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対米英でどうでしょうか。
対米英だと特攻なんかの「悲惨な戦いばっかり」なイメージなので。
お願いします。

A 回答 (4件)

・シンガポール攻略戦



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3% …
イギリス軍における最大規模の降伏。
当時の首相チャーチルが日記に「英国軍の歴史上最悪の惨事」
と書いたくらいの出来事。
山下奉文中将が英国軍の司令に対して降伏について
「イエスかノーか」と迫ったことでも有名。
あまりに悔しいから、戦後山下将軍を絞首刑にして
パーシバル司令を立ち会わせました。



・香港攻略戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF% …
鉄壁を誇った「ジンドリンカーズライン」が、一中隊の攻撃で
あっさり突破され、結局半年は篭城できるつもりが18日で陥落。




・コレヒドール攻略戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3% …
大勝利ではありませんが、破竹の進撃を続ける日本がてこずった
フィリピン攻略の最終段階で、マッカーサーがコレヒドールから
「I shall return」の台詞で部下を放置して逃げたことで有名。
戦い自体も、日米の砲戦で日本が有利に展開しためずらしい例。
日本の降伏文書調印で記念にするため5本のペンを使用しましたが、
1本をマッカーサーのかわりに捕虜になったウェンライト中将に、
もう一本をシンガポールのパーシバル中将に贈りました。



・ペリリュー攻略戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA% …
これも大勝利ではありません。
現在も世界最強を自負するアメリカ海兵隊ですが、
補給もない日本に対し、海空の支援で圧倒的に有利な第一海兵師団は
上陸前に司令官が訓示で「こんな小さな島なら戦闘は2,3日で終わる、
諸君には日本軍指揮官の刀を土産に持って帰ってくれ」と余裕でしたが、
1ヶ月強の戦闘で損失率が60%を超えてしまい、全滅判定を受けて
他の部隊と交代させられ、司令官は更迭されました。
個人の戦いで唯一戦史叢書に乗った船坂弘は、おとなりのアンガウル島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%A9%E5%9D%82% …


・第一次ソロモン海戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80% …
戦闘自体の損害では、日本側は10発程度の命中弾で小破のみ。
(海戦後の帰りに潜水艦の雷撃により重巡1隻沈没)
米英側は沈没、重巡4隻、駆逐艦1隻(戦闘離脱後の空襲)
大破、重巡1隻、駆逐艦1隻、中波、駆逐艦1隻
ただし、戦術的には圧勝ですが、戦略目標が未達成なので
戦略的に敗北と評価する人もいます。



・スラバヤ沖海戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9% …
戦果だけ比較すると、日本は駆逐艦1隻大破のみ。
連合軍側は、沈没、重巡1隻、軽巡2隻。駆逐艦5隻、
小破、重巡1隻
戦術的な勝利もさることながら、続くバタビア沖海戦によって
この地域の連合軍側の海上戦力がほぼ壊滅した戦略的影響も大きい。



・ルンガ沖夜戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%B3% …
日本側の被害は警戒艦の駆逐艦1隻沈没のみ。
アメリカは沈没、重巡1隻、大破、重巡3隻。
戦果だけみれば日本の圧勝です。
個人的には、「高波」を犠牲にして早期に戦場を離脱した
司令官の評価はあまりよくありません。




・マレー沖海戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC% …
作戦行動中の戦艦を空襲で撃沈することを証明し、大鑑巨砲主義を
終わらせたとされる戦い。
これも、チャーチルが日記に「第二次世界大戦で最も衝撃を受けた」
としたくらいの出来事。



・インド洋攻略戦(セイロン沖海戦)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4% …
当時、圧倒的な攻撃力を誇った日本の機動部隊による戦果。
喪失が航空機十数機に対して、イギリスの損害は
空母1隻、重巡2隻、駆逐艦2隻など。
急降下爆撃による命中率は一般の熟練兵が25%程度ですが、
このときの南雲部隊は80%程度の驚異的な命中率でした。



・魚雷艇 PT-109 撃沈

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%9C%A7_ …
後の大統領、J・F・ケネディの指揮する魚雷艇を撃沈しました。
(ほんとうは衝突です)
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この回答へのお礼

たくさんくす

お礼日時:2015/08/15 21:16

1942年9月。

日本支配下のブーゲンビル島エンブレス・オーガスタ沖

駆逐艦「秋月」が単独で試験航海中アメリカのB-17爆撃機11機編隊に遭遇。
最初はその大きさから巡洋艦だと思われていたようだ。

それから5500フィートの爆撃コースに乗るが相手の艦は何も行動を起こさなかった。
どうも別の資料をみると初めての戦闘でまったく慣れていなかったようだ。

しかし爆弾は1発も当たらなかった。ようやく対空砲火の反撃を開始
その中の1機のBー17の無線室の後方に煙を発したと思うと錐揉み状態で
落ちていった。敵艦には何も損害を与えることができずB-17の編隊は引き上げていった。

普通に考えて当時の日本のテクノロジーを知っていれば一方的にやられてしまっているはず。
それを1艦だけで戦ってB-17を返り撃ちにしてしまったという話だ。
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この回答へのお礼

thx

お礼日時:2015/08/15 21:15

対英・・・シンガポール占領まで


対米・・・マニラ占領まで

山本長官の言う通り、勝ち戦は半年まで、早期講和せねば敗北なのです
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この回答へのお礼

thx

お礼日時:2015/08/15 21:15

勝利ではないけど、キスカ撤退戦はどうですか?



初戦の勢いで日本軍はアリューシャン列島のキスカ島に進出したのだけど、
全体的に負け戦になり始め、とうとう隣のアッツ島は玉砕。
次はいよいよキスカか、と言うところで奇跡的に撤収成功。
しかも日本側に戦闘損失なし。

日本軍が撤退したことを知らなかった米軍は
大規模な空襲と艦砲射撃を加えて上陸。
で、もう日本軍はいないのに上陸戦で米軍に戦死者が続出(同士討ち)。
それでもなんとか占領したものの今度は
日本軍がイタズラで残した「ペスト患者収容所」と書かれた看板を見て
大パニックに陥るという醜態ぶりでした。

この話は白黒映画にもなっています。
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この回答へのお礼

thx

お礼日時:2015/08/15 21:16

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