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日本人が多用しすぎると評判の「受身の使い分け」について教えていただけないでしょうか????

A 回答 (4件)

アメリカに38年住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

これは、英語を知っている人、使いこなせる人にとっては非常に歯がゆい問題点なのです。 なぜなら、受身であると言うフィーリングを出す必要がない、「犠牲者」的フィーリング、「古い表現方法」的フィーリングを感じるのがこのPassive sentenceなのです。

日本の学校英語教育では、能動態・受動態と言う文章の形がある、という事を知ればいい、では満足せずに、能動態と受動態の書き換えをフィーリングには全く関係なく方程式を解いているように目的語はどれでそれを主語にしbyの後に元主語だった単語をもってこい、と押し付けているわけです。

方程式的に書き換えられるとしても使い物にならないということなど全く機にしていませんし、なにか受動態と能動態は同じ意味を持つけど語順が違うだけ、のような教え方をしていますね。 何やってんの日本の文法学者さん?と言う事になってしますわけです。

ビジネス英語では(つまり普通の大人が給料をもらい為に使う英語)この受身形を極端に嫌います。 マイクロソフトワードですら受動態の形で書くと「レッドフラッグ」が出ます。 能動態に変えろって。

昔はビジネス英語では受動態が好く使われ好まれました。 「威厳さ」を出している、とか、ビジネス調だ、と言われたものです。 今では、そういう表現の仕方はやめた方がいいでしょう、ではなく、使うな、と言うレベルの強調さで教えています。

日本では書き換え問題は増えるばっかりです。 それじゃ、日本人は受動態を多用しすぎると思われても仕方ないでしょう。

受動態には受動態として使われるメリットはちゃんとあるのです。 そのメリットを使いこなせれば自然な受身とアクションの主人公を隠すとなどがメリットとして能動態にあるわけですからそれらに準じて使えるようになるわけです

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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>日本人が多用しすぎると評判の「受身の使い分け」について教えていただけないでしょうか????



多用しすぎるという指摘について、要因だけではなくどのような点においてそれがコミニュケーション上、影響するかを知る必要があります。文章、話で、意図することが受け手に効果的に伝わるならば、それは有用な表現です。多い要因、原因に加えて、このような視点から捕らえられてはでどうでしょう。

したがって、ある一文を能動態か、受動態のどちらにするかは、その目的することをもっとも効果的に伝えられるかと言うことことから導かれます。たとえば、”現在の米大統領は、米国民によって選ばれた”とするかそれとも”米国民は彼を大統領に選んだ”のどちらにするかは、主張したい視点で違うでしょう。大事な点は、主語が話の主人公です。このようなことを踏まえてアプローチされてはと思います。
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Mary bought a book.を単純にA book was bought by Maryとはしない、ということです。

受け身にするにはそれなりの理由が無ければならない。
たとえば、A was arrested for a theft.は逮捕されたのですから、したのは警察に決まっています。分かり切った情報は不要ですから受け身です。

A man was killed last night in Tokyo.は犯人はまだ分からないのですから、受け身です。犯人が分かっても、「殺された」が強調したい部分ですからやっぱり受け身です。

Mary was chosen the best speaker out of 100 contestans. 100人もの中から特別に「選ばれた」と強調したいときには受け身です。

その行為によって何らかの影響を受ける場合は受け身ですが、なんら影響を受けなければ受け身にはできません。

Mt. Fuji was climed by me.とかは言えません。富士山はなんら影響を受けないからです。

まだありますが、まあこういう事です。
なぜ使いすぎるかというと、書き換え問題で散々やる。理由を説明しない。日本語に少ない語法なので、めずらしくてやってみたくなる。テストに頻出する。などでしょうか。

受け身は正しく使うと、ニュアンスがよく伝わって、便利なものです。
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おそらく、マーク・ピーターセン氏の「日本人の英語」に書かれているようなことではないですかね?



詳しいことは本書を読んでもらいたいのですが、特に日本人の研究者が英語で自然科学などの論文を書く際に客観性を出すために多く用いられているが、それはいろいろな面でデメリットがあるということです。

本書によると、ひねくれて読みにくくなり、また客観性・慎重性を出すあまり逆に弱腰の説得力に乏しい文章になってしまうとあります。さらに、主語と述語が離れすぎてしまうこともデメリットとして挙げられております。

おそらく、このことではないでしょうか?
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