No.6ベストアンサー
- 回答日時:
他の回答者が答えていますので、
私の回答は補足的な回答になります。
日英同盟を結んだイギリスの妨害もあって、
バルチック艦隊の進路はウラジオストックまで
最短距離である対馬を選ばざるを得なかった
のです。
スエズ運河を通させない、石炭を買わさせない、
ウラジオストックまでの航路中に寄港して休息
や調整をさせないとさまざまな妨害作戦を展開して、
バルチック艦隊の士気や戦力を落とそうと
追い詰めていたのです。
もしも、バルチック艦隊が寄港して石炭を詰め
なおしたり休息をとったりしていれば、
津軽や宗谷海峡通過のカードも切れていたはずで、
東郷長官の苦悩は多かったはずです。
要は、イギリスの妨害のお陰でバルチック艦隊は
対馬海峡通過というカードしか出さざるを得ず、
そこをきっちりと読まれた上で叩かれたのです。
No.8
- 回答日時:
燃料問題とロシア艦隊の疲労などについては他の回答者さんに譲ります。
まずは、基本的事項として戦力比から。
日:戦艦4、装甲巡洋艦8
露:戦艦8、海防戦艦3、装甲巡洋艦3
※なお、カタログスペック的には戦艦・海防戦艦に日露の間で大きな相違はありません。装甲巡洋艦も同様。
で、ツシマ沖海戦(日本海海戦)は装甲巡洋艦部隊が戦艦部隊の代用たりうる可能性を示した海戦とされます(これが、後の巡洋戦艦という艦種の誕生につながります)。すなわち、当時の常識的な判断としては装甲巡洋艦は戦艦に対抗できないと思われていたのです。
となれば、主力艦(戦艦クラス)の戦力比は日:露=4:11。
しかも東洋の猿共が操る相手であれば、いくら長期の航海で人も艦も疲労しているとはいえ、万一の場合でも多少の損害を覚悟すれば浦塩まで強行突破できるだろう、とロジェストウェンスキーが考えても無理からぬことだと考えます。となれば、あえて他の航路を選ぶ必然性は薄かったでしょう。
もし他の海峡(津軽、宗谷)を突破していたら……ですが、津軽海峡突破の場合はかなりの確立で日本海軍に捕捉されていたでしょう(東郷元帥の判断は津軽海峡突破でした)。宗谷海峡の場合は距離と起床の問題から、捕捉に失敗した可能性が若干高くなると思います。
確かに陣容としては優位に立っていたわけで、日本が勝つべくして勝ったなどというのは、後から威勢のいいことをいっているにすぎないところが多分にあるように思います。日本を侮ったという事が一番大きいかもしれません。
No.7
- 回答日時:
ええっと、皆さんなんか自信満々に「対馬以外の通路は絶対ありえない」とおっしゃっていますが、それはバルチック艦隊の実情とその結末を知っている後世の人間だからいえるのであって、当の日本海軍の首脳はそんなに自信満々ではありませんでした。
日本は5/19にバルチック艦隊がバシー海峡を通過したのを確認したのちその姿を見失っています。総合的に判断すれば、最も可能性が高いのは対馬海峡ルートですが、その裏をかいて津軽もしくは宗谷海峡を突破するのではないかと疑心暗鬼になりました。なぜ疑心暗鬼になったかというと、バルチック艦隊が疲弊していて士気も上がらなかったことを日本海軍は当然知らなかったからです。
というのもですね、一体バルチック艦隊にどれだけの石炭が補給されていて、実際のロシア戦艦の航続距離がどのくらいあるのかなんてのは不明なわけです。実際の航続距離は軍事機密なんですから。上手いこと親潮に乗れれば千葉の先辺りまでは相当燃料を節約できます。
実際、焦った東郷と連合艦隊はバルチック艦隊が見つからなければ26日正午に津軽ルートも考慮に入れて北海道へ移動すると大本営にいっていました。ところが、25日にロシアの石炭運搬船が上海に入港したという連絡が入り「石炭運搬船を同道させないなら対馬ルートで間違いない」と確信を得ることができたんです。
その後も苦労は続きます。当時日本はハイテク機器だった電信機を索敵する艦船に乗せていました。後の太平洋戦争のミッドウェー海戦で日本海軍は索敵を軽視して一敗地にまみれますが、当時の日本海軍は索敵の重要性をよく理解していたんですね。信濃丸がバルチック艦隊を発見しいち早く連絡したために連合艦隊は機先を制することが出来ました。
またあまり知られていないことですが、当時日本は世界でも始まったばかりの天気予報に力を入れていました。海戦当日の天気がどうなるかによって戦術は大きく変わります。ですから、日本は遠く上海にまで観測員を送り、当時の民間の最先端技術者も使って精度の高い天気予報を行っていたのです。その結果があの有名な「本日天気晴朗なれども波高し」なのです。これは、当時の天気予報の一文を文才に長けた秋山参謀が命令書の末尾に書き加えたのです。おかげで、単なる出撃の命令は文学の域にまで達したのです。
日本側はあまり確信をもてなかった事がよくわかります。つくづく石炭船の入港を許すなどという愚昧なことをしなかったら、どうなっていたのでしょうか。あるいは、索敵や気象の管理が厳密でなかったらどうなっていたのか。まったく危ない橋を渡りきったというのが実情なのでしょう。
No.5
- 回答日時:
東郷が対馬に来ると判断出来たのは、
津軽海峡が戦略上、重要な場所であったからではないでしょうか?
青森。
ここを砲撃されると、北海道とは分断され、鉄道破壊。
青森~八戸間も冬季、通行不能に陥ります。
つまり、戦略家なら絶対に津軽は最後の最後まで通らない。
絶対に来ない。
宗谷は無駄な時間が多すぎる。
こう思ったんじゃないでしょうか?
日本軍が決戦を目指していたのに、ロシア艦隊は、高速中央突破を考えていた。
所が、突破出来なかった。
これでは
T字戦法の上に、鶴翼の陣になり、挙句に包囲されてしまいます。
No.4
- 回答日時:
当時の艦艇は石炭を燃料とする蒸気機関でした。
バルティック艦隊は現在のベトナムあたりで最後の石炭積み込みをしましたが、満載状態にしても対馬海峡ととるのが精一杯でした。
当時の艦艇はこの為石炭船を同行するのが普通でしたが、洋上では補給は不可能に近いのです。
ベトナムを出てからは日本の勢力圏内に近く、進路を秘匿するためには港に入る事は出来ません。
従って対馬ルート以外に考えられないのです。
日本海海戦は勝つべくして勝った海戦です。 日清戦争の不手際を反省した日本海軍は大改革を行い、猛訓練で面目を一新していました。
それにロシア艦隊は2縦列で航行しており艦隊運動は不自由でした。
この為に東郷艦隊のT型回頭をみても対応出来ず射撃するだけで、それも先頭の数艦しか射撃出来ず、回頭を終わった東郷艦隊の集中砲撃で先頭の戦艦が破壊され指揮官が負傷すると艦隊は混乱するだけで纏まった反撃が出来ませんでした。
対馬ルート以外を選択したら洋上で燃料切れとなったでしょう。
No.2
- 回答日時:
大前提としては元々出発時より非常な無理をして航行をつづけてきましたから消耗の度合いが激しく、「西よりルート」の突破を決めていました。
(1)千島列島は潮流が激しく天候が悪いので、疲労しきった艦隊が無事に航行出来るとは思えない。(2)全艦隊がウラジオストックまで休息を取れず燃料を補給できない事情を鑑みれば、最短コースの「西よりルート」を進むしかない。との認識を最初から持っていました。ロジェストヴェンスキーは偽装コースをとらせたりしていますが、連合艦隊は最初から決め撃ちで対馬以外ないと判断しておりこれは功を奏しませんでした。運が良ければ、偽装コース船団に釣られた日本海軍は、バルチック艦隊が千島ルートを辿るものと誤断して、対馬海峡をがら空きにしてくれるだろうと推定したのですが、全くの誤算に終わったのです。この事情については「海の史劇」吉村 昭著 新潮文庫に詳しいです。これを読みますとそもそも出発自体が無謀で日本海にたどり着くまでの消耗度合いは激しく相当な疲労の元での戦いであったようです。ご一読おすすめします。No.1
- 回答日時:
司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を図書館当たりで読めばしっかり
書いてあるんですけどね。彼は理由を作中でこう言っています。
1.宗谷・津軽の両海峡は狭い上に、この時期霧などが発生しやすく
進路を誤って座礁しやすい。対馬海峡には航路上に障害がない。
2.艦隊行動に慣れていないロシア艦隊は、狭い水道で会戦を行うと
艦隊行動に制限を受け、自滅しかねない。対馬海峡ではこういった
ことは考慮しなくていい。
3.宗谷・津軽海峡を経由するとウラジオストックまでの距離が長く
補給が間に合わずに自滅しかねない。
なお、この頃はレーダーなどがなかったので、日本沿海を進んでも、
充分に距離さえとれば発見される恐れはなかったと思われますが、
ロシアはこれら両海峡の正確な海図を持っておらず、また、日本海軍
は津軽海峡に機雷を敷設したので、仮にこれらの海峡を経由したと
した場合でも、1,2,3の理由で艦隊を保全したままウラジオストックに
到着することは出来なかったと思います。
もっとも、「何隻か残ればいい」ならば、これらの航路を取れば残った
可能性は大きく、日露戦争もあのような結果にならなかった可能性が
ありますが、司令長官ロジェストウエンスキーの性格から、まず確実に
そのような航路を通らなかったでしょうし、仮に通るような判断が出来
る司令長官ならば、対馬海峡であれほど散々に叩かれることはなかった
と思います。
ここらへんは、「坂の上の雲」を読むと、実に生き生きと描写されて
います。ご一読をお勧めします。
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