アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

日本における「民衆」と「大衆」の概念の違いについて教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

辞典や辞書を調べれば分かるであろう事は省きます。

以下、
私の今までのそう多くない読書や、少ない社会経験から漠然と感じている事を答えたいと思います。
「民衆」と反対の概念は「インテリ」でしょう。「インテリ」が啓蒙すべき相手が「民衆」です。「大衆」と反対の概念は「前衛」でしょう。「前衛」がより良い社会へ導こうとする対象が「大衆」です。前者が観念的な概念で後者が実際的な概念です。
でもこれでは、なんじゃ、それ。…って。感じですね。
ちょうど震災(関東大震災)以後に起こった大規模な社会の変貌(例えばささいな事では、洋服が都市では一般的になったなど)、で今の社会の基礎が形づくられて来たわけですが、その社会では平等化が極端に推し進められました。遂には「インテリ」や「前衛」を担うべき人達までが自己否定しはじめて今に至っています。つまり、「みんないっしょに仲良く協力してより良い社会を目指しましょう」という事です。
しかし、実際にはインテリや前衛は存在します。それは、大学の教授や評論家だったり、政治家(官僚)や実業家だったりして、はっきりと民衆や大衆とは異なります。でも、その人達も私たち民衆や大衆とかわらないじゃん。と言う意見や考えが大きくなり実際の状況を覆い隠してしまっていて上の偽善的な「みんないっしょに…」になるわけです。
つまり、このなんじゃらほいの甘ったるい考えに覆われた社会が「民衆」
や「大衆」という言葉を消してしまって、対立を隠蔽しているのです。
階級や身分はイマダニ存在している、という話しです。
余計にややこしいかったかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅くなって大変申しわけございません。このたびは、「民衆」「大衆」という概念について、それぞれ具体的な名前を挙げて説明していただいてありがとうございました。

お礼日時:2007/07/27 21:52

#1 さんの見解はかなりうなずける感じがしました。


私なりに違いを説明すると、
「民衆」の民は「たみ」。少し古い言い方ですが、「君(きみ=主君)」の対義語です。ついでに言えば「おみ(臣)」は「君」に使える官僚です。こういう構図からすると「民衆」は前近代的概念ということになりそうです。
「大衆」は、それこそ「一般大衆」のことで、「大」はおそらく身分的差別がないということを意味しています。つまり「大衆」は「平等」という理想を前提とする近代的概念と言えそうです。
身分的平等が前提ならば、(#1さんの意見とすこしずれますが、)「教養」の違いに着目した「インテリ」の対立概念と言ってもいいかもしれません。「(一般)大衆」という言い方に「インテリ」側からのある種の侮蔑の念がないとは言えないでしょう。しかし、実際の「大衆」はTVなど消費社会のメディアの力(そのよりどころは視聴率という匿名の数字)により、「インテリ」の影響力をはるかに凌駕する存在になっていると思われます。「大衆」にとって自分自身がすなわち「みんな」であり、知識人など眼中にないのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。一つ質問させて頂きたいのですが、近代化によって民衆が大衆へ変貌したということなのでしょうか。よろしくお願いします。

補足日時:2007/05/31 09:12
    • good
    • 2

#2さんと同じ感じです。


「民」の対立軸として「官」または「君主」を思い浮かべます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅くなって大変申し訳ございません。このたびはご回答をありがとうございました。

お礼日時:2007/07/27 21:55

#2です。


>近代化によって民衆が大衆へ変貌したということなのでしょうか。

身分制度の撤廃と民主主義の導入によって、「君」に仕える「民」が「主(あるじ)」となったことも近代化のひとつの流れといえるでしょう。(あまりに皮相で形式的な説明かもしれませんが、少なくとも建前としてはそうなっています。)

そのなかで「大衆化」と言われる社会の変化も顕著になってきました。
そういう意味で、おっしゃるとおり、「近代化によって民衆が大衆に変貌した」と言うことができます。

ところで、江戸時代の上方や江戸の町人は身分制度の中にありましたが、経済的には社会の実権を握っていました。それを背景として発展した「町人文化」はすでに「大衆文化」としての特質を示していたと考えてよいようです。

しかし、弱体化した幕府に代わり集権的な明治政府が成立すると、「四民平等」といいながら、「華族・士族・平民」という身分制度も形式的に残り、「官」が「民」を統制するしくみが強化されました。「臣民」という生き方を「家長制度」が支える中では大衆文化は全面的な発展を阻害されていました。

日本が「民主化」するのは第二次大戦後です。現在も「官製談合」とか「民間企業」「住民」などの言葉で、「官」の統制を受けるという意味でだけ「民」という言葉は生きています。ほとんど誰も自分は「臣民」の一人であるとは考えていないでしょうし、「家長」による「家族」のまとまりも薄くなりました。

そういうなかで、世代間の伝統の継承よりも、「若者文化」とか「サブカルチャー」など世代の違い、教養の差によるあたらしい文化のありかたがひろまったのです。これが「大衆化社会」と呼ばれる社会のひとつの特徴だと言えます。

「大衆」の特質についてはもっといろいろな観点から述べることもできるでしょうが、これ以上は質問の範囲から逸脱しすぎるようですのでこのへんで。参考になれば幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅くなって大変申し訳ございません。このたびは大変丁寧なご回答をありがとうございました。

お礼日時:2007/07/27 21:48

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!