江戸時代の一般的(庶民の)埋葬方法について質問します。
山本一力氏の小説「あかね空」を読んでいるのですが、物語の中で人が亡くなるとしばしば、火葬を想起させる表現が出てきます。
「お骨になる」や「(亡骸を)焼き場に持っていく」などです。
読んでいて疑問におもったのですが、小説「あかね空」は、宝暦十二年(1762年)から寛政年間(1790年代)の江戸深川が舞台となっています。この頃の庶民の埋葬方法としては土葬が一般的であったと認識していたのですが、地域によって格差があったのでしょうか?
また、その当時、現在の火葬場に相当する施設や専門の人足がいたのでしょうか?
ご存知なら教えてください。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
寛永五年(1628)に亡くなった2代将軍秀忠の妻、お江与の方は、
本人の希望により火葬となりましたが、
その際の火葬場所は麻布我善坊町でした。
当時、火葬はかなり珍しかったようで、
江戸の地誌にはたいていこの場所のことが書いてあるそうです。
庶民を対象にした火葬場所は、寛文九年(1669)、
小塚原に江戸最初の火葬場設置が許可されています。
小塚原は刑場としても有名ですね。
以降は徐々に増えて行き、
鈴ケ森、深川、浅草、市ヶ谷、四ツ谷、芝、三田にあったようですが、
渋谷にもあったようで、時代によって移り変わりがあったのでしょう。
名前は三昧場と呼ばれていたそうです。
といっても、三昧場=火葬場ではなく、墓地のことも含んだ言い方のようですが。
運営主体は寺院で、火葬をする浄土真宗の寺が寺内に
火屋(燃やす施設)を持っていたり、複数の寺院が共同で特定の場所を使っていたりするようです。
また、幕末になると浄土真宗だけでなく各宗が火屋を持っていたようです。
もちろん上に挙げたエリア内の寺院だけでしょう。
火葬専門職は他の地方だとが担当していて三昧聖という名がありますが、
江戸は寺院が管轄していたようですので、直接の担当は僧侶でしょう。
補助職は隠亡かな?
そうなのですか。
江戸時代には思っていたよりも火葬が行われていたんですね。
江戸時代=土葬、という固定観念がありましたが、ご説明を読んで得心しました。
回答ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
現在のように高性能の火葬炉がある時代なら別ですが、江戸時代以前、火葬と言うのは「大量の薪を準備し、遺体を覆って気長に焼く」もので、大変なコストと手間がかかりました。
土葬なら、丁寧な場合でも「棺に入れて土の中に埋める」だけですから、コストの点で比較になりません。一般庶民の遺体は、村はずれなどにそのまま埋められるか、あるいは遺棄されるのが普通です。江戸時代の火葬は、特にそれを望んだ貴人だけに許される方法だったのです。土葬は衛生上問題があるといえば言えますが、江戸時代の日本は現在より遥かに人口密度が低かったので問題になりませんでした。欧米では、キリスト教の影響で現在でも土葬が普通です。特に衛生上の問題は重視されていないようです。
明治時代になって火葬が原則化されても、火葬は薪を使って気長に焼くのが普通であったようです。東京・新宿区の落合にある火葬場は明治時代から存在しますが、当時の東京の都心からは遠く離れた田舎です。東京の周辺部に、そうした「焼き場」が散在していたわけです。
関東大震災の際、例えば本所の造兵廠跡では一度に数万人の焼死者が出て、薪による火葬ではとても間に合わなくなりました。かといって、9月の残暑で腐敗しつつある、水分を多く含んだ遺体を積み重ねて石油をかけて火をつけでも、ブスブスと煙が出るだけで全く燃えません。土の中に生めて処理するのも不可能で、処理能力を超えた「腐敗遺体」をどう始末するかが、人道上も衛生上も大問題となりました。
吉村昭の「関東大震災」によると、この時に、石油を使って高温で火葬を行う、現在と基本的に同じ仕組みの「火葬炉」が初めて実用に供され、造兵廠跡などに火葬炉が多数設置され、猛スピードで火葬を行ったとのことです。この頃から、薪ではなく石油等を使った火葬炉で高温・短時間で遺体を火葬するのが全国で普通になり、現在に至っています。
No.1
- 回答日時:
現在、死後24時間以内は火葬してはならないと明治期に公布施行した墓地、埋葬等に関する法律第3条に記述があります。
が、瀬戸内海の島々など「現在も土葬」の習慣が残っている地域もあります。
日本では、700年代から火葬の記録が残っています。
当時、仏教徒の有力者(貴族とか僧侶)は火葬で庶民は土葬です。
土葬でもましな方で、一般庶民は某有名寺院近くに死体を捨てていました。
(修学旅行で賑わうお寺さんです)
鎌倉時代の各宗派が誕生した頃に、土葬が一般的になります。
>庶民の埋葬方法としては土葬が一般的であったと認識していたのですが、地域によって格差があったのでしょうか?
一般庶民は「土葬」です。
巡礼中に亡くなった者、身元不明の者も同様です。
が、(故郷で納骨したいなど)望めば火葬も可能でした。
宗派によっても異なります。
皇族・貴族・将軍家・藩主は、原則「土葬」です。
浄土真宗は、原則「火葬」です。
>火葬場に相当する施設や専門の人足がいたのでしょうか?
当時は、旦那寺が(現在の)住民票を管理していました。
今で言う住民係ですね。
寺には、専門の寺男・墓守及びその支配下にある人達がいて火葬を担当していました。
彼らの収入源は、死体が着衣用している衣服と棺桶に入っているお供え物の着服だったと伝わっています。
当然、露見すれば処罰の対象ですが「公然の秘密」だったようです。
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