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織田信長の本陣の警護部隊は、赤母衣衆と黒母衣衆の二つあったと聞きます。要するに身辺警護集団。

豊臣秀吉の本陣には、黄母衣衆とよばれる警護部隊がいたらしい。

では家康の親衛隊はなんと言われるのでしょうか?。
流れ的に推察すれば、さしずめ白母衣衆・・・って所でしょうか?。

武田信玄の身辺は「小十人頭衆」がいたとの事。家康は、甲斐・信濃を統治する際に、この小十人頭衆を本陣警護に用い、やがて八王子千人同心になったとか。
もっと詳細が知りたいのです。

うろ覚えですが、家康の身辺に桑名藩久松松平氏がかかわっていたとも聞きます。

A 回答 (1件)

信長の赤母衣衆と黒母衣衆は、将来有望な勇士十名ずつ。

警護部隊というより、士官候補生と評価すべきかも。
秀吉は信長の真似をして、三十名以上を黄母衣衆として育てました。その多くが、関ヶ原では西軍として戦っています。

家康は織田家の真似が嫌いだったらしいのと、主に絶対服従の家臣を育てる必要性が薄かったから(元々いる)とで、士官候補生制度は導入していません。

ということで、『旗本』が答になるでしょう。
面白みのない答ですけど・・・。

この回答への補足

a-koshino様

いろいろネット検索しても

「御旗本先手侍大将」という言葉しか見つかりませんでした。

やはり伝統ある徳川には譜代の旗本がいるから士官候補制度を導入する必要なかったのですネ。

有り難うございました。

補足日時:2006/07/15 13:55
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