現在約半年間隔週のスペースでカウンセリングに通っているのですが、どうも今のカウンセラーに違和感を感じています。
それは話の内容で時折「可愛そう」と言われることです。
そう言われなくともこうしてカウンセリングにかかっているくらいですからこれまでの半生、そう言われるくらいの悲惨な経験を経てきたことは自覚していますが、改めて言われるとますます惨めさが感じられるのです。
前に別のカウンセリングにかかったときも同じことを言われました。
そのときは女性の先生で、女性らしい優しさと共感をもって話を受け止めている真摯な態度は伝わりましたが、自分としては「二度と行きたくない」と思って自然に足が遠のきました。
この件については現在の先生にもその違和感を告げたのですが、逆に不思議がられましたし、そのように先生自身も言います。
「可愛そう」という件について彼の意見としては「同情をもつことは悪いことではない」ということですが・・・やはり私自身惨めさと同時に腹が立ってくるのは否めません。
これらの先生方はトータルで考えると「よいカウンセラー」の範疇にあると思いますが、今のカウンセリングの先生で続けるべきか迷っています。
クライエントに「可愛そう」と言うことは「共感」のうちに入るのでしょうか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
クライエントに「可愛そう」と言うことは「共感」ではなく、
「優越感」です。
"可愛そう"は、相対的な言葉で、
優位に立つものが、劣位の者に発する言葉です。
一人だけ、働かされていれば、可愛そうです。
一人だけ、乗り遅れれば、可愛そうです。
したがって、
カウンセラーの絶対に使ってはならない言葉です。
絶対的な言葉として、
それはひどいですね。
たまがりますね。
ご回答ありがとうございます。
>"可愛そう"は、相対的な言葉で、
>優位に立つものが、劣位の者に発する言葉です。
もしかしたら「共感」というのは対等に立つ者同志が感じ合うことが最善かもしれません。
カウンセラーとクライエントもでも赤の他人ですからラポールを作るのは難しい。またカウンセラーの職業的な優越感も障害となります。だからカウンセラーには訓練が必要なのですが、私のカウンセラーは臨床心理士ですし、大学で講師もしています。その講義(一時的なもの)も受けたこともあります。講義に感銘してカウンセリングをお願いしたわけです。
これまで先生の面接を受けて彼の野心や優越感と「相対」したとき自己憐憫が「絶対」のものと感じたということになりましょうか。
No.10
- 回答日時:
貴方は其処へ何しに行ってるの?
共感されたからって快復はしないよ
シンクロしたって快復はしないよ
全ては貴方しだい
全てのことはメッセージ♪
いつまで其処にいるつもり?
早くおいでよ
みんな待ってるんだからね
No.9
- 回答日時:
可哀想というのは貴方自身のことではなくて
貴方の置かれている状況であったりするのではないですか?しかもそれを解決できるのは自分自身である場合であるとか.それを解決する準備はできているのにといった.
>可哀想というのは貴方自身のことではなくて
>貴方の置かれている状況であったりするのではないですか?
それは同じことですよね。状況の悲惨さがあってもそれを体現している人間があってのことです。状況を指摘されると同時にその受け手もそのような視線で見られているということではないですか?
でも
>しかもそれを解決できるのは自分自身である場合であるとか
それこそポイントだと思います。つまりコントロールできるということですよね。
ですが、それを前提としてても「可哀想」の響きはものすごい影響力があるんです。少なくとも私にとっては。言われたくないと伝えているのだから相手は言う必要のないことなんです。でもカウンセラーは「同情」は悪くはないという考え方なんです。そして患者としてはこれ以上何もいう気がしなくなった。ということはカウンセリングとしてまったく機能も進展もしなくなると思ったしだいです。
No.8
- 回答日時:
共感よりもう少し積極的かもしれない.
一生懸命生きてる貴方の心に可愛そうと言う言葉が響かないだけ
そうならざるを得ない状況があったのでしょう
そのうち武装解除する時がきますよ.
いつまでも続く今の状況から変わりたいという自分の意志があれば,ダイナミックに変化が始まる.
変化の時,そういう時ってあるもんですよ.
その時を大切に.
貴方を武装させているものは何ですか?
ご回答ありがとうございます。
>武装
なるほど。考え方によっては武装していることになるんでしょうね。
私にとっての武装とはプライドのことでしょうか。でもそれは人にとって最低限必要なことだと思います。逆に自分に対しての誇りがなくなった無感覚も「幸福」のひとつの状態でしょうけれど、このあまりにも重い事実を支えているかろうじて最低限の「誇り」すら傷つけられた、とう、それも相手がカウンセラーだったということが救いようがないと思います。
>いつまでも続く今の状況から変わりたいという自分の意志があれば,>ダイナミックに変化が始まる
だから結局自分を救えるのは自分だと思います。カウンセリングは言われているように「導き」の役割りなんです。結局は自分の「生きる力」なんですね。
だからチャンスがあっても意思がなければ波に乗れないんです。
>変化の時,そういう時ってあるもんですよ.
今まさにその節目にきたと実感してます。家から外の世界に出れるようになって・・・。カウンセリングをやめたのも、その変化の一つだと思っています。もちろんカウンセリングもしないよりはマシ、効果はあるのでしょうけれど、先生への違和感を感じたことそして一時停止したことで実行という「形」にできたのもそのひとつだと思っています。
No.7
- 回答日時:
共感、ではないと思います。
私は専門的にカウンセリングを習った身ではないのですが、よくそういった関連の本を読みます。
その中では、共感する場合は「うん、そうだよね」「辛かったよね」などといった言葉を使う方がいいといったふうに書かれていることが多いです。
「可哀想」というのは多分、カウンセリングの相手に向ける言葉としては不適切ではないでしょうか。
別に貴方は自分が「可哀想」と思ってるわけじゃないですよね?ならばそれは矢張り「共に感じている」ことではないですので…共感とは言えないでしょう。
「可哀想」というのは、あくまでも誰かが誰かに対して一方的に持つものですから。
ご回答ありがとうございます。
理論と実践はまったく違うということですね。私も理論を学びつつ、同時に患者となってみてわかったのですが、患者はカウンセラー以上にカウンセラーのことを観察しているし言動が気になるということがわかりました。
「共感」というのは比較級のことではなく、むしろ否定も肯定もしないという態度、そしてそれが心からシンクロできるというカウンセラーの状態が理想的ではないのかと思います。
>別に貴方は自分が「可哀想」と思ってるわけじゃないですよね?
一応私も人としての誇りがありますから。自己憐憫はしないわけではないのですが、というよりも自己評価の低さがあるから病気なのですが、それを他人に指摘されるとそれが悪意からではなくとも、腹が立ちます。
「共感」は心からなのか、理論に沿ったただの「フリ」なのか、先生の態度から私はよく感じていました。
熟慮した結果、カウンセリングは中止に決めました。
どうしてもこれ以上先生に自分のことを打ち明ける気持ちは今のところありません。
カウンセリングは続けますが別の先生を探します。
先生を責める気持ちはありませんが、「運が悪かった」「早く気がついてよかった」という捉え方にしていますし、トータル的にすべてがすべて悪い先生というわけではなく、感謝している点もあります。
ただ「可哀想」と言うことに異論はないという先生の価値観が私と相性が合うものではなかったということなのでしょうね。
No.6
- 回答日時:
『「可愛そう」と言うことは』「共感」に入る場合もある。
』と、考えます。しかし、それは、親しい友人や親子など、愛情の絆が結ばれている場合に限定して使えることと思います。カウンセラーPSクライエントの間では、禁句ではないでしょうか。
私は、以前、人にすかれたいと悩み緊張で、胃炎とヘルペスに苦しんでいました。今は、人を好きになり、元気になり、相談をされるようにさえなりました。それは、自分の見方を変えたからと思っています。
私の体験を通じて、この質問で、少し感じたことがあります。
まず、『「可愛そう」と、言って欲しい』サインやエネルギーを出して折りませんでしょうか? 未熟なカウンセラーは、そのエネルギーに反応したのではないでしょうか。
もうひとつ、この質問に対し、4~5件の回答がありますが『役に立った』に、チェックが入っていないようです。
「小さな善意に、ちょっと大きく感謝する。」お礼のポイントをどうぞ、皆さんに差し上げては如何でしょうか。ご自身も、回答者も皆、幸せになると思います。(操作に不慣れでしたら、申し訳ございません。)
『役に立たないことに、役に立たない』ということは、正直な生き方と思いますが、得な生き方でも、幸せな生き方でも無かったと、骨身に沁みて感じています。我儘な私は、このように考えを変えることを毎日忘れないよう努めています。もし、笑って聞いて頂けたら、本当に感謝です。
心理のコーナーでしたので、あえて書かせて頂きました。 ごめんなさいm(_._)m
ご回答ありがとうございます。
>『「可愛そう」と、言って欲しい』サインやエネルギー出して折りませんでしょうか?
というよりも話の内容上で先生は「可愛そう」とは言ったことはありません。話によって「ため息」をつかれたことがあったのでそれについて後日うかがったところ、その話に悲惨さというか深刻さに「可哀想と思った」。しかし私にとって言われていやなことだと伝えたら「どうして?」と言われたのです(それと共に前のカウンセラーの件も含め「可哀想と思うことはおかしいことではない」と言われたしだいです)。
むしろ可哀想と言われることを問題にしていますので、できるだけ明るい雰囲気を醸し出し、客観的知的に話すことで深刻ぶるのを避けたいと思っていました。
それでもカウンセラー主観は「可哀想」であることに変わりないわけです。それに気づいたとき不信が生じました。
No.5
- 回答日時:
質問者さんが気にされている言葉「かわいそう」は共感には入らないと思います。
同情しているという方が合っているように思います。ヘルパーの研修でも、共感することで相手を理解するように心がけてケアするように解いています。同情することはいけないと研修では言われています。
カウンセラーが質問者さんに「可愛そう」という言葉を発するのは、捉え方により「クライエントを見下している」との姿勢を感じます。
わたしは、カウンセリングの勉強中なのですが、カウンセラーは何でも話せる相手にならないといけないのですが、質問者さんが接しておられるカウンセラーさんは、カウンセラーとしては、プロとしてはいまいちなのかもしれません。プロのカウンセラー、「かわいそう」等の言葉は用いないと思われます。
わたしが感じたのは、臨床経験が少ないのか、少し勉強不足なカウンセラーだと言えるかもしれませんね。
相性が鍵を握るカウンセリングですので、言われたくないことは相手に伝えることが必要だと思います。相手も質問者さんが伝えることで、気づくこともあるのです。回を重ねる事に成長しているカウンセリングですから、クライエントと共にカウンセラーも成長することがよくあります。
今通われているカウンセラーが嫌でなければ、相手に伝えて分かってもらうことも必要なのかもしれませんね。
意志疎通の難しいコミュニケーションですが、やり取りを通して、良い勉強になると思います。
ご回答ありがとうございます。
例えば身体の方の医者がメスや麻酔を使って執刀するように、心理療法家の場合それに代わるのが言葉だと思うのです。
その技量しだいで「医療ミス」となるのなら、ツールを選択するのに慎重になるべきだと思います。
しかしトータルで考えてよいところも悪いところもあった面接だった、と考えているのは楽観といってしまえばそれだけですが、結果論的にノー天気な分傷つく分も多いということにもなるのではないか、と考えます。そういう意味でも「来談者中心療法」の意図するところは多義的に捉えられてもよいのではないかと考えます。
いくら自説や理論が前提でも、受け手のとり方ですべては決まってしまう。医者はそれを手助けできるしかなく、治癒に向かう糸口となるのはやはり、患者と医者との信頼で決まるのでしょうね。そのとき「共感」「同情」の境界もポジティブに融合されていくのでは?と考えます。
No.4
- 回答日時:
カウンセリングというのは言葉だけでより知りませんが、クライアントの話を最大限尊重してひたすら聞く、という『来談者中心療法』というものがあるらしいです。
ひたすらクライアントの気持ちに寄り添い、決して反論したり異議をとなえたりしないのがコツらしいのですが、その実際の手順と学問的な効果の裏づけがどれほどのものかは知りません。
お話を伺うと、どうもこの線が強いように感じましたがどうなんでしょうか。
この療法の目的はクライアント自身の「気付き」を重視するとかいうことだったように思います。
「可哀想」と言われてfrauさんがますます惨めな気分になると聞けば、私もとんでもないカウンセラーではないかと腹も立てたくなりますが、惨めな気分になってやがて腹立たしくなる、という心理を喚起するのが治療として意義があるのかないのか不明なので素人としては何とも申し上げられません。
ひょっとするとカウンセラーに対する依存心を払拭することこそが治療である、という見立てである可能性もあるからです。
無論、ただの無能なカウンセラーかもしれません。
どちらにしても、frauさんが納得できる先生に出会えるまで変えて良いのではないでしょうか。
たとえ、「可哀想」という言葉をかけるのが治療上重要だとしても、問題はその言葉自体ではなく「可哀想」と感じる心であるからです。
それは、言葉のニュアンスとして現われますから、未熟な医師が通り一遍の物言いでそれと気付かず逆効果を演出している場合もあるでしょう。
しかし、非常に優秀なカウンセラーなのかもしれない。
少なくとも、その言葉だけで「共感か否か」を判定するのは非常に難しいのではないか、と私は思います。
ご回答ありがとうございます。
おっしゃるとおり、このカウンセリングの形は「来談者中心療法」です。こっちがイライラするくらい何か言って!と思うのですが、じーっと傾聴する、という形をとります。
>クライアント自身の「気付き」を重視する
先生自身も患者のそれを大切にするとおっしゃってました。
当方、心理学を学んでいますので「理論」はわかっているのですが、実際患者の立場になってみると、頭では納得できないことにぶつかります。「気づき」なら日々こうして自問自答(セリフカウンセリング?)しているわぃと思うのですが(笑)、先生は他人と対峙して話をすることに意味がある、という姿勢を崩しません。
>実際の手順と学問的な効果の裏づけがどれほどのものか
なので、自分を実験台にしてみた結果、答えは自分で見つけるもの、という考えに達したのですが(これも気づき?)。
>惨めな気分になってやがて腹立たしくなる、という心理を喚起するの>が治療として意義がある
あーーっ!そうかもしれません。これは先生も同じことを言うかもしれないです。カウンセラー(他人)がどういう人ではなく、他人に向けられた自分の感情と向き合う、ということも学んだような(出来の悪い生徒。(汗))。
>少なくとも、その言葉だけで「共感か否か」を判定するのは非常に難>しいのではないか
自分が信頼しているからこそ、怒りを覚えているのかもしれません。前のカウンセラー(療法は違いましたが)、にも怒りは感じましたが結局2回行って終わりました。
そしてこの「怒り」を先生はどう扱っていくのかが問題でしょうね。NO.1の方のお礼にも書きましたが、初回のエピソードでつまずいた際、私を見捨てませんでした。だからこそ続けられたわけですし。
この先生は私が抱える症状の難しい領域について10年以上のキャリアを持つ専門家らしいですから「可愛そう=優越感」という理論はわかると思います。でもクライエントとして先生自身どこからどこまで患者の生の声やエピソードや苦しみ哀しみにどこまで「共感」できるのか、ということはポイントだと思います。私はそこをポイントとして最重要視している、つまり期待している、だからこそ「可愛そう」で他人事として片付けている先生に怒りを感じているのでしょうか。
うーん、うーん(産みの苦しみ・・・)。
No.3
- 回答日時:
私はカウンセリング等には全くの素人です。
ただ、プロのカウンセラーが10人が10人間違えていると言うような言葉を発するでしょうか?
「可愛そうに」という言葉の使われ方をいろいろ思い返してみました。怪我をしたり、痛い目、怖い目にあった子供が泣きながら帰ってきたとき、子供のお母さんが、「あ~よしよし、可愛そうだったね」と言って、その子を抱きしめる姿が目に浮かびます。
これは同情や優越感ではなく、「わかっているわよ」「大変だったね」という、子供の痛みを共有しているという言葉の使い方だと思います。
カウンセラーはあなたに同情して「可愛そう」を言っているのではなく、あなたの話した内容をあなたと共に共有し、「共感していますよ」との心を伝えているのだと思います。
これは、受け止める側の心の問題もあって、カウンセラーの言葉の背景である「心」が、あなたには伝わらないのであれば、たとえカウンセラーが共感しても、共有しても意味の無いことですから、今後は控える方が良い言葉だとは思います。
しかし、その言葉を使った時点では、彼は同情心から使ったのではなく、「よく判ります」という心を伝えたくて使ったのだということは判ってあげるほうがよいと思います。
言葉は「両者の心」というフィルターを通して行ったり来たりするものです。そのフィルター次第では全く異なった意味合いで受け取られることもあります。
カウンセラーのフィルターと、あなたのフィルターを再確認してみるのも必要かもしれませんね。
ご回答ありがとうございます。
>「可愛そうに」という言葉の使われ方
>子供の痛みを共有しているという言葉の使い方
当初は思いました。そして他の回答にもあるとおり「優越感」とも取れます。
人がどのように人を見ているか、そしてそれを受け止める者の感じ方というのも千差万別です。また実際のその場の雰囲気や当事者の考えはこうしたところに二次元的に相談を寄せるだけでは限度があります。
>フィルター
カウンセラーとクライエントも生身の人間同士ですから、発する方、受け取る方のズレというのももちろんあるのはわかっています。ただカウンセラーとしてプロの立場に立つとき、可愛そうというのは心理的な理論としては適切か?というこちらからの「要望」もあるわけです。
もちろんこちらが「言うのは辞めてほしい」と伝えたら受け入れてくれると思いますが、これまで築いてきた関係をこの件だけで終えていいのか、それとも相性が悪かったということで終えるべきなのか、今それで迷っています。
うーん、うーん・・・。難しいですね・・・。
No.1
- 回答日時:
私はカウンセラーの経験があり、今は直接的な仕事としてはやっていませんが、
カウンセリングには関係しています。
私は「可愛そう」という言葉は決して使わないようにしてきました。
使わないというよりは、私はどんな人と接しても、可愛そうという言葉は出てきません
それは、あなたが感じておられるように、この言葉を使うのは「同情心から」で、
同情するということは、自分を患者より一段上から見ていると考えるからです。
私は、この考え方をカウンセラーの先生方には、ことあるごとに話していますし、十分に話せば理解もしてもらえます。
しかし、多くの(と言ってしまってもいいと思いますが)カウンセラーは、このことに気づいていないのが実情です。
あなたのように患者の側から言っても、残念ですが、なかなか伝わらないのです。
患者から指摘を受けて、考え、受け止められるカウンセラーは、よっぽど謙虚な先生です。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
>自分を患者より一段上から見ている
私の違和感や怒りや惨めさってこういうことだったのですね。当時は会いに優越感でみられている、というよりも、惨めさの方が先立って・・・。前の女性カウンセラーの話を持ち出したことも先生に「同情はしないでほしい」ということを訴えたかったのかもしれません。
>患者から指摘を受けて、考え、受け止められるカウンセラーは、よっ>ぽど謙虚な先生です。
謙虚ということでは初回で、あるエピソードがありました。
このカウンセラーは私と話をしているとき肩が凝った様に何度も首を捻っているのです。その態度に人の話を聞く態度の悪さに腹を立て、カウンセリングはもう辞める!と小心者の私はメールで伝えました(メールアドレスを知っているのはそれ以前からの知り合いだったからです)。
「自分は決して話を聞いていないわけではないのだが、メールではなく面接の場でそのことについて話し合おってくれないか?」という返事がきました。
話し合う必要とは何か?と興味があったので予約をしましたが、実は先生はヘルニアの症状持ちだったのです。でもそれを知らなかった私はやる気のなさが態度に出ていると勘違いしたわけですが、先生は私がそう感じていることこそ重要な件であると思う、つまりそれだけ人にある種の思い込みをしている、というフィルターこそ治療の点である、という解説をしました。私も納得したので面接は再会したわけです。
そんなこんなで一応「信頼に値する」とは思ったのですが・・・。ただ私の談話で、いわゆる一般的に「可愛そう」なエピソードなどを話すと「可愛そう」と言われるその件についての違和感を伝えても「そうかなぁ」などと他人事のようなのん気な感じに、ああこの人は人の痛みがわからない人かもしれないという違和感を感じたのは事実です。
また私は母と問題があるのですが、ここでは詳しいことを述べませんが、子への当然の義務をしない母への働きかけもしてくれました。しかしこの件についても後日「してあげた」という言い方をされました。
先生への不信は先生も感じているようでその件でよく話し合うのですが、「カウンセリングは続けてほしい」そして「自分は絶対に(私を)見捨てない」「逆に自分が(私から)カウンセリングを辞めたいと言われるのか不安」と言われます。
そのようにトータルで考えて、いい先生だし、悪い先生でもある。ということでしょうか。混乱してます・・・。
(お礼が長文となったので補足欄に書かせていただきました)
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