アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

<前提>中1の息子です。ADHDで専門医に見てもらってます。知能は人並みで、定期考査は常に学年で10傑にいます。だから養護学校には行けません。教職員は熱心ですが、非常に厳しい指導を行ってます。 <経緯>宿題プリントをなくしてしまい、提出に窮した息子は、あろうことか隣クラスの友人のプリントを借りてきて、名前を書き換えて提出し、当然、その日のうちに発覚しまた。激怒した教師が息子に対し指導するなかで「お前の通知表は1だからな!」と言われました。<質問>通知表5段階の1というのは、いかなる基準で評価し、いかなるプロセスで誰が承認するのでしょうか?また、不服の場合には、本人もしくは保護者は異議を申し立て可能でしょうか?もうすぐ学期末の評定時期なので、どなたか教えて下さい!。

A 回答 (6件)

>通知表は1だからな



成績がよいのに教師の権限だけで1という評価を与えることは出来ないと思いますよ。これはお灸をすえる意味で出てしまった言葉だと思います。実際、他の人のプリントの名前を書き換えて自分が提出したかのように装う。ADHDという問題があったとしても少し度が過ぎてしまったと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
そうですね、ADHDだからといってもやってはいけないことです。
本人だって分かっているんです。
でも、状況や背景等々によりそうなってしまい、その結果、友人、クラスメイト、先生、と多くの人に迷惑をかけたと落ち込んでいました。
1は先生の単なる脅し文句であればいいのですが。

お礼日時:2006/03/01 18:53

その時点で学校か、その先生の家に電話して文句を言ってもいいと思います。

どう考えても職権乱用としか思えず、その先生が本当に1にするつもりはなかったとしても、もっといい対応の仕方があったはずです。それによってあなたのお子さんは傷ついているはずですし、一度クレームを入れたほうがいいと思います。試験の前にしたほうがいいと思います。それが解決しないと勉強に励むのが精神的に難しいでしょうし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
試験は先日終りました。おっしゃる通り試験勉強には身が入らなかったようです。

お礼日時:2006/03/01 13:49

教員をやっています。

今回のことでは通知表が1になることは無いです。「お前の通知表は1だからな!」という言葉はきっと先生がカッとなって言ってしまっただけだと思います。
成績の評価基準はその学校や先生によって多少の差はありますが、現在は絶対評価なのでそれぞれの観点(通知表を見ると書いてあります。興味関心とかでだいたいABCで評価してあると思います)に対してどのくらい出来ているかで最終的に1~5の評価をします。それぞれの観点の重みはまた違ってきますが、今回のプリントの件では態度や意欲といった部分に響くと考えられます。ですから多少の評価の低下はしょうがないと考えてください。
ただし、成績はテストの点とか授業態度や様々なものを総合して考えるので、プリントのことだけで1になることはありません。
もし、通知表が1になっている場合は、まずなぜそうなのか、詳しく説明を求めてください。(不服ではなく、あくまでも説明をもとめること)教師側は成績に関して説明責任があるので必ず応じます。そのとき、それぞれの観点の評価の元になったものを提示してもらい、おかしな所が無いか良く見てください。おかしい所があれば(テストで100点なのに理解の部分がCになっているとか)その場で指摘し、訂正等が無い場合は学年主任もしくは教頭、校長先生に話してください。
学年末の評価は指導要録に残り、最終的に高校受験のときの調査書に書かれることもあるので、おかしいと思ったら学校に聞いてください。
最後に、成績は各授業担当者が行い、校長が承認します。(必ず通知表の中身を見ているとは限りませんが)
まあ、これまで4や5を取っていた生徒が急に1になったらまず担任が所見を書くときにおかしいと思うはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

現職の方からのお答え、まことにありがとうございます。
大変参考になりました。
「不服ではなく、あくまでも説明を求めて」コミュニケーションしようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/01 19:16

きっと、息子さんはどうすればよいのかという焦りで、自分なりに「提出すること」を1番の目的として考えた結果だったのでしょうね。

典型的なADHDの行動だとお見受けしました。

にも関わらず、「ADHDとはいえいきすぎた行動」など、周りの理解が得られず、とても苦しい思いをなさっていることと思います。「理解ない言動」がいかに身を切られるほどのつらさか、私も経験上わかります。

さて、対処ですが、下の方がおっしゃっている通りです。また、今回の教員の言動は障害についての理解が低すぎるような気がします。何故、息子さんがこのような行動を取ったのか(悪意なくしたことであるか)は説明されたほうがいいかと思います。

学校では、このようなトラブルが多く予想されますので、そのたびに学校側と話し合いをするのが得策かと思います。
どうか、息子さんが楽しく学校生活が送れるように願っています。

この回答への補足

やはり経験者の方のお言葉は、心にしみます。私たちの苦しさを分かって下さるんだーと、妻と一緒に涙を流しています。
偽装提出の状況の補足します。
宿題プリントは期限の10日も前に配られていたそうです。本人は前日の晩に探し始め、自宅のどこにも無く、翌朝一番に学校を探しましたがやはり無く、その授業が始まる直前にプリントを借りて来ました。授業の中で答え合せが始まりました。机上の借り物のプリントでカモフラージュしました。それでやり過ごすつもりが、「回収します」の声で凍りついたそうです。答え合わせが始まる時点で「忘れた人ー?」の先生の問いかけに数人が挙手していたらしく、今更になって正直に告白できず、回収が進むので、やむなく友人の氏名を自分に書き換えて提出した。とのことです。
担任の教師は生徒への当たりはかなりきついらしいです。
ADHDのことは本人の強い希望で教職員以外には公表していません。それでも、学校側への障害の理解と配慮については、入学以前段階から校長はじめ管理職、担任、養護教諭にと面談や配布物等で要請しています。しかし、mmyyさんの仰るとおり理解が低く困ってます。公表してないのでやりにくいのは分かりますが、「問題ありませんよ。」と「忙しい」ばっかりで向きあってもらえません。
物の管理、時間の管理がとにかく不得手、やるべき事とやりたい事の順序立てができない、これまでの失敗を教訓にできず繰り返してしまう。ADHDの特性とはいえ、親は心配でたまりません。

補足日時:2006/03/01 19:17
    • good
    • 0

こんにちは。

小学校の現職の教員でこれまで軽度発達障害を持つお子様を何人か受け持ち、専門医やカウンセラー、保護者の方と連携を取りながら指導に当たってきました。今は縁あって大学院で児童の不適応について研究している者です。

質問者様の息子さん、学校で理解が得られず苦しい立場なのだろうお察しいたします。軽度発達障害が取り上げられるようになって約10年が経ちますが、いまだにこのような対応が現場でなされ、生徒・保護者ともに苦しまれている現状に同業者として胸が痛みます。息子さんの様子はその後いかがでしょうか。一見忘れたようにけろっとしていても、叱られることや失敗することへ過度な恐怖感を持ったり、「どうせ自分なんか」という気持ちになっていないといいのですが・・・。

専門医に見てもらっているのであればご存知のことと思われますが、中1というこの時期は、自分の失敗や自分がみんなと違うかもしれない感じていることから生まれる不安を、「いかに自尊心の低下に結びつけず、次回への教訓として生かすか」という思考パターンの定着が不可欠で、それには失敗を指摘されることはあってもそれでも息子さん自身が周囲に認められていると思えるくらいの支え(甘やかしでなく)が大切です。これらの配慮について、質問者様は「学校側への障害の理解と配慮については、入学以前段階から校長はじめ管理職、担任、養護教諭にと面談や配布物等で要請している」とのこと、最大限の努力をされていると存じます。しかしながら、文面から察するに指導した教師のはき捨てるような言葉を聞くと、その配慮の必要性が十分に理解されていないように感じました。

今回の件で大切なことは、息子さんが過度に叱られることを気にして「忘れたら大変」という気持ちが大きくなり(このこと自体は大切なことですが)、次回の類似経験において素直に忘れたことが言えず、「家でプリントがない!」と取り乱すようになったり、「どうせ俺なんか先生に嫌われてるから」と自分を大事にできなくなる芽が含まれることです。ADHDのお子様は自分がどう見られているかについてとても敏感ですので、自分なりの対処法を見出せず困っているときに、周囲の人間が自分行動に不満を持っていると感じ、それに応えられない自分の姿を意識しだすとそれが過度なプレッシャーとなり、解決の選択肢を考えることに正面から取り組むことができなくなりやすいという特徴を持っています。時間や物の管理、行動事項の整理立てで苦しむことの多いADHDの障害特性を考えるとき、質問者様の息子さんは「前日の晩に探したこと」「朝早く行って探したこと」など、本当によく努力されていると思います。もしそれが保護者様の助言であったとしても、「対処を自分なりに実行したこと」を、どうぞ存分に褒めてあげてください。

また、学校に関しては通信表の評価について確認するだけでなく、一連の経緯の中で、「息子さんが前日や当日の朝にどのような行動をとり、当日の授業中どんなでいたか」「その後、どうであるか」「今後、学校と家でどんな点に配慮すべきか」なども話しあわれると、今回の経験を息子さんにとっていい方向に生かすことができると思われます。

中学校では、「教科担任制であることから教員自身が生徒の障害特性や適切な指導法・指導技術を理解することの必要性をあまり感じていない場合が多いこと」、「部活で週末もなく、問題行動(非行・生徒間人間関係)への対応で気持ち的にも余裕がないこと」などもあり、発達障害への理解・対応という点では保護者の方の心配の具合に比して、学校の対応はいまひとつという場合が多く見られます。場合によっては、軽度発達障害の諸特性は「生徒のわがまま」「親のしつけ不足」位にしか捉えておられない教員もいるのが現状です。万が一、学校側があまりに話し合いに乗らないときには、学校に指導方針を明確にする責任があるということを理解してもらうために、「特別支援教育の実施に伴い発達障害を持つ子どもには個別の支援計画が立てられ、学校・家庭で配慮すべき目標が学校で立てられると聞きましたが、うちの息子の場合には個別にどのようは指導の方針が立てられたのかご指導いただきたい」と、正論から校長に釘をさしておくことも必要かもしれません。

最後になりますが、学校との交渉において「入り口は異議の申したて」でも問題はないと思うのですが、最終的にはできるだけ「合意」「協力」の形となるようなことを願っております。これは「学校とは、子どもという人質を預けているところ」というような意味ではありません。子どもにとって依存する大人(親はもとより、学校では好むと好まざるとに関わらず立場的に教師が依存相手となります)が反目しあう形で終わることは、純粋な感受性を持つ軽度発達障害の子どもにとってとてもストレスフルなものとなります。「自分がどう行動すべきかをいかに意識していくか」、その定着こそがこれらの障害特性と付き合いながら生きていく上で大切と思われますので、親と保護者の反目に気を取られて、お子様自身が自分と自分を取り巻いているそのときの状況に意識が向けられなくなることは、大きなマイナスとなると思われます。

質問者様の願いが学校に通じ、お子様の中学校生活が充実したものとなりますよう祈っております。また、質問者様が使っていないにも関わらず「障害」という表現を用いないと回答ができなかったこと、私の表現力のなさとお許しください。

この回答への補足

ponchan816様。
ありがとうございます。
今晩、補足を書き込みます。
では、また。
P.S「障害」は普通に使っていますのでお気遣いいりません。

補足日時:2006/03/02 13:01
    • good
    • 0
この回答へのお礼

理解者、専門家の各位の回答に大変勇気付けられました。妻も「身も知らずの家の子の悩みに真剣に答えてくださってありがたいね。」と申していました。
先週、私は学校長と2人で面談させてもらいました。初めはおよび腰だった先生もやがて真剣になってこられ、気付けば75分も経っていました。
結論は教職員の人数が足りないのでお宅の子だけ特別という訳には行かない、というニュアンスでしたが、「18年度の取り組みの中に考えましょう」ということで終ってます。一歩前進です。
明日三者面談日です。成績通知に納得いかなかったら十分説明を求めるつもりで行ってきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/16 08:23

ADHDという言葉は有名になっても、なかなか実態や対策まで現場の教員に浸透していないのが実状です。

関係者の方々の御心配は察するにあまりあると思っています。

私が感じるのは、医者の診断が出ない程度の多動児や、医学的に「健常」の生徒は同じようなことをする可能性はないのか、いや、おおいにあり得るのではないか、ということです。そして、「非常に厳しい指導」はそれを誘発してはいないか、ということです。
「健常児」になら「お前の通知表は1だからな!」と怒ってもよいとは私は思いません。
まして、特別な配慮を要請されているお子さん相手のことであれば、その問題性は重大でしょう。

教員は本来、指導のプロであるべきです。しかし、具体的な指導のノウハウは、現場に即して系統的に学ぶチャンスは基本的にありません。

意欲と意識のある教員は、自覚的に研鑽するでしょう。日曜日の自主研修会に参加したり、それを主催する教師もいるのですが。

圧倒的多数の教員は、新米の頃のわずかな先輩の指導と、自分自身の生徒時代の経験を頼りに、上からの「いやいや受ける研修」「納得すること抜きにそういうものだと従う研修」を通じて微調整された教育方法で指導しているのではないでしょうか。

軽度発達障害についての研修は、官製研修でさえも盛んに行われています。しかし、それが授業実践と結びつかない「机上の理論」に終わっている場合がきわめて多いように思われます。

ひとつには、管理職に権力を集中しておきながら、「生徒の指導」という基準で管理職が選ばれていないため、校長・教頭段階でも、なかなか理解が深まっていないということも少なくないと思います。

気がついた人が発言するしかありません。学校の価値観から見て「弱い」立場の人たちが一番最初にそういう問題に気付くのだと思います。
御家族の感じられている問題点を、率直にお話しいただけると、多少は前進があるかもしれません。

反応が鈍いことも半ば覚悟の上で、何度も意見を出してみてください。

この回答への補足

皆様、ご丁寧な返答ありがとうございます。
息子が中学進学してからのこの1年間、折り目節目で不安と挫折と無力感に陥っていました。小学校との落差に親として中学校との接し方が分からず、悩んでいましたが、勇気が出てきました。
Ama430様の回答は、私たち夫婦が学校に対して抱いている不満の核心部分を突いて下さっています。教師のスキルアップが組織としての仕組みになっていない事です。教育技術の向上のための教育プログラムがどうなっているのか、人づてに聞く風評では『その先生個人の意欲任せになってる』との事でした。
特別支援教育の対象は学年に数名かもしれませんが、その子は1日の大半を学校で過ごします。そこが居心地わるいとしたら、どこに行けばいいのでしょう?保健室やカウンセリングルームに逃げることで解決するわけではないと思います。本来いるべき教室の自分の席での学習の時間そのものが居心地いいものにすることでしか解決しないのではないでしょうか?40人をもれなく居心地よくできる技術を獲得させるように学校管理職は教員を教育するべきではないでしょうか。
Ama430様の回答に、日本の教育制度のバックボーンの脆弱性が述べられていると思います。ありがとうございました。

補足日時:2006/03/03 23:29
    • good
    • 0
この回答へのお礼

理解者、専門家の各位の回答に大変勇気付けられました。妻も「身も知らずの家の子の悩みに真剣に答えてくださってありがたいね。」と申していました。
先週、私は学校長と2人で面談させてもらいました。初めはおよび腰だった先生もやがて真剣になってこられ、気付けば75分も経っていました。
結論は教職員の人数が足りないのでお宅の子だけ特別という訳には行かない、というニュアンスでしたが、「18年度の取り組みの中に考えましょう」ということで終ってます。一歩前進です。
明日三者面談日です。成績通知に納得いかなかったら十分説明を求めるつもりで行ってきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/16 08:22

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!