No.9ベストアンサー
- 回答日時:
數百年前の歴史上の人物を議論する場合、私達は、その人物の「歴史的な役割」とか、「歴史上の作用、影響」を中心に考へます。
ところが、現代の身近な人について考へる場合、その人の自分に對する影響、自分のその人との係はりかたなどが重要になります。いま、戰國時代の英雄の織田信長について考へると、本能寺の事件以後、信長の武将としての活躍も、政治家としての活躍も、文化の改革者としての活躍も、一切、傳へられてゐません。假に、本能寺から脱出して、どこかで生きながらえたとしても、その後の信長は、小説の中では何らかの題材には成りえても、「武人、政治家、改革者」などとしての信長は死んだも同樣の存在でしかないわけです。
古來、信長は本能寺で死んだと傳へられ、その後も活きてゐたといふ記録は知られないばかりか、天下の著名人であつた信長の、その後の活動記録、あるいは信長に對する見聞記録が一切無いといふことは、「信長は本能寺で歴史的生命を斷たれた」ともいへますし、さう考へるのが、歴史を見る常道であると思ひます。
ご回答、ありがとうございます。
◆文字記録をもって歴史と見做し、文字記録にない人間活動は歴史と見做さないと考える人が多いのですが、私は同意できません。
◆人間の活動の全てを文字で記録することは不可能です。ですから、文字記録がないからといって、人間が居なかったとは言えません。遺跡から発掘される土器や金属器などの考古学的史料が、文字記録のない時代にも人間が活動していたことを証言してくれます。考古学的史料を手掛かりとして、私たちは歴史を推量形で語ることが出来ます。
◆人間の活動の全てを文字で記録することは不可能であるゆえに、文字記録があるとしても、それが歴史の全てを伝えていると信じることは出来ません。文字記録のない部分を推量形で語ってはならない理由はありません。
◆『推量』は歴史の方法論の一つとして認められるべきである。『推量』を認めない歴史学は偏狭な学問である。 ・・と私は考えます。
◆本能寺事件で光秀軍が信長の首を確保できなかったからと言って、また、事件後の、信長の活動記録や信長目撃記録がないからと言って、信長が本能寺で死んだとは言い切れません。信長が光秀軍の急襲を逃れて生き残ったと『推量』することは可能です。
No.11
- 回答日時:
No.6の方の意見に似てますが。
一応信長が生きていたとして勝手に妄想してみますと
信長の気性から裏切りものは決して許さない
→秀吉の下に落ち延びて光秀を討ち取らせた
→その後天下を目論む秀吉に殺され、日の目をみることはなかった・・・
って、これじゃ「信長」らしくありませんね(^^ゞ
----------------------------------------------------
本宮マンガ「夢幻の如く」では本能寺を奇跡的に生き延びた信長は
日本を秀吉に統一させた後、世界統一を目論むわけですが
そのほうがやはり「信長」らしいですものね...
No.8
- 回答日時:
逆の見かたをするならば、信長の首(遺体)を確保できず信長の死を確認できなかった明智光秀はどこかで信長が生きているかもしれないという不安に悩まされる事になりました。
もし誰かが「信長様は生きている!」というデマを飛ばせば、それを打ち消すのに相当苦労していたかもしれません。「信長様はもしかしたら生きているかもしれない・・・」という部分が細川氏など光秀周辺の大名や武将が光秀に味方するのを躊躇ってしまったのかもしれなかったですし、光秀も信長が生きているかもしれないという不安でなかなか眠れず睡眠不足だったようです。(討ち入り事前に朝廷など周辺に根回しをしてなかったため、討ち入り後は説明や説得のためあちこち交渉に駆けずり回るを得なかった過労もあるでしょうけど)
睡眠不足と過労によって判断能力が落ちていた光秀が山崎の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗北を喫して、その逃走中であっけなく死んでしまうのも当然といえば当然という流れでした。
No.7
- 回答日時:
戦国時代の武将の死亡に関しては、医学的な知識も当時はなかったし影武者等のカモフラージュも一般化していたので、遺体の有無を問わず実にさまざまな説(俗説も含めて)が伴うのが普通だよ。
織田信長の墓は本家?とも言える本能寺境内の墓や1970年に発見された高野山の墓を含め全国に十数か所もある。鹿児島にある墓は、信長が本能寺を脱出して密かに鹿児島に逃れたと言う伝説も付いている。その墓ごとにそれぞれのいわれがあるので、一般人ならばお好きな説を信じれば良いと思う。
徳川家康だって、堺の南宗寺に墓が有る。ここには、本物の家康は大坂夏の陣で真田幸村の猛攻で負傷して死亡、その後の家康は影武者だと言う伝説が伝わっている。徳川秀忠が墓参り?に来た歴史的事実等、それなりの裏づけもあったりして面白いよ。もちろん信じる信じないはその人の自由。
No.4
- 回答日時:
質問者様のお考えでは、本能寺の変の後の信長はどこで何してたんですか?記憶喪失になって乞食をしてたとか?
この回答への補足
回答No.2に対する補足に書きましたが、信長は朝鮮半島へ渡りました。そして豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、李氏朝鮮の水軍の司令官になりました。朝鮮の三道水軍統制使李舜臣こそ織田信長なのです。
信長は、日本にいたとき、本願寺攻めで村上水軍と戦い勝利しましたが、日本史上最初の鋼鉄製の軍艦を投入したのが勝利の理由でした。李舜臣(信長)はこの時の経験を生かして鋼鉄製の軍艦を造り、日本水軍に勝ちました。
・・と、まぁ、こういうスト-リーはどうでしょうか? ^^;
No.2
- 回答日時:
城ならまだしも、寺のひとつを包囲することは
たやすいはず。
光秀ほどの武将が、逃げ道をつくるような
ヘマをするとは思えぬ。
万が一、信長が生きていれば、その後
姿を隠し続ける理由がみつかり申さぬ。
この回答への補足
(1)信長は女装して光秀軍の包囲網から脱出した。
(2)本能寺の戦場から逃れ、「部下(光秀)の反乱を予想し得なかった自分に油断があった。警護の手勢が少な過ぎた。天下人になるには自分は甘過ぎる。」そのように反省した信長は、朝鮮半島へ渡り、第二の人生を歩んだ。
・・という考えはどうでしょうか。
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