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なぜ、アメリカの国力は強いのでしょうか。双子の赤字を抱えながらでも国力は衰えません。アメリカは強いという先入観で見ていましたが、具体的にはどのような理由が考えられますか。ご存知の方教えて下さい。 

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A 回答 (3件)

ドルが基軸通貨だから、双子の赤字が問題として顕在化していないといえるそうです。


http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%D0%BB%D2%A4%CE …

ただ、ドルが基軸通貨から転落する可能性があるという意見もあります。
http://tanakanews.com/f0315dollar.htm
http://www.panda-mag.net/colum/dollar.htm
http://www.president.co.jp/pre/20050103/002.html

アメリカドルが基軸通貨から転落したら、双子の赤字が問題となって、アメリカの国力が衰えると思います。

あと、コルレス口座をアメリカが抑えているのも、アメリカの国力が強い理由であると思います。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~rtanaka/2002lec/ …

以下『米国愛国者法(反テロ法)(上)』より引用

『2001年9月11日の航空機突入テロ事件は、米国本土への攻撃である上に規模が大きかったので、米国社会に大きな衝撃を与えた。そこでアメリカ政府及び議会は、事件直後から反テロ法の制定に向けて活発に動きだし、早くも10月26日には、「米国愛国者法」という名の反テロ法が成立した。この法律の第3章が、テロリストの資金源を断つためのマネーロンダリング阻止策について定めており、その部分に「金融制裁法」の性格がある。その主要部は以下の通り。
各銀行は、外国為替取引を行なうためには、世界の全地域に支店をもって支店と本店の間で取引を行なうのが一番望ましいが、それは支店維持のためのコスト負担や現地法規制などのために実現することが難しい。そこで各銀行は、世界各地の有力銀行と契約を結び、そこに口座を開設して、外国為替取引について業務提携することになる。この契約を「コルレス契約」と呼び、コルレス契約で開設される口座を「コルレス口座」と呼ぶ。
愛国者法第3章第311条の定めによれば、財務長官は、米国銀行と取引のある外国銀行等が米国にマネーロンダリングの大きな懸念を与えると認めた場合には、その米国銀行に対し、その外国銀行のコルレス口座を開設又は維持することを制限し、又は禁止することができる。』
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/2 …
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2006/07/04 21:17

国民の目が外を向いている。


国内を向き出したら潰れます。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2006/07/04 21:18

日本の自虐右翼政権が


ブッシュを支援してる事も
5%の理由になりそう
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2006/07/04 21:18

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Qアメリカは何故超大国になれたのか

 アメリカは何故今世界一の国になったのか、その原因が知りたいです。

・私の推測では、建国してからまだ歴史が浅く、古い体制にとらわれず、政策がとれる点。

・様々な人種が存在するので、それぞれが納得できる合理的で、効率的な制度が整っている。

・色んな資源が豊富にあるから。例えば移民などの人的資源や広大な土地資源、石油など。

・19世紀の世界ナンバーワンの国であったイギリスと、言語が同種のため、容易に色々な事を学ぶことができたから。

などが理由として挙げられるのではないかと思っています。


この他にも何か、理由が分かる人が居たら教えていただけないでしょうか。

また、今後の世界経済がどう進展していくのか、予想できる方がいたら、その意見も聞いてみたいです。

因みに私は21世紀はアメリカの一人勝ちとは行かないと思います。

かと言って中国もなんだか危うい。

一体、どこの国が覇権をにぎるのでしょうね。

Aベストアンサー

>アメリカは生産基地だった、とありますが、要するにアメリカは独立前、南米で取れた作物などを輸出するための基地だったということでしょうか。

いえいえ。
アメリカ大陸がモロに生産基地だったのは、スペインが南米に進出した頃です。
日本で言えば、戦国時代の頃ですね(ポルトガル人が種子島に漂着した時期)。
この頃欧州はアジアの強国と比べてさほど大差ないレベルでした。
新大陸に人を送り込む力がそれほど強くなかったのです。航海技術も不完全でしたし、身も知らぬ新大陸に行きたがる人がそれほど多くなかったわけです。ですから、南米では金銀の採掘と砂糖などの生産だけを行いアメリカで食べる食糧は欧州から輸入していたほどです。欧州でも出来る事はアメリカでやる余裕はなかったわけです。

英仏が北米に進出したのはもう少し後です。
だいたい、徳川家光が徳川幕府の足場を固めた辺りです。
この頃欧州はアメリカからの富でかなり力をつけてきました。さらに、100年以上も海を行き来していたので航海技術もかなり上達しています。大量の物資を安全に欧州に運ぶ事が出来るようになったわけです。つまり、海を横断するコストが下がったわけです。
またアメリカ大陸が発見されて100年以上経っていたので、アメリカ大陸で生まれアメリカ大陸で育った人も増え始め、見知らぬ大陸が身近になり大陸へ進出する事への抵抗感が和らいだというのもあると思います。当初は出稼ぎの場だった新大陸が第二の故郷になり始めていたわけです。
そうすると、今まで見向きもされていなかった北米でも儲けられるようになったわけですし、アメリカ大陸でも食糧が生産されるようになったのです。

初期の北米の植民地もヨーロッパの為の植民地だったことには変わり有りません。しかし、スペインが中南米でやった事は、略奪に近かったのに対して、英国が北米でやった事は普通の産業に近かったわけです。
普通の産業に近い事をやれば、その植民地が普通の国に近くなるのも当然でしょう。かくして北米は普通の国に近づき、普通の国のように他国の支配を受け入れる事に反発して、独立したわけです。


>給料が良かったから欧州から様々な人がやってきたとは、まるで高度成長期の日本のようですね。
>東京に職を求めて地方から集団就職するみたいな感じですね。

正しくその通り、基本的には全く同じです。
経済では、ヒトでもモノでもカネでも、余っているところから足りないところへ流れるのが基本です。
何故なら、ヒトが余っているならば給料が安くなり、ヒトが足りなければ給料が高くなるからです。同じようにモノならば価格が、カネならば金利が、上下に動きます。
今で言えば中国はヒトが余っているので、人件費が安く。日本はカネ(貯蓄)が余っているので、金利が低いのです。

>産業革命が生まれたのはイギリスだが、それを育てたのはアメリカ…まさにそうですね。自動車や電気・電話など画期的なものばかりですよね。

その通りです。
ぶっちゃけ1860~1950年くらいまでのアメリカは、本当に『神』です。アメリカは、良くも悪くも20世紀のありとあらゆる事に大幅に関わっています。

電気が一般化したのはエジソンが電球の商品化に成功し、普及させたからです。
石油を大々的に利用し始めたのもアメリカが最初です。元々は灯油を光源として用いられていましたが、灯油ランプが電球に駆逐された後は、内燃機関(エンジン)が開発されコレが後のガソリン車に繋がりました。
また、WW1を契機に石油科学が発展し、天然ゴムに変わる石油ゴムが開発され、その後石油繊維も開発されました。WW2ではプラスチックが開発されました。
電話も、ベルがアメリカで開発しました。
コンピューターも殆どアメリカが発展させたようなものです。戦後、電話ネットワークの維持に真空管大量に必要になり、真空管より長持ちして高性能なトランジスタが開発され、これがコンピューター産業発展の起爆剤になりました。

科学技術だけでは有りません。
前述のフォードがはじめた大量生産方式もアメリカ発ですし、何万人という従業員を管理する為の『大企業』という組織形態もアメリカが開発した物です。松下幸之助が考案しその後の日本企業のモデルになった事業部制も、GMのアルフレッド・スローンが考えた組織形態を日本流にアレンジしただけです。
日本の品質管理方法もアメリカのエドワーズ・デミングが研究した物を日本が発展させたものですし、テイラーの科学的管理法がなければ日本の労働者の技能がここまで急速に進歩する事はなかったでしょう。

日本の戦後復興の要因一つは、アメリカで開発された最新の技術をパクリまくったからというのもあります(トヨタの自動車も、ソニーのトランジスタも、シャープの液晶など、戦後の日本の技術の大部分は元を辿ればアメリカ由来のものです)。

当時の日本の技術者たちはアメリカの学会に参加しまくって、発表内容を写真で取り捲ったそうです。当時は『ジャップがなんかやってるぞ』とか笑われていたようですが、必死に研究しまくって一時は追い抜いちゃったわけです。
(当然現実では、このようなやり方よりも本などで勉強したり、特許契約をした事の方が多かったです)

昔の人がアメリカを特別視するのも当然の事だと思います。

・オマケ日本の果たした役割
ただし、新技術開発が得意なアメリカに対し日本が得意だったのは『既存のモノを安く作る』ことでした。良い例が電卓で、当初十万→数千円にしてしまいました。安い→普及という事ですので、日本の果たした役割は小さくないです。
つまり、コンピューターを開発したのはアメリカですが、それを安くして電卓を作ったり、炊飯器や掃除機に搭載させたのは日本で、これが世界のコンピューター市場を飛躍的に拡大させたわけです。

>アメリカは生産基地だった、とありますが、要するにアメリカは独立前、南米で取れた作物などを輸出するための基地だったということでしょうか。

いえいえ。
アメリカ大陸がモロに生産基地だったのは、スペインが南米に進出した頃です。
日本で言えば、戦国時代の頃ですね(ポルトガル人が種子島に漂着した時期)。
この頃欧州はアジアの強国と比べてさほど大差ないレベルでした。
新大陸に人を送り込む力がそれほど強くなかったのです。航海技術も不完全でしたし、身も知らぬ新大陸に行きたがる人がそれほ...続きを読む

Q19世紀中盤の日本とアメリカの国力はどちらが上だったでしょうか?

日本は幕末にペリーによる黒船来航があったため、大国アメリカから恫喝されて開国したというイメージが強いですが、当時の大国といえばイギリスやフランス、ロシアが圧倒的であり、アメリカはウィーン体制化の5大国にも入っていない、辺境の小国であったようです。

19世紀中盤といえば、アメリカは独立後に成長を続けていたものの、米墨戦争や南北戦争といった戦争が多発した混乱期であり、国力の面ではイギリスやフランス、ロシアには到底及ばないものでした。
一方、日本については17世紀前半までは西欧諸国と大差ない軍事力・経済力を持っていたものの、18世紀になると差をつけられ、19世紀にはイギリスやフランス、ロシアには到底及ばないほどの国力にまで転落します。

19世紀中盤、イギリスやフランス、ロシアなどの大国に到底及ばななかった小国であった日本とアメリカの両国は、国力についてはどちらがが上だったと考えられるでしょうか。
なお、日本については天保の改革終了後、アメリカについては米墨戦争終了後、南北戦争開始前を想定しています。

Aベストアンサー

国力を比較する指標はいろいろあるが、その中にGDPがある。
経済史家Angus Maddisonが試算した時代別国別GDPではこうなっている。

1700年
米国:527
日本:15,390

1820年
米国:12,548
日本:20,739

1850年
米国:42,583
日本:21,732

1870年
米国:98,374
日本:25,393

出典:http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls [excelファイル]
ここからダウンロードした→http://www.ggdc.net/maddison/oriindex.htm

1820年頃はまだ日本の方が上だったけど、1850年には米国に追い抜かれてしまった感じ。
他の指標や他の人の試算を使えば別の結論になるかもしれないけど、参考まで。

Qなぜ中国は人口が多いのですか?

数千年前に急激に増えたのでしょうか?
SEXの好きな民族だったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇させました。そのため、古代、二千年とか辺りからすでに人口問題があり、周期的な大戦争や天災で、死んだり、餓死したりで、人口調整がなされていたとも云えます。つまり、昔から、中国は人口が多かったのです。人口密度も高かったのです。
 
  2)上の周期的な人口減少があるということは、それを回復するための努力や、また自然に回復する理由があったとも云えます。その理由の一つは、中国の社会が、農業文明であって、農業文明では、人口調整は自分たちでは行わないのです。つまり、生まれる数だけの子どもを育成しようという文化慣習があります。この結果、戦争・天災などで、減った人口はすぐに回復するということが繰り返され、また、このような経験を蓄積した文化として、「子どもはできるだけ多数造る」というのが、歴史を越えて、文化の基底習慣にもなってしまいました。
 
  3)もう一つの理由として、中国の社会の構造があります。中国は、大家族制社会で、もう一つ大結社的社会でもあるのですが、中国の歴史上の争い、戦争や政争などは、大家族・大結社の規模や、どれだけ、それらを糾合できるかで決まりました。従って、大家族は、人数が多いほどよいというので、農業文化の基本である、子どもは造れるだけ造るという原理以外にも、社会的競争の結果、大家族集団では、育てることのできない子どもは、力ある、大家族の別の家族が引き取り養うという形で、単に、農民家族が多くの子どもを育てるというだけではなく(これだと、個人家族の限界が出てきます)、大家族共同体が、そのなかで、多数の子どもを再生産するという、大共同体レベルで、多産多育成を可能とする社会機構があったので、そういう機構がない農業社会に較べ、多数の子どもが、成長し得たということで、人口増大がすぐ起こったのです。
 
  4)あまり説明が長くなるのも困りますから、もう少し簡単にしますが、次に、社会の「近代化」という問題があります。農業生産を基盤とする社会は、可能な上限まで人口を増やします。国連が食料を援助すると、その援助分だけ、人口が増えて行ったりします。しかし、先進近代国家は、人口減少へと現実的に向かっています。この理由は、高度文化社会となると、餓死の心配などはなくなり、国家の国民支援も、制度的に保証され、子どもをたくさん造って、家族や自分たちの「保険=保証」にしようという必要がなくなることがあります。また、高度文化においえ、義務教育他高等教育も普通となり、生活費用も高くなり、一人の子ども成人させるのにかかる費用が大きくなって行き、多くの子ども育てるということが、合理的でなくなってきます。不可能になるとも云えます。国民全体が、餓死などない、相応に豊かな生活水準になり、義務教育の普及が90%を越えて来ると、こういうことになり、人口増加は逆転して人口減少になります。これが先進国の実状です。
 
  5)現在の先進国も、1世紀前には、実は、人口増大していました。先進国はどこもかも、産業化の時点から較べて、数倍から十倍ぐらいの人口に増え、その後、増加は停止し、減少へと転じます。このパターンからすると、現在世界の後発国は、産業化をすすめ、教育の普及などを進めていますが、この結果としての人口増大があります。衛生思想や技術の普及で乳児死亡率が低下し、人口増大へと転化した国も多数あります。中国もそうであり、1世紀前に較べ、第二次世界大戦などを経過したにも拘わらず、産業化・先進化の歩みの途上の人口増加を経験していると云えます。
 
  インドやバングラデシュや、アフリカなどの人口増加はどうなるのかは、主に第五の理由が共通しています。その他には、インドには、また固有の事情があります。とまれ、中国は、先進国化してしまえば、人口増加は停止するはずですが、「先進国化」というのは、文明の展開で、最初に突破した少数の国々・地域だけに可能で、後発諸国は、そういう可能性はないのではないかという可能性もあります。つまり、中国が近代化・先進化する見込みはないという可能性が高いです。先進化への開始から、実現までのあいだに、日本・欧米で、数倍から十倍ぐらいの人口増加と言いましたが、その数字からすると、中国が近代化を進めて行く過程で、いまから、農業国であった理由での人口増大とは別の要因の人口増大が加わって、まだまだ、増えて行くと考えられます。
 

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇さ...続きを読む

Qモンゴル帝国の滅亡について

チンギスハンが興したモンゴル帝国はなぜあんな大きな帝国ができたのですか。その当時の国はどうして対抗できず滅んだのですか。また、これは教科書にもなかったのですが、なぜあんな巨大帝国が後に滅んだのですか。滅んだ過程がわかる方ぜひともお願いしますむ。中学や高校の教科書で断片的な知識しかなく、ぜひともお願いします。

Aベストアンサー

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、都市という概念がないので食料とかもすべて(生きた状態で)持って移動していますから、「補給」という軍隊において最も重要で最も面倒くさく最も維持しにくいものを維持する必要がないため、桁外れの機動力を持ち合わせていました。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。

しかし、滅びたのもまた遊牧騎馬民族である面が大きい、ともいえます。
遊牧騎馬民族というのは、都市の概念がないですから、そもそも「国」という概念が希薄です。
それをかなり変えたのはやはりチンギスなのですが、それでもモンゴルの伝統である末子相続(つまり末っ子が遺産を引き継ぐ)、そして後継はクリルタイという族長会議で決定(ただ、このクリルタイ、モンゴル帝国では2年くらいかかるんです・・・なにせ、あの広い領地から集まってくる上、このクリルタイも半分宴会みたいなものでして・・)というのがありました。
そのため、チンギスは生前に嫡子4人に領地を分配します。長男であるジュチ家(後のキプチャクハン国)、次男であるチャガタイ家、三男であるオゴタイ家、そして四男であり、モンゴル高原を直接的に保有するトゥルイ家です
そして、三男のオゴタイが継ぎました。しかし、その次が問題でして、グユクというのは酒癖も悪く評判が悪かったのですが、母親の根回しもありハーンとなりました。しかし、これを一番嫌ったのが長男家の当主で一族の長老であったバトゥ(また、四男家も、譲歩したとはいえ面白くはなかったようです。逆にグユクの側にいたのが次男家)。グユクは彼に暗殺されたとも言われています。
その後、トゥルイ家のモンケが継ぐのですが、これが面白くなかったのがチャガタイ家とオゴタイ家。このあたりから兄弟家の間での不和が表面化します。
そして、日本でも有名なフビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。

また、モンゴルの政権といってもほとんどその妻は現地人のため、代を重ねるにつれどんどんモンゴル人から離れていって、しまいにはハーンがイスラム教徒になってハーン位を捨てたり、はてまたキリスト教に染まったり・・
そういう具合に、自然とその地に溶け込んで、消滅していったのです。

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができ...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q1980年のソ連軍と現在の自衛隊が戦ったら自衛隊は勝てるでしょうか?核

1980年のソ連軍と現在の自衛隊が戦ったら自衛隊は勝てるでしょうか?核兵器は除きます。

Aベストアンサー

無理です。

イギリス国際戦略研究所の発行する「ミリタリーバランス1981年~82年版」によると・・
(1980年とは1年違いがありますが、そう戦力に開きはないと思います)

ソ連陸軍の兵力は182万5千人で、戦車の数は4万5千両。
現在の陸上自衛隊は約15万人で、戦車の数は900両。

ソ連空軍の戦闘機数は5300機で、航空自衛隊は攻撃機を入れて約370機。

ソ連海軍の艦艇は・・
巡洋艦37隻。このうち原子力巡洋艦は1隻。またミサイル巡洋艦は27隻で、あとの10隻は砲のみの旧式艦。
駆逐艦は73隻で、このうち41隻がミサイル駆逐艦で、あとの32隻が砲のみ。
フリゲート艦は180隻で、このうちミサイルフリゲートが72隻で、あとの108隻は砲のみ。
他にミサイル艇128隻。魚雷艇220隻。哨戒艇111隻。
潜水艦は核抜きという事なので弾道ミサイル潜水艦は抜きにして・・
原子力巡航ミサイル潜水艦が47隻。巡航ミサイル通常型潜水艦が22隻。攻撃型原子力潜水艦が52隻。攻撃型通常潜水艦が138隻。
これに対し、海上自衛隊は護衛艦が50隻、通常型潜水艦が16隻。

難しい話は抜きにして、ただ単純に戦力をぶつけあったなら自衛隊は高性能な兵器により多大な損害をソ連軍に与えるでしょう。しかし、最終的には数の差で圧倒され敗北すると思います。

ちょっと小難しい話をすると、自衛隊に日本が守れるかというと、無理です。日本の弱点は海上交通路です。貿易ができなければ日本の命取りです。そしてペルシャ湾、インド洋、南シナ海、太平洋の広大で長い海上交通路をわずかな海上自衛隊の戦力では守りきれません。ソ連の大潜水艦隊の通商破壊戦に敗北するのは必至です。

ですが、それはまあ置いておいて・・もしソ連軍が日本に侵攻するとしたら・・
まずは準備でしょう。西から極東に戦力を移し、航空基地を幾つも建設し、全ての揚陸艦をソ連太平洋艦隊に配属し、沿海州沿岸にスカッドC地対地ミサイルを数百基集結させます。
そして、まずは千歳基地にミサイルでの一斉攻撃を行います。沿海州沿岸から千歳までは500キロに達しません。スカッドCなら十分に射程内です。また、潜水艦発射巡航ミサイルも使用します。長距離爆撃機から発射する長距離空対地ミサイルも使用します。このミサイルは射程が300キロもあるので、長距離爆撃機はミグ戦闘機の援護を十分受けられます。バジャー、ベアといった長距離爆撃機は460機もあります。
ミサイルの波状攻撃、飽和攻撃により千歳基地を無力化します。
いかに高性能の戦闘機、対空ミサイル部隊でも数が多すぎて対処できないのではないかと思います。戦闘機も基地と滑走路が無ければ戦えません。他の基地に行くか、民間空港を利用するしかありませんが、そこで補給・整備の体制を整えるのは大変でしょう。
千歳の次は三沢です。
北海道の制空権が取れそうなら上陸作戦を開始します。イワン・ロゴフ級揚陸艦1隻、アリゲーター級戦車揚陸艦14隻、ロプチャ級戦車揚陸艦12隻、ポルノクヌイ級戦車揚陸艦52隻を中心とする揚陸艦隊です。この艦艇の数なら一度に720両の戦車を運べます。二往復すれば、早くも質的にはともかく数的には自衛隊の戦車の数を凌駕します。三往復すれば自衛隊の倍の数の戦車です。
ソ連太平洋艦隊はその援護です。日本の潜水艦対策には機雷原を構成し揚陸艦部隊に近寄らせないようにします。あとは空と海上の対潜部隊に厳重に監視させれば十分でしょう。
そして、南下し順々に攻略していきます。
スペツナズなどの特殊部隊を日本各所に侵入させ破壊工作も行います。
数の少ない自衛隊は非常に苦戦を強いられるでしょう。
つまりはソ連軍の勝利という事で。

無理です。

イギリス国際戦略研究所の発行する「ミリタリーバランス1981年~82年版」によると・・
(1980年とは1年違いがありますが、そう戦力に開きはないと思います)

ソ連陸軍の兵力は182万5千人で、戦車の数は4万5千両。
現在の陸上自衛隊は約15万人で、戦車の数は900両。

ソ連空軍の戦闘機数は5300機で、航空自衛隊は攻撃機を入れて約370機。

ソ連海軍の艦艇は・・
巡洋艦37隻。このうち原子力巡洋艦は1隻。またミサイル巡洋艦は27隻で、あとの10隻は砲のみの旧式艦。
駆逐艦は73隻で、このうち41隻がミサイ...続きを読む


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