は持っている情報が明るさのみで「色」がないという分類になっていますから。これらが好きというなら「無色」といっても間違いではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
考え方の視点によっていろんな解釈があるんですね。
予想外の考え方が新鮮でした。

お礼日時:2005/12/17 22:19

適切かどうかはわからないのですが、無色ということなら、


「好きな色は透明です」
「好きな色は無色透明です」
でもいいのではないかなぁと思いました。
表現として適切かどうかはわからないのですが、私ならそう言います。
なんというか、無色という言葉に、無機質さと硬さを感じるので…
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私も、無音・無臭に比べれば無色は違和感が少ないです。
無色透明の「物」はたくさん思い浮かぶからだと思います。

お礼日時:2005/12/17 22:07

詩、歌詞ではありでしょう。

また著者がこだわりを持って書くエッセーなどの世界でもありでしょう。しかし、日常会話や一般の散文などでは違和感があります。言わんとすることは分かっても何故そのような表現を使うか、その意図が不明だからです。

「今朝も早いね」というべき時に「今朝も遅くはないね」というような違和感です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
言葉遊びの一種としてなら特に違和感はありませんね。

お礼日時:2005/12/17 01:20

無色→生まれつきの盲目者、全盲者には無縁であり当然。


無音→生まれつきの聾唖者には無縁であり当然。
無臭→生まれつきの臭覚障害者には無縁であり当然。

彼らには好き嫌いの基準すら判断できない。

しかしながら・・健常者において、
その人間が生きてきた環境やさまざまな歴史において、これらを拒否する姿勢が生まれても不思議ではない。
よって、私たちは無色、無音、無臭を好むと宣言する理由が理解できた時点で、その事由を尊重すべき。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「無色が好きです」 という表現なら何の疑問も違和感もありませんが、「好きな色は無色です」 という表現だと違和感を持ってしまうのです。
どちらも同じ意味で通じますが、後者のほうにちょっと違和感があるのです。
説明不足で申し訳ありませんでした。

お礼日時:2005/12/17 00:50

私は引っかかります。



好きなタイプの人は、人がいないことです。
と同じような内容になります。

好きな色はありません
好きな音はありません
好きな臭い(匂い)はありません
ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私も同じ考え方ですが、意味が通じるから問題ないという気持ちも少しだけあります。

お礼日時:2005/12/17 00:18

その表現が単に奇を衒ったものではなく、


ちゃんとした理由付けがされているのなら"アリ"だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
前後の文章によっての判断ですね。

お礼日時:2005/12/16 23:53

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