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政治経済を教える立場ですが、こんな質問を生徒から受けたら困るなあ、ということを質問します。香港・シンガポール・オーストラリア・ニュージーランド・カナダなどの旧英領の通貨単位はドルです。それなら、ポンドを使ってもおかしくないと思うのですが。1944年のブレトン=ウッズ協定で、ドルを世界の基軸通貨とすることが影響しているのでしょうか。そのことを含めて、ドルになった経緯について、御教示いただければ幸いと存じます。

A 回答 (2件)

国内外通用する呼称としてドルを使っている国と、そうでない国とがありますよね。



例えば、台湾は対外呼称としては「ニュー台湾ドル」ですが、国内表示は「元」です。そして紙幣には「円」(旧字体)で表記されています。
香港も同様ですよね。


ただ、仰る英連邦国については、国内外でも正式名称でドルを用いています。が、その殆どは、かつてはポンドであったようです。
どうもドルに切り替えたその経緯は、ドルの影響力もさることながら、通貨を(計算しやすい)十進法へ切り替えるにあたって、(当時十進法を採用していなかったポンドから)既に十進法を採用していたドルにシフトした、という状況のようです。

【オーストラリア】
http://www.gaitame.com/gaitame/gaika/gaika1.html
http://www13.ocn.ne.jp/~uk_fan/jpage/library/lb_ …
http://www.ajf.australia.or.jp/aboutajf/publicat …
オーストラリアではどうも、十進法移行時(1966)に、ドルに呼称を改称したようです。

【NZ】
http://www.mitumine.gn.to/nz/sub2page1.htm
こちらも同様ですね。


また当時のポンドはその勢いを弱め、基軸通貨としての役割が危うくなる経緯を辿る最中だった、ということも大きく影響しているかと思います。
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we61/wp-we61 …
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we62/wp-we62 …
従って、ポンドを採用しているデメリットの方が大きくなり、ドルへシフトした、
まさに世界経済の趨勢と歩調を合わせ(ざるを得なかっ)た、ともいえるかもしれません。


以上徒然ですがご参考なれば・・・
もしかするとこのあたりも少し関連で参考になるかもしれません・・・
http://www.tradition-net.co.jp/kouza/gk_kouza/gk …
(為替表記の2通りのルール)
http://www.eigotown.com/culture/story/kenkyusha/ … (ドル記号の云われ)
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございます。英連邦と言っても、御本家にはつれない態度ですねえ。そう言えば、『月と6ペンス』のように、かつてのイギリスはややこしい通貨単位でしたね。御本家はユーロに加わらずに頑張っていますが、同じく頑張っているスウェーデン・デンマークともども、いつまで続くのでしょうね。

お礼日時:2006/02/23 10:28

はじめまして! 学生時代、煩悩のわずらわしさを思い起こさせる政経は、ふれるのも煩わしい、、専門家に任せておけばいいと、試験勉強もせず、、が、庶民が頼りにしてる専門家の影が小泉自公政権になってから、あから様に影が異常に薄くなってるのので還って不安に感じ、、数ヶ月前からOK通し、勉強し始めました。

。ですから、、勘違いしてるところはどうぞご教示ください。
S61年発行、矢島きん次、小室直樹著から考えて見たいと思います。

1944年ブレトン=ウッズ協定は1930年代のイギリス発世界恐慌の反省から米国世界経済への移行でしょうか。
19C、世界の4分の一、豊穣肥沃の地は殆んど植民地化し、世界経済を支配しポンドは基軸通貨であった。が、IWWに勝ったものの、傷は深く衰退は帝国の隅々に始まり、前身に波及していく。しかも英国人はまだ、そのことに気づいていない。この大事crynicalな時期に、基軸通貨であることをいいことに、高金利と£高政策で繁栄を演出した(1925~31)。実力の無い見せ掛けの経済は32年、大規模な£売り介入で為替を切り下げた。£暴落し、大量の国債を売り、それまで広大な植民地の関税など貿易障壁を出来る限り取り払い、£を基軸通貨として自由貿易主義に腐心していたが、とうとう!オタワ協定により保護貿易主義に転向。大恐慌、ヒットラー政権らの始まりです。。

しかし、、1927年のこの世界恐慌の百年前からイギリスでは産業革命と相前後し、ほぼ十年周期で小規模な恐慌が起こっている。。
1825年、 36年、 47年、 57年、 66年、、この小規模恐慌が最終的に
1873~96年イギリス大恐慌に繋がる。産業革命とともに、労働者の生活の貧困、激しい労資の対立、失業という深刻な社会不安を引き起こす。。これらの恐慌の度に資本を巨大化することで世界の大富豪となったのが、ユダヤ人ロスチャイルド、ロックフェラー、モルガン、シッフ、ヴァールブルグ、ハリマン、ミルナー家だけが千回中で恐慌で貧困にあえぐ中、その機をチャンスに確実に巨大な富を確実に蓄積していく事実。
IWW十年(1927~29)米ウォール・ストリート金融不安に端を発し、金本位制の崩壊、世界大恐慌。金の保有量不足とインフレで通貨が紙切れになった。
その十年後、1939年、IIWW。

「政治には偶然に起きるものは何も無い。何かが起きればそれもそのように計画されていたと考えて間違いないものだ。」(フランクリン・ルーズベルト)

この回答への補足

回答はありがたいのですが、何が言いたいのが理解しがたいものがあります。ポンドの失墜は分かりますが、旧英領なのに何故ドルか、という質問に直接お答えいただきたいと思います。また、現在、同じドルという名称でも、レートが異なっています。元は同じだったのが、その後変動したのか?元々異なっていたのか?そういえば、固定相場制時代の私の子供時代のゲームで、香港ドルのレートは米ドルの6分の1くらいだったなあ、ということを思い出しました。

補足日時:2006/02/21 08:46
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