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良く客観的だとか、主観的だ。なんて使われますが客観的と主観的の意味をだれかわかりやすくおしえていただけないでしょうか??
電子辞書などでひいてもいまいち理解できません。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

質問の文章力を見ても辞書の内容が理解できない人ではないと


思います。どのような解説を望んでいるのか分かりませんが、
何かにたとえることは辞書ではしませんのでトライしてみます。

男が不潔だと思う。 これが狼さんの主観

狼さんの友達も男は不潔だと思う

          これは狼さんの友達の主観

狼さんのグループは男は不潔だと思う人ばかりです。
          これは狼さんのグループの人の主観

でも、世の中いろいろな考え方があるので男が不潔だと思う
人もいれば、清潔な男もいると思っている人もいます。女か
ら見て、男から見て、妻から見て夫から見て等々いろいろな
層、いろいろな角度から見てどうであるかを推測するのが客
観です。

男にも当然潔癖な人もいますが、あまり清潔、不潔に頓着し
ない男のほうが多いのではないかと推測する。これが客観的
な見方です。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
なんとなく理解できました!!
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/15 00:15

ひとつのりんごがあるとします。


見てわかることは、「赤い」「つやつやしている」「大きい」ということとします。

これを見て、
Aさんは「おいしそう」と思います。
Bさんは「すっぱそう」と思います。

見てわかることが客観で、りんごを見てそれぞれが思ったことが、それぞれの主観です。
このりんごを表現するときに、
「おいしそうなりんごだ」とか「すっぱそうなりんごだ」と言うのは主観的で、「赤くて大きいりんごだ」とか「大きくてつやつやしているりんごだ」と言うのが客観的。


と言う説明ではどうでしょうか。
主観と客観・・・・真剣に考えると頭の中がグルグルしちゃいますね。
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ある人の感想や思い込み=主観



誰が見ても明らかな事実=客観


木村拓也はスマップのメンバーである→客観
木村拓也はスマップの中で一番カッコいい→主観
木村拓也はスマップの中であまりカッコよくない→主観


まぁ、簡単な区別の方法としては
私は~~~だと思う、というのが主観で
誰しもが同意できる物を客観、と覚えれば
当たらずとも遠からずかと思います。

この回答への補足

遅くなり申し訳ありません、なんとなく理解できました。
ありがとうございます。

補足日時:2007/06/15 00:16
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はじめまして。



主観的=自分だけでそう思う態度(主観≠事実)
客観的=だれが見ても、もっともだと思われるような立場で、ものごとを考えるさま(客観≠事実)

「わたしはAが正しいと思う」(主観的意見)
「でもみんなはBが正しいと言っている」(客観的意見)
どちらも真実ではありません。ただ、お互いの立場でAまたはBが「正しい」という2つの意見に別れるのです。要は「立場」なのです。

「そこに幽霊が見える」(主観的事実)
「そこに幽霊なんて誰にも見えない」(客観的事実)
どちらも真実ではありません。ただ、どちらにとっても「事実」と思っているのです。立場によって「事実」は異なります。

「自分はエビちゃんに似ていると思う」(主観的事実)
「でも人からはよくシノラーに似ていると言われる」(客観的事実)
どちらも真実ではありません。BFはエビちゃんに似ていると思っているかも。

つまり、客観は「だれの目にみても」と多数派の意見・事実なので、客観的意見・事実は論理を唱える上では有利で優勢なのです。一方主観は自由に使うこのできる便利なしろものです。主観的意見・事実とは、要は自分勝手な思い込みですが、それは真実でないとは決して言い切れないのです。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません,すごくわかりやすかったです。
どうもありがとうがざいました!!

お礼日時:2007/06/15 00:11

 一定の人の間の、共通の主観の立場が、その時のその状況での、そのことに関する客観的。

法哲学者の碧海純一さんは間主観的ということばだったかな?
 そういう配慮的共通性を顧慮しないで、対象に向き合う自分を主観。
 理性や論理、経緯などを無視した、支離滅裂な自己は自分に認められないということからすれば、主観も客観もあまり区別のない、相対的な用語。
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 絶対的事実、とか絶対的真理とか、宇宙の真理とか、人類普遍の真理とかいうのは主観の中の絶対、宇宙、人類普遍。

つまり単なる修飾語。これを他に同じに価値観を持て、ということの誤りを碧海純一さんはさけるべきだと、法哲学の立場からおっしゃったのであろう。このことはワイマールのグスタフ・フォン・ラートブルッフの価値の相対性でも思索されていた。
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