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太平洋戦争は無謀な戦争と評されがちですが、やる前から本当に勝ち目がなかったのでしょうか?
自分で調べたところ、開戦当時の海軍の戦力比では、日本の連合艦隊は空母9隻を含む合計205隻、対する米国のアジア・太平洋地域の艦隊は空母わずかに3隻の合計157隻。ドイツの脅威を考えれば、大西洋艦隊を太平洋にた易く展開できることはできないはずですし。
勢力だって台湾・朝鮮・満州等を含めれば決して米国にひけをとっていたようには思えないのです。
戦局や戦争運営に問題があっただけで、決して無謀な戦争だったとは言えない様な気がするのですが、いかがでしょう?

A 回答 (17件中1~10件)

南米ルートの補給線が立たれて数ヶ月で敗戦するのが軍でも分かっていました。

しかし政治家は戦争をやめませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
敗戦が分かっていながら(あるいは認めずに)戦争を起こすなんて、当時の指導者の無責任さに憤りを感じました。

お礼日時:2007/04/26 20:09

生産力の圧倒的な差を無視できるのは、開戦して2年間くらいでしょうか。

その期間内で、確実に戦争を終わらせる目処が立たない限り、無謀です。
ただし、アメリカにしてみれば、長期戦にすれば確実に勝てるとわかってますから、初期戦力が壊滅した程度で和平を望むとは思えません。やはり無謀な戦争としかいえないような。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
初期戦力比というのは決定的な要因にならないものなのですね。

お礼日時:2007/04/26 20:05

確かに開戦時点での兵器の数だけを比較すれば一見有利そうに見えますが、日本と米国の間には、克服し難い工業生産力の差があった点を見逃していると思います。

開戦後の兵器増産能力の差がありすぎた事、工業生産力とそれを支える基礎工業力並びに基礎科学力に決定的な開きがあった点を考慮すれば、やはり無謀な戦争と云わざるを得ません。
この差を示す顕著な例として、珊瑚海海戦が挙げられます。この海戦で日米双方の空母が損傷しましたが、米側の損傷艦であるヨークタウンは、排煙路の破壊と燃料タンクの損傷という重大な被害を受けながら、ハワイ回航後の緊急修理の結果、僅か3日という短期間で戦線に復帰し、直後のミッドウェー海戦に間に合っています。対して、同じく珊瑚海海戦で艦首部分に爆弾を受けて、飛行甲板を損傷した日本側の空母翔鶴は、同じく突貫工事で修理を行うも、戦線に復帰したのは三ヶ月後で、当然ミッドウェー海戦には間に合いませんでした。
他にも、航空機パイロットや整備要員の養成能力等、様々な分野での差は当時の日本がどう頑張っても覆せるものでは無かったのです。
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この回答へのお礼

回答いただき、ありがとうございます。
そうですね、確かに工業生産の面を考慮していませんでした。
今の感覚では日本の工業は世界一の技術力・生産力を持っているように感じますが、当時の日本では到底アメリカに及ばなかったのですね。

お礼日時:2007/04/26 20:04

無謀です。


明治維新を戦った世代が無くなった後、実践よりも精神論を重視するようになってしまいました。
維新の時には最新の武器の導入合戦と言われるほどで、最新の銃火器・戦艦を購入し相手に有利にするよう勤めました。
武士の時代であったに関わらず、刀よりも銃火器が大事と考え方の一大転換をやってみせたのです。
この時の内戦は、官軍・旧幕軍ともに植民地化されないように、如何に日本という国をまとめるかを考え、集結までも短い期間で行われ、武器の購入はあっても双方ともに武力支援を諸外国に願っていません。

維新を最前線で戦ったメンバーが日清・日露で指導者として戦ったため、戦争の本質を身をもってわかっており、最適な戦術・戦略を取ることが可能でした。
日本海海戦で日本連合艦隊の司令長官であった東郷平八郎も、維新の時に戦艦春日にて、蝦夷共和国軍の戦艦と戦い、土方歳三の乗っていた戦艦に唯一砲弾を命中させたときの砲術士官として活躍しています。

これが太平洋戦争の時期には、昭和初期9年には東郷も死んでおり、維新の生き残りは居なくなった状態になっています。
東郷もそうですし、明治の初期には大量の官費留学生を送り出し、最新の技術・軍事を身に着けていましたが、日露に勝ったあたりから慢心を覚え、日本は強いと自惚れ、武器の進化を怠りました。
日露の時代であれば、戦艦こそ戦争の中心でありましたがその後世界では飛行機による攻撃が勝敗を左右してくるようになりました。
零戦などはありましたが、大和・武蔵などの時勢から見れば過去の遺物ともいえるようなものを造ったりと、世界の情勢でさえ出来なくなっていました。

確かに無謀とも言える戦線の張り方でもありましたが、これも単に情勢の把握能力のなさの表れです。
兵站なくとも気合いと精神力でと突っ走ってしまったのが行けません。
また軍も真珠湾攻撃時には明治維新より70年以上も経過し、官僚化してしまっていて、優秀な人材を指導者に出来なくなってしまってたという問題もあります。
歴史にもしはありえませんが、維新の主力が生き残っていたとしたなら、戦争を回避する術を選んだか、空軍の増強に励み、武器で負けないようにしたのではないでしょうか。

ちなみに満洲事変より来年で63年目、明治から満州事変までも63年です。
現在の日本の官僚組織が腐ってきているのも、軍の官僚化による暴走と重なるものがあるように思えませんか?
憲法の改正の動きも時期的に必然なのかもしれないと最近よく思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日露以前には合理的且つ冷静な状況分析ができた指導者がいたのに、自惚れとも言える大国意識から時勢が読めなくなってしまったのですね。
大艦巨砲主義を最後まで引きずったのも、ある種、古きものや慣例を大事にする日本人の国民性かもしれませんね。

お礼日時:2007/04/26 20:17

それは単に開戦時の船の数に過ぎませんよね。


アメリカは当時は平時体制で、戦争の準備を
していなかったからの結果であって、
アメリカが真珠湾以後に本気で戦時体制に入ると
フォードの効率化を採用して、
空母などを月ペースで大量生産をはじめます。
逆に日本は、太平洋戦争(と一般に呼ばれる戦争)が
始まった段階で、すで戦争十年目で、
国力は供給能力の限界に達しており、以後は
弱まる一方。特に船舶はどんどん減る一方でした。

現実の世界の話をすると、総力戦というの常識からして、
アメリカは十分に太平洋と大西洋の両方に
軍隊を展開するだけの国力があったのです。
艦隊を新しくつくっちゃったんですよ。それも最初の何倍もの数の艦船をです。
もう事実が証明してますから議論不要でしょう。
実際にできたわけですから、「容易にできないはず」と
あなたがいっても事実に反します。
アメリカの問題としては、生産のための時間が必要だっただけなので
1942年が重要なターニングポイントでしたが、
この年の珊瑚海海戦やミッドウェイ海戦で不利な状況下でも
米軍は健闘して、結果的には日本の空母機動艦隊は壊滅です。
この時点で、もう総力戦の観点からは日本側の挽回は有り得なくなりました。
翌年からは続々と新造艦や新鋭機が戦線に投入されてきますから。

”勢力”ついていっておられますが、
土地の面積は何の意味もありませんよ。
面積が広かったら強国だというのは、基本的に間違った考えです。
満州なんて当時はなーーんにもないところで、
台湾も山しかないただの貧しい島。台湾が経済発展するのは
80年代以降のことで、当時は前近代的な少数民族が多数住んでいただけです。
朝鮮半島もまた近代化の遅れた農業国にすぎず、
工業という点においてこれらの地域は戦争に貢献できるような状況なありませんでしたし
そもそも生産には原材料だけでなく工場やインフラ、高度な労働力など
さまざまな条件がそろわねばならず、現実問題として
当時の日本軍の軍需物資の生産、特に兵器の生産は90%以上が内地で
行われていました。
海外植民地は鉱石や食料などの低レベルの生産能力しありませんし、
これを内地に運ぶのがまた一苦労。
シーレーンという言葉ぐらいは聞いた事があると思いますが、
当時も今も日本の生命線となるものですが、この長大な地帯を防衛するだけの
艦船が日本には不足しており、事実上は敵潜水艦の天国となって
輸送網は寸断されて、内地は干上がるという状態になったわけで
現実問題として、日本は総力戦を戦えるような状態じゃなかったわけです。

戦争運営に問題があった、というよりもそもそもまともに
計画された戦争じゃなかったというのが大問題で、
無謀というよりも無計画な戦争だったと断言できます。
戦争計画は真珠湾攻撃を含む初期の奇襲計画以後は
第二段階の東南アジアの資源確保ぐらまでしかなくて、
第三、第四段階は未定みたいな感じで、山本五十六も頭をかかえわけですが
勝利の目算どころか先がどうなるか誰にもわからず
進んでいったというのが実情でした。

もう、だいたいが、(継続中の)戦争を完遂するための戦争という
つまりは戦争(=日中戦争)を維持するために新しく戦争を
おっぱじめようというのですから、ばかばかしい話で、
うまくいくわけがない。
あらゆる要素が欠落していて、批判も検証もなく
ただ時流にながされて深みに深みにはまっていったような感じです。

これを無謀/無計画といわずして何を無謀というのでしょうかね。

ちなみに戦史に疎い人は、よく戦争を(公平な)ゲームかなんかと
混同して、うまくやれば勝てる、あるいは運がよければ勝てる
みたいなことを思い勝ちですが、
戦争はむしろ数学に近くて、どんなに考えても、
どんなにひねくりまわしても、特定の与えられた状況では
特定の答えしかでません。この場合は日本の敗北ということです。
設定となる状況を変えれば、もちろん結果も変わるのですが
それは単なる妄想でしかないわけで、意味ないんです。
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この回答へのお礼

とても明確で親切な回答ありがとうございます。自分の浅学さを痛感いたしました。
中国東北部や台湾、朝鮮半島には今のようにインフラが整備されてなかったのですね。つい平成の今の感覚で考えてしまいました。

お礼日時:2007/04/26 20:21

無謀です。


日米で決定的な違いがあります。
アメリカは南北戦争で総力戦を経験しています。
日本は、幕末、日清、日露、日中は全て局地戦しか経験しておらず、総力戦はしていません。
自分たちが何をしているのか分からないうちに、総力を結集できずにアメリカにずたずたにされていきました。

官僚化によって部署の連携が取れないから。
官僚化は平時のシステムであって、緊急時のシステムではないのです。
ルーズベルト大統領が考え抜いてあの演説です。
日本にはそこまでのリーダーシップシステムは無かった。
イギリスはチャーチルを選び、戦後には彼を棄てた。
ここまで民衆の目があればよいのですが。

そして、最後まで日本軍は個別に戦った。
今でも世界で善戦しているのは民間企業です。
会戦では大負けでしたが、局地戦ではアメリカに引けをとらなかったのはこういうことです。多分。

そういや、戦後の政治家は詭弁で9条を逆手にとっていましたね。
政治家は詭弁が取り柄なのに、味方のみに詭弁を鍛えてどうするんでしょうかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
よく、当時の陸軍と海軍の不仲(?)はよく聞きましたけど、あれだけの超大国を相手に戦争している最中に国内でまとまれなかったなんて、残念で仕方ないです。
開戦当時は明治維新からわずか70年あまり。政略も外交もそして軍略も、全てにおいてアメリカのほうが上手だったのですね。

お礼日時:2007/04/26 20:30

こんばんは。


何をもって「無謀」というか、難しいところでございますが、自分が思いますに既に中国大陸での戦争を行いながら、アメリカと開戦、すなわち二正面作戦を行うことは無謀の側面があったことは否めないだろうと思います。
質問者様はご存知かもしれませんが、現在、週刊モーニングで、「ジパング」(かわぐちかいじ作)なる作品が連載されています。海上自衛隊のイージス艦がミッドウェイ海戦直後の現地にタイムスリップし、戦傷をおった日本海軍少佐を救出したところから物語ははじまります。この海軍少佐「草加」がイージス艦「みらい」の資料室から太平洋戦争の行く末を知り、日本の敗北を防ごうと動き出します。「みらい」側も補給などの観点から、「草加」を通して時の連合艦隊司令長官・山本五十六ほか海軍幹部らと交流をもち、無条件降伏を防ぐための戦いに参加するようになります。
もし質問者様がご存じなく、興味がおありでしたらコミック化されていますのでご覧になってみてください。おもしろいです。

さて、あえて架空の話を述べましたが、史実でもミッドウェイ海戦前後が日本軍の進出線が最も広がった時期でした。(社会科の教科書にもかいてあります。)ですがこの状態は、明治期以来の日本海軍が想定していた「日本近海にて、攻めてきたアメリカ軍を迎え撃つ」ものではなく、いうなれば「身の丈の合わない服を着ている」状態でした。開戦にあたって両国力の差(長い目で見て)を痛感していた山本長官は「1、2年なら暴れて見せますが・・」といったと言いますし、その差・戦力差を縮めるために行ったのが真珠湾奇襲ですね。
「ジパング」ではガダルカナル、ニューギニアが悲惨な状況になる前に兵員を撤退させ、同時に戦力が整う前の太平洋艦隊を引きずり出し、マリアナ諸島での早期決戦に持ち込もうとしています。「草加」はその際、独自開発した「核」を使用し、米軍に甚大な被害を与え、アメリカ国民を動かして早期講和を結ぶと共に、戦後の「核」による軍事バランスを作ろうとしています。

質問者様の言われる連合艦隊205隻と太平洋艦隊157隻が一斉にドーンとぶつかったなら、錬度から言っても間違いなく連合艦隊が勝ったとおもいます。ですが、そのような局面にはなりえないですよね。
私の素人考えでは、まず単純にハワイを占領してそこを拠点にアメリカ西海岸に上陸をかけれるかなあなんて思ったりしますが・・。船を走らせるには油がいるし、その油はどっから持ってくるのかという話になるので、やはり南方攻略、多方面作戦、うーん・・。

結局、補給線(シーレーン)をズタズタにされて敗れたかの戦争ですが、その教訓はなんとか生かされましたか。海上自衛隊はシーレーンの保持、すなわちそれに伴う対機雷戦、対潜水艦戦には世界有数の戦力を持っているといいますし・・(某国の工作員により、隊員から情報が流出していることが報道されて心配ではありますが。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
今度機会があれば「ジパング」読んでみますね。
素人が生意気なことを言うようですが、海上自衛隊にはいつまでも太平洋戦争の教訓を忘れないでほしいですね。

お礼日時:2007/04/26 20:34

こんばんは、もう皆さんが見事に要点を説明されてます。

工業力の差がありすぎるのは決まってますが、その他にも現代にも通じる決定的な考え方の違いがあります。
現在の役人が責任をとらないで失敗をあいまいにして、なあなあで済ませる土壌が旧陸軍には特に多かったです。陸軍は陸軍 海軍は海軍
ばらばらで協力はほとんどしてません。今の役人の体制と同じです。
国民性かもしれません。インパールで失敗するのがわかってて、失敗したのに作戦を認めた大本営の落ち度になるので、立案者にはおとがめ無し、
芸者を連れてインパール作戦に行った将校達、こんな事が書いてある自費出版本何千冊読んだ事か、ソ連侵攻前満州から最初にいなくなったのは、高級将校とその家族、満鉄の偉い人、先にみんな本土へ帰っていなくなりました。これでは勝負になりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
将校が芸者を連れてインパールへ行ったなんて信じられません。事実だとしたらあまりに情けないですね。所詮、上の人間は我が身可愛さで国家のことを真剣に考えていなかったのですね。(全ての人がそうとは言わないが)
どこか元に滅ぼされた南宋の末路に重なるものがありますね。

お礼日時:2007/04/26 20:42

戦争というものは大概やる前から勝敗が決しています。


勝敗が決するものとして、国力及び地理的要因、特に前者が大きく占めます。
少々乱暴に言えば、それが全てと言ってもいいでしょう。

またこれは余談とうかゴミですが、
日本は大鑑巨砲主義であった、とよく言われますが、実際には「開戦前の段階で戦艦も空母も時代遅れと認識しており主力は基地航空隊と考えていた」、と書かれた本もあります。
それが本当であるかはわかりません。
ですがガダルカナルやインパール、その他諸々は悲惨さ愚かさのみが強調されますが、本当に司令官が馬鹿だったからなのか、日本が欠陥構造だからなのか、など考える必要があるのかもしれません。
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>>7


コミックジパングには致命的な欠陥、取材不足、勉強不足があります
原爆投入のみに焦点を当てて、もう終焉となりそうな現在のストーリ展開ですが
当時のドイツ海軍は、現在のフォーミング式魚雷の実戦投入まで敢行して
おり多大の戦果を挙げました。そういう歴史的事実に目をつぶって全国に
雑誌を販売するとは、如何なものかと・・・・

当時の戦争は総力戦でしたが、兵器開発・大量生産力、その伝統・ノウハウ、
さらに背景となる、高度な科学知識技術レベル・・・
そういう背景的、後背地的なものが欠かせなかったと・・・
例えば某文庫によると 当時日本軍は名古屋の工場で作ったゼロ戦を
牛車で輸送していた・・・ドイツ軍はキャタピラ、ゴム車輪でなく
鉄輪で火砲を自走させていた・・・
など 兵站的、バックグラウンド的なところ、いわゆる基礎的な分野で
米ソと差があったようです V2ロケットの技術レベルはソ連の30年
先のレベルであった・・・・しかし輸送手段の基礎、兵站部門にドイツ軍は
致命的な欠点があった・・・
こういう事情も色々あったようです 現在のフォーミング魚雷を大量に
実戦投入しても 兵站の軍用車輪レベルで負けた・・・
まあ世の中 裏には色々な複合的要因があるものです
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