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歴史を勉強する上で出てくる『現代』という期間は、いつまで続くのでしょうか?
例えば100年後、200年後の人が歴史を勉強する時に、今の時代(20世紀末~21世紀初頭)を何と呼ぶのでしょうか?

もしも100年後が現代になれば、今の時代は近代にでもなるんですか?

A 回答 (4件)

「現代」の始まりは米騒動だ!(=ロシア革命)というのが高校時代の日本史の先生の言葉でした。

マルキな史観で日本史を眺めるとそういうことになるらしかったです。
大学時代の指導教官いわく「ビザンツ帝国滅亡後は全て現代史」だったりしましたが(汗;要するに、政治学や社会学・経済学の主要な分析対象になるような時代は現代史、歴史学や考古学で扱うしかない時代が「歴史」なのだそうです)

それはさておき、「古代-中世-近代」という区分はヨーロッパ史由来で、世界史では古代と中世の境目は民族大移動か西ローマ帝国滅亡、中世と近代の境目はビザンツ帝国滅亡に置くしきたりでした(中世は約1000年間)。ただ、これ自体19世紀ヨーロッパから見た視点ですので、21世紀初頭である現時点ではまださほど違和感がなくとも、24世紀以降から見ると違和感がきついでしょう。
日本史だと古代=平安時代まで、中世=室町時代まで(戦国時代・安土桃山時代を含むかどうかは微妙なところ)、と分けますが、近代として江戸時代と明治・大正をくっつけてしまうのは違和感が大きいので江戸時代を「近世」とし、四区分するのが現在一般的な時代区分だと思います。

お尋ねの「現代」は、「直接その事件を体験した老人が多数生きている、社会に重大な影響を与えた事件」より後、と言えると思います。現時点だと第二次世界大戦終結以降、と区切るべきでしょうか。
もちろん、立場の違いにより、世界恐慌で区切る人も、第一次世界大戦で区切る人もいるでしょうが、そこに歴史観の違いが現れるのだと思います。

じゃあ100年後くらいに、2006年前後の時期をどう区分しているか?というのはちょっとわかりません。
「古代-中世-近世-近代」という区分を取れば近代になるのは明白ですが……
日本史でのもうちょっと細かい歴史区分だと、飛鳥時代~江戸時代は日本の首都(あるいは幕府など、実質的な政治権力の本拠地)の位置、明治以降は天皇の在世期間で区切るしきたりですので、その伝で言うと平成時代、とまとめられている可能性が高いです。
300年後くらいだと、明治・大正・昭和(戦前)まとめて「大日本帝国時代」か「帝政時代」、昭和(戦後)から平成以降の適当な区切り(将来起こるであろう大事件)までを「日本国時代」か「民政時代」とでも呼ぶのだろうと思います。(時代名のセンスが良くないのはご容赦のほど。首都(政権中枢の位置)が東京から動いてないので「東京時代」という言い方はもっと将来にならないと現れないでしょう)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
大変参考になりました

お礼日時:2006/01/21 11:24

 面白いご質問ですね。



 戦前の本などをよむと、明治維新前の時代のことを、「近代」と呼んでたりしますね。室町くらいからだったかな。そもそも統一した呼称だったのかどうか。いまでも「近世」の始まりや終わりは各論あるようですが。

 歴史という学問は、本来切れ目のない時間の流れの中で変転する人間の営みを、解釈、区分をしようとするものです。
 いまの時代区分も相対的なものでしょう。けれど、上記のように区分しようとすることはなくならないと思います。

 すると、いまの「現代」が終わったと、後世の歴史家が判断するような大きな社会変動が、どんなものになるのか、いままでの歴史を参考にしながら考えるのは、面白いし、意味あることだと思います。といいますか、それをするために歴史学はあるんじゃないかな。

 「現代」は、いわゆる十五年戦争の敗戦とともに始まりました。政治的には民主主義体制、経済的には急速な発展期~高度維持期、国際政治(はやくいえばパワーバランス)では、米国の影響下、とまとめられるかな。

 どれがどういうふうに変わるでしょう。私は、まさに今、それぞれの「体制」が、かつてないほどに、変革を迫られているような気がします。もうすぐ「現代」は終わるかもしれないな、と。

 きっかけが、戦争でなきゃいいんですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2006/01/21 11:24

今、現実に生きている人々が自分の生きている時代を呼ぶときに使うのが「現代」という言葉です。


したがって、200年先に生きている人にとっても、その人々が生きている時代が「現代」なのです。そして、その人々にとっては、我々が生きている時代は200年前の過去、すなわち「近代」「近世」等と呼ばれることになるでしょう。

「現代」はいつまで続くのかではなく、その時代に生きている人々が、自分たちの生きている時代を呼ぶ言葉として「現代」という言葉は永遠に続くことになります。

また、「未来の人々が今の時代をどのように呼ぶか」に関しては、「近代」であり、「近世」であり、「中世」であり、数万年後には「古代」として一括りにされて呼ばれるかもしれません。

いま我々が近代、近世と呼んでいる時代も、その時代に生きていた人々にとっては「現代」であったわけです。「現代」「近代」などの呼称は、時代に生きている人々から見た呼び名ですから、一言では決められないわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2006/01/21 11:25

今の時代を未来の人がどう呼ぶかは分かりません。

もし我々が使っている歴史の時代区分が踏襲されていれば20-21世紀は近世又は近代に区分されるでしょう(はっきりしているのは彼らにとって現代ではない)。

歴史を古代、中世、近世ー(近代)-現代と区分する方法はヨーロッパの歴史観です。これらの区分が具体的に指す時代は中国史や日本史とは必ずしも一致しません。それぞれの国(地域)で大きく時代を変えた歴史的出来事を中心に考えるからです。日本人にとって
徳川体制や明治維新は大きな時代区分になりますが、欧米人にとってはローマ帝国崩壊やルネッサンスの始まりほどのインパクトはないでしょう。

歴史学の時代区分が500年後も維持されるか、新しい区分法がとなえられるかにもよりますが、少なくとも「現代」は彼らの住んでいる時代から200年は遡らないでしょう。今は我々にとって現代であり、未来の人にとっては「過去」です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2006/01/21 11:26

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