ショボ短歌会

氷河期の頃まで遡れば、先住民もいたのでしょうけど、結局のところ、それらを制圧して支配してきたのは、大陸側の種族、中国と朝鮮半島の人種ではないかと考えているのですが、そのような事は、DNAとかでは証明されてはいないのでしょうか。

神話レベルですが、日本の文化的な歴史は神武東征頃から記録されています。紀元前600年頃とか

マヤ文明や地中海周辺の文明、中国などのような4千~5千年以前の文明の歴史が日本にも、あるにも関わらず、この神話時の出来事によって、隠蔽されてしまったのでは? って考えることがあります。しがらみ対策とでも良いますか、天皇を神と崇める統治に不都合があってはいけないという理由です。

皇族は元々の中国人で、大化の改新の頃くらいまでは、朝鮮半島の国々の種族も戦乱等時期に移住してきている王族も少なくないのではないかと思ったり

そう考えていると、過去の時代へ進む事がタブーとされている節も漠然とですが伺える事もありまして、実際に今でも、不都合が発見されると、考古学で隠蔽されているような史実も沢山あったりしているのではないかと思ったり

このような意見、どう思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 古代から現代、様式仕様の変化はあるにしろ、それ程変わらないのが、偏見の満ち溢れる社会が常に形成されてきているという部分や、人々は生活し易いエリアへ集まるという傾向なのではないかという部分です。

    大地が氷で覆われた氷河期に、日本のような僻地的、島国に人が集まった理由があるとすると、それは黒潮・暖流の影響で冬が暖かく年中、食料が豊かだったからだと思うのですけど、文明が進み、その冒頭の偏見社会が生み出した争いが多くなると、その理由でも、新たな場所へと移動しているのだと思います。

    もっとも、鶏と卵の話しみたいな部分も沢山あるのだろうけどね~。

      補足日時:2019/08/24 11:42
  • 神武天皇は、もともと中国の一種族説というのがまたまた色濃くなりつつもあるのですが、紀元前の文化の伝播を考える上で、日本は、西日本と東日本とに分けたほうが混乱が少なくて良さそうに思えてきてもいます。またいろいろ新しい情報が増えましたので日を改めてまとめてみたいと思います。沢山の回答有難う御座いました。

      補足日時:2019/08/26 12:32
  • 百舌鳥・古市古墳群、仁徳天皇陵古墳は世界遺産に認定されましたけど、聖域896は、あくまで現在分かっているものだけですから、今後も増える見込みもありますよね。情報が遮断されてしまうと過去を知ることができないですよね。今の時代にも、国民が知らなくても良い紀元前に栄えていた国内文明の歴史があるなんておかしな事です。

      補足日時:2019/08/30 08:06

A 回答 (12件中1~10件)

#11です。

補足を拝見してちょっと補足です。

そもそも、質問者様は「日本人」をどのように定義されておられるのでしょうか。
DNAが「○○民族の特徴」というのは、話が逆で「○○民族とされる人々の集団が認知されているから、そのルーツのDNAが特定される」のだと私は考えています。

私はどちらかというと、世界史のほうが得意ですが「民族」というのは、DNAだけでは決まりません。
たとえば崩壊してしまったユーゴスラビアは、セルビア・クロアチア・スロベニアという3つの民族が集まった国でしたが、彼らはほぼ同じ出自で、単に宗教的または言語的に異なる時代(他国の占領時代など)で分化してしまった民族です。
なのでDNAで見ればほぼ同一なのですが、文化的には違う民族であるといえます。

日本は逆で、1万年ぐらい前には北方・半島経由・南方と少なくとも3系統の全く違う人種が入って混ざり、古代にさらに半島系や大陸系の人々が混じったうえで「日本人」という民族ができたといえます。

個人的には「天皇家が大和朝廷という形で統一国家の形態を作り、その後白村江の戦いで負けたことで『唐が攻めてくる』と危機感をもったことが、日本人という一つの民族を作りだした」と考えています。
 
また天皇は、朝廷を作った当初、様々なルーツや文化・宗教をもつ豪族や外国の流入民族などの神々を「すべて引き受ける」として、豪族たちが皆平等になるようにしたのではないか、と考えています。

実はこのやり方はローマが行っていて、ローマは征服した部族がローマに参加することに賛同すれば、部族民にはローマ市民の権利を与え、支配階級は元老院の席を与え、さらにその部族の神を首都ローマの神々の丘に奉ったのです。

天皇が新嘗祭で「日本の神々に祈る」としているのは、実は「日本国家に参加した部族・豪族の神々に祈っている」ではないか、と考えているのです。

その点において、東日本と西日本を分けるなら「天皇の祈りに参加しなかった部族」が蝦夷なのであろう、と思っています。東日本への討伐が何度もでているのは、そのためだと考えていますが、結局かれらも降伏して天皇の祈りに参加したり、または部族ごと滅ぼされることもあったのでしょう。

そういうDNAとは関係ない文化的・宗教的な民族形成の時代が3世紀から7世紀までの間に合ったのでないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
中国や半島と倭国島は元々同種族って聞いてますから、DNAゲノム解析では種族的な分類に関してはまだ何も解明されない。確実なのは精々、親子兄弟の親族鑑定くらいなものだと言う事ですよね。客観的には、九州は古代中国(今の上海)辺りからの移動が多くて、北海道~関東はサハリンからの移動が多くて、中・四国関西の西日本は半島からの移動が多かったのではないかとの予測はしてます。最終氷期の頃から7世紀くらいまでの事です。白村江の戦いの後は、大きく国が変革を遂げますけどこれには教育分野ではあまり教えられないけど唐が深く関与しているのではないかと・・。
勢いのあった国のはずですが、邪馬台国の事が未だ良く分かっていませんが、紀元前7世紀には宮家が武力でこの国をほぼ支配していたとの予測です。平安期にまとめられた神話で、統治を目論んでいるのは宮家の都合が最優先されているのではとの予測です。まだ骨格も出揃っていない、この程度の疑問から、この質問が持ちあがりました。

お礼日時:2019/08/30 18:10

質問者様の考え方は、DNAなどで証明されている具体的な事実と神話や記録または伝承による記録などが整理されていないと感じます。



>それらを制圧して支配してきたのは、大陸側の種族、中国と朝鮮半島の人種ではないかと考えているのですが、そのような事は、DNAとかでは証明されてはいないのでしょうか。

日本人の大多数のDNAは中国や朝鮮半島のそれとは異なることが分かっています。これは厳然たる事実ですが、これをどのように解釈するか?は歴史的な記録と合わせて考える必要があります。

まず日本が陸地でつながっていた時代は7万年前ぐらいから1万3千年ぐらいまでの氷河期で、この時代に大陸から動物が日本列島に渡ってきて、それを追って人類も日本列島に住み着いた、とされています。

この時、日本に渡ってきたルートはいくつかあるとされていて、大多数は北方ルート=樺太が陸続きで北海道を経由して日本列島に南下したグループ、朝鮮ルート=半島を経由して陸続きで日本に渡った人々、南方グループ=インドネシア付近から島伝いにフィリピンや台湾などを経由し沖縄から日本にやってきたグループ、だとされています。

また重要なのは「この時代、大陸や半島の人々もまだ固定化されていなかった」ということで「半島を渡ってきた人々=日本を支配したのは半島人」とはならないわけです。
 また文字が無かった時代ですので、DNA解析をみると、今の日本人と共通のDNAを持つ人々が中国の山岳地方などに残っていたり、また南方系の人にしかないDNAを日本人がもっていたりして、いま確実に言えるのは
「民族が成立し、民族の住む地域が固定化し始めた4千年前ぐらいからの中国人や半島の人々と、海で隔てられた後の日本人は確実に別のDNAをもっている」
ということです。

つまり縄文時代から日本が中国の記録に表れるまでの時期は「日本人としての文化が日本列島の中で醸成された時期」であり、それは確実に「大陸や半島とは異なる文化になることだった」ということです。

このような文化は高尚なものに限りません。たとえばおとぎ話でも日本の浦島太郎にでてくるような「海の中の天国=竜宮城」のようなモチーフは大陸や半島にはありません。しかしフィリピンやミクロネシア諸島、インドネシアなどの南方の島々には「海の中に天国がある」というモチーフは数多く共通していて、このような伝承的な記録を紐解くだけでも「日本が大陸や半島の種族に支配された」という考えに疑問符が付きます。

大陸の有史時代になると、魏志倭人伝に日本が登場するようになります。これは3世紀の事であり、この頃日本国内は豪族たちが群雄割拠して争っていたことが分かります。

ではこの頃に大陸や半島からどれぐらい人が来ていたか、というと実際のところは分からないのですが、しかし「大量に来た」ということはほぼ否定されています。

理由は大陸と半島でわけられますが
大陸ではちょうど三国志の時代に入り、つまり「漢民族が、誰が領土の支配者なのかを決める争い」をしていた時代であるといえます。このような「力があれば自分が支配者になるチャンス」がある時代に、わざわざ船を作り一族を連れて危険な船旅にでる判断は為されないといえます。大陸から日本への直接航海はかなり危険であり、魏志倭人伝でも対馬海峡の記述が正確なことから、半島から陸地を経由して移動したといわれています。
 また、半島を経由して日本を占領するつもりなら、やはり危険な船旅のリスクを犯さなくても半島自体が国家になっていなかったので、そこで自分が支配者になる国を作ればよく、日本にまでくる必要性が薄かった、のです。これは7世紀までの歴史でも全く同じことがいえます。

半島に関しては高句麗が紀元前57年から、と百済の紀元前18年からで、その後新羅が3世紀ごろに中国の記録に登場します。
 半島が国家として統一されていくは北側からで、これは漢民族に刺激を受け、また漢族の一部が顧問として技術や軍事を教えたからだ、と推測していいわけです。

 となれば、まだ統一されていない朝鮮半島の南側に倭人が進出し、倭人の国家を作っていてもおかしくありません。実際に韓国南部には日本式の前方後円墳が残っており、また半島南部では日本産のヒスイも大量に出土していることなどから、まだ半島の民族的国家が固まる以前は「倭人が半島に進出していた」可能性もかなり高いといえます。

となると、「朝鮮半島の国々の種族も戦乱等時期に移住してきている王族」が果たして「今の朝鮮民族のルーツと呼べる人々なのか?」は疑問であり、7世紀の白村江の戦いで倭人が負けわた後、日本にやってきた朝鮮王族とされる人々は、実は倭人と同種族であった、可能性もかなりあるわけです。

質問者様も「過去の時代へ進む事がタブーとされている節も漠然とですが伺える事」と書いておられますが、たしかにタブーは存在します。日本にもタブーは存在しますが、韓国にもそれは存在し、もしかすると「日本が成立する以前に倭人が半島南部を支配していた」という結果になるかもしれないわけです。であるなら、日本人はむしろ「朝鮮民族のルーツの一部」であり、日本のほうが「文化を教え、朝鮮の国家の基礎となった兄」ということになるかもしれないわけです。

個人的な感想をいえば、7世紀までにどれほどの民族が日本に来ていて、大和朝廷が異民族の支配だったとしても全く関係なく、日本は日本、だと思います。

なぜならたとえばイギリスの現王朝の祖先は「フランス人」であり「フランス貴族ギョーム公としてイギリス全土を平定統一した」からです。しかし、その功績をフランス王は認めなかったため、彼はイギリス支配のためにイギリスに住むノルマン王朝を開いてウイリアム1世(Guillaume I)になったのです。スペルを見て分かると思いますが、彼の名前を仏語読みすればギョーム、英語読みすればウイリアムになるだけです。

日本の大和朝廷の開祖(天皇の始祖)がたとえ大陸や朝鮮の種族であったとしても、それだけで日本が成立したわけではありません。そして日本は7世紀の白村江の戦いで負けたことにより「日本」という統一国家をつくり大陸や半島に対決する姿勢を明らかにしたのです。

 もしこの当時、天皇が「大陸や半島にルーツを持つ」人だったなら、元の民族に助けを求めても良かったはずです。
そうはならなかった、ということはそれが異民族であったとしても「大陸や半島で滅ぼされた支配者側」である可能性が高く、となれば今の日本は「日本」以外の何物でもない、ということになるわけです。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
最初のポイントは、やはり最終氷期頃に置くのが良いと思います。移の理由に黒潮・暖流といいましたが、されだけではなくて気候・地殻変動期には、日本は海底も含む火山の活動が広範囲でありそれは影響しているように考えてます。また日本は関東以北と西日本の2つに分けて考えたほうが混乱が少なくて良さそうに思いました。

文民統制といいますか支配が始まったという事態の頃が次の重要なポイントになります。考える上での概要といいますか過程程度の荒筋だったのですが、こちらの回答の後半分により、それ以降の細かな部分を考える上で、とても参考になります。今、ブログにしてますので、まとめ易くなりました。感謝です。

お礼日時:2019/08/26 12:24

人類のルーツは10万年前のアフリカホモサピエンスです。

ネアンデルタール人はほぼ壊滅、しかしDNAにネアンデルタール人のゲノムが10万分の1ほどある。ただ今の時点で一番近いDNAを持つのはバイカル湖近くの民族です。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
1万年前くらいでが最終氷期の頃ですよね。猿人は100万年前に遡るりますから氷河期に火を使う習慣が出来た結果、人類へと進化してゆくというストーリーは何となく分かります。バイカル湖だと冬は住み難い地域ですよね。

お礼日時:2019/08/25 17:12

今の皇族の旗印の菊の御紋に似たような紋章を、古代の東方の遊牧民帝国(アケメネス朝ペルシアだったはず..)が採用していたとか、マジャール人の初代大公アールパード(マジャール人も騎馬民族)の伝説に、遠征時の道案内をしたと言われる金鶏伝説が存在するが、それは神武天皇にも似たような伝説が伝わっていたりとか。


DNA だけが判断材料ではなさそうですよ。(もちろんそれができるに越したことはありませんがね。)
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います。
古代の菊の紋章って各地で見ますよね。宗教的な儀式で菊が使われていたとか、長寿などの薬として重宝していたか・・
サーチしていると神武東征のルートが分かりました。この話を聞いているとそれ以前の文化、西日本は、瀬戸内海海路を使って文明が栄えていたのでは?って思えてきます。日本でも、そここそ大きな船が紀元前にあった事になる。

お礼日時:2019/08/25 17:00

> それがまさしくその後の支配者グループなのだと思えてまして、



貴方がどう思おうと、貴方の自由だけど、他人にテキトーな思いつきを広めようとしないで頂きたい。

歴史学者や考古学者が、様々な発掘調査や科学的調査を使いこなして、人生かけて真剣に研究しているのに、
それを勉強しないで、テキトーな思いつきばっか語る。
アホらしい。一人でやってろ。周りを巻き込むな。
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この回答へのお礼

おもろいね。

お礼日時:2019/08/23 04:29

つまり皇歴とは西暦で600年善後です。

こうれ着
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この回答へのお礼

ふぁい

お礼日時:2019/08/22 21:01

まず、あなたは 先住民を制圧して支配した渡来人=弥生人 という前提で質問をしていると思います。



しかし、「制圧」の定義が不明な上に、「制圧した」という根拠も不明です。
共存し融合していったという可能性はないのでしょうか。
後述の遺伝子の話から、私にはそちらの可能性の方が高いように思えます。(理由は後述)

このような質問では何度もされていますが、それには「Y染色体やミトコンドリア等でルーツの証明は出来ない」という回答もあったようです。
(しかし、私にはそのようの語る者が、その理由を示したのを見た事がありません)
だとすると、あなたの主張(渡来人=弥生人)も、それらでは証明できない ということにもなると思います。

朝鮮半島の王族が日本に来ていること は推定どころか、文章で残っています。
それによれば百済の王族が日本に人質になっています。



A:>このような意見、どう思いますか?

回答A:半端な情報で思い付きを支えただけの、ありふれた起源説だと思いました。

そもそも、都合の良い歴史を記す事は、他の世界でも行われている事です。

皇統やその歴史について、どのような意図で「不都合」や「隠蔽」などの言葉を使っているのかりませんが、古事記や日本書紀が編纂された目的は、当時の大和朝廷内の豪族や併呑した他部族を自分達の序列(天照を頂点とする神話大系)に組み込む為とされています。
(少なくとも、私は渡来人であることを隠す目的であったという学説を見ていません)



ところで、質問の主旨は↓でしょうか。
それ以降の文章(?)ですが、思い付きの羅列でしかなく、読解する気にもなりません。
(他人様に読ませられるレベルではない)

B:>氷河期の頃まで遡れば、先住民もいたのでしょうけど、結局のところ、それらを制圧して支配してきたのは、大陸側の種族、中国と朝鮮半島の人種ではないかと考えているのですが、そのような事は、DNAとかでは証明されてはいないのでしょうか。


回答B:近年の研究からは、そのような事はないというのが、DNAとかで証明されています。


弥生人DNAで明らかになった日本人と 半島人の起源
       ー朝鮮半島に渡った縄文人ー
http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/nenpyou/yay …

↑には、以下の記述があります。

「半島は元々 列島からの縄文人が、先住民として住み着いた土地であり、
その後、大陸北方から他民族が侵入してきて先住の縄文人と交雑し入替り、両者のDNAを有する半島人が誕生した」

「弥生人の遺伝子分布は広く、渡来弥生人が縄文人を駆逐し、置換するように列島全域に広まった、という説は根拠のない過去のものとなった。」
 ↓
「現代日本人 は 縄文人を祖先として、外部からの侵略・征服といった大きな変化圧力もなく、
渡来人たちを受け入れて ゆるやかに現在に至っており、(遺伝子的には)東アジア集団とは隔たった位置にいる。」



「日本列島で繁栄した縄文人が、その後、朝鮮半島に渡って(先住民として)分布した、が妥当な見解。」
「日本人のルーツについてですけど」の回答画像6
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この回答へのお礼

回答ありがと御座います。
証明するには東アジア人のゲノムを分母を増やして、もっと簡素にまとめる必要ありですかね。ちょっと予想と違っていたので不思議としか良いようがないですけど、ネットや番組情報の信憑性は考えますね。韓国も古代DNA隠す必要があるみたいな書き込みありましたけど、日本の場合は、AD以降の文化的歴史しかないので理由の予測はありましたけど・・、その歴史で知るもの以上の戦闘殺戮が繰り返されていたであろうというのは、確かに大陸依存からの予測でしかないです。私の住む島々は骨が散りばめているように見えるから今現在の呼称がついているということでしたが、考えますに、空白の時代があり、島中が人骨だらけだったのではないかと、ふとそんな事を考えてたのですが理解は進まず状態です。

お礼日時:2019/08/22 21:01

氷河期の頃まで遡れば、先住民もいたのでしょうけど、結局のところ、それらを制圧して支配してきたのは、大陸側の種族、中国と朝鮮半島の人種ではないかと考えているのですが、そのような事は、DNAとかでは証明されてはいないのでしょうか。


 ↑
日本はアジアの吹きだまり的な場所にあります。
だから、アジアのあちこちから人が集まり混血化
しました。
これが縄文人です。

その後、朝鮮半島や中国大陸から大量に移民が来て
混血化が更に進みました。
これが弥生人です。

現代人は弥生人の子孫ですので、DNA的には、
縄文人、半島人、大陸人のそれがほぼ
同じぐらいの割合になっています。

どうして大量移民があったのかは、判って
いませんが、権力闘争に敗れたのが逃げて
来たんでしょう。




皇族は元々の中国人で、大化の改新の頃くらいまでは、朝鮮半島の国々の種族も戦乱等時期に移住してきている王族も少なくないのではないかと思ったり
  ↑
中国人というのではなく、騎馬民族説てのが
あります。
主張している学者は一人だけで、多くの学者は
反対しています。
それを裏付ける史料が発見されておらず
想像の域を出ないからです。
小説家の松本清張は、朝鮮人だと主張しています。




このような意見、どう思いますか?
 ↑
色々な想像は可能ですが、それを裏付ける
物証が無ければ、想像に止まります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうこざいます。
物証問題と、想像かどうかは別として、同調できました。
やはり話をややこしくしているのが権力闘争から始まる戦争なんでしょうね~。
宮家の周辺にも朝鮮人とか沢山いたんですよね。教科書にははっきり書いてないですけど、氏が違ったり漢詩書いてたり

お礼日時:2019/08/22 10:40

まず遺伝子解析の結果としては Y染色体を使ったもの (男系) やミトコンドリアDNA を使ったもの (女系) があって, これは


みんなだいすき Wikipedia
にもある. もちろん厳密にいえばこれで「ルーツを証明する」ことはできない (というかどんな方法を使っても原理的には不可能) んだが.

ちなみに朝鮮半島にあった国の王族も日本に何回か来ていることが姓から推定されている. 「大化の改新の頃くらいまで」ではないが.

あと当然わかるはずだが「紀元前660年」なんてのは創作にすぎない. この年代も数字上の操作があったという説がある.

まあ, 陰謀論がたのしいのは理解するけどね. 自分の妄想でなんとでもできるわけだし.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ゲノム解析とかしてもまだルーツ証明は難しいというこどですよね~。
米国では未解決の犯罪捜査に大いに役立っているとの噂はありましたが、時代は浅いけど、コンピューターで予測して犯罪者リストから該当者に近縁の者まで特定するらしいです。

歴史資料がないから妄想って部分ですが、鶏と卵の話で、公開されない、調査が進まない遺物資料があるとすると、それも大きな損失かなあっては思います。

お礼日時:2019/08/22 10:35

貴方の妄想だなぁ、と思います。



日本人のルーツは遺伝子解析によって研究されています。
貴方が研究成果を知らないだけです。

日本人のメインストリームは台湾経由、琉球経由で来た人々です。
これが2万年以上も続いた縄文人です。
それとは別に北方領土から渡ってきた人達がいます。

中国や朝鮮半島から海流に逆らって渡来するには、竜骨のついた船の造船技術が必要です。
それができるのは三国志あたりの時代。
日本では卑弥呼あたりの時代です。

そこからしばらくして大和朝廷が百済を助けようとするも敗戦した時に、
大和朝廷は、どうやったら日本が中華に占領されないか知恵を絞りますが、
その過程で生み出されたものが日本書紀です。

日本書紀の文体を分析した結果、筆者は日本人4人と渡来系中国人2人であろうと言われています。
また日本書紀の、最も古い神話時代に関する記述が、最後に執筆された事も分かっています。
(そりゃそうです。神話なんてのは、俺達にはアンタ達に負けないくらい古い時代からの歴史があるんだ、と見栄を張る為に作られますから)
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
氷河期には、東南アジア付近から北上した種族がいて、それが縄文人で、温暖化期にはシベリアや北方から南下してきた種族がいて、それが弥生人で、先住民とされている。時代が進むにつれ近隣諸国が戦闘に明け暮れている事時代に国を負われた種族が先住民にとって代わり新しい支配圏が出来き、そこから日本の文化が始まったのだとすると、別に矛盾はなくなります。数千から数万人で移動していたと考えられます。しかし、もっと早くから大陸から渡ってきた種族がいたら、それは陸続きの時代だったら、それほど軍事的な船は必要ないですし・・圧倒数だとの予測。一部のDNAが今少ないとすると、それは史実に残されていない激しい戦闘期があり、。日本全域、人間の骨があちこちに散乱する島だった頃もあるのかなぁと・・。それがまさしくその後の支配者グループなのだと思えてまして、渡来人により小単位で国が作られていく様です。

古事記・日本書紀にしても時代の浅いもので、統治目的で編纂されている感じは強いですけど、飛鳥奈良平安期、そのあたりは教科書ですけど、

魏志倭人伝、東方見聞録とかも

お礼日時:2019/08/22 10:24

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