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学校の小中高校の授業の中で必要ない授業が多いような気がします
家庭科なんて、わざわざ学校で習わなくても、生活をするために必要になったときに容易に習得できる知識と技術だと思うし
美術と音楽なんて、芸術の道を志す人にとっては学校の授業なんて意味がないと思います
技術は、授業を受けたからといって、自力で物作りができるようになるわけではない
絵が上手になるわけでもないし、楽器が弾けたり歌が上手になるわけでもない
国語の古文・漢文はあれほどに授業時間を割いて学ぶ意味があるのか
クラブ活動は拘束時間が長すぎないか
など、私にはどうも理解できないことばかりなのです
これらの授業は本当に必要な授業なのでしょうか

A 回答 (13件中1~10件)

積極的に「絶対になければならない授業なんだ!」とは思いませんが、あった方が良いと思います。


確かに古文・漢文・芸術系・技術・家庭科等は興味を持ったときに自分で覚えるようなモノですが、「学校で習った」ということが興味のきっかけになった人もたくさんいますよ。
授業でやらなければ興味すら持たなかったようなことも、たくさんあります。
私自身も、授業で教えてもらえなければ、興味がなかったまま「知らない」で素通りしてしまっただろうコトがたくさんあります。
ある意味強制的に色々な知識に触れることができるのが、学校の良いところでもあると思うのです。

例えば古典や漢文。
今では古典や漢文は大好きで、頼まれなくても自分で読んでいます。
確かに、授業でやらなくてもいずれは好きになって独学で学習したかもしれません。
でも、まったく予備知識なしの状態なら取り掛かることすら容易ではない分野です。興味を持ったけれどさっぱりわからず、結局読むことを諦めてしまっていたかもなぁ…なんて思います。
面白さを知る前に挫折してたかもしれませんね。
「絶対に読みたい!」という激しい情熱でもってとりかかったのではなく、何気に興味を持って読み始めただけですので…。
もし、興味を持ったときに「さっぱりわからない」状態だったら、きっと嫌になっていたかもしれません。(^_^;)
過去に学校で習った知識がいきなり役に立った瞬間でした。
また、京都等を旅した時に、何気に勉強した和歌や平安風俗などをふと思い出して、ノスタルジックになったこともあります。
そういう意味では古典や漢文も「教養」の範囲に入るのではないかと思いますよ。

芸術分野もそうですね~。
自分じゃ絶対に見ないような絵画を教えてもらえましたし、音楽も聞かせてもらいました。
知識の幅、興味の幅を広げてもらった気がします。
芸術分野を志す方以外は必要ないと仰いますが、逆にそういう敷居の高い「音楽」なり「美術」ではなく、一般教養としての「芸術」を学んだつもりです。
後で自分で興味を持つきっかけになったり、単なる教養としての知識だったり…と人によって様々ですけれど、ね。
社会に出て直接それが役に立つことはあまりないですが、最低限度の教養だと感じることは多いですよ。

家庭科は…私に限って言えば、調理に興味を持つきっかけになりました。
確かに必要になれば嫌でも覚えるでしょうし、親から教わる人もいるでしょう。
ただ、そうじゃない人もいますよね。
こちらも「知っていて当然」である最低限のところを、広く皆に教えているのではないでしょうか?

クラブ活動は…嫌ならやらなければ? と思うのですが。(^_^;)
今は強制参加なんですか?
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それはそうなんですけど、学校に行ってて家庭科や音楽は、


私にとっては、楽しい息抜き?の時間でしたね~。
なかったら、味気ない学校生活だったかも。

それらは、ある程度の適性を見る為には必要じゃないかなと思います。
そういうのって、やってみないとわからないし。
いずれはやることになるだろうけど、子供の時の経験はまた違うような~。

古文や漢文については、歴史を学ぶのと似たような意味だと思いますが。
日本人として。古きをたずね新しきを知る、みたいな。

的外れだったらごめんなさい。
何が無駄かっていうのは、人それぞれの感じ方かもしれないですね。
難しいです。
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誰もが一度は思うことですね。



でも、いらない授業なんてないと思いますよ?
>生活をするために必要になったときに容易に習得できる
ものでも、必要になった時始めたのでは既に遅いものもありますよね?
さすがに衣食住をを1日ではマスターできません(^^;

美術や音楽も小学校の頃からありますが、その頃から志す道を決めている人なんて本当に一握りだし、
たまたま目や耳にする事も全ての人のあるというわけでもありません。
調理実習は「作り方」だけを学ぶ授業でもないですし…。

学校の授業・クラブ活動が「学ぶ」物と思わなければどうでしょう?
会話の深さや重み、話題を広げる手段の一つと思ってみるとか。
私は今21の若輩プログラマですが、家庭科や歴史の授業をもっとしっかり聞いていれば~と思うことはたくさんありますよ。(一番投げてた授業でした)
仕事上でもプライベートでも(^^)
今更のように「無駄なものなんて何もなかったんだ」と思い知らされる事が多いです。
でもきっと、誰もその時にならないと解らない事なんですよね。
frankさんも、今色んな方に色々言われても理解できない部分が多いかと思います。

もちろん、いわゆる5教科の勉強も大切ですが、「円周率=およそ3」なんて馬鹿げた事を教えられてはねぇ…。
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 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない。

(教育の機会均等)
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。 (義務教育)

 つまりは、すべての人にいろんな教育(授業)を受ける機会を均等に国は提供しなければならないわけです。あなたに必要がないと感じられる授業も、他の人にすれば、とても大切であったりします。好き嫌い、必要不必要で授業が選べないのは、義務教育だからだと思っています。だから、無償で受けられるのだと。
 こんな教育必要ない!と思われるのなら、義務教育を放棄すればいいのです(罰金がかかりますが)。専門的な教育を施したければ、その専門の道に行けばいいだけです(金はかかります。特別の教育を受けるのですから)。普通の義務教育の小中学校は、普通の教育を行う場です。

 高校も専門的なことを学びたければ、専門学校に行けばよい。普通科に行かなきゃいいじゃないですか。

 そもそもの学校のとらえ方がおかしいと思います。学校は学問を学ぶところです。学校でどのような教育課程が設定されているか、考えて学校を選べばいいじゃないですか。本当に何かしたい、学びたいと思うものがあるなら。

 世の中、ムダだらけです。自動車、飛行機、携帯電話だって、今、私が使っているパソコンにしても、別になくても生活できます。でも、あったほうが、使えたほうが、そして上手に使いこなせたほうが、世界が広がる。同じことが教育にも言えるのではないでしょうか。

 文化は、余暇からうまれたのです。つまりは、無駄な時間から。
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うーん、要らん授業か~。


でも英数国理社以外が得意な人間にとってはそれがないと
成績表がカッコつかんで。
…なーんてゆーてもしゃーないけど。

一度経験しとくってのは必ずしも無駄とはいえんしね。

僕の学生生活の経験はちょっと特殊な例やねんけど
中学の美術は予算内で何を作っても描いてもよかったし、
先生とはほぼマンツーマンで完成まで指導してくれたし。
高校の音楽はブラスバンドでトランペットとアルトサックスと
フルートを演奏させてもらったし、
技術でも旋盤やボール盤の操作できたし、
体育では、砲丸投げ、円盤投げ、棒高跳び、平行棒、吊り輪もやらされたし、
これ個人で総てを体験するにはお金がいくらあっても足りない…。

でもってこの経験がどのくらい役に立つかってーと、うーん、
話しのネタにはなるな。うん。
でも何も知らん奴よりは話しができたり
遊びで楽器を弾いたり、共通の話題をもつ友人の数は増えたな。

芸術家一家のような特殊な環境にいるならともかく
学校の授業がきっかけで自分の進路が開けてゆく奴がおるんやし、
とりあえずは今のままで将来への「カタログ」的な側面があるのかもな。
今の日本のシステムじゃね。

ドイツのマイスター制度みたいな小さい時からの特化した技能訓練と
一般教養・しつけだけで確かにいいのかもしれんね。
人間が人間らしく生きて行くのは。

で、結局あなたは何の勉強がしたくて将来何になりたいんでしょう?
それが明確なら要らん授業なんてサボって必要なことだけ勉強すりゃ
ええやん。学校なんて世間体だけなんやし、登校拒否もそんなに珍しい
ことじゃないし。大学もいきたくなった時、最低大検受かればいいんだし。
ただし以上を行動に移す時しっかりした信念をとおさんとあかんよ。
中途半端じゃ親や世間につまらん「レール」の上にもどされるで。

いまんとこはおおよそ、生きたいように生きている男より(^^ゞ
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知識はいくらあってもじゃまにはならないものです。


学校で習ったこと全部が役に立つはずがありません。
ただし、知っていれば必ずどこかで少しだけ豊かになります。

それらは殆ど大したことではありません。
テレビで三国志を見ていてふと高校時代の漢文の一節を思い出して「おぉ!」と目から鱗が落ちてみたり、日常会話で古い言葉を使うと相手にインテリジェンスの高さをアピールできたり、そのくらいです。

ただ、断言しますが、あなたが少しでも美しい奥行きのある表現の日本語を書いたり話したりしたいと思うなら、古文と漢文は必須です。

芸術系・技術系は楽しんでやることです。
役に立つかどうかとか言う理屈はどうでもいいことです。
楽しくないなら落第しない程度に流して他の楽しいことをすればいいだけです。

私の同期に東京芸大に行った奴がいますが、彼はすべての授業中に絵を描いていました。
当然美術の授業中も先生に指導されながら絵を描いていました。
「美術の道を志す彼にとっては学校の授業なんて意味がない」とは私には到底思えません。

そもそも意味があるかどうかは個人の問題であって、あなたにとって意味が無くてもそこに価値を見いだす人は大勢居るわけです。
自分にとって興味のないことと社会にとって無意味なことを混同しないことです。
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こんばんわ。

^^

技術は、授業を受けたからといって自力で物作りができるようになるわけではない 絵が上手になるわけでもないし、楽器が弾けたり歌が上手になるわけでもない 国語の古文・漢文はあれほどに授業時間を割いて学ぶ意味があるのか ?
とありますがfrankさんはそう感じたんですよね?
私は中学校ならともかく小学校はもっとfrankさんのいう「いらない授業」が必要だと思うんです。特に美術や家庭科、技術や音楽、体育などの副教科です。
得意不得意があるなかで、他人と違う個性を築けるんじゅあないかと思います。
全てを将来と結び付けなくてもいいと思うんです。
家庭科だって、いざ必要になったときに用意に習得! できないひともいるんですよ。学んでいたって活用しない人もいますけどね(^▽^;)
frankさんは結構言い切っていますが、実際そうでしたか?

私の場合、小学校で絵が美味くなった気がします。担任の先生が絵に詳しい人だったので。(元から好きだったのもありますが、、。)
やはり自分が何が好きか みたいなきっかけになりました。
漢文古文も中学校ぐらいのレベルなら知っといて損な事はないと思います。
だからこそ義務教育、、。と感じます。
高校に進学する人は考えるべくだと思いますが。

学んだことを、役に立たないからといって、意味のない物とくくってしまうのはどうでしょうか?もったいない\(・o・)
何でも無駄なことを知っている(笑)「雑学人間」って面白いんで好きです^^


でもちょっと同感できるところ あります(*' '*)/
それは受験直前の副教科の授業ですね!(中学生の時です)

では駄文長々すみません。ムクタンでしたっ^^
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この回答へのお礼

たしかに、多くの科目を取り入れることで多くのことに触れる機会は増えると思いますが
個性を築くには授業内容が中途半端すぎると思いませんか

数学力や英語力などの重要さが叫ばれている現在
もっと数学や英語の授業を増やしたほうが・・・

僕の考えって、根本的に間違っているのかも

お礼日時:2002/03/06 19:38

#5のgazeruです。


あの、すいません。
問題にされているのは「家庭科」「美術」「音楽」「古文」「漢文」「クラブ活動」限定なんですか?
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この回答へのお礼

ははは、そうなんです、限定なんですよ

お礼日時:2002/03/06 19:31

小中高校の勉強って、それぞれの向き不向きを、実感させている場でもあるのかなと思います。



わたしの場合。
同じく自然科学の範疇に入るものの中で、「物理」や「化学」は苦手でも、「生物」や「地学」ならあまり苦にはなりませんでした。
国語では「古文」はやや苦手、でも「現代国語」と「漢文」は好き。
社会と美術は、おおむね良好。数学は、まあ普通。音楽の才能は皆無。
英語は苦手etc
部活動もいろいろ経験しました。
でも、学校活動の中で、一番得意で大好きだったのは、教科ではなく、小学校から高校まで、ずっと委員をやりつづけたものでした。
そしてそれは、自分の能力が最大限に活かせるものだと、他のことと比較して実感することができました。

で、わたしは、いま、それに関連した仕事をしています。
(職場では「天職」だといわれています)

得意不得意は人によって異なります。でも、経験してみなくちゃ、それを実感できません。
つまり「何事も経験」だということだと思います。

あと、苦手な科目を、どうにかこうにか人並みにこなす工夫をすることは、社会人になった時、不得意な仕事内容を乗り切る時に役立ったように思います。
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個人的に、心の中では、「大事なんだよ~!」と叫んでおりますが、世の中の流れは、「そんなもん必要ねえよ!」の流れになってきております。



frankさんが先ほど去れた質問(教科書の内容削減)も含め、現在は、4月より行われる新指導要領による授業に向け、「移行措置」といわれるさまざまな試みが行われています。

教科書も、ご指摘のとおり、今までの指導要領に基づいた教科書を使い、書かれている内容すべてを授業で行うのが当然なのですが、何せ今度の指導要領改定では内容面での変更(主に先送り、削除)があまりにも多く、戸惑いなく次年度の授業に臨めるよう、各学校での判断に従い、学習を省略しているものが多いのです。

今回の指導要領の変更及び実施に当たっては、frankさんのような意見の持ち主の意見が相当多数、文部科学省に寄せられていたのだろうなあ、ということが容易に想像できます。

「何だよ、こんな教科、いらないじゃないか。」「全員が、ここまで深く学習必要、ないだろう。」「俺は芸術家になるんじゃないんだ、こんな教科に時間を割くぐらいならば、他のことをやってみたい。」

というものです。

多くのヨーロッパなどの国では、いわゆる実技教科、芸能教科というのはほとんど存在しないといわれます。学校は国語、算数、といったものだけを行うところ。授業は午前だけ。昼は家庭に帰って家族とじっくり触れ合う食事。社会教育が充実しているため、午後は自分のやりたい、クラブのような活動として、実技、芸術活動を習得する。これは教師による授業ではなく、地元の専門家、講師などによるものだとか。

もちろん学校での運動会、文化祭、遠足などといった行事はなく、学校はひたすら勉強する場。できなければ小学生でも落第。

日本もこんなシステムを目指しているのかなあ、と、今回の指導要領改定の趣旨を見ながら考えております。

ちなみにヨーロッパの話は、又聞きです。残念ながら自らでの取材は行っておりません。
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