No.9
- 回答日時:
一騎打ちは、部下を戦わせないことに意味があります。
兵と指揮官の関係が組織化された軍隊の形になれば、そのようなことは少なくなりますが、曹操にしても劉備にしても最初は、ヤクザの親分とか金で集められた食いはぐれの浮浪者を武装化したものでした。
ですから、部下にしても相手のボスの方が腕っ節が強く能力があると分かれば、そのままついてくる場合もありました。
100人の手下を率いている親分同士が、部下を戦わせお互い50人死傷したとなると、勝って相手の部下を吸収しても戦力は増えません。
一騎打ちをすれば、どちらの親分も部下を倍増するチャンスがあることになります。親分にしても戦って見て負けるとわかれば、殺される前に相手の部下になる手もありますしね。
また双方の部下が、親分同士の一騎打ちを望むこともありました。国や家族を守る必要の無い者たちにとって、利害関係があまりない場合、優秀な親分に付きたいので、親分に一騎打ちを望んだわけです。
三国志後半になれば、組織がしっかりした軍のトップなので、一騎打ちは少なくなります。
No.8
- 回答日時:
> 中国はいくら人口が多いとはいえ、万単位又は数十万単位で本当に軍が動いていたのか疑問です。
実戦部隊は兎も角、後方部隊も含めれば数十万単位で動員が行われていたと考えられます。ただし、おそらく最大の動員数であったであろう赤壁の戦いであっても、実戦部隊は荊州の水軍を併せても、多くても五十万人程度であったと考えられます。
> 水上戦ではどんな感じの戦い方をしていたのでしょうか??
#2の方が答えておられるとおり、矢戦、衝角戦および乗り込んでの白兵戦です。これらの戦法は、近代まで受け継がれます。
> 実際に落とし穴や火計などの策略はあったのでしょうか?
当然あったでしょう。とくに火計は屡々用いられたようです。ただし、赤壁の火計はありませんでした。この時は、曹操側に疫病が発生したため兵を引いた、と史書にあります。
この他に用いられた計略としては、水計があります。特に黄河や長江流域を計略として洪水を起こさせる作戦などがあげられます。
> 一騎打ちはやる人にとってどんな得があるんでしょうか?
多分、実際には一騎打ちはあまり行われなかったと思われます。勝てばよいのですが、負けたときのリスクが大きすぎますから。実際、三国志が扱っている時代は 100 年以上あるのですが、一騎打ちが行われる場面は前半1/3、特に劉備の死の前後までに集中しています。
ということなので、単に「華を添える」存在ではないかとおもいます。
> 一般的な野戦、篭城戦、攻城戦での攻め方、一般的な布陣を教えて下さい。
籠城・攻城は布陣はあまり関係ないので省略。基本的には兵糧責めと手薄なところに集中攻撃をする、という二つになります。
野戦の布陣としては、部隊にも依ります。包囲殲滅をもくろむつもりであれば鶴翼の陣などが有名です。また、戦略的後退→挟撃という方策も屡々用いられているところです。
やはり百万と言うのは誇張のしすぎみたいですね
策略は結構あったみたいですね。
水計は私も存じております。
組織的な戦いになる前の時は結構したようですね。
統制が取れてくるとわざわざ危険を侵す必要が無くなったのですね
回答ありがとうございました
No.7
- 回答日時:
・中国はいくら人口が多いとはいえ、万単位又は数十万単位で本当に軍が動いていたのか疑問です。
A 100万と呼称してもその実80万だったりします。
遠隔地で戦闘行動しようとする場合、現地で徴発を行う部隊、後方との連絡の確保に当たる部隊、兵站にあたる部隊等、戦闘行動する以外の部隊も必要となります。
トータルで考えればそれなりの数は動かさざるをを得ません。
・水上戦ではどんな感じの戦い方をしていたのでしょうか??
弓矢、弩による比較的遠距離戦、直接相手の船に乗り込む移乗白兵戦、赤壁の戦いで有名になったような「火」を使った戦いでしょう。
・実際に落とし穴や火計などの策略はあったのでしょうか?
あったと思います。古の孫子の兵法に記載されているくらいですし、中国大陸で森林が少ないのは、火計のとばっちりで焼けてしまったという説もあります。
・一騎打ちはやる人にとってどんな得があるんでしょうか?
三国志時代に限らず、近代以前では、指揮官の個人的武勇次第で部隊の戦闘力が違ったという事実があります。
自分達の指揮官が、敵をなぎ倒すのを見れば、その部下も、思わずその気になります。また、指揮官が討ち取られれば、その部隊の士気も下がります。
つまり一騎打ちは、相手の、部隊としての戦闘力を奪う、最も簡単な方法のひとつなのです。
・一般的な野戦、篭城戦、攻城戦での攻め方、一般的な布陣を教えて下さい。
言えることは、集団戦が主だったということです。
横隊がいくつも並んだものと思います。
伝令以外、軽易な通信手段が無い場合、必然的に鐘等を使用した音響信号による合図と各級指揮官によるリレー式の統率で戦闘を行うことが主だったからです。
騎馬戦等の機動戦の場合、先の尖った三角形のような陣形を取る場合もあったと思います。
少しは誇張しているのですね
確かに補給などの後方支援なども入れたら結構な人数になったかもしれません。
水上戦の基本的な戦い方は、一昔前とあまり変わりませんね
鐘、太鼓、煙の伝令方法は有名ですね。
乏しい連絡方法でよく戦えたなと感心してしまいます、
回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
1)戦の人数は古今東西必ずと言っていいほど誇張が有ります得にこの頃の中国はひどかったとか・・・
2)日本海海戦を戦った参謀秋山真之は村上水軍の兵法を取り入れたちといます全戦力を持って敵の一部を壊滅する火器と火矢の違いだけで後はあまり変わりないかと。
3)落とし穴や火計は日本の戦国時代も多く使われています勿論大いにやったでしょう。
4)本人は負けるとは思ってないでしょう、現代の格闘家でも負けると思って試合に望む人はいないと思いますが死はそれほど恐れでは無かったのでは?現代よりも寿命も短いし死はもっと身近なものだったでしょう。それより名や何よりも強い奴には挑戦せずには居られない。バカボンドの伊藤一刀齋言うところの「鍛えた腕をこの男にぶつけたら最後に立っているのはどっちなのか・・・・・・・・・・・・・・・・俺に決まってんだろ!!!!」まさに此れこの心境は誰に求められないでしょう張飛などは確実にこのタイプでしょうね皆が押さえ込んで止めても引きずって行って「俺にやらせろ!!!!」って叫ぶ奴(^_^;
5)この頃には主だった兵法書あったみたいなので日本の戦国時代の陣立てとあまり変わらないのでは?城攻めではむしろ三国志のほうがまさってたりして。
日本海海戦の戦いに似ているんですね
分かりやすい例えです
死を恐れず、負ける気がしないから戦っていたんですね
猛将ならだれでも負けるとは思わないからでしょうねw
No.5
- 回答日時:
>中国はいくら人口が多いとはいえ、万単位又は数十万単位で本当に軍が動いていたのか疑問です。
動いたと思います。この頃は飢饉も起きていて民衆は食べる事が出来ない状態ですので、黄布に参加したり、政府の兵員募集などに応じたりしたと思います。そうすればとりあえず食べる事が出来ますので。
そのかわりそのように集めた兵は錬度が低いので陣形などの運用は出来なかったでしょう。それに戦闘になればほとんど逃げたと思います(民衆がただ武器を持っただけですから)。
>一騎打ちはやる人にとってどんな得があるんでしょうか?
名前を売る効果があるのではないでしょうか。あとあと報酬に影響しますし、もらえる役職にも関係してきます。
そして、いざ自分の仕えている君主(国)が亡くなった時名が売れていれば別の君主に登用してもらえますし。
兵は飯がちゃんとありますからね
錬度が低い兵はただの脅しとして運用されていたのでしょうね
一騎打ちで勝った時のメリットは分かりますが、負けたら死ぬか確実に戦に負けて捕虜になりますよね。
やはり死がそれ程恐い物ではなかったのでしょうか
No.4
- 回答日時:
#2です
一騎打ちについて追記しますと、
『己の武勇(誇り)の為』と言う要素もあると思います。やはり腕に自信があれば相手の挑戦を受けない=逃げた=臆病者の誹りを受けてしまいます。それは引いては自軍の士気にも影響するでしょう。(自軍の兵士から支持されなくなる=軍をまとめられない)
時として己の立場よりも己その物が優先される時があると言う事ですね(男として)
自分が猛将だったら、名声が下がったり士気が下がるのは一大事ですね。
そのためにやらざるを得なかったのでしょうか
二度の回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
・中国はいくら人口が多いとはいえ、万単位又は数十万単位で本当に軍が動いていたのか疑問です。
三国時代の人口は魏450万・呉250万・蜀100万程度でした。もちろんこれは実人数ではなく中央政府が把握できた人数ということですが、これを見る限り数十万の軍を動員することはまず無理でしょう。
・一騎打ちはやる人にとってどんな得があるんでしょうか?
そもそも三国志中一騎打ちといえるものは
呂布と郭汜
孫策と太史慈
馬超と閻行
の三件ですが、個々の事例を見ますと、孫策と太史慈は単なる遭遇戦ですので、損得を考えて一騎打ちをしたわけではありません。馬超と閻行はどうやら戦いのさなかの出来事だったようです。というわけでしっかりした一対一というのは呂布と郭汜くらいしかないわけですね。
このとき呂布にはあまり手勢がおらず不利な状況でしたので一対一の勝負を申し込んだのだと思われます。郭汜がそれに応じた理由ですが、武勇に自信があったので戦を早く終わらせるために行なったのではないでしょうか。
やはりそんな大群は無理ですよね
孫策と太史慈は損得ではなさそうですが、孫策の方にはコウガイなどの、歴戦の将が同行していたのにどうして一騎打ちが出来たのでしょうか??
呂布と郭は有名ですが、この時はまだ呂布の武勇は知られていなかったのですか?
いくら自信があったとしても呂布の申し出を受けないと思うのですが・・・
また質問がでてしまいましたが回答お願いしますww
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
戦闘参加人数は自陣の力を誇張するのが普通ですね。
メリットとして戦う前から相手を威圧する事が出来るからだと思います。普通に考えて人数が多すぎると当時の情報伝達力の乏しさからして統率が取れなくなる可能性が大きいですね。返って自軍に混乱を招く可能性は大いにあります。なので三国志の最後の方は突撃戦は激減し陣を構えた持久戦の様になってきますね。
水上戦は矢を射かけながら接近し、敵船に乗り込む&切り込む。船を体当たりさせて船底に穴を開け敵船を沈めてしまう。のが主流だったはず、矢を射る以上風向き等も大いに影響したと思います。それを軍勢として展開するにあたり側面攻撃等が有効なのですが、相手より早く動けない事には意味がありませんので、操船力も重要だったと思います。
落とし穴や火計についてですが、これは下準備が入念であればあるほど効果的なので、軍勢同士が互いに駒を進めてぶつかる戦闘よりも、待ちうけ型の戦闘に多かったと思います。
落とし穴はどうかわかりませんが、人間は大きな火を見ると冷静ではいられなくなります。なので敵軍を混乱に陥れるという点では大いに用いられたと思います。
一騎打ちのメリットはお互いの代表(最も強い)兵士が戦うので、代表が敗れる=我々(破れた側の兵士達)ではまず勝てない。と言う心理が敵軍に働き、勝った側には相手は大した事ないぞ(俗に言う勢いに乗る)と言う心理が働きます。
また、勝てば相手は指揮官を失う訳で、指揮する者が居ない軍はどうすれば良いのか判らず混乱、もしくは逃げ出す為、後ろを見せた敵を倒す程楽な戦闘はありません。何せ反撃して来ないんですからね。
野戦は様々ですが、主に一点突破から相手の構えを崩してしまうやり方と、広く展開して相手を包囲または側面攻撃をかけるやり方、相手が寝静まっている(防御が弱い)深夜に襲撃する夜襲等
攻城戦は矢等の援護の元にとにかく門を破るか城壁をよじ登るかして城内へ乱入する、逆にそれを阻止できるか?の攻防と城を包囲して封鎖し、相手の兵糧と戦意の消耗を誘う包囲戦になります。
中には無理な攻城戦を仕掛けて破れた振りをして引き上げ、勢いに乗った敵が城から追撃してきた所を逆襲して城内に乱入する等と言った事も行われたようですね。
やはり威圧の為という説が強いようですね。
体当たりは知っていましたが、乗り込んで攻めるのは死人が沢山でそうですね
メリットは大きいですが、わざわざ死ぬかも知れないところに出て行くというのは勇気の居る事ですね
詳しい回答ありがとうございます。
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