歴史の教科書や小説の中で、例えば『新田義貞』を『にったよしさだ』と普通に読んでいますが、当時本当にそういう読み方をしていたという証拠はあるのでしょうか?
例えばどこかの文献にルビがふってあるとか。

昔、高校のときに日本史の先生が『百済』は『くだら』と読まなくてもいい、何故なら元々これは日本の国の地名ではないのだから『ひゃくざい』でもいいんだ、などと言っていて、「なるほど」と単純に思ったのですが、本当なのでしょうか?
その当時、日本では『百済』を『くだら』と読んでいた、という確たる証拠があるのでしょうか?
それとも、先生の言ったことが正しいのでしょうか?

百数十年とかいう近い過去なら、言い伝えというのも信用できるのですが、どうも五百年以上も前のこととなると何か証拠がなければ、と素人の私は思ってしまうのですが。
それとも、本当のところはわからなくて、最近まで読まれてきた読み方で便宜的にそう読んでいるだけなのでしょうか?

歴史や日本語に詳しい方、教えて下さい。

よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

> ところで「につたのミしやう」のミだけ何故カタカナなのでしょうか?



「御」をちゃんと書くと相当面倒ですよね。ですので「くずし字」にして書きやすくしていた訳です。くずし字のバリエーションは色々ありますが、「御」は一般的にひらがなの「い」の間にカタカナの「キ」を上の方に書いたような形です。ですので面倒といえば面倒で「ミ」の方が簡単です。そんな感じではないでしょうか。書く人によってまちまちですが、ある文字だけカタカナにすることはよくあることです。

> それからこの場合の「つ」はやはり当時では「つ」と発音していたので
> しょうか。それともやはり当時から「つまる音」だったのでしょうか?

なぜだか古くから撥音・濁点は書き物のなかで表現していなかったようです。ですので今となっては想像するしかありません。「新田」を「につた」と読むか、「にった」と読むか…私は「にった」の方がどうしても自然に感じます。

この回答への補足

この場をお借りして、回答者の皆さんに御礼申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
ものすごく勉強になりました。
今、日本語関係の勉強を始めたのですが、歴史的背景がよくわからないので、疑問が生じる度に人に聞いております。
皆さんのような博学の方々に回答をいただいて光栄です。
また疑問が湧きましたら質問しますので、その節もよろしくお願い致します。

2002年5月28日 trunkman

補足日時:2002/05/28 18:35
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この回答へのお礼

どうも、またまた解説ありがとうございます。

「ミ」は「御」のことだったんですね。

私も「新田」は「にった」と読む方が自然だと思います。
仮に「にいた」だったとしても音便的に「にった」になったと考えやすいですしね。

お礼日時:2002/05/26 18:18

>当時本当にそういう読み方をしていたという証拠はあるのでしょうか?


>例えばどこかの文献にルビがふってあるとか。
時代も違うし、ルビでもないのですが、
17世紀初頭(関が原の合戦の直後)に「日葡辞書」っていう辞書がありました。
要するに 日本語-ポルトガル語 の辞書なのですが、当時日本語の活字が無かった事から日本語の部分はローマ字で表されているそうです。
これ、今では当時の日本語の発音を調べるのにカナリ役だっているとのこと。
↓で今でも売っているらしいのですが...ちょっと高い..興味がお有りなら、図書館ででもどうぞ。

さて、
なぜ『百済』は『ペクチェ』ではなく「くだら」か?
なぜ『新羅』は『シルラ』 ではなく「しらぎ」か?

前の方の説明にもありますが、私の聞いた話では、
『百済』は[大きな国]の意味の"クリナラ"から(今でも日本にはナラっていう地名がありますね)
『新羅』は『シルラ』+『ギィ』から来ているとのことです。
じゃあ、『ギィ』ってなんだ?
 実は『ギィ』は日本語の「奴等」という意味なんだそうです。「シルラの奴等」...

で、昔新羅に追われて大量の百済人が日本に難民としてやって来ていた時期があったそうで、
腹立ちまぎれの彼らが広めたらしいんですね。「くだら」と「しらギィ」。
そして、何~んにも知らない日本人のご先祖様は「そうか!そう読むのか!」と素直に信じてしまったと。
どうも、そうゆうコトらしいです。

参考URL:http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/20/1/2004510.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「日葡辞書」って「にっぽじしょ」と読んでいいのでしょうか。
今度、図書館で探してみます。

>『百済』は[大きな国]の意味の"クリナラ"から(今でも日本にはナラっていう地名がありますね)
>『新羅』は『シルラ』+『ギィ』から来ているとのことです。
>じゃあ、『ギィ』ってなんだ?
>実は『ギィ』は日本語の「奴等」という意味なんだそうです。「シルラの奴等」...

う~ん、かなり説得力ありますね。
みんな「くだら」「しらぎ」と当たり前のように読んでいるのに、今までその理由を聞いたことがなかったので、すっきりしました。

お礼日時:2002/05/25 07:39

間違いがありました。



>■享徳四年(1170)閏四月吉日付

享徳四年は1455年で、この文書の奥書(おくがき:文書の末尾に、内容に関する保証または承認の意味で書かれる文)に「享徳四年閏四月吉日」とあります。文書の最初に「かおう二年目六(目録)」とありますので、嘉応二年(1170)の内容と見て差し支えがありません。ただ「につたのミしやう」 は「かおう二年目六」と同じく文書の最初の文言ですので、この読みは享徳四年(1455)当時のものです。ということは、新田義貞が死んだ後の読みでした。
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この回答へのお礼

またまたありがとうございます。

言われるまで気が付きませんでした。
年号はいつになっても覚えられません。
1455年といったら「足利幕府」時代ですね。

私は新田次郎の「新田義貞」のファンで、あんなに頑張って鎌倉幕府を倒したのに、最終的には燈明寺畷で眉間に矢を受けて悲しくこの世を去って、その功労はお調子者で頭がいい足利尊氏に持っていかれてしまう新田義貞が可哀相でたまりません。

関係ありませんでしたね。

お礼日時:2002/05/25 07:33

たまたま「新田町誌 第四巻」を持ってまして、そこに古文書の引用が載っていましたのでご紹介します。



■仁安三年(1168)六月廿日付新田義重置文(正木文書3)
「新田御荘」のことを「にたのみさう」

■享徳四年(1170)閏四月吉日付新田荘田畠在家注文(正木文書83)
「新田御荘」のことを「につたのミしやう」


「和名類聚抄」(承平年間〔931-938〕成立)に「新田郡」とあるそうですので地名の方が古く、源義重が新田に住み着き新田姓を名乗り始めたそうです。

新田義貞の場合は「にったよしさだ」で間違いないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1168年や1170年など新田義貞がこの世に現れるずっと前ですね。

ところで「につたのミしやう」のミだけ何故カタカナなのでしょうか?それからこの場合の「つ」はやはり当時では「つ」と発音していたのでしょうか。それともやはり当時から「つまる音」だったのでしょうか?

お礼日時:2002/05/24 20:10

ちょっとご質問の意図から離れるかもしれませんが、


韓国語からの観点でお話します。
韓国語では、基本的に一つの漢字に一つの読みで、

「百済」は「ぺク・チェ」(「ぺッチェ」とも聞こえます)
「クダラ」とは読みません。

「白村江」は「ぺク・チョン・ガン」 です。
「村」を「スキ」と言ったのは、古代朝鮮語のようで、現在は「マウル」とも言いますが、「村」の現在の漢字の読みは上記のように「チョン」です。

「新羅」は「シルラ」ですが、「ル」がRの発音なので「シンラ」にも聞こえます。これは偶然(?)日本語の漢字の読みと、韓国語の漢字の読みが似ていたものと思われます。

韓国語と日本語の漢字では、発音が全く同じ単語もあり(「無理」など。)
似ている単語もかなりあります。

漢字があるとどうしても自国の読み方で発音してしまいますね。
私も「クダラ」でなくても「ひゃくさい」でもいいように思います。
(ホントは「ぺクチェ」なんだし。)

最近はニュースなどでは、中国は地名・人名とも日本語の漢字読みなんですが、韓国の場合、地名・人名は現地発音で読むことになってます。

あと、地名などは、地名そのものも、発音も昔からそんなに変わらないという話を聞いたことがあります。確かに、たとえ行政改革されても昔の地名は言い伝えられることが多いですよね。

人名については、特に昔は本名で呼ぶよりも、役職名で(「~の守」とか「~大臣」とか)呼んだのではないでしょうか? なので中には死後・後世になって「本名」として確認・定着した歴史的な人物もいるのでは?・・という私の推測です。
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この回答へのお礼

回答どもありがとうございます。

>「百済」は「ぺク・チェ」(「ぺッチェ」とも聞こえます)
>「クダラ」とは読みません。

ですか。これで長年の疑問のひとつが解けました。

>最近はニュースなどでは、中国は地名・人名とも日本語の漢字読みなんですが、韓国の場合、地名・人名は現地発音で読むことになってます。

どうしてそういう決まりになったのでしょう。
韓国には気を遣って、中国にはそれほど気を遣ってないなんて素人考えですかね。

>あと、地名などは、地名そのものも、発音も昔からそんなに変わらないという話を聞いたことがあります。確かに、たとえ行政改革されても昔の地名は言い伝えられることが多いですよね。

全然いい例じゃないかもしれませんが、バス停などに何でこんな名前なんだろうというものが結構ありますよね。門の跡など全くないのに『東門』とか。

お礼日時:2002/05/24 19:42

おはようございます。

既に前の質問は締め切られているので、ここに少し補足を。参考としてお読み下さい。
 前の回答の中に「辞書のような物」という表現が有りましたが、あれは節用集(せつようしゅう)といういろは順の国語辞典です。例えば↓は江戸の最初期の物ですね。これにはご覧の通りカナで読みが付いています。
 辞典や事典の類では本にもよりますが万葉仮名で読みを示してある物も有ります。江戸中期に出された本草の薬石事典とも言える『本朝食鑑』には、例えば蕗を「布木とよむ」、出典として『延喜式』に布木とあり、などと挙げています。
 この節用集の本の系統の一つに印度本と呼ばれる物が有ります。これは冒頭の見出し語がインドであるところから付けられたもので、これから察するところ人名はともかくとしても、国名のような大きな地名に付いては記載が有るようです。ですから、このようなかたちで読みが伝えられている場合も有るのではないでしょうか。
 全般に、殊に人名を音読みにする習慣は古代からの漢学至上の日本における文化受容の結果ではないかと思います。これは少なくとも明治、およそ終戦前までは間違いなく続いていましたよね。

 最後に朝鮮の歴史的地名で似たような例を一つ挙げておきます。古代の戦場として日本人には馴染みの深い白村江(はくすきのえ)ですが、これは「はく」はともかくとして、村を「すき」と読むのは朝鮮語だと思われます。今では「はくそんこう」と音読みしているようですが。
 ところが日本に帰化した氏族に村主(すぐり)氏がいて(奈良時代の奈良盆地周辺の勢力図を思い出されたし)、村という字の読み方はほぼ同じです(ただし、『姓氏家系大辞典』によると奈良の同氏は漢族の末裔らしく、攝津や和泉の一族が百済からの帰化人だとあります)。近年フィギュア・スケートで日本代表としても活躍している村主さんのおかげでこれを正しく読める人も増えたかもしれません。余談が長くなりました。それでは。

参考URL:http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/jyous …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

『節用集』ですね。
これで少なくとも400年位前の読みがわかるわけですね。

>全般に、殊に人名を音読みにする習慣は古代からの漢学至上の日本における文化受容の結果ではないかと思います。これは少なくとも明治、およそ終戦前までは間違いなく続いていましたよね。

やはり昔日本にとって中国は宗主国だったことと関係があるのでしょうか。戦後、日本が英語をありがたがったのと似ていて。

『村主』=「すぐり」というのは興味深いですね。
以前に日本の地名の多くが元々朝鮮半島の言葉でその漢字の表記が変遷してきたという記述を目にしたことがありますが、信憑性はあるのでしょうか?

お礼日時:2002/05/24 07:00

新田義貞は[新田郡・にったごおり]の出身だそうですが、土地を開発してできたのが[新田荘]は[ニッタの荘園]なのか、単に新しい



[シンデンの荘園]なのか、今となっては証拠がない限り読み方については判らないので素直に[ニッタヨシサダ]と思います。

もちろん後日、当時[シンデン よしさだ]と呼んだ証拠が挙がれば、それにこした事はないと思います。

新田は本田(ホンデン)に対する言葉で本田さんは[ホンダ]ですが、本位田又八は[ホイデン]と読むので新田さんが[シンデン]さんの

可能性もないとは言い切れないでしょう。


他の例ですが以前美術史系の研究室に出入りしていた頃、中国から日本にお茶を持ってきたとされる[栄西]の読み方を侃侃諤諤、

学生間で議論をし結論が出ないので教授にお伺い立てたところ、仮に栄西が日本に宋から帰国した頃の中国読みが正しいとしても

その発音が[イェンスィー]か[ヨウサイ]か判らないなら普通に[エイサイ]と日本語読みが無難であるということに落ち着きました。

http://www.ochakaido.com/rekisi/jinup/jinup01.htm

栄西禅師は、彼の著した[喫茶(キッチャ)養生記]で有名ですが、これは「茶を喫する」という意味で[キッサ]とは読みません。



百済をクダラと読まない例は琵琶湖の東の方に[百済寺:ヒャクサイジ]がありますが、[百済]をハングルではどう読むのでしょう?

たしか高句麗、新羅はハングルでも似たような発音だった気がしますが[百済]だけは[クダラ]とは別の感じの発音で「ペッチェ?」

のような感じだったような気がしますが。。。つまり、私は[クダラ]というのは元の古来の発音ではないように考えるのです。

私が以前読んだ本(金達壽)の中に「クンナラ」という言葉があってハングルの意味は[大きい国]を表すそうです。

仮説として[クダラ]=[クンナラ:大きい国]=[百済]ということが記されていたと思います。(手元にないので書名は判らない)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり録音機があったわけではない昔の言葉だから、現在推測できる限りの近似的な言い方で発音するしかないわけですね。

それに昔は日本にもfaやquaの発音があって『母』をファファと言っていた時代があるという話も聞いたことがあります。

それを考えたら戦国時代以前の日本人がどう発音していたかなんて正確にわかるものではないと。ということでいいのですよね。

[クダラ]=[クンナラ:大きい国]説
なんか信憑性ありそうですよね。

お礼日時:2002/05/24 06:41

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結論から申し上げれば、
『漢音=唐代長安音』が根幹をなすモノのようです。


以下はお暇な時に、参考までに読んで下さればと存じます。

>日本語の漢字の音の読み方は呉音、漢音、唐音などがあるようですが
↓こちらでそれぞれに「どう読むか」があるのですが、
http://www.geocities.jp/johannes_schiffberg/kanji.html
最初に書かれている「行」に関して言えば、韓国語では「ヘン」です。ということは、どれにも属さないことになります。
但し、中国の方言としては出て来るようでして↓
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE8ZdicA1Zdic8C.htm
台湾4県・陸豊・梅県・海陸豊に hen と。(後ろの数字は?ですが)

改めて韓国における漢字語とは、いつ頃?どこから?をnetの中で眺めてみるとこのような記載がありました。
朝鮮語学小辞典 - 漢字語
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/cgi-bin/enc/korenc.cgi?%E6%BC%A2%E5%AD%97%E8%AA%9E
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朝鮮語学小辞典 - 朝鮮漢字音
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/cgi-bin/enc/korenc.cgi?%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%E9%9F%B3
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であるなら、結局韓国語における漢字の読み方というのは、唐代長安音=『漢音』が根幹をなすモノのようです

参考URL:http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/cgi-bin/enc/korenc.cgi?IndexPage

結論から申し上げれば、
『漢音=唐代長安音』が根幹をなすモノのようです。


以下はお暇な時に、参考までに読んで下さればと存じます。

>日本語の漢字の音の読み方は呉音、漢音、唐音などがあるようですが
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ANo.3の者です。
ご質問自体がそのようなことなんじゃないですか?
「しんら」と呼ばずに「しらぎ」と読むのは何故か?
ならまだ分かりますが。。。

ちなみに
新羅は「日本では「新羅」に「城」を付して「しらぎ」と呼ぶ」と
その筋の辞書にはあります。
信憑性があるのかないのか知りませんが
ウィキの方には奈良時代には「しらき」と清音だったとあります。

漢字の伝来の歴史に起因するものと思われます。
あまり詳しくはないのですが
一説によると
日本における漢字は
漢字自体は中国からやってきて
表音は朝鮮からわたってきたそうです。
なので
漢字と読みが合わない言葉はたくさんあるわけです。

あなたの例でいくと
キムイルソンは金日成ですよね。
このようなことが大昔に起こっていたわけです。
たとえば
国字なども漢字伝来の歴史の流れから派生した文字ですよね。

これは日本だけに限らず
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たとえば朝鮮半島もかつては漢字を使っていたわけですよね。
それがハングルになっていくわけです。
ということはかつての朝鮮半島でも
本来の漢字の読みとあわないものもたくさんあったはずです。
それが伝わったのかもしれないし
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新羅三郎という源氏の方がいたんですが
この方は
一般には「しんらさぶろう」です。
これですら
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個人的な話ですが
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これらの表記を全て見たことがあります。
現在もよく分かってないことが多いみたいです。
私自身は
「シルラ」に「新羅」という漢字を中国か朝鮮であてていて
それが日本に伝わったときは
日本で新羅のことをシラギと読んでいたので
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百済についても同様で
いまいち分かっていないというのが
現在のところでしょう。
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ANo.3の者です。
ご質問自体がそのようなことなんじゃないですか?
「しんら」と呼ばずに「しらぎ」と読むのは何故か?
ならまだ分かりますが。。。

ちなみに
新羅は「日本では「新羅」に「城」を付して「しらぎ」と呼ぶ」と
その筋の辞書にはあります。
信憑性があるのかないのか知りませんが
ウィキの方には奈良時代には「しらき」と清音だったとあります。

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また、それ以前にも荘園制度というものが収入を支えるわけですね。
また、官位を持っていればちょっとはお給料が出ます。
また、位の低い人は人に雇われれば衣食住は保証されたりもしますしね。
真面目な人ほど貧乏していたようです。

Q漢字の読み方

漢字の読み方をお教えください。
「福」と「彦」のフク、ヒコ以外の読み方です。

Aベストアンサー

人名の読み方は、また別のもんですから。
私の手元の事典ですと
「福」は、さき・さち・たる・とし・とみ・むら・もと・もと・よし。
「彦」は、お・さと・ひろ・やす・よし。
なんて読み方が載っています。でも、人名は何でもありですから。

Q『江』を見ました(当時の考え方に対する疑問)

大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』を見て、当時の考え方に対して疑問に思ったことがあります。

★乳母は当時人気職だったらしい?ですが、
 市が死んだ時乳母も殉じ、
淀が死んだ時大蔵卿局も殉じたわけですが、
仕えている家が戦になったら自分もいつ死ぬか分からないのに、
何のメリットがあって自ら仕官するのでしょうか?
恩賞をもらえたり、将来自分も身分が上がり、自分の子も重臣なれるのがメリットだとしても、
大蔵卿局も息子の大野治長も最後には殉じたわけであり、
リスクの方が高いと思うのですが。

★例えば淀のように自ら戦をしたがっているような主の臣下が
「私は死にたくないから戦したくないのに」と内心思っていても
やはり主の命令は絶対ということで素直に従うものなのですか?
現代だと一社員が社長のために死ねるかと言われたらほとんどの人がNOだと思います。
大野治長は「最後までお仕えでき、幸せでした」というようなことを最後に言いましたが、
内心「だから何度も忠告したんだろうが。息子かわいさに出馬させない過保護な淀のせいで何で自分も死ななきゃいけないんだ!」と思わなかったのでしょうか?
もしその忠義に対する見返りが恩賞だとしても、死んでしまったら使い道がないのでやはりリスクの方が高いのではないでしょうか。

★大阪夏の陣のような大戦で
何百人、何千人もの人達が刀で切り合っているシーンをよく見ますが、
一人くらい抜けても分からないと思うのですが・・・。
一人こっそり抜ける方が恥ずかしいという感覚なのでしょうか。

大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』を見て、当時の考え方に対して疑問に思ったことがあります。

★乳母は当時人気職だったらしい?ですが、
 市が死んだ時乳母も殉じ、
淀が死んだ時大蔵卿局も殉じたわけですが、
仕えている家が戦になったら自分もいつ死ぬか分からないのに、
何のメリットがあって自ら仕官するのでしょうか?
恩賞をもらえたり、将来自分も身分が上がり、自分の子も重臣なれるのがメリットだとしても、
大蔵卿局も息子の大野治長も最後には殉じたわけであり、
リスクの方が高いと思うのですが...続きを読む

Aベストアンサー

全く違います。現代日本人はすっかり日本人の心を失ったから、そういう疑問を持たれるのでしょうが、死んだときにご先祖様に会わせるような死に方はしたくない。それが日本人の心なのです。生も死も同じことなのです。この世に生を受けたからにはどのように生きるか。死ぬ時はどう死ぬか。どちらも同じことなのです。それが最重要の課題です。鎌倉時代以降、仏教が武士の間にも広まった。死ねば誰でも仏になる。しかし地獄に落ちればもはや仏にはなれない。殉死や切腹や戦死の覚悟が無いなら、そもそも武士の家を継ぐ資格はない。だから、さっさと武士を辞めて別な道を探した人だっています。豪農に頭下げて作男になる。商家に丁稚奉公して商人になる。寺の小坊主になって僧侶になる。そういう人は子供の頃に、「こりゃ将来見込みがない」と親に判断されて、そういう家の養子になったりする。そういう人は大河ドラマの主人公になることもないから、現代日本人に知られないだけです。明治以前の日本は家が全てです。家督を継ぐということは先祖代々継承してきた土地や権利や名跡や財産や技能を引き継ぐということです。それは物凄い重いことです。一般には長男が家督を継ぐけど、無能だったら継げません。それはどの家も同じ。では家督を継げない二男、三男以降はどうなるかというと親が余程の人物でない限り何も継承することはありません。水戸徳川家の祖である徳川頼房は十一男なのに分家できたけど、これは例外中の例外。親が徳川家康だったから、大大名として身が立てられる領地をもらえたのです。もし親が下っ端の武士だったら、何にもらえません。貰えなきゃどうするかというと、頭下げて兄の家臣になるしかないわけです。下手をすれば嫁ももらえない。だから江戸時代は260年かかって人口が2倍にしか増えなかった。じゃあ合戦の意味は何かというと、万に一つも無い、手柄を立てるチャンスだということなのです。そこで手柄を立てれれば日陰の惨めな身の上から、急浮上して偉い武士の家臣に取り立ててもらえるかも知れない。だから逃げるどころではない。命がけで働くわけです。戦でもないと出世の機会などないんです。一生日陰の惨めな身の上で終わってしまうのです。手柄を立てなくても主君を失えば全て御仕舞い。流浪の旅にでて、いつ来るか分からない仕官の機会を待ちながら、傘貼りの内職でもするしかない。しかしもし合戦で逃げた奴だなどと後ろ指を指されたら、二度とそんな機会はありません。そういう負い目を持って生きて行くということができないのです。自分の気持ちとしてそんな自分を許せない。逃げるということは百姓になるしかないというのと同義です。しかし逃げたところで百姓になれる保証などありません。せいぜい野武士になって山賊の真似事をするぐらい。戦国時代はそういうルートも無かったわけでもない。

こんな説明で回答になっているのかな。武士として生まれたからには武士として死ぬしかないというのが日本人の死生観であり、それが武士道だったということです。

全く違います。現代日本人はすっかり日本人の心を失ったから、そういう疑問を持たれるのでしょうが、死んだときにご先祖様に会わせるような死に方はしたくない。それが日本人の心なのです。生も死も同じことなのです。この世に生を受けたからにはどのように生きるか。死ぬ時はどう死ぬか。どちらも同じことなのです。それが最重要の課題です。鎌倉時代以降、仏教が武士の間にも広まった。死ねば誰でも仏になる。しかし地獄に落ちればもはや仏にはなれない。殉死や切腹や戦死の覚悟が無いなら、そもそも武士の家を...続きを読む


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