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太平洋戦争は無謀な戦争と評されがちですが、やる前から本当に勝ち目がなかったのでしょうか?
自分で調べたところ、開戦当時の海軍の戦力比では、日本の連合艦隊は空母9隻を含む合計205隻、対する米国のアジア・太平洋地域の艦隊は空母わずかに3隻の合計157隻。ドイツの脅威を考えれば、大西洋艦隊を太平洋にた易く展開できることはできないはずですし。
勢力だって台湾・朝鮮・満州等を含めれば決して米国にひけをとっていたようには思えないのです。
戦局や戦争運営に問題があっただけで、決して無謀な戦争だったとは言えない様な気がするのですが、いかがでしょう?

A 回答 (17件中1~10件)

既に幾つか立派な回答がありますが、私見を。



戦争といのは、始めるよりも終える事の方が難しいのです。
そして、戦争を政治の一つの技術とするならば、どのように終えてその先をどうするかまで計画を立てて始めなければなりません。
また、力や勢力の差というのは目に見えるモノ(現在保有してる兵器・兵力数や、領地)だけでは量れません。
その国の状況にかなり精通しなければ、見えてこないモノもあります(政治は善く行われているか、国民と政府は概ね仲がいいか、地形は攻・守どちらに有利かetc)
これらを比較検討した上で、どの位で戦争を終わらせられそうか、戦後処理はどのようにしたらいいのか等々も含め計画的に行わなければなりません。

また、相手国だけを見ていてもいけません。
周辺国はどちらに付きそうか、自分たちにとって少なくとも害にならないようにし向けるにはどうしたらいいか、、、。
残念ながら、当時の日本が政府としてそれらの計画を纏めた上であの戦争を行ったとは思えません。
無謀というよりも、無計画と言った方が適切かもしれませんね。

>戦局や戦争運営に問題があっただけで、決して無謀な戦争だったとは言えない様な気がするのですが、いかがでしょう?

戦争は、個々の戦闘時の戦術だけでは勝てません。
諜報活動・外交活動などなど、政治的戦略が重要なのです。
戦争というのは、対外政治の最終手段であり見通しもなく軽々しく行ってはいけないのです。

孫子曰く「兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり(戦争は国家存亡・生死を掛けた重大事。失敗は許されない)」
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既に出ている大半の意見の様に「無謀」ですね。


ただ一部反対意見にある様に、日清・日露で主に先方の事情により勝った事で、妙な自信と教訓を得たのが突っ走った原因でしょう。
奇しくも前々回のワールドカップでロシアに勝った日本が、前回「明らかに格上」のブラジルに「2点差以上で勝つ」という事を半分本気で信じていた事に酷似しています。
勿論、戦争しかも絶対勝てそうも無い戦争をするのは無謀ですし、清国に勝った日本は三国干渉の仏・独・露と戦争する無謀さは持っていませんでした。
すでに「失敗の原因」は多々論じられていますが、当時の軍は机上演習でも勝てなかった場合に、「大和魂があるから勝つ」として対応策をとらないなど、無謀路線を突っ走っていて、その延長線上に開戦がありました。
織田信長は桶狭間でこそ奇跡的勝利を得ましたが、その後は必ず多数をもって戦いに望む様心がけていますが、歴史を学ぶならそう言うところを当時の人にも学んで欲しかった気がします。
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絶対に勝利することはできません。

ニューヨークに行くことがあれば、ぜひ、エンパイヤステイトビルの展望台に登ってください。この超高層ビルが戦前から建っていたという事実に愕然とするでしょう。戦前の日本人には高層ビルという概念すらありませんでした。そして、当時のアメリカの家庭には電化製品が普通にありモータリゼーションの時代を迎えていました。工業力が圧倒的に違います。当時のアメリカを生で知っている山本五十六、白洲次郎、そして、硫黄島からの手紙の栗林忠道などはみんな"この戦争は負ける"と言っていました。
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>やる前から本当に勝ち目がなかったのでしょうか?


数%でもあったから開戦に踏み切ったと思います。

日清戦争も東洋一といわれた「鎮遠」を擁する北洋艦隊に、また当時眠れる獅子といわれていた清朝に、50%の勝算は無かったでしょう。示威運動のために鎮遠が長崎に入港し、乗組員が日本国民に乱暴狼藉を働いても強く対抗できないくらいの国力でした。清が戦争に負けてから欧米各国の本格的な蚕食が始まります。結果を知っていますので、今では誰も無謀とは考えていませんが、当時は?

日露戦争にいたっては、当時無敵艦隊といわれたバルチック艦隊にたまたま完勝し、しかも血の日曜日をはじめとするロシア国内問題が大きくなったから好条件で講和できただけです。(あえて勝ったという表現はしません。)長引けば日本は破産していました。(もし、ロシアに国内問題が発生していなかったら、緒戦に敗れても、待っているだけで日本は自滅していたと思います。)これも結果論で、今では誰も無謀な開戦という表現はしません。

3匹目のドジョウを狙った太平洋戦争も、短期決戦・艦隊決戦を目論んでいます。結果として日本の思惑通りに行かなかっただけです。日本が通商破壊活動を積極的に行わなかったこと、商船護衛を重視しなかったこと等、長引けば負けるのは必至であることを十分認識していたからでしょう。何が何でも早い段階で艦隊決戦を行い、勝って好条件での講和が目的です。まさか、ワシントンまで進軍出来るとは誰も考えていません。

清、ロシア、アメリカを相手に勝率は開戦当時50%未満だったと思います。(感覚的なもので根拠はありません。)それを無謀といえば無謀でしょう。それとも勝率100%以外は無謀でしょうか?
結果として2回はたまたま好条件で講和できたが、最後は完敗しただけです。(2回は緒戦に勝った軍人も偉いですが、引き際を考えていた当時の政治家がそれ以上に賢かったと思います。最後の1回は軍人に首根っこを抑えられ、引き際を誤った政治家が愚かだったと思います。)
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>太平洋戦争は無謀な戦争と評されがち


無謀じゃありませんでしたね、選択肢はほぼありませんでした。
開戦か飢死か?ですから。

>やる前から本当に勝ち目がなかったのでしょうか?
勝ち目というより、引き際を誤ったんじゃないでしょうか?
長期戦になれば日本はジリ貧というのは、目に見えてました。
日露だって早めに講和できたから、勝てた。

アメリカ相手に勝ち目なんて当然ありませんでしたよ。
ただ適当に暴れて、適当に切り上げて、あとは外交で少しでもマシな条件を引き出すくらいは、
できたかもしれない。原発2発くらうよりは、マシな条件はいくらでもあるだろうし。

日本は、ハード面・ソフト面すべてにおいてアメリカより遅れてました。
唯一日本がアメリカに負けなかったのは、愛国心、捨て身の根性だけだったでしょうね。

日本には、資源がありません。工場の生産力も段違いに遅れてました。
日本の軍人は、視野が狭く、教育面でもアメリカに遅れてました。
情報戦略面でも大きく遅れてました。

日本のエース山本五十六を、打ち落とす時、アメリカ情報部は、
わざわざ確認をとっています。奴を今打ち落とすべきか、奴が無能な司令なら、
まだ泳がせた方がベターじゃないか?あいつくらい、いつでも落とせるじゃないか?
いや、奴は日本海軍の中では、一番マシな様だ、今落としとこうと、決めたそうです。
アメリカ情報部は、日本軍の事を知り尽くした上で、戦ってました。

対する日本は、英語なんて敵性語を使うなけしからん、
これから、ストライクは「よし!」だファウルは 「だめ」だ
なんて言ってました。

情報の価値を知っている日本人は非常に少なかった。
物両面でも余裕で負けてるのに、人材面でも大きく遅れてた。
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1:戦力比


開戦時に於いて 艦船力が 日本>アメリカ というのは開戦タイミングから見て当たり前。
このタイミングを逃すと、すでにアメリカの増艦計画が発動しており、逆転されるのが見えていた。開戦したので、増艦計画が始まったのではなく、開戦前から始まっていました。その意味では米ソの冷戦と同じ構造が日米であったわけです。

2:勢力比
面積とか人口ではなく、工業生産力ですので、だいたい 1対10と言われておりました。
※ ただし、米国の投入戦力で申し上げると、欧州戦線2に対して太平洋戦線1でしたので、工業生産力で申し上げれば実質 1対3くらい。この程度であればやり方次第ではないかと思います。つまり無謀ではない。
※ 日独伊三国同盟を結んだのは、対米開戦ではなく、対英開戦(英米分離可能論)で、日独で組めば、アメリカが日本に勝てないので参戦しないという抑止力効果の意味もありました。その意味では、日本の指導層も合理的に判断しています。
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日本が勝利できる可能性はありました。


戦争に絶対という事はありません。歴史を振り返ればわかる通り、必ずしも大国が必ず勝つというのが戦争というものではありません。小国が大国に勝利する事例は歴史の中に多々あります。
兵力で劣っても経済力で劣っても、敵国に対し有効な作戦を立案し、実行し、成功させる事ができれば勝利できます。それは歴史が証明しています。
確かに米国の国力、経済力は巨大なものです。しかし、それを戦時体制にもっていき、戦力を増大させるには米国と言えど、かなりの時が必要となります。
そして開戦当初の米軍の戦力は質・量にしても決して高いと言えるものではありませんでした。それはフィリピンの攻略戦を見ればわかるでしょう。
特に航空戦力の質で言えば、あの時点では完全に日本に分があり、フィリピンでの航空戦は完勝とも言える戦いをしました。
ミッドウェー海戦で手痛い敗北を喫しましたが、その敗因は決して質でも量でもありませんでした。結果が逆になってもおかしくなかったと米側も認めています。
もしミッドウェー海戦で勝利をおさめ、以後も海戦で勝利をおさめ、早期に太平洋側から米艦隊を一掃し、なお連合艦隊にさほどの戦力の喪失がなかったのならば、状況は大きく変わる可能性も出てきたでしょう。
米国といえど艦船の建造には時間がかかります。それに兵を乗せ運用できるようにするには、相応の時を必要とします。航空機のパイロットも同様です。そして米国も石油がなければ戦えません。
まだ米国の戦力が増強される前に、石油生産設備、石油輸送ルート、艦船建造設備等を叩く事ができれば、状況はかなり楽になります。
その為には艦隊の大西洋への派遣も必要でしょう。
要は日本軍が戦術的勝利を積み重ねる事ができるかどうかです。
積み重ねる事ができたなら勝利もありえたでしょう。
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>>7


コミックジパングには致命的な欠陥、取材不足、勉強不足があります
原爆投入のみに焦点を当てて、もう終焉となりそうな現在のストーリ展開ですが
当時のドイツ海軍は、現在のフォーミング式魚雷の実戦投入まで敢行して
おり多大の戦果を挙げました。そういう歴史的事実に目をつぶって全国に
雑誌を販売するとは、如何なものかと・・・・

当時の戦争は総力戦でしたが、兵器開発・大量生産力、その伝統・ノウハウ、
さらに背景となる、高度な科学知識技術レベル・・・
そういう背景的、後背地的なものが欠かせなかったと・・・
例えば某文庫によると 当時日本軍は名古屋の工場で作ったゼロ戦を
牛車で輸送していた・・・ドイツ軍はキャタピラ、ゴム車輪でなく
鉄輪で火砲を自走させていた・・・
など 兵站的、バックグラウンド的なところ、いわゆる基礎的な分野で
米ソと差があったようです V2ロケットの技術レベルはソ連の30年
先のレベルであった・・・・しかし輸送手段の基礎、兵站部門にドイツ軍は
致命的な欠点があった・・・
こういう事情も色々あったようです 現在のフォーミング魚雷を大量に
実戦投入しても 兵站の軍用車輪レベルで負けた・・・
まあ世の中 裏には色々な複合的要因があるものです
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戦争というものは大概やる前から勝敗が決しています。


勝敗が決するものとして、国力及び地理的要因、特に前者が大きく占めます。
少々乱暴に言えば、それが全てと言ってもいいでしょう。

またこれは余談とうかゴミですが、
日本は大鑑巨砲主義であった、とよく言われますが、実際には「開戦前の段階で戦艦も空母も時代遅れと認識しており主力は基地航空隊と考えていた」、と書かれた本もあります。
それが本当であるかはわかりません。
ですがガダルカナルやインパール、その他諸々は悲惨さ愚かさのみが強調されますが、本当に司令官が馬鹿だったからなのか、日本が欠陥構造だからなのか、など考える必要があるのかもしれません。
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こんばんは、もう皆さんが見事に要点を説明されてます。

工業力の差がありすぎるのは決まってますが、その他にも現代にも通じる決定的な考え方の違いがあります。
現在の役人が責任をとらないで失敗をあいまいにして、なあなあで済ませる土壌が旧陸軍には特に多かったです。陸軍は陸軍 海軍は海軍
ばらばらで協力はほとんどしてません。今の役人の体制と同じです。
国民性かもしれません。インパールで失敗するのがわかってて、失敗したのに作戦を認めた大本営の落ち度になるので、立案者にはおとがめ無し、
芸者を連れてインパール作戦に行った将校達、こんな事が書いてある自費出版本何千冊読んだ事か、ソ連侵攻前満州から最初にいなくなったのは、高級将校とその家族、満鉄の偉い人、先にみんな本土へ帰っていなくなりました。これでは勝負になりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
将校が芸者を連れてインパールへ行ったなんて信じられません。事実だとしたらあまりに情けないですね。所詮、上の人間は我が身可愛さで国家のことを真剣に考えていなかったのですね。(全ての人がそうとは言わないが)
どこか元に滅ぼされた南宋の末路に重なるものがありますね。

お礼日時:2007/04/26 20:42

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