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タイトルどおりの質問なのですが、今年になって「あの戦争は何だったのか」を読んでから(まだ途中ですが)今まで太平洋戦争のことに全く興味がなかったのですが、突然いろいろ知りたくなりました。
日本の軍部の指導者のおそまつさが、よくわかりました。
敗戦まで、暗号が漏れていることを知らなかったというほど、オマヌケだったのでしょうか?
さすがに、最後の方ではうすうすわかってきたのですか?
だとしたら、何か対策をとっていたのですか?

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A 回答 (10件)

最後まで、『これほど優れた暗号を解読できるわけ無い!』という誤った自信を持っていました。



解読されていると認識したら使うわけ無いです。

その上、アメリカは頭がいいので、解読していることがばれないようにいろいろ策略を練っていましたから。

たとえば、山本五十六が視察のため、あるルートを飛行機で通ることを解読したとき、待ち伏せして撃ち落としただけでは暗号が解読されていることがばれてしまうので、撃墜した後も何日か同じ場所に飛行機を飛ばして、待ち伏せしていたのではなく定期的な偵察飛行中に偶然発見して撃ち落としたかのように見せかけたのです。

このトリックに日本はまんまと引っかかってしまい、暗号が解読されていたのではないかと疑う者もいたのですが、結局、解読されてないと判断してしまったのです。

日本人の判断力は、幼稚というか、硬直しているというか、戦争をするには不向きな民族のようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

そこまでひどかったとは・・・。
山本五十六が視察に行って撃墜された後にもそんな巧妙な作戦をとっていたのですね。

全てが悪い方向に行ってしまっていたんですね。
どうして、そんなに楽観的に戦争を遂行していったのか、指導者達の頭の中が謎です。

お礼日時:2006/08/16 01:22

No2です。


日本はいつから外国に対して優越感を抱くようになったかということですが、これはやはり明治維新後初めての外国との正規戦であった日清、日露戦争に勝利してからだと思います。

特に日露戦争では、幸運に恵まれたにもかかわらず、諸外国恐るるに足らずという、日本に都合のよい迷信のようなものが出来上がったともいえます。

日本はこんな精神状態のままで、アメリカとの戦争に踏み切ったのですね。ですから自己に都合の悪いことはすべて目をつぶったため、戦況の正常な把握が出来ないまま敗戦を迎えたのだともいえます。

>1919年頃から暗号が解読されていたなんて、暗号の様式はその後も同じだったのでしょうか?

この件に関しては、日本もそれなりに努力はしていました。
暗号の送受信には暗号機と呼ばれる装置が必要でしたが、日本の初めての暗号機は1924年(昭和14年)に海軍で作成されています。これは陸軍、海軍、外務の3省で使用されましたが、後に3省それぞれが固有の暗号機を持つに至りました。

しかしアメリカはこの暗号機のコピー機を作成して、日本の暗号の解読に使用していますので、もうこれは勝負にならなかったでしょうね。

さて、海軍は戦争には特に暗号に対しての対策を考えることなく戦争に突入しました。
海軍は暗号機より暗号書を好むがあり傾向があり、これが有名な暗号書Dです。

海軍はこの暗号書Dを使ってほとんどの作戦指令や情報の伝達報告を行っていました。

D暗号には乱数表が必要になるのですが、海軍はこの乱数表を半年ほどのスパンで更新していたそうです。

ただこれは暗号の分野から言えば長すぎるということで、本来なら2ヶ月ほどで更新するのが常道だったそうです。

もう一つの問題がありました。
それは乱数表の更新が非常にパターン化されていたということです。この悪癖は終戦まで変わらず、アメリカ側にしてみれば、浅瀬に沈んだ潜水艦などから回収した暗号書や通信資料などと合わせて、乱数表が更新されても暗号の解読はやはり楽に行えたそうです。

またまた余談ですが、日本側の将校にもアメリカが暗号を解読しているのではないかという危惧を持つものがいました。
当時の東方面艦隊草鹿任一長官や、連合艦隊参謀黒島亀人大佐は何度か海軍軍令部に意見具申、いわゆるクレームをつけたのですが、「絶対に解読される暗号ではない」と門前払いを食わされたそうです。

ちなみに、日本軍の暗号専門家が暗号の解読をされていたことを知ったのは、終戦後1ヵ月ほど経ってからですが、それでもほとんどの技術者が解読されていたことを信じようとはしなかったそうです(^_^;)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

日清、日露で悪い自信がついてしまったのですね。

意見具申する者がいても聞く耳を持たなかった場面、
他にもたくさんありますね。

数々の疑問にお答え頂いてありがとうございました。
皆さんほんとうに詳しくご存知なんですね。

お礼日時:2006/08/17 02:08

No8さんへ・・・



No1のエニグマです。

>はたして私たちに「当時の彼ら」を批判することが出来るのか?「歴史は繰り返す」という言葉が重い今日この頃です。


「当時の彼ら」を批判する人がほとんどいないからこそ、歴史は繰り返してしまうのだと思います。

日本は着実に軍国主義国家への道を歩んでいます。

憲法で持ってはいけない軍隊を自衛隊と名前を変えて世界一流の軍隊に育て、愛国心を強要し、A級戦犯を神様扱いし、最後の仕上げとして、後は、憲法を改正し、教育勅語を復活させるだけです。

そうさせないために、同じ間違いを繰り返さないために、徹底的に検証し、批判する必要があるでしょう。

チョット気になったので、他の回答者の批判をしてはいけないという規約違反を承知で言わせてもらいました。

スミマセン。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

No.1さんはエニグマさんだったんですね!
No.4さんが紹介されたサイトによれば、エニグマとは謎と言う意味だそうで、そこからエニグマという名の暗号ができたそうですね。
私の今回の質問にピッタリの回答者さんだったわけですね!

今の日本は私を含めてみんな何事にも無関心で、もちろん誰も日本が今すぐ戦争するなんて思っていないからなんでしょうが、きな臭い法案もどんどん決まっていってしまって、でもこんなに何でもスルーしているうちに、いつか気がついたら自分の首を絞めているって事になりかねないと思うようになりました。

そんな時になって、悪いのは指導者だと言っても遅いですよね。

お礼日時:2006/08/17 01:57

日本の名誉のためにいうと、暗号が解読されていたのはドイツも同じです。

ドイツはエニグマ暗号というドイツ人らしい細かい仕事の素晴らしい暗号を使っていました。この暗号を解読するのはほとんど不可能のはずでしたが、実はイギリスはひそかにこのエニグマ暗号機を手に入れていたのです。

そして情報戦にとって重要なのは「こちらが敵の手の内を知っていることを敵に知られない」ことです。麻雀でイカサマでカモを陥れるときに重要なのはイカサマをしていることがバレないことです。
あるとき、このエニグマ暗号でドイツ軍がイギリスの都市コベントリーの市街に爆撃をすることを英軍は察知します。しかし、チャーチル以下イギリス政府はこの情報をコベントリーには伝えませんでした。もし、市民を避難させればそれを知ったドイツが暗号が漏れているのではと疑い暗号を変えるかもしれません。戦争に勝つという大きな勝利のために、市民の犠牲に目をつぶったのです。結果、コベントリー市は爆撃を受け、女子供を含む大きな犠牲者を出しました。
アングロサクソン人のすさまじさを物語るエピソードだと思いませんか。

また、当時の日本の指導者たちのあまりののほほん加減に驚いておられますが、思い出してください、阪神大震災のときすぐにやってきた災害救助犬を「検疫がされていない」と入国を拒否しました。兵庫県知事は自衛隊反対論者だったために自衛隊に災害出動要請を出しませんでした。当時、陸上自衛隊は偵察ヘリを直ちに飛ばして出動準備をすぐに整えていたのです。そして、自衛隊、消防、警察がそれぞれに活動したために情報は混乱し、政府は何ひとつ手を打ちませんでした。
バブルが崩壊したとき、企業のトップたちは「不況はいつか終るものだ」と何もせず、山一證券は破綻し日産もあやうく倒産するところでした。おかげで若者は就職先がなく中高年はリストラで、毎年3万人もの自殺者を出しています。
先日のふじみ野市のプールでは給水口の蓋が外れたのに何もせず、子供が犠牲になりました。アルバイトの監視員は「何かあったらすぐに連絡しろ」といわれていましたが訓練は全く行われていなかったのです。つまり、何も出来ない奴が「安全監視員」をしていたのです。

はたして私たちに「当時の彼ら」を批判することが出来るのか?「歴史は繰り返す」という言葉が重い今日この頃です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ドイツの暗号を解読した際にチャーチルのとった作戦、そこまでやるか、と言う感じですね。

No.4さんに教えていただいたサイトを見ると、確かに日本の暗号の解読を試みた国の中でも米国以外は結構日本の暗号解読にてこずっていたみたいですね。

飛びぬけてすごかった米国を相手にしてしまったのがまずかったですね。

今の日本も敗戦の検証をしっかりしなかった体質がそのまま続いているのでしょう。
私達も当事者ということなのですね。

お礼日時:2006/08/17 01:37

アメリカの暗号解読器は、最高機密とされ、船舶や潜水艦などに搭載された場合、暗号解読器を破壊の上自沈せよと、厳しく定められ、暗号解読器の存在自体も乗組員の一部にしか知らされず、その存在を知っている兵には、絶対に日本に暗号が解読されていることを明かしてはならないと徹底した通達がされていたそうです。



この間、テレビのドキュメンタリーでやっていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

アメリカは暗号=情報の重要性が充分わかっていたので、徹底した管理をしていたのですね。

う~ん、確かに、このあたりは今の日本もかなり危ないですね。

お礼日時:2006/08/17 01:18

暗号のシステムはいつかは解読される運命にあると考えるのが常識ですが日本軍ないし日本側にその常識をそなえていた人がいませんでした。



米英特に英国は暗号の重要性を第1次世界大戦で痛感して特別の機関を設け蒐集、解読の研究を継続していました。

米国はその技術を利用しさらに機械的手法を開発して(コンピューターなど)進歩していたのです。

日本は暗号技術を過信していたのと日本語の語法は外国とは異なることを信じて解読される危険性に気付かなかったのです。

米国はプロファイリングという手法で、指揮官や政治家の個々の思想や癖、経歴などあらゆる情報を収集し、彼はこう考える筈という予測を建てて対処していました。
山本長官は規則や予定に厳しいという性格からブーゲンビル島への出張視察の暗号を解読、その到着時間から待ち伏せ地点を確定、必ず現れると確信して戦闘機を発進させました。  距離の関係で燃料はギリギリでもう少し時間が遅れていたら迎撃に失敗する所だったと聞いています。
迎撃成功後も定時に戦闘機を哨戒させ偶然を装った事は有名です。

ミッドウエー海戦の場合も、日本軍の目標がミッドウエーかハワイか確信がもてなかった時、偽電報を発信し、日本側の訂正電報を傍受して目標がミッドウエーである事を確信して戦力の集中を行いました。

日本は敵の暗号解読が非常に困難であったので、アキラメモードでしたから自己の暗号も同様解読不能と誤信していたのです。

暗号は一定時間毎に更新するのが常識で必ず複数を用意するものですが、そのような初歩的な注意も日本は行わず長期間同一暗号を使い続け解読される機会を提供し続けたのです。

暗号、情報戦に日本ははるかに後進国でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>米国はプロファイリングという手法で・・・

こんなにプロフェッショナルに研究され、また情報操作までされていたのでは、とてもかないませんね。

お礼日時:2006/08/17 01:14

日本は、後方支援を軽視していました


(今でも軽視しています、企業も役所も、ですから私物のPCを業務で使用するようなことをします)

後方支援は、補給、情報伝達、必要物資生産・調達等業務(戦争)を継続するには重要な要因です

当時は生産や補給は、国力から見ても困難ではありましたが、精神論にすりかえることで糊塗してしまいました

暗号に限定しないで情報管理や後方支援で考えた場合、現在でも、状況はほとんど変わっていないことにお気づきでしょう
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

日本社会の体質が変わっていないのですね。

お礼日時:2006/08/17 01:08

多くの将官が「暗号など使わなくても日本語は複雑だから、毛唐には理解できない」と信じ込んでいたくらい、オマヌケでした。



日本の暗号に関しては↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

外交暗号は、重要性が高いので最優先に解読されました。
陸軍暗号が解読されなかったとすれば、
(陸軍暗号は昭和19年の秋に参謀本部暗号班より『極めて危険』と指摘され、20年8月から新暗号を使用開始・・・解読されていた可能性は高いと思います)
解読すべき重要性が海軍暗号より少なかっただけでしょう。

なお、解読しても敵には意味がわからない言語を用いる手法は、アメリカ軍が第一次大戦時から始めています。
コードトーカー(暗号を話す者)に選ばれたのは、ネイティヴのナバホ族でした。選ぶ際、ドイツ人研究者による調査が行なわれていないかを調べた上で、ナバホに決定しています。
日本語は徹底的に研究されていたので、もし薩摩言葉を正式に採用していたとしても、いずれ解読されたでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

紹介されたサイト参考になりました。
パープルというのは特定の暗号の呼称だと思っていましたが暗号機の名前だったのですね。

暗号に虹や宝石の名をつけていたなんて、オシャレというか、アメリカらしいですね。

ナバホ族のエピソードもなるほど、最初の頃の暗号の考え方はこんなところから始まっていたんですね。

お礼日時:2006/08/17 01:03

先ず強調しておきたいのは、解読されたのは海軍の暗号であって、陸軍の暗号は最後まで解読されていなかったということです。

海軍の暗号が解読されたのは、海軍の信務(暗号取扱い業務)がデタラメだったからです。いかに優れた暗号でも、取扱いがデタラメではいずれ解読されてしまいます。こと暗号に関する限り、お粗末だったのは海軍であって、陸軍はマトモな軍隊の水準を維持していたのです。

コンピュータ時代の現在の暗号は別として、当時のレベルでは、いかなる暗号も手掛かりさえあれば解読可能でした。海軍は、愚かにも、暗号化した電報とほぼ同一内容の生文電報を発信することによって敵に暗号解読の手掛かりを与えてしまったのです。陸軍はこのような愚かな行為をしなかったので、その暗号が解読されることはありませんでした。

海軍には、味方しかいない船の上のこと、軍事機密を放り出しておいても敵に漏れることはない、という油断があります。だから秘密や暗号の取扱いがルーズとなり、暗号に関する規則が形骸化し、デタラメな信務が見逃されていたのでしょう。

海軍は、最後まで暗号が解読されていることに気付かず、筒抜けの暗号を使い続けました。解読されている事実に全く気付いていません。これは絶対確実です。なぜなら、暗号というものは、解読された「疑い」がある場合は、必ず変更しなければならないものだからです。解読されるはずがない、という根拠のない自信過剰が生んだ悲喜劇ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>海軍は、愚かにも、暗号化した電報とほぼ同一内容の生文電報を発信することによって敵に暗号解読の手掛かりを与えてしまったのです。

信じられませんね!何のための暗号だったのか・・。

お礼日時:2006/08/17 00:53

たしかに日本軍の暗号解読技術はお粗末だったといっても良いでしょうね。


とはいえ、昭和19年以降は中国軍や、アメリカと当時の国民政府との暗号を解読するくらいの力はあったのですよ。

太平洋戦争時日本軍の暗号が解読されていたということが間違いなかったといえる有名な出来事は、ミッドウェーと山本五十六大将の行動でしょうね。

じつは日本の暗号は、第1次世界大戦以降の1919年から解読されていたということです。

当時アメリカの国務省内に置かれていた、ブラックチャンバーと呼ばれていた暗号傍受・解読室では、例えば1922年の軍縮会議の際の日本と政府と軍縮交渉代表との通信をほとんど掴んでいたということです。

第二次世界大戦に突入すると、ブラックチャンバーは1万人の職員を配置し、日独伊だけではなく同盟国である英露の暗号までも解読していました。

これに比べて日本はどうかといえば、軍人はもちろん学者たちにしても、暗号解読や新しい暗号の製作などという地味な仕事は極力避けていたという事実ですべてが分かると思います。

日米の暗号解読に投入する人員の差は、最終的に1対10まで広がっていたということです。

アメリカの巧妙なところは、終戦まで日本に自国の暗号が解読されているということを気付かせないよう、解読と同じくらいのエネルギーを、その隠蔽に費やしていたということです。

そしてさらに悪いことに、日本軍の首脳部にはあらゆる面で慢心というものが蔓延していて、暗号にしても「俺たちが作った暗号がアメリカ人ごときに解読できるはずがない」というおごりがありました。

この軍部の慢心はあらゆる作戦や戦場で、実際に前線で戦う兵士たちを死に至らしめる結果になりましたね。

予断ですが、日本海軍の話ですが、どう考えても自分たちの暗号が解読されていると考えた通信将校が鹿児島出身の兵士を呼んで薩摩弁で話させたところ(もちろん受け取る側も鹿児島出身)、通信を傍受したアメリカ側は、新しい暗号を日本が使用していると一時大騒ぎしたそうですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

アメリカが情報というものに対してきわめて近代的に対処していたのに対し、日本は情報の重要性の認識が甘かったのですね。

また日本人はいつから自分達が他よりもそんなにすぐれた民族だと思うようになったのでしょうか。
それが、状況の判断を誤る事につながったと思うのですが。

当時の教育?それまでの戦争で勝利が続いたから?
どちらにしても島国根性で、まわりが見えなかったせい?
今の日本人は自分が日本人である事に優越性なんて感じていませんよね。

1919年頃から暗号が解読されていたなんて、暗号の様式はその後も同じだったのでしょうか?

薩摩弁のエピソードはおもしろいですね。

それにしても、いろいろな場面で軍部の慢心による失敗の数々・・・あの戦争で亡くなった方達、ほんとうに無念ですね・・。

お礼日時:2006/08/16 01:50

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Q米軍はどうやって日本軍の暗号を解読したのですか?

米軍はどうやって日本軍の暗号を解読したのですか?
アメリカ人にとって日本語は難解です。二世ではとても暗号を解読できません。日本人で協力した者がいたのでしょうか?
どうして日本軍はいつまでも解読されていた暗号を使い続けたのでしょうか? そんなに日本軍の上層部はトンマだったのでしょうか?

Aベストアンサー

何も日本語全文を理解する必要はありません。重要なのは、「○月×日、X部隊がY島に上陸作戦を行う」というのが分かれば充分なのです。日本語の基礎が分かれば充分理解可能ですね。
また命令を受け取る側も、難解な日本語で命令されても困ります。要点をズバッとしてもらえばそれで充分なわけです。というか、そうじゃないと困るんですね。「命令は、簡潔・明瞭」は世界中の軍隊の鉄則です。

で、じゃあなんで暗号がバレちゃったのかっていうと、暗号てのは基本的に数学の分野なんですね。暗号のエキスパートってのは、数学のエキスパートでもあるんです。アメリカっつうのは頭がいい人もいっぱいいますから数学のエキスパートを総動員して日本はもちろん、ドイツ、イタリアからソ連に至るまでの暗号の解読作業に当たっていました。
暗号解読がどのくらい戦争を有利にするかってのについてはアングロサクソン(英米)ほど知り尽くしている民族はいないんじゃないかって思っています。実際のところ「どこまで解読していて」「どこまで解読していないか」ってのについても英米は手の内をさらさないんですよね。実際、自分の手持ちのカードが全部知られているか、半分知られているか一枚だけ知っているかじゃこっちの対応も全然違いますよね。第二次大戦中にイギリスがドイツの暗号をどの程度解読していたのか、実は今でもそのへんははっきりしていません。しかし、どうもかなり解読していたようだという説が有力です。
イギリス人の暗号に対する執念は相当で、あるときドイツ空軍がイギリスの都市コベントリーを空襲することが暗号の解読で判明しました。しかし、もし市民に避難を呼びかけたら「暗号が解読されている」ということがドイツ側にバレてしまい、暗号が変えられてしまう。だから、イギリス政府はコベントリー市民を見殺しにしました。「今日の犠牲で、未来のもっと多くの命が救われる」という冷徹な判断で、これはとても日本人には真似できそうにありません。

んで、どうも当時はその基礎的な数学の学力において日本はアメリカに劣っていた(こういうときはひとりふたり優れた人がいることより、全体的な実力がモノをいいます)ようですよ。いったい彼らはどこまで解読していたか?それがポーカーゲームでいうところの「ブラフ」てやつですよ。

何も日本語全文を理解する必要はありません。重要なのは、「○月×日、X部隊がY島に上陸作戦を行う」というのが分かれば充分なのです。日本語の基礎が分かれば充分理解可能ですね。
また命令を受け取る側も、難解な日本語で命令されても困ります。要点をズバッとしてもらえばそれで充分なわけです。というか、そうじゃないと困るんですね。「命令は、簡潔・明瞭」は世界中の軍隊の鉄則です。

で、じゃあなんで暗号がバレちゃったのかっていうと、暗号てのは基本的に数学の分野なんですね。暗号のエキスパートっての...続きを読む

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q琉球の兵が薩摩に対抗できなかった理由 1609年

1609年に薩摩の兵3000が琉球に侵攻し4000の琉球の兵が破れて和睦のあと支配されることになった件で疑問があります。
帆船で長期航海を行い(激しい船酔いや士気の低下も想定される)、兵糧も十分ではなく土地勘もない薩摩の兵が、なぜ琉球を短期間で侵略出来たのでしょうか?琉球の方が交易も活発で薩摩よりも豊かであるような気がします。また薩摩は関ヶ原で直前に兵力を失っているとも思えます。
なぜ薩摩が琉球に侵略できたのでしょうか?琉球の兵力、軍備、他国との戦闘(琉球が他国を侵略したような事実もあれば)など付随する情報がありましたらお願いします。薩摩側の被害も教えてください。

Aベストアンサー

薩摩が琉球を侵略できたのは、琉球軍の作戦が悪かったからです。

その前にまず・・・

1.薩摩軍の航海について・・・薩摩軍はまず琉球の支配下にある奄美諸島の攻略に行きます。島々を攻略しながら沖縄に近づいていきますが、島と島との間は短く、ほとんど1日から2日で到着しており、海上で何日も過ごすという事をしていません。
島々の制圧期間を除くと、薩摩の山川港から奄美大島までは途中の島で一泊しましたが、それを入れて2日で着いていますし、その次の徳之島へも1日で着き、その次の沖永良部島にも1日で着き、次の沖縄本島にも1日で着いています。
島々での戦闘があったから薩摩から沖縄本島への到着は20日以上かかりましたが、航海日数だけで言えば必ずしも長くありません。これを長期航海と呼べるのか・・・私は疑問に思います。
また、薩摩は朝鮮出兵で水軍を出していますし、関が原の戦いにおい残存部隊が本国に戻る際には、海路であり黒田水軍と戦ってもいます。豊臣政権以降の薩摩の兵は海路を利用して派兵される事が多いので、船に慣れている者も多いと思います。

2.兵糧について・・・薩摩は琉球遠征にあたり五ヶ月分の兵糧を用意しました。3月4日に出航し4月初めには琉球は降伏しています。1ヶ月で戦いは終わっており、薩摩軍の兵糧が十分ではないというのは疑問です。

3.土地勘について・・・琉球を攻めるにあたり、水先案内人としてトカラ列島の七島衆が薩摩に味方しています。

4.豊かさについて・・・琉球が降伏した後、薩摩の検地では琉球は11万3千石と出ています。当時の島津は58万7千石ですから、琉球の石高は薩摩の五分の一です。石高から言うと、琉球が薩摩より豊かであったかについては疑問符が残ります。

5.兵について・・・諸説ありますが薩摩は関が原で1500の兵を動員し、三分の二を失ったと言われています。ただ、薩摩の石高から言えばもっと兵を動員する事は可能でした。例えば豊臣秀吉の朝鮮出兵では1万人の動員を命じられています。兵士の動員方式に百石三人制というのがありますが、これを薩摩に当てはめれば1万7千人は動員可能であり、しかもこれは限界の数値ではありません。関が原で薩摩が兵を失ったのは事実ですが、薩摩の動員能力から言うと、損害は少ないものでした。

6.薩摩の損害は100から200人ほどだそうです。

琉球軍の敗因・・・まず琉球王国の一角を占めていた奄美諸島では、薩摩の鉄砲にしてやられました。
奄美大島では島民3千人を集め砦を築いて薩摩軍に抵抗しようとしましたが、薩摩の鉄砲に敗退しました。
「棒の先から火が出る武器に驚いて逃げ去った」とか、徳之島でも「目にもとまらず棒の先から火が出て打ち倒した」とあり、どうやら奄美諸島の人達はあまり鉄砲の事を知らず、その威力の前に敗退したようです。
沖縄本島の場合は、作戦ミスです。
琉球軍は北部の良港である運天港を守るために千人の兵を今帰仁城に配置しましたが、まずここを薩摩軍に攻められ壊滅します。
薩摩軍はその後、読谷山の付近で海路、那覇港へ向かう部隊と、陸路、首里へ向かう部隊の二つに分かれ、二方向より進撃します。
琉球軍は薩摩軍が那覇港に来ると思い三千の兵をここに配置し守りを固めていました。薩摩の水軍はその那覇港の守りの堅さに一度は敗退しています。
しかし、琉球軍は陸路、進撃してくる薩摩軍の早期察知には失敗しており、気付いた時には手遅れで首里目前でこの薩摩軍を食い止めるには兵力が100人ほどしかなく、この部隊も結局薩摩軍に壊滅させられました。
そして首里に迫った薩摩軍に琉球の王は降伏を決断します。
つまり琉球軍は多いとは言えない貴重な防衛戦力を北部に派遣して各個撃破され、情報収集を疎かにして薩摩の進撃路を読み誤って陸路の防備を疎かにし、薩摩軍に敗北しました。
つまり琉球軍は情報と兵力の集中に誤りがあったための敗北です。
なお、沖縄本島の戦いでも薩摩の鉄砲に痛手を受けたようなので、薩摩の鉄砲にしてやられたという部分もあるかと思います。

薩摩が琉球を侵略できたのは、琉球軍の作戦が悪かったからです。

その前にまず・・・

1.薩摩軍の航海について・・・薩摩軍はまず琉球の支配下にある奄美諸島の攻略に行きます。島々を攻略しながら沖縄に近づいていきますが、島と島との間は短く、ほとんど1日から2日で到着しており、海上で何日も過ごすという事をしていません。
島々の制圧期間を除くと、薩摩の山川港から奄美大島までは途中の島で一泊しましたが、それを入れて2日で着いていますし、その次の徳之島へも1日で着き、その次の沖永良部島にも1日で...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Q太平洋戦争中のスパイ活動

 太平洋戦争中に米国が日本国内でスパイ活動をしていた事例、またはその逆の事例はあったのでしょうか。

Aベストアンサー

ドイツ大使館を利用していたのはソ連スパイが多かったようで。
アメリカのスパイは、旧国鉄の横須賀線に一日中乗り込み、これからの作戦について声高に議論する海軍軍人の声に聞き耳を立てていたとか。

吉川猛夫↓
http://navy75.web.infoseek.co.jp/kaisouroku/kaiso-05.html
ハナコサンガコドモヲウンダ
この電文が、真珠湾の大勝利をもたらしました。

Q太平洋戦争中の外国や戦地との通信システムについて教えてください (今で

太平洋戦争中の外国や戦地との通信システムについて教えてください (今であれば、ケーブルや衛星を通じた通信が普通であるが、当時、例えば ヨーロッパの領事館、もしくは戦地から現地の情報を伝えたいとき、知りたいとき、最速の通信手段としてはどのようなものがあったのでしょうか できれば詳細に教えてください)

Aベストアンサー

戦場での通信の方法は、おおざっぱに分けて三つの方法があるといえます。

ひとつが「無線」です。短波とかモールス信号とかあとは現代でいうところのトランシーバーのような音声通信これらを全部ひっくるめた無線通信です。
無線通信の長所はなんといっても「使いやすい」「便利」ということです。特に音声無線通信機器は会話によって速やかにコミュニケーションが取れるので第二次大戦を機にまたたく間に世界中に広まりました。
欠点はなんといっても傍受されやすいこと、そして場所などの影響で安定した使用ができないことです。例えば戦場で使う出力が小さい無線機では地球の裏側まで電波は送れないし、地下などにいるとこれまた電波が繋がらなくなります。
ちなみにこの無線通信は日本軍は最も世界から遅れていた技術のひとつで、音声無線機はとうとう「使い物になる無電機」は作れませんでした。同じ時代にドイツ軍は戦車に音声無線機を搭載していました。戦車という荒っぽい使い方をするところで壊れず、騒々しい車内でも音声がクリアに聞こえるようなものを作る技術が日本にはなかったのです。通信の技術とレーダー技術は多くの部分で重なっているので、レーダーも同じく貧弱なものでした。米英独のレーダーが「どの方向から高度どのくらいで、どのくらいの規模のものか」さらに「それが敵か味方か(IFF技術)」が判別できたのに、日本のものは「反応(つまりレーダーに映った)」「無反応(影なし)」の二種類のみで、しかも敵か味方かも分かりませんでした。そのうえ技術的信頼性が低く、誤動作も多かったという全く使い物にならないものでした。「気が向いたときだけ音楽が流れるラジオ」ですね。たまに「八木アンテナ」の話が出て当時の日本の技術も捨てたもんじゃないっていう意見もありますが、アンテナなんてのは部品のひとつに過ぎませんからね。ブレーキだけよく効く車を優れた車とはいいません。
ソ連もこういう技術は非常に苦手にしているのですが、第二次大戦中は当時世界一の信頼性を持つメイドインUSAの無線機が大量に貸与(という名のプレゼント)されたので主にそれを使っていたようです。

もうひとつの方法が有線電話で、これの長所はなんといっても電話線が見つからない限りは傍受されないことです。さらに電話線を引くことで、地下などでも確実に使うことができます。信頼性という点でははるかに高いわけです。
欠点は、「電話線が切れたら使えない」ことです。なにせ戦争ですから、砲爆撃で、あるいは戦車に踏まれてなど電話線が切れる理由には事欠かないわけです。切れたらどうすんのかというと、電話線を背負った通信兵がいちいちたぐって切れたところを探して繋ぎなおすのです。
これについてもご他聞にもれず我らが日本軍は性能いまひとつで、それはケーブルの質の低さに尽きるんだそうです。サビや熱に強く切れにくい強度を持つケーブル。そんなものは作れませんでした。これはもう民間工場の金属加工技術が低いのでどうしようもありません。

三つ目の方法は、残された最後の方法です。つまり、「伝令兵」です。最後はこれに尽きます。誰かにメッセージを託して、直接持って行かせます。戦場では兵士にやらせますが、重要な事柄では将校が託されることもあります。彼らことを連絡将校といいます。
特にヨーロッパでは昔からこの連絡将校というのはある種のエリート兵でした。日本では超ドマイナーな競技である近代五種は、商業至上主義となった現代の五輪でも外されることは決してありません。元々は連絡将校としての能力を競うものなのです。
長所はなんといっても科学技術が不要(笑)で、それでいて単純な命令から微妙なニュアンスを含むものまで融通無碍でしかもその運用にも多少の慣れは必要でも人間なら誰でもとっつきやすいという柔軟性です。
欠点は、まあ戦争をしているとその連絡・伝令が行方不明になることもしばしばということと、無線と比べても有線と比べても時間がかかるということです。

戦場での通信の方法は、おおざっぱに分けて三つの方法があるといえます。

ひとつが「無線」です。短波とかモールス信号とかあとは現代でいうところのトランシーバーのような音声通信これらを全部ひっくるめた無線通信です。
無線通信の長所はなんといっても「使いやすい」「便利」ということです。特に音声無線通信機器は会話によって速やかにコミュニケーションが取れるので第二次大戦を機にまたたく間に世界中に広まりました。
欠点はなんといっても傍受されやすいこと、そして場所などの影響で安定した使用が...続きを読む

Q旧日本軍の暗号と解読

旧日本軍の暗号がアメリカに解読されていたという話は有名です。

1,陸軍も海軍も解読されていましたか?
  どの程度解読されていたのでしょうか?100%ですか?
2,旧日本軍はどうして解読されていることに気付かなかったのか?
  ミッドウェイ海戦で気づくはずですが。
3,暗号は同じものをずっと使っていましたか?
4、米英に対する暗号の日本軍の解読はどのくらい進んでいましたか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

2ですが、ミッドウェイより、海軍甲事件(山本五十六機撃墜)の時に、本格的に疑いだします。

以下漫談ですが、日本もかなり暗号の取り扱いには気をつかっており、海軍の暗号関連のファイルには、表紙に鉛板をいれてもしものときには確実に水没するようにし、水溶性インクで印刷して水中から引き上げられたとしても読めないように工作し、かつ一回活字で印刷したあと、もう一回インクのついていない活字で痕をつけ、活版印刷の凹み痕から解読されないよう対策する、とまでやっています。

陸軍暗号ですが、終戦まで破られていません。今日で言うワンタイム・パッドという、通信をするたびに新たに、文字の数だけ乱数を当てる方式を使っていました。特殊乱数といいます。
これだと、通信するたびに毎回乱数が変わるわけですから、理論的に破るのは不可能です。

陸軍の暗号解読理論は、長年満州国でソ連と対峙していたため、対ソ暗号解読は非常に進んでいました。暗号化された北方のソ連気象情報を傍受して、毎日天気予報していたくらいです。

日本はアメリカのストリップ・サイファー暗号の解読にいい線までいきました。これも陸軍が経験を伝授して海軍が努力した結果です。
ただ、暗号そのものの解読には至らず、日本の対米暗号対策は、電波の送信状況、発信部署、通信量、などを分析し、アメリカ側の企図を察知する、という方向に発展します。
しかし、この方法は、どのような規模でいつぐらいに、までは察知できるのですが、「どの方面で作戦をするのか」を察知しがたいという欠点がありました。
例として、サイパンに特殊任務用のB29が2機きて、練習を繰り返していたが、練習をやめたのでなにかに使う可能性大、と推測ができました。ただ、その2機が広島と長崎を目標としていることが、わからなかったのです。

2ですが、ミッドウェイより、海軍甲事件(山本五十六機撃墜)の時に、本格的に疑いだします。

以下漫談ですが、日本もかなり暗号の取り扱いには気をつかっており、海軍の暗号関連のファイルには、表紙に鉛板をいれてもしものときには確実に水没するようにし、水溶性インクで印刷して水中から引き上げられたとしても読めないように工作し、かつ一回活字で印刷したあと、もう一回インクのついていない活字で痕をつけ、活版印刷の凹み痕から解読されないよう対策する、とまでやっています。

陸軍暗号ですが、終戦...続きを読む

Qイスラム教の聖地はエルサレム、メッカ?

イスラム教の聖地とはエルサレム、メッカ、どちらなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

どっちもです。

メッカ、メディナ、エルサレムの3つの都市が、イスラム教の三大聖地とされているようです。

メッカには、「神の館」であるカーバ神殿があり、また、預言者モハメッドの生誕地でもあります。

メディナには、モハメッドの墓所に建てられたモスクがあるらしいです。

エルサレムは、モハメッドが天に登った場所だそうです。

Q内閣総理大臣の任期について。

内閣総理大臣の任期についてなのですが、アメリカでは四年で二期までですが日本ではどうなっているのでしょうか?
憲法第七十一条には「内閣総理大臣は、衆議院の解散や衆議院議員の任期満了により国会議員の地位を失っても、次の内閣総理大臣が任命されるまでの間は、その地位を失うことはない」とありますが何期できるのですか?
知っている方は教えてください。

Aベストアンサー

 日本の内閣総理大臣は,「1期○年」と決まっている訳ではありません。
 首班指名されてから,衆議院選挙後の首班指名まで,或いは辞職・死亡するまでが1期と言えるでしょう。というより,「第○代」と言う言い方をします。
 
>何期できるのですか?
 制限がないので,何年でもできます。
 ただ,自由民主党では,総理には党の総裁が就くことになっています。自由民主党の総裁の任期は現在,3年と定められており,2期までと定められていますから,最長6年ということになると思います。
 でも,自由民主党は総裁公選規程をコロコロ改正しています。昔,中曽根氏が総理総裁の時,総選挙で大勝したから,総裁任期を1年延長されたりしました。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

Q台湾は中国なの?

 率直に聞きますが、台湾は中国なんですか。 国際的に台湾は中国であると認めているんでしょうか。 ていうかそもそも台湾て国なんですか?国じゃないんですか? 台湾が中国なら、なんで台湾生まれの人は中国出身ではなくて台湾出身というのですか?
 
 非常にばかな質問かも知れませんが、誰に聞いてもあいまいな答えしか返ってこないのでよくわかりません。 はっきりとした答えをききたいです。 台湾の人は台湾を中国の一部だとは思ってないとか、ききますが実際はどうなんですか。 ていうか逆? 中国が認めてないの? 誰か分かりやすく説明してほしいです。 
 
 ちなみにこの疑問が生まれたのは、F4という台湾のアイドルグループが流行っていることを「華流」というのをきいたからです。 華は中華人民共和国の華ですよね? 

Aベストアンサー

他の方も言っておられますが、日本政府の立場を一言で言えば「台湾は中国の一部」となっています。これは日本だけではなく、中国と正式な国交を持っている全ての国がそうだったかと思います。逆に、中国と国交を持っていない国が台湾を独立国として認めています(世界中で二十~三十くらい)

ですが、実質的に現在の台湾は独立国のようなものです。独自の政体・軍隊・法体系をもっており、中国とは対立しています。また、2020年のオリンピック開催国に立候補もする話があるようです。

> 台湾の人は台湾を中国の一部だとは思ってないとか、ききますが実際はどうなんですか。

これは微妙な問題です。台湾人もこの問題に関しては一枚岩ではないからです。

現在の台湾の政権は「対中国・親日・親米」ですが、野党の中には「親中国・反日・反米」をスローガンとしている者もおり、またその意見も台湾の人たちの一定の支持を得ています。

極端な人たちの中には、すぐにでも中国と統一すべき、という意見もあります。
しかし、逆に「いや、中国は他国だ。戦争をしてでも我々は独立国家となるべきだ」という意見もあります。
まあ、こういう多様な意見が出る事自体、台湾は一党独裁・言論弾圧の中国とは一線を画した民主主義国家と言えます。

中国にとって、台湾は魅力的な土地ですから是が非でも欲しがります。ここが手に入れば、台湾島を軍事基地化して日本・米国・東南アジア諸国にかなりの圧力を加えられますから。

だから、日本は台湾が中国の一部とは認めていますが、米国との会談などで中国への台湾への圧力を問題視したりしています。米国もこれに同調しています。

本気で軍事力を行使された場合、日米両国は台湾側に付く可能性も否定できないなど、この地域は本当に紛争地帯の様相を呈しています。

他の方も言っておられますが、日本政府の立場を一言で言えば「台湾は中国の一部」となっています。これは日本だけではなく、中国と正式な国交を持っている全ての国がそうだったかと思います。逆に、中国と国交を持っていない国が台湾を独立国として認めています(世界中で二十~三十くらい)

ですが、実質的に現在の台湾は独立国のようなものです。独自の政体・軍隊・法体系をもっており、中国とは対立しています。また、2020年のオリンピック開催国に立候補もする話があるようです。

> 台湾の人は台湾を中...続きを読む


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