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薩摩藩の大名行列はどんな経路をたどって、何日、いくらかかったのでしょうか?特にどこまで海路でどこから陸路でしょうか?

A 回答 (2件)

薩摩藩の大名行列は海路が必須ですが、多くは小倉~下関です。


他に薩摩の京泊~下関(玄界灘を経て)と日向の細島~大坂(豊後水道、瀬戸内海経由)とさらに下関~大坂(瀬戸内海)の通路をつかうなどありました。   大坂には薩摩屋敷がありそこで休息するためです。
最終江戸まではすべて陸路で京都~江戸(東海道または中山道稀に美濃路)です。
九州内の陸路は多様で、「西目筋」と呼ばれる小倉までは、鹿児島~水俣(出水筋と大口筋などの三通り)それから水俣~小倉(水俣ー熊本ー小郡から博多経由と飯塚経由の二通り)でした。
「東目筋」と呼ばれる日向経由では、鹿児島湾の海路に継ぎー都城ー細島(高岡筋と宮崎経由の二通り)
前期はともかく、後期は西目筋が多いといいます。  瀬戸内航路では大船団を組み、豪華な御座船を二艘(一艘は控え)費用も大変だったでしょう。
このように多様で日数、費用も多様です。
江戸初期の寛永ごろで、行路不明ですが約二月掛かっています。
幕末天明7年の記録では、西目筋で46日掛かったそうです。
中期享保5年の時は、73日も掛かっていますが、おおよそ銀360貫、道中費用に、仕度金におおよそ銀180貫が使われました。 金に換算して一万両に近い数字です。(享保期一両は銀56匁として)  
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この回答へのお礼

せめて大坂まで海路で行けばいいのに、なかなか無駄が多そうですね。それに中山道ですか。すべて幕府の指示という事でしょうか?参勤交代そのものが無駄なだけでなく、人数だけならともかくルートまで無駄を強いられていたわけですね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 07:04

島津家 参勤 海路


でググってみました。

するとこんなページが(佐土原藩ですが)
http://www3.lib.pref.miyazaki.jp/contents/7d5a05 …

他のサイトも見てみましたが
江戸期も時期によって経路が異なるようですね。

大阪からは基本的に陸路
瀬戸内海は海路が多い
九州縦断は陸海分かれる
といったところでしょうか?
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この回答へのお礼

小さな藩ですが、そのまま拡大して考えれば島津の行程、支出規模もわかりそうですね。ご回答ありがとうございまた。

お礼日時:2007/03/01 07:00

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