No.13
- 回答日時:
#3、6です。
>日本は本当に真珠湾を攻撃する必要が有ったのか?
対米戦の愚かさを最も強く主張し、日独伊三国同盟に徹底して反対し、そして真珠湾攻撃を立案、実行したのが山本五十六という同一人物だから、この問題の根は深いのです。
陸軍や海軍内の同調派が「米国組み易し」と対米戦に意欲満々で、その流れを押さえつける強い政治家が存在しませんでしたから、山本としては戦わざるを得なかったのでしょう。
>英蘭に宣戦布告しただけでは米国は対日戦に介入はできません。また、米国議会の80%は対日戦には反対でしたので、英蘭と日本の戦争に対して軍事介入する決議が通ることはまずありません。
#11さんのご回答ですが、まさにその通りです。真珠湾攻撃は、当時の日本の外交感覚のお粗末さから出た
「最悪の選択」
だとしか断じざるを得ません。米国通の山本五十六が政治家ではなく、軍人だったのが当時の日本の不幸だったのかもしれません。
しかし真珠湾攻撃しなくても、中国問題で日米は対立し続けていたでしょうから、戦争は時間の問題だったとも言えると思います。でもそれで敗戦を招いて
「軍部」
というガン細胞が消滅したのですから、別の観点から見れば、あの戦争は日本が復活するための大手術だったとも考えられなくもないです。
この回答への補足
ごもっともなご意見!
私も#11さんの様に思っていたのでこの設問をしたのですが#12さんの意見はもっともだと思いますその辺が対米戦反対の五十六が真っ先に真珠湾と言った処に繋がるのでしょう。
No.12
- 回答日時:
ちょっと補足を・・
アメリカは今も昔も最高権力者は大統領です。
たとえ議会の80%が反対でも、大統領権限を使えば、会期末ならば時間切れで廃案、そうでなくても2/3以上の賛成でなければならないというハードルを引き上げることができます。
当時の大統領ルーズベルトは国民的英雄です。慣例である2選までをやぶっても勝利できるほど強い大統領です。
さらに、宣戦布告は議会の権利でありながら、あの国では第2次大戦以降ほとんど宣戦布告はしていません。
なので、日本が英、蘭に布告した場合、強制的にでも参加してくることは容易に予想されます。
それ以前に、日中戦争が開始してからの中国国民党に対して、航空機、人員などの支援を相当量行っていたりしています。となれば、英蘭だけに布告してもとてつもない量の援助をオーストラリア戦線やインド方面にばら撒くのは必須・・・
さらにもし宣戦布告を受ける側となった場合、緒戦の勝利の鍵であったフィリピンのB-17郡撃滅が不可能となるため、かなり危険な状態となります。
あの時点で米にだけ宣戦布告をしないという選択肢は、ありえなかったと考えられます。
結果的には負けとはいえ、あの時先制攻撃をかけたのは、作戦上では良策だったと考えられます。
ハルノートについてですが、これは内容を事前に日本側が察知していたという説があり、まあこれなら飲んでも・・・とかんがえていましたが、いざ出てきたらまったく違う内容であったとされています。
おっしゃる通りだと思います。確かにフィリピンのB-17郡撃滅なくしては東南アジア確保は難しいですねましてや宣戦布告されたら・・本国を守ることすら不可能に近いですね。
日本にしてみれば中・米との仲介にソ連を期待したにもかかわらず独がソ連に攻め込んでしまい独にしてみれば欧亜と離れた戦場に英軍を分断させるはずが日が米に攻め込むしグチャグチャやん日独思惑大はずれこれじゃぁ・・・・
No.11
- 回答日時:
あの時点で回避する方法はあります。
真珠湾を攻撃しないこと、フィリピン、グアムに軍を進めないことです。英蘭に宣戦布告しただけでは米国は対日戦に介入はできません。また、米国議会の80%は対日戦には反対でしたので、英蘭と日本の戦争に対して軍事介入する決議が通ることはまずありません。
そもそも質問のきっかけが此処でした。
日本は本当に真珠湾を攻撃する必要が有ったのか?
英領の石油確保だけでは足りなかったのか?
事実真珠湾攻撃の報を聞いたチャーチルは此れでやっと枕を高くして眠れると言ったとか?!
この形で質問すると又すげー量の回答が来るんだろうな(-_-;)
No.10
- 回答日時:
ハル国務長官は、ハルノートを出す直前まで
・日本軍の仏印からの即時撤退
・関内(中国本土)の占領地の放棄
・中国本土の日本軍の段階的な撤退
のかわりに、
・アメリカが満州国を承認
・アメリカの対日石油禁輸解除
といった線での妥協を強く考えていたようですね。
この線であれば、当時の日本としても十分に妥協可能だったでしょう。当然、戦争も回避されます。
ところが、態度をあいまいにしていたルーズベルト大統領が、突然強硬姿勢を鮮明にしてハルノート(満州国を含む即時撤退)という当時の日本としては受け入れ不可能な要求になりました。
No.9
- 回答日時:
まず無理でしょう。
どこまで巻き戻せば回避できるか・・・という話になりますが・・・
まず、三国同盟。これは結ばなかったとしても結局中国利権での対立は残りますので、どちらも譲歩しなければおそらく武力衝突は避けられないでしょう。
三国同盟は、世界情勢と国力図を正確に見ることができなかったという点で非常に大きな失点であると考えます。
日中戦争を起こさなかったら・・・回避できたかもしれませんが、これを起こさないということは実質的に中国進出を放棄することにつながりますから、当時の政権と世論を考えれば難しいと思います。盧溝橋で回避しても、結局似たようなことを誰かしら起こすので、遅いか早いかの問題のような気がします。
満州事変・・・これは直接的なアメリカとの対立はないですが(ただし中国進出を考えているアメリカの神経を逆なでしたことは間違いないです)、国際関係を全般的に悪化させました。そのため、起こしたことによる国際的な不利はどうしようもないですが、起こさなくても、変わるかというと難しいかと思います。
では、第1次世界大戦・・・これも直接的な影響はないです。結局日英同盟はアメリカが嫌ったためどちらにしても破棄せざるを得ないですし。
日露戦争。このあたりがターニングポイントのような気がします。もしこの戦争で敗北して中国への道を閉ざされていれば太平洋戦争の直接的要因はなくなりますし、買ってもアメリカの利権を大きく認めれば(まあ認めること自体ありえないでしょうけど。せっかくとった植民地ですし)、もしかしたら回避できたかもしれません。
結局のところ、回避するには1世代以上前にさかのぼらなければならないと思います。
実際にはもうひとつ回避する手立てがあります。ハルノートの全面受諾です。ただし、これは行った場合は軍部のクーデターは確実、日本は内戦の火の海となったでしょう。
結局のところ、条約ひとつで火がつくようないびつな国家構造と国家戦略があの戦争の根底にはあるのです。
No.7
- 回答日時:
基本的には利権の争いですから、それを放棄する事によって「戦わずに済む」道はあった訳です。
歴史的には日清戦争後の利権を、三国干渉によって放棄したり、シベリア出兵・サハリン占領(傀儡政権)に関してその利権を一部放棄して、ソ連との友好条約を結んだりしている訳ですので、出来ない訳は無かったでしょう。
勿論その場合には、当時の世論(政府自体が醸成したにせよ)が納得しない、軍部が反乱を起すというリスクがあり、それを見極める能力が当時の首脳者に無かったと言う事ですね。
戦争と言うものは、往々にして政府が内政の矛盾を転嫁する為に他国を非難し、それ自体が自己増殖して造り出した政府を誘導してしまうところから始まっています。
ですから「避けれた」ものであっても、ある時点からは政権維持と言う観点からは事実上不可能になります。
これは現在の政治や企業経営においても同様であり、トップに責任が科せられる所以でもあります。
小村寿太郎ならば乗り切れたでしょうね
何故明治の人に出来て昭和の人に出来なかったか?
驕りですかね、人間の弱さ国家と言う物の弱さがここに出で居ると思いました。
No.6
- 回答日時:
>その割には戦後の中国に対するアメリカの対応はお粗末ではありませんか?
戦後のどの辺りから、どの辺りまでをお粗末と評価されるのか分かりませんが、確かにお粗末なところもあると思います。まず私個人の考えなのですが、日本もアメリカも基本的に外交下手だと言うことです。
戦時中、米国は蒋介石政権を一貫して支持していましたが、延安の共産党に米軍代表団を派遣して、毛沢東、周恩来などに接触、彼らに対して非常に高い評価する報告をしています。当時の蒋介石政権の腐敗が目に余るものだったのと、日本軍に対する戦いぶりを見て、国民党に成り代わる存在になるのでは、と考えたようです。毛沢東も個人的に米国にとても親近感を持ち、憧れを抱いていたことは有名です。
ところが戦後トルーマン政権になって反共一色、共産圏包囲という硬直した冷戦外交になってしまい、中国共産党とのパイプも切れて、逆に蒋介石政権も当てに出来ずに結局国共内戦でも国民党に大したテコ入れもできず、事実上中国の共産化を許してしまいました。朝鮮戦争では両国は実際に戦火を交えることになります。ここは非常にお粗末だと思います。
ところがスターリンが死んで、フルシチョフが登場しスターリン批判をしたことによって逆に中ソが対立関係に陥ってしまいました。毛沢東はアメリカの自由帝国主義とソ連の社会帝国主義に挟まれて、極度の危機に陥りました。私は文化大革命発生の遠因もそこにあると考えていますが、ベトナム戦争も激化し、とにかく毛沢東は窮地に追い込まれました。
そこで登場したのがニクソンです。彼はコテコテの反共主義者ですが、既に共産中国を承認していたフランスのド・ゴールやドイツのアデナウアーなどの意見も参考に、共産中国との関係を改善することによって中ソを分断することを考え付きました。そしてキッシンジャーを極秘派遣して、周恩来と会談させました。毛沢東としても願ったりかなったりということになり結局、ニクソンが電撃訪中し、米中が一転友好関係に入り、逆にソ連が米中に挟撃される事態に陥りました。
巨大な共産圏が分断され、ソ連の崩壊の道が敷かれ、中国が改革開放路線を進む出発点になったのは、このニクソン電撃訪中です。それ以後のアメリカの中国政策は、概ねニクソン路線に準じています。ニクソンはウォーターゲート事件などで米国国民にもイメージがよくないですが、政治中枢では無類の中国・アジア通として高く評価されています。冷戦終結の端緒を作ったニクソン外交は決してお粗末なものではないと、私は考えます。
No.5
- 回答日時:
おはようございます。
話は少し違うところから入りますが、日露戦争の戦費はイギリスから半分、ユダヤ系アメリカ人の資産家から半分調達したと聞きます。ということは、その当時から合衆国の財政・政治は、かなりの部分ユダヤ系の人々に握られていたのではないかと思います。
大東亜戦争前、当時の日本は、愚かにもドイツとも手を結びました。それがアメリカの中枢部の感情を逆なでしたのではと思います。それに、ドイツ、イタリアは何を持っていたというのでしょう。油を持っていたでしょうか?
日本の中枢部がその辺の事情をよく考えて手を組む国を選んでいたら状況は変わっていたのではないかと思います。
この回答への補足
ドイツとの同盟は当時のスローガンはバスに乗り遅れるな!なので勝ち組に乗ろうとしたのでは?
イタリアはドイツについてたおまけ?別に欧州から資源を運ぶなどとは思って無いと思います。
No.4
- 回答日時:
ターニング・ポイントが幾つかありました。
1)日露戦争後、満州経営にアメリカを引き込まなかったこと。
他の方の回答にあるように、太平洋戦争(大東亜戦争)の本質の一つは日本と
アメリカの中国利権の争いです。
日露戦争後に動きがありましたが、満州鉄道の経営にアメリカの鉄道王が
乗り込もうとしていました。
結局はつぶれましたが、ここでアメリカを引き込んでおけば、中国利権を共有
することができ、後の戦争は無かった可能性は否定できません。
2)第一次世界大戦で、ヨーロッパに陸軍を派兵しなかったこと
第一次世界大戦で苦戦したイギリスは、同盟国日本に二個師団の派兵を求め
ました。
しかし日本は、結果としてそれを断り、そのことが戦争後の日英同盟破棄の
要因となります。
当時の世界は覇権がイギリスからアメリカに移ろうとしている時代でしたが、
もし日英同盟が継続していれば、東南アジアや中国において日本とイギリス
が利益を共有することも可能であり、少なくとも中国をめぐってアメリカと
イギリスが手を組んで日本と対峙する構図は避けられたでしょう。
3)盧溝橋事件を収拾せず、事態を拡大させたこと
盧溝橋事件は偶発的事故でしたが、現地では停戦協定が成立していました。
ところが、当時の近衛内閣は拡大方針へと転換。さらに軍を派兵します。
このことが蒋介石の態度を硬化させ、日中戦争は拡大しつづけることとなり
ますが、劣勢に陥った蒋介石が英米を引き込んだので、後の太平洋戦争(大東亜戦争)
は避けられなくなりました。
この回答への補足
1>日露戦争で血を流したのは日本人なのにアメリカは何の権利があって満州国に乗り込むのですか?
2>日本は早期から前面参戦を決め英外相グレイの要請により地域制限をしたと認識していますが?
3>問題は此処です!此処で初めて米国を先に引き込み満州国の利権を分けるわけには行かなかったのか?
と書いてから気付きました。そのことを踏まえた上で1の時に米国を引き入れとけば良かったと言う事でしょうか?
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