アレクサンドロス3世、いわゆるアレキサンダー大王の眼がヘテロクロミアだった、
とネット上にありました。
フィリッポス2世とアレクサンドロス3世について、大学で2年間学んだのですが、
眼の色なんて知りませんでした。

ヘテロクロミアは飼っていた白猫がオッドアイでしたけど、人間では白人で稀にあるだけだそうですね。
でも、それはゲルマン系など色の薄い民族ではないでしょうか?

ご存知の方がいらっしゃいましたら、お願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

白猫」に関するQ&A: 白猫について

A 回答 (1件)

はじめまして。


正式には、虹彩異色症と言うらしく、人間の場合、後天的な遺伝子疾患でも目の色が変わったりするようです。
ちなみに、アレクサンダー大王は、オッドアイで有名だったと思いましたが…

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%86% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は、ウィ○ペディア「ヘテロクロミア」から調べて初めて知りました。
有名だったのですか!?
それも初耳でした。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/03/19 10:45

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qオッドアイについて

ずっと不思議に思っていることがあります。
人間にも「オッドアイ」っているのでしょうか?
よくネコや犬ではいますけど人間では見たことがありません。
いる場合はどんな色をしているのでしょうか。
日本人の目は黒が優性遺伝なので、もしいるとすれば外人に限定されるような気がします。
知っている人で日本人なのに目の色が薄い緑がかっている人がいます。
とてもきれいでうらやましいのですが生まれつきでしょうか。

Aベストアンサー

「オッドアイ」ほどはっきりは出ないかもしれませんが、
ハーフなんかだと出る話はきたことあります。
でも、遺伝子の問題で、確率はものすごく少なかったと思います。

Qアレキサンダー大王が世界征服を達成していたら

”アレキサンダー大王が世界征服を達成していたら、地中海・近東・アジアにおいては「ヘレニズム的仏教」が世界の基軸思想となり「キリスト教」の出番は無かった。”
以上の様な言説をアーノルド・トインビー氏がしたらしいのですが、その「出典・著書」を何方かご存知ないでしょうか?

Aベストアンサー

'If Alexander the Great Had Lived On', in Toynbee (ed.): Some
Problems in Greek History (Oxford University Press, 1969):early steam engines are combined with early rail tracks to allow the Greeks to form a mighty empire.Arnold Toynbee considered what might have happened if Alexander the Great had not drunk himself to death in 323 B.C. at the age of thirty-three. … The world religion he envisions under a global empire ruled by a continuous succession of Alexanders is a hellenized version of Buddhism, highly plausible given the extraordinary similarity between the teaching of the popular Greek philosopher Pythagoras and those of the Buddha.

これじゃないかな 出典が
http://alternatehistory.net/discussion/showthread.php?t=60801
で、サイトが、もしかしたら、これもあった歴史かも というサイトなので、本当の出典にあたる必要がありますが、トインビーが書いているから、それもありだね、なんて感じで、トインビーの文章を引用しているので、これかも。

'If Alexander the Great Had Lived On', in Toynbee (ed.): Some
Problems in Greek History (Oxford University Press, 1969):early steam engines are combined with early rail tracks to allow the Greeks to form a mighty empire.Arnold Toynbee considered what might have happened if Alexander the Great had not drunk himself to death in 323 B.C. at the age of thirty-three. … The world religion he envisions under a global empire ruled by a continuous succession of Alexanders is a he...続きを読む

Q白猫ってオッドアイ率が高い気がする

白猫ってオッドアイ率が高い気がするのですが、
気のせいでしょうか?

Aベストアンサー

親からの遺伝 突然変異など色々な要因があると思いますが
白猫はオッドアイが出やすいみたいです

うちに以前居た真っ白な白猫ちゃんは
綺麗な茶色の瞳でした

Qアレキサンダー大王の墓について

こんにちは。
アレキサンダー大王の墓についてお伺いします。

1.アレキサンダー大王はアジア遠征を終えた直後の紀元前323年バビロンにおいて熱病のため死去しましたが、その後同大王の遺体はどのように処理されたのでしょうか。当時エジプトではミイラ処理、ローマでは火葬、ペルシャでは風葬とさまざまな方法がとられていたようですが、同大王はいかなる方法によって埋葬されたか記録や伝承はあるのでしょうか。

2.大王の遺体は、バビロンからマケドニアに搬送される途上、部下のプトレマイオス将軍によって奪取され、エジプト・アレクサンドリアに移された後に陵墓がつくられたとされていますが、アレクサンドリアの具体的にどのあたりに墓が作られたのか記録や伝承はあるのでしょうか。

3.大王の陵墓の形状や大きさについて記録や伝承はあるのでしょうか。

4.大王の陵墓については、ローマ帝国のアウグストゥス帝やカラカラ帝が参拝したことが判明しているものの、その後の記録はないと聞きました。大王の墓はいつ頃誰によって破壊されたのか、現代ではどのように推測されているのでしょうか。

こんにちは。
アレキサンダー大王の墓についてお伺いします。

1.アレキサンダー大王はアジア遠征を終えた直後の紀元前323年バビロンにおいて熱病のため死去しましたが、その後同大王の遺体はどのように処理されたのでしょうか。当時エジプトではミイラ処理、ローマでは火葬、ペルシャでは風葬とさまざまな方法がとられていたようですが、同大王はいかなる方法によって埋葬されたか記録や伝承はあるのでしょうか。

2.大王の遺体は、バビロンからマケドニアに搬送される途上、部下のプトレマイオス将軍に...続きを読む

Aベストアンサー

1、マケドニア人の葬儀は土葬らしいです。死の間際にはマケドニア兵たちによる最後の別れが延々と行われていたようで、何の処理もされてないと思われます。葬儀はペルシャ流の喪の風習に従ったらしいですが、とにかく遺体をマケドニアの首都アイガイに運ぶことになったようです。詳しい記録はとくにありません。

2、アレクサンダー大王の墓は、複数あり、どれが本当かわからなくなったというのが実像です。プトレマイオス1世は320年に大王が神官からエジプトの正統な王と認められ地メフィスに最初の墓をつくりましたが、彼は後に自分の王国の首都としたアレクサンドリアに第二の墓をつりました。さらに百年後、プトレマイオス4世は、第三の墓を作り、その周りに歴代のプトレマイオス朝の王の遺体を集めて集団墓地にしたとされます。
その後、ローマ時代からその終わりにかけて、歴史が隔絶し、いくつもの間違った説が登場します。特にサン・マルコ教会の近くとか、ナビ=ダニエルのモスクと同じ場所という説などは、その後の歴史家を大いに混乱させ、このローマ後期の別の墓がアレクサンダー大王の墓だと信じれていたのです。1991年にアルバトルの墓がアレクサンダー大王の墓とする説が主張されましたが、このプトレマイオス時代の墓は時代的にはあうものの、碑文等がないので仮説は不明のままです。
ちなみにシリア砂漠のあるオアシスにある墳墓がアレクサンダーの墓だというような主張もあります。

3、アレクダンドリアの図書館には記述がある図書があったかもしれませんが、それらは失われています。

4、アレクサンドリアは度々、地震に襲われていて、また都市も荒廃しました。ローマが撤退して以後は、イスラムの侵出と、大型船の時代に合わない港湾設備のために交易も衰退し、誰かが壊したのではなく、忘れされれていったというだけです。また長年つかわれた都市というのは、時代を経るごとに古い時代の上に新しい町ができていきます。アレクサンダー大王の墳墓も地下墳墓とみられているので、上に別の建物ができたということです。

1、マケドニア人の葬儀は土葬らしいです。死の間際にはマケドニア兵たちによる最後の別れが延々と行われていたようで、何の処理もされてないと思われます。葬儀はペルシャ流の喪の風習に従ったらしいですが、とにかく遺体をマケドニアの首都アイガイに運ぶことになったようです。詳しい記録はとくにありません。

2、アレクサンダー大王の墓は、複数あり、どれが本当かわからなくなったというのが実像です。プトレマイオス1世は320年に大王が神官からエジプトの正統な王と認められ地メフィスに最初の墓をつく...続きを読む

Qオッドアイというのは、眼の色が片方ずつ違うことでありますが、眼球そのも

オッドアイというのは、眼の色が片方ずつ違うことでありますが、眼球そのものが色が違うのはなにかの病気でしょうか。私の目は普通に見るとなにもおかしくないんですが広げてみると上下の色が違うんです。わかりにくくてすいません。眼球の上半分は白く、下半分は薄い黄色でそれが両目なんですが、それは普通なんですか?

Aベストアンサー

普通はそうだと思います。わたしもそうです。

Qアレキサンダー大王が世界征服を達成していたら

アレキサンダー大王が中国・インド・地中海世界を支配下に置いていたら、「仏教」教義と融合したヘレニズム的な合理主義が世界の根幹思想となり、その後の「キリスト教」は歴史に登場する出番が無かったと誰か著名人が言ったらしいのですが、これは妥当なところなんでしょうか?

Aベストアンサー

1:インド以東遠征の可能性
アレキサンダー個人はともかく、従軍したマケドニア・ギリシャ兵にとっては、遠征の目的が「ペルシャ打倒」でしたので、ペルシャを打倒した段階でそれ以上の遠征のモチベーションはわかない。旧ペルシャから従軍した兵に関しても、文化圏が違うので、遠征のモチベーションは低い。

2:仏教の優位性
仏教がインドに於いて優位になったのは、アショカ王時代であり、それはアレキサンダーの後。アショカ王以前においては、インドにあるいくつもある宗教の一つでしかなく、仏教が(仮想)大アレキサンダー帝国において国教等優位な宗派になるかどうかは確定できない。すくなくとも、アレキサンダー大王には、ペルシャ文明に対する尊敬の念はあっても、インド文明に対する尊敬の念はないようように思えますので、アレキサンダーおよびその後継者が仏教を国教等優位な宗教として採用する可能性は低い。

3:キリスト教の出番
その著名人の発想には、教義の優れているものは、自然に拡がりそれより劣った教義の宗派は広がり得ないという因果律があるように推測します。多くの宗教が生まれ、栄枯盛衰を重ねながら現在も存在しているという事実から、そのような因果律はあり得ないと思います。
歴史的な仮定があまりに突飛なので、キリスト教自体が生まれたかどうかはわかりませんが、1,2の可能性自体が果てしなく低いと考えますので、この3自体を考えることは思考実験としても限りなく可能性が低いものだと考えます。

1:インド以東遠征の可能性
アレキサンダー個人はともかく、従軍したマケドニア・ギリシャ兵にとっては、遠征の目的が「ペルシャ打倒」でしたので、ペルシャを打倒した段階でそれ以上の遠征のモチベーションはわかない。旧ペルシャから従軍した兵に関しても、文化圏が違うので、遠征のモチベーションは低い。

2:仏教の優位性
仏教がインドに於いて優位になったのは、アショカ王時代であり、それはアレキサンダーの後。アショカ王以前においては、インドにあるいくつもある宗教の一つでしかなく、仏教が(...続きを読む

Q「オッドアイ」の別名

左右の瞳の色が異なることを「オッドアイ」と呼びますが、同じ意味の別の言葉が思い出せません。

類似の質問(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=372633)などを検索した中で、「ヘテロクロミア」「バイアイ」、また日本語で「金目銀目」「金銀妖瞳」という言葉があるのは調べました。あと、「フェアリーアイズ」という言葉をどこかで見た覚えがあります。

上記以外に、カタカナの単語で同じ意味を指す言葉があったような気がするのですが……私の気のせいかも知れませんが。もしかしたら、小説などの特定の作品中で用いられた、あまり一般的ではない言葉だったかも知れません。
ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。なお、私が知りたいのはカタカナの単語でしたが、日本語で上記以外の表現にも興味がありますので、ご存知でしたらお教えください。

Aベストアンサー

虹彩異色症というのもありました。

Qアレキサンダー大王は東へ

 意味のない質問かもしれませんがアレキサンダー大王は東へ行き次々と征服していきましたが西の方、つまり古代ローマの方には関心がなかったのでしょうか?

 その時代ローマよりも東方のペルシャの方が魅力があったとは思いますが西のローマの方も簡単に征服できたのではと思ってしまいます。なぜ東の方を選んだのでしょうか? 

 西にローマという国があったのは知っていましたよね?

Aベストアンサー

ローマの存在は知っていたでしょう。しかしイタリアは当時のギリシア世界から見れば、辺境、未開の地。対するペルシアはもともとギリシアの宿敵でもあり、ギリシアからみてもなお古代の文明を保つ先進国であったわけです。
またアレクサンドロスはマケドニアの王ですが、まず父王とアレクサンドロスの2代でギリシアを統一します。したがってこの後のペルシア征服は逆に見ればギリシア連合軍による第4次対ペルシア戦争なわけです。ただし今度は受けてたつのではなく、侵略ですが。

Q人間は、極めて利己的な生物であるにも関わらず

人間はこうあるべきだと語り、自分は美しい人間だと信じ込んでいる人間ほど愚かな人間はいない、
そういう人間は、口から出る優れた言葉に反比例して優れた行動が少ない。
と言っていました。
あなたはそういう人間ですか?

Aベストアンサー

こんばんは



>「人間はこうあるべきだと語り」

「「こう」でなければ、人間ではない」?



>「自分は美しい人間だと信じ込んでいる人間」

「「美しい人間」だと、思いたい人間」なら、どうでしょうか?



>「・・・ほど、愚かな人間はいない」

他者に対して、そうした定規を振るう時、でしょうね。



>「口から出る優れた言葉に反比例して優れた行動が少ない。」

一つひとつ吟味して、是は是、非は非、というのみ




>「人間は、極めて利己的な生物であるにも関わらず」

まあ、利己・利他というのも、そんなに簡単ではない、単純ではない、と思いますけど


「(自分以外の)人間は、極めて利己的だ」と言えば、不特定多数への攻撃になるでしょうし、
「(自分を含めて)・・・」と言えば、自分への甘やかしともなるのでは。





>「と言っていました。
あなたはそういう人間ですか? 」

違うと思いたい。

Qアレキサンダー大王の目的は?

アレキサンダー大王の行動パターンは織田信長と通ずるように思いますが、彼は宿敵ペルシャに復讐する為にペルシャに侵攻しますが、ペルシャ征服後も進撃をやめずインドまで進んでいます。

この間に度々本国から増援を得て兵力の回復を図っていますが彼の飽くなき征服欲に部下の兵や指揮官の反乱が度々起こっているにもかかわらず、強圧的に鎮圧して進撃を続行しています。

勿論ペルシャ侵攻後次第に心境が変化したことは承知していますが、彼がそこまで進撃に拘った理由は何でしょうか?

単なる征服欲、病的な偏執狂だったのでしょうか?

Aベストアンサー

部下の兵や指揮官の反乱はアレキサンダーの「支配地との同化政策」にありました。

つまり、
「征服しに来たのか?征服されに来たのか?わからん。」
「勝利した旨みが無い。」
という非常に現実的な不平不満です。

一方、アレキサンダーを突き動かしていたのは
「世界は統一できる!」
という、古代ギリシア的な世界観でしかわからない「夢とロマン」であり、
軍事的天才、超人的強者というイメージだけでは捉えられない「別の理由」です。

むしろ「宗教的価値観と現実的価値観は別」と考えていた織田信長とは対極をなす人物だ、と思いますよ。

「私は冷たく湿ったエレメントから火へと突入しなければならない、インドへの進軍を行なわなければならない!」

この言葉の意味は参考URLをご覧下さい。

参考URL:http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/weltgeschichte/weltgeschichte4.html


人気Q&Aランキング

おすすめ情報