教えて!gooにおける不適切な投稿への対応について

よくは知りませんが、日本と中国では兵力に圧倒的な差があったはずです。現に盧溝橋事件からあっという間に首都陥落まで行きました。
そこからは泥沼に陥ってどうしようもなくなるわけですが、
何故その勢いのまま勝てなかったのでしょう?

gooドクター

A 回答 (13件中1~10件)

一番の原因は、「手を広げすぎたため」です。


後は、「被占領地の人々の心を考えなかった」と言うことでしょう。
台湾、朝鮮半島、そして満州と、日本は領土、そして支配地を広げてゆきました。
中国や朝鮮で広く言われているように、日本が占領地から略奪したという史実は、余りありません。もちろん、日本軍は食料等を現地で徴発することが多かったので、衝突や抵抗に遭った事はありました。
しかし、満州、そして南京など、日本占領後、治安が回復し、日本によるインフラ整備が進むにつれ、人口の増えたところもあります。
しかし、日本移民のための耕作地確保など、現地の人々を不当に扱う一部の日本人のため、そして、共産軍の浸透により、反日が激化してしまったのです。
満州地方は、帝政ロシア・ソ連邦と、北の大国の侵略行為に苦しめられていました。何せ、沿海州等から追い立てられ、虐殺された歴史があるからです。ですから、ロシアと戦う日本を民衆が支援していたということもあります。
しかし、日本は、彼らの期待を裏切ってしまったのです。
どんどん支配地域を拡大し、兵力と無駄な資器材と資金を浪費してしまい、さらにこちらが解決する前に大東亜戦争を始めてしまい、日本の国力を超えた多正面戦争を始めてしまったのです。
おそらく、対中国だけだったら何とかなったでしょう。
しかし、蒋介石を甘く見て、外交努力を放棄して、アメリカの介入を招いた時点で日本の負けは決定したのです。
当時の日本が、蒋介石と上手く手を結び、共産軍を封じ込めていれば、現代史はもっと違った展開を見せていたでしょう。
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なぜ日清戦争や、日露戦争に勝てたのかを考えるとすぐわかると思うけど、ようはシッカリとした作戦目標がなかったわけ。



前の2つ戦争は朝鮮半島から外敵の力を排除するのが目的だから、それが達成できたら余計な戦闘はしなかったんだよね。

この日中戦争は誘われるままに戦争に突入したから、兵力の計算や兵站の計算、必要な航空機、自動車、艦船などは泥縄式で戦争につぎ込んでいったわけだ。
しかも、予定していない戦争だから、作戦目標は相手が屈服するまでになってしまう。するわけないのにね。しかもお互いに信頼できる情報網もない。

この時点で日本に勝ち目はないと思う。仮にアメリカ並みの兵力があっても勝てないと思うよ。
さらに日本軍は基本的に防衛軍だから、侵攻作戦には向いていないんだよね。だから、シーレーン防御までに頭が回らなかったり、補給線が切れてれからようやく気づいたりするわけだ。勝っているうちは進めや進め、と言う状態になるから、それを冷静な目で見れる人間が実権を握っていなかったのが痛いなぁ。


これは日米戦争にも当てはまると思う。
開戦やむなし・・・で、どうしたら戦争をやめるの?
相手がまいったと言ったら。
なんてありえないもんね。
何事も念密な計画と準備が必要なんじゃないかな。
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この回答へのお礼

失礼ですが、まとめてお礼させていただきます。
皆さんありがとうございました。
多角的に日中戦争を見られるようになりました。

お礼日時:2006/06/04 15:00

既に 多くの方が言及されておられるように 国力不相応に戦争を拡大させてしまったからです。


端的に言えば 日中戦争を戦いながら対米戦を開始したのが 敗戦の原因です。
中国だけとの戦争なら勝てたでしょうが 相手がアメリカでは どのようにしたって 勝ち目はありません。
作家・評論家の保坂正康氏は「日本の戦争は 或る時点から 美学の領域に入ってしまった。」と述べておられますが 全く同感です。
ロマンティックな国民性の日本は 冷徹な合理性が要求される戦争という巨大な人間活動にも 一種の「日本美」とも言える独特の情緒性・叙情性を土壌にした国民精神でもって対応したのです。
その結果 アメリカという強大な政治力・経済力・軍事力・文化力を持つ大国とも戦端を開いてしまいました。ここには戦争に勝つための合理的な精神はありません。ただ 美学のみです。
これが あの戦争の敗因です。
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再び、違う観点から見ますとドイツのヨーロッパ戦線におけるような機甲師団がなかったのと、決定的な制空権の掌握をしなくて南方戦線へ目を向けてしまった。

陸軍と海軍での航空機開発が縦割りで行われており、他国みたいに一元開発ができず無駄がおおかったこと、海洋国のため軍艦製造へ力を入れており戦車等の開発が遅れてるのと、新規開発されたものの実践配備が遅れたこと。
蒋介石と毛沢東のゲリラ化等色々のものが絡み合い、ノルマンディー上陸の成功によりアメリカの戦力が太平洋へ向けることができた。
ドイツがイギリスを制圧できていたら、イタリアが持ちこたえてたら、ロシア戦線での失敗、ロンメルの敗戦がなかったら戦局はわからなかったかもしれませんね。
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中国は民衆を盾に出来た。


しかし日本は出来なかった。

この差ですね。
モンゴルが中国統一したのは占領した中国人を中国人にぶつけたから統一できたのです。
モンゴル直属の軍隊はほとんど被害を受けてません。
これはローマ帝国も似たようなものです。
自国の軍隊ではなく、占領した場所から軍を編成して領土拡大、または維持させていたのですから。

日本は最後まで日本軍で中国を攻撃しました。
中国領土を占領しそこで新たな大規模軍隊組織を編成して進撃が出来なかったのです。

つまり、占領しても占領地民が増えて軍の負担が増えるばかりで日本が自滅していっただけなのです。
しかも防衛は日本軍。中国人で組織できなかった。

結局戦力分散して遊兵を作ってしまい、ゲリラ戦で各個撃破され続けたのです。
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 こんにちは。


 日中戦争では、中国軍は劣勢になると奥地へ首都を移していきました。これを敗走と見た日本軍は追撃していきます。戦争では、敗走軍を追撃するのが一番効果がありますが、そのために補給路が延びすぎてしまいました。日本軍にとって、首都を内陸へ内陸へと移動させる行動は想定していなかったと思います(通常の戦争は、首都が陥落したら降伏になります)。また、飛行機の数、陸上輸送車も中国を一気に攻めれるだけの装備もありませんでした。
 補給路が延び過ぎたことも要因と思いますが、米英と日本の戦略の違いだと思います。米英は日本との戦争を想定して、日本の軍事物資を消耗させようと考え、その手段が日中戦争です。日中戦争、太平洋戦争とも消耗戦です。資源のある国と無い国が戦争すれば、どちらが勝つかは明白です。
 このような戦略を持った国と戦略を持たない国の戦争だから負けるべくして負けたということです。本題からそれてしまいすいません。
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基本的に幾つかの原因をあげると、


1.国土と人口の差が甚大でありその意味を日本は正確に把握していなかった。
2.国民の自意識が高いか高くなると防衛本能は高くなる事を理解していなかった。

近代戦では兵数と装備、それらの質で勝敗はきまります。 しかしこれは戦闘行為に限られ、戦争目的とは必ずしも同一にならないのが近代戦なのです。

これは個々の戦闘では勝利しながら結局戦争に敗れた日本やイラク戦争でのアメリカの立場をみれば容易に理解できましょう。

当時の軍部の考えでは首都を落とせば勝利という前近代的な思想でいました。  この為無理な強行軍を重ねて首都南京を占領し、これで戦争は終わったと考えたのです。  兵士らは凱旋出来ると夢想しました。
しかし中国側は奥地の重慶に首都を移し、抗戦を継続したのです。

ここで「1」の理由が効いてきます。 遠距離のため当時の日本には攻撃の手段は空襲しかなく、爆撃機だけしか使用出来ない状態で機材、パイロットの損失は多大でした。  幸いゼロ戦の開発が間に合いこの問題は解決しましたが、長途の飛行で燃料消費が大、爆弾搭載量も少なく、与える損害もしれていました。
陸軍の兵力も占領地を拡大していける余裕は無く限界に達しており、補給は現地で略奪するしかない状態でここで「2」の理由が効いてきます。

中国の知識層は本来ナショナリズムに目覚めた所で、大衆は略奪の被害にあって自衛戦争の自覚を持ちはじめました。 ゲリラ戦が始まると日本軍は兵力を自衛の為固定されて攻勢に出るにはさらなる増強が必要でしたが国力の限界でした。
外国の援助は中国軍が攻勢にでる事には寄与しましたが、それがなくとも日本軍は自滅したでしょう。
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中華民国の国民政府は、重慶に移転しました。


日本軍は、沿岸部から遥かに遠い重慶まで陸上を進撃することは不可能です。かつ、アメリカのB17やB29のような「エンジン4発・成層圏を飛び戦闘機で迎撃困難・重防御で容易に落ちない・数トンの爆弾を搭載」の戦略爆撃機は日本にはなく、空襲で重慶を焼け野原にすることも出来ませんでした。

結局、重慶に移った国民政府に対して有効な攻撃を加えることが出来ない以上、蒋介石政府を打倒する事は不可能となりました。
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 基本的には、No.3の方の回答通りです。



 大陸国家の基本戦略で、戦闘主力を温存しながら、どんどん退却してゆき、相手が補給の限界に達したとき、一気に攻勢を掛けます。
 攻勢を掛けて見て、まだ相手の戦闘力が十分にあると判断したら、本隊攻撃を中止し、再度補給路の攻撃に切り替えます。

 侵攻軍は、点=都市と線=補給路を維持するのが精一杯となり、面の支配はほとんどできません。

 ナポレオンのロシア遠征や独ソ戦は好例です。

 また、最近のイラクでのアメリカ軍の状態や1980年代のソ連のアフガン戦争、1970年代のベトナム戦争など、大国が小国を完全占領することさえ、至難の業です。
 大抵は、攻めた方の国の国家財政が破綻に瀕し、戦争終結を余儀なくさせられます。
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中国に対し、アメリカは武器の供与などのコテ入れをしていました。


そして、石油、くず鉄などの輸出を禁止します。

この時点で、戦争の遂行が怪しくなりました。
日中戦争は、石油の備蓄を使い果たしても勝利出来る程簡単ではありませんでした。

日米交渉は一時期、
南方(ベトナム)からの日本軍撤退などの譲歩で、3ヶ月の暫定的な輸出再開まで漕ぎつく寸前まで行きます。(フィリピン付近の安全の保障)

外交電文の傍受で交渉は優位に進みます。

ここで中国の外交手腕が物を言います。
「日本人は嘘がうまい。輸出が再開したら、秘密裏に軍隊を元に戻す。」
「アメリカに攻撃する武器、弾薬、燃料をアメリカから買っているだけだ。」

ここで輸出が再開された場合、中国は絶対に勝てない事を充分認識していました。
更に戦闘機などの供与の増強も依頼します。

こう言う時、
「南方に向かう日本軍の大船団を発見。」
の報告があり、
ルーズベルトは怒りに震えました。
(実は、輸送船3隻の誤報)

翌日、日本には、「最終通告」とも言える内容が付きつけられました。

傍受内容と大きく違う内容で
外務省は対処不能な状態に陥ります。

交渉が上手く行かない場合、12月8日までを期限とする。これ以上の場合戦争を開始する。

この陸軍省の期限以内に外務省は交渉成立が出来ず、

外務省の交渉結果、
「最終通告」と言う結果は、
会戦止む無しの意見を否定は出来ませんでした。
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